リンゴの芯と小説

脳幹 まこと

うまく形容できないが

 

 リンゴを選ぶとする。同じ値段で産地を示すようなラベルもない。

 そうなれば大抵はより大きいリンゴを選ぶと思われる。


 買ったリンゴをかじる。味はまあ外れではない。感嘆するほどではないが、顔をしかめる程でもない。

 予想通りのリンゴの味がある。


 何口も食べると、いよいよ食べられる箇所がなくなってきた。

 遂にはごちそうさまと言って、残りをゴミ箱に入れる。その大半はリンゴの芯にあたる部分である。

 芯が大きくなければ、実は大きくならない。だが、食べるときには邪魔になる。


 小説もリンゴと似たようなものだと思ったのだが……リンゴの芯にあたる部分がどうしてもうまく表現できない。

 実そのものは小説本体、ラベルはそのまま宣伝や評判、味は面白さで大体例えられそうなのだ。

 種の部分も次に繋ぐための媒体と考えれば伏線と形容できるだろう。種そのものは味に影響を与えないが、未来の実り(果実)をもたらすだろう。


 芯はどうか。

 著者の熱意、あるいは思想か。確かに骨子足り得るが、その部分を要らないと考えるのは難しい。

 それとも、小説の「お約束」の部分か。確かに過剰にあると中身が少なくなって不評ではある。しかし、それが骨子になるかと考えると怪しい。テンプレート(枠組み)の示す通り、芯よりかは皮という感じだ。

 世間一般の常識、法則というのも浮かんだ。重要ではあるし、その割には軽視されがちなものだ。さて、それが芯にあたるかというと、やはり違う。

 敢えて例えるならリンゴの品種とか、リンゴという果物の名前・・・・・にあたるものだろう。重要ではあるが、それは前提とか最低限の体裁としての話だ。リンゴの大きさには関係しない。


 自分でも書いててよく分からなくなってきた。

 つまりここでの芯の定義とは、実を決める骨子になる重要なものだが、食う(読む)という用途においては見向きもされず、むしろ邪魔になるという、怪奇な代物なのである。

 ありそうな気がする。だが、うまく表現できない。


 小説をリンゴで例えていること自体が筋違いならば、それも一つの結論ではあるが……

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