怖い顔

湖城マコト

見えてはいけないもの

「……また怖がらせちゃったかな」


 実家に帰省した信吾しんごは、一カ月ぶりに顔を合わせた甥っ子の怯え顔を見て、汗をかいた顔で申し訳なさそうに苦笑した。


「こら、千尋ちひろ。信吾叔父さんに失礼でしょう」

「いいよ、姉貴。僕は気にしてないから」


 姉の子供である千尋は現在6歳。叔父である信吾によく懐いており、時折信吾が帰省すると真っ先に駆け寄り、ふくよかな信吾の体に笑顔で抱き付いてきたものだが、ここ三ヵ月は笑顔どころから顔を合わせる度に怯え、時には泣き出してしまうこともあった。幼年期は繊細せんさいといっても、あまりの変わりように親族一同困惑気味だ。


 もちろん信吾には千尋の反感を買うような心当たりはないし、県内在住ということもあって月に一回くらいのペースで帰省している。顔を忘れられたなんてこともあるまい。

 また、千尋が怯えるようになったのはここ三ヵ月程のことなのでどちらにしろ要因足り得ないが、信吾の顔立ちは一言でいえば優男風。強面故に幼子に恐れられる、等ということもない。


「ねえ千尋、叔父ちゃんがそんなに怖いかな?」


 これ以上怖がらせないように、冗談めかした軽い口調で尋ねてみる。母親の足の後ろに隠れた千尋は、顔の右半分だけを覗かせるが、


「……怖い顔」


 青ざめた顔でそう言い残すと、千尋はそそくさと家の奥へと引っ込んで行ってしまった。

 甥っ子から発せられた思わぬ一言に、それまでは穏やかに構えていた信吾もこの時ばかりは驚愕に目を見開き、額には冷や汗を浮かべていた。


 膝を折って幼い千尋に視線を合わせる形だったので、姉には信吾の表情は見えていない。


「……あの子、時々妙なことを口走るのよね。何もない空間をボーっと見つめている時もあるし、何か変な物でも見えてるんじゃないかなって、たまに不安になっちゃうのよね」

「千尋には、何か特別な力が備わっているってこと?」

「非現実的だし、考えすぎだってのは分かってるんだけどね。だけどよく言うでしょう? 幼い頃って別の世界が見えているって」


 冗談めかした姉の表情と口調に対し、信吾は笑い返すことが出来なかった。そんな弟の様子に姉は、「やーね、本気にしないでよ」と脇腹を小突いてきたが、信吾はそれでもなお、作り笑い一つ浮かべることが出来なかった。


 怖い顔と言われた瞬間、信吾はまるで心の中を見透かされたようだった。

 千尋が信吾に怯えるようになった時期も、信吾が秘密を抱えた頃と一致する。

 もしも杞憂きゆうなどではなく、千尋が何か特別な力を有しているのなら。


 幼いなりに、信吾がという事実に気が付いているかもしれない。


 三ヵ月前に信吾は、あるトラブルから衝動的に知人を殺害。その死体を山中へと埋めた。

 被害者が元より放浪癖のあった人物だったこともあり、まだ事件そのものが明るみとなってはいない。もちろん、目撃者など皆無だし、真実を知るのは加害者たる信吾ただ一人だけだ。

 にも関わらず、信吾が殺人の一線を越えた時期から、それまで懐いてくれていた千尋が信吾を怖がるようになり、今日はついに「怖い顔」などと意味深な台詞を発した。

 不思議な力で信吾が殺人犯であることを見抜き「怖い顔」と評したのか。あるいは霊的な存在が見えていて、信吾をたたる被害者の顔が見えてしまったのか。


 いずれにせよ、偶然は片づけられない気味の悪さを信吾は感じ取っていた。


「なあ千尋。お前には何が見えているんだ? 正直に教えてくれ」


 姉が買い物に出かけたタイミングを見計らって、信吾が露骨に自分を避け続ける千尋を捕まえ正面から問い掛けた。まさか我が身可愛さに甥っ子に危害を加えるつもりはない。あくまでも本当のことが知りたいだけだ。

 犯した罪の大きさを抱えきれず、精神的にはそろそろ限界だったし、叔父として甥っ子にこれ以上怖い思いをさせてしまうのは申し訳ないという気持ちもあった。

 千尋に見えているものが何であれ、その答えを確かめた後には、自首を前提に今後について改めて考え直そうと、信吾は心に決めていた。


 信吾の問い掛けを受け、千尋は怯えた表情のまま信吾の後方を指差した。

 

「……怖い顔、ガイコツ」


 千尋の言葉を受けて信吾は確信した。千尋に見えているのは自分が殺した男の霊であると。埋めた死体が今どのような状態かは把握出来ていないが、季節的な要素も考慮すると、すでに白骨化していたとしてもおかしくはない。


「……ごめんな千尋。叔父ちゃんのせいで怖い物を見せてしまって」


 殺された男の霊が見えていたなんて、千尋が信吾と顔を合わせる度に怯えてしまうのも無理はない。甥っ子に対する負い目から感情的に体を震わせ、信吾はその場にうずくまってしまった。


 しかし、信吾は大きな勘違いをしている。

 千尋に見えているものは、信吾が殺した男の霊などではない。


「……ガイコツ、おっきな鎌、持ってる」

「えっ――ぐっあああああ……」


 千尋の視界に映り込んだガイコツが巨大な鎌を振り下ろした瞬間、信吾は胸部に激痛を感じてその場でのた打ち回った。


 千尋の怯えと信吾の犯した殺人との間には直接の関係はない。

 千尋に見えていたのはものは信吾の殺害した男の霊などではなく、死期の近い者のもとへと現れる、巨大な鎌を持ち、黒いローブを纏った骸骨――死神の姿だ。もっとも、幼い千尋がその存在の意味を理解していたかどうかは分からない。幼心に、骸骨という恐ろしい風貌に恐怖を抱いていただけだ。


 肥満体系であった信吾は動脈硬化が進行しており、死の足音は確実に迫っていた。

 殺人を犯してしまったという事実がもたらすストレスもまた、状態の悪化に拍車をかけた。それがおよそ三ヵ月前。千尋が、信吾の背後に佇む死神に怯え始めた時期だ。

 

 そして今日が運命の日。

 死神はその鎌を信吾目掛けて振り下ろした。


 数分後。買い物から帰宅した姉が倒れた信吾を発見、すぐさま救急隊が駆けつけるも信吾はすでに息絶えていた。


 千尋が死神の存在の意味を理解し、叔父である信吾に病院にかかることを助言していればあるいは運命は変えられたのかもしれない。しかし、六歳の幼子にそこまで求めるのは酷というものだろう。

 

 いや、きっと年齢も視認の有無も関係ない。


 死神等という存在が介入してきた時点で、最早変えることの出来ない必然だったに違いない。




 了

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