第9話 過去

「どうしてこんな……死ぬな、死ぬなよ相棒!」


 時雨が降り注ぐ森の中、スライムは必死になってその魔物を揺さぶっていた。

 蒼い甲羅には亀裂が入り、全身には大量の毒矢が突き刺さった一匹の巨大な亀。顔にはもう生気は宿っておらず、口は小刻みに痙攣している。


 限りなく続く灰色世界、そこたった一人取り残された彼は涙を流した。

 ずっと共に戦ってきた仲間を助けることも出来ず、自分がいかに無力だったかを思い知らされる。


「…………ラ、イン、よぉ」


 死に直面してもなお、亀は一本しかない腕で不細工な鉄剣を握りしめると、スライムの名を呼ぶ。


「ごめ、んな……約束……守、れな、くてよ……」

「駄目だ、死なないでくれ相棒……。クロッカス! クロッカスッ!!」


 スライムの呼び声も虚しく、その大亀はゆっくりとまぶたを閉じた。その瞬間、彼の時間は全て停止し、小さな灯火は消え去った……。


「オレは……何も出来なかった。相棒を助けることすらも――」


 空からこぼれ落ちた小さな水滴がスライムの身体を濡らす。相棒の死を眺めることしか出来なかった彼は、静かに決意をその小さな瞳に湛えた。


 ☆


「起きて、起きてよライン!」


 苦悶に満ちた顔で眠っていたラインは、彼女の声でようやく覚醒する。

 彼は寝ぼけ眼で辺りを見渡すと、心配そうに見下ろすルシアの顔を見上げた。


「良かったー、ようやく起きた。随分とうなされてたみたいだけど、大丈夫?」

「お……オウ! 悪夢と分かってホッとしたゼ、起こしてくれてありがとうナ」

「どういたしまして。それにしてもスライムも見るんだね、夢」

「偶にナ。あまりいいもんじゃないないけどサ」


 安堵のため息を吐き出したルシアからラインは目をそらすと、頭をフル回転させ、状況を軽く整理した。


 ――またあの夢か。

 薄っすらと記憶に残る悪夢を思い返して、ラインは身体をプルプルと振るわせると、ベッドから飛び降りて洗面所へと急いだ。


 壁に張り付いた鏡に映るのはアテネスライムことラインの姿だった。

 目や口以外に全く特徴のない身体をジッと眺めると彼はため息と共に呟く。


「……いつまでこんなこと続けりゃいいんだろうな」


 ――恐らく永遠に僕は捕らわれたままなのだろう、相棒がいなくなってからずっと……。


「どうしたの? 鏡なんかジッと見て」

「自分の身体がどんな感じか気になってサ。森の中には、鏡なんかないからナ」

「言われてみればそうね。エルフの里でも鏡やガラスはかなり貴重だったわ」

「だろ? だから、幾ら眺めても飽きないンダ」


 鏡に映る寝巻き姿のルシアを見上げ、ニカッと笑って見せるとラインは彼女の肩に飛び乗った。


「そいや、ルシアこそ体調大丈夫なのカ? あれからずっと気分悪そうだったけど……」

「一晩寝たから何とかね。それに今日から《氷嵐の短杖》フロズラシアの探索よ? いつまでもへばっていられないわ」

「それもそうダナ。ヨッシャ、いっちょ今日も頑張るカ!」


 気持ちを切り替えたラインは、ルシアと共に遺跡へと向かう準備を始めるのだった。

 太古の武具が収められている可能性のある遺跡だ、どんな仕掛けが潜んでいるかは分からない。下手をしたら大怪我を負ってしまうかもしれない。


 けれどそんなリスクを負ってまでも、その先にある『未来』を夢見て、彼と彼女は道を切り開こうとするのだった。

 後悔なんてしている暇などない。ただ彼女の夢を手伝いながらも先だけを見て進む、それが今のラインに出来ることだ。


 ☆


 キプゾール森林の深部、太陽の光が殆ど差し込まなくなるほど木々が覆いしげるその場所に、フロズラシアが眠るとされる旧キプラス遺跡は佇んでいた。

 とはいっても遺跡自体が地下に埋め込まれており、地上にあるのは入口部分のみ。また壁には古代技術によって生み出された特殊な結界が張り巡らされており、武器や工具を使っても破壊はできない。


「ここが例の遺跡なのカ?」

「ええ。地図を見る限りだと、間違いないと思うわ」


 古代魔導文字で書かれた地図を懐にしまったルシアは、気を引き締めつつも遺跡へと足を踏み入れた。


 ――《氷嵐の短杖》フロズラシア

 それはかつて邪神の眷属である五姫の魔女、その内の一人である冷血の魔女が大陸を凍りつかせる為に創り出した魔法の杖である。

 しかし、伝説の勇者ライバートに仕えていた古の賢者ハウロに恋した冷血の魔女は邪神を裏切り、自らの杖に治癒の力を宿して、ハウロにプレゼントしたそうだ。


 全てを凍てつかせる魔力を秘める一方で命を癒す力をも持つ杖。ある程度の実力を持つ魔導師ならば、喉から手が出るほど欲しがる逸品だ。

 しかし、ルシアが求めるのはその類まれな二つの力ではなく、力の副産物だった。


 冷血の魔女は生物の心をも凍らせられる一方で、どんな重い病気や呪いでも凍てつかせ、無にかえせるらしい。一言で表すと、空間や概念すらも超越した冷却能力――そんな化け物じみた力を持っていた。


 そんな魔女が宿した治癒の力なのだ、彼女の求める解呪の力を秘めていてもおかしくはない。


「……それにしても、本当に緑青のワンドで呪いが解けるのカ? 仮に解呪の力があったとしても、君の強力な呪いが解けるかどうかも限らんダロ」

「そんなのやってみないと分かんないでしょ! それに……もし伝承が本当なら、その杖で私の呪いを解ける可能性が高いはずよ」

「何でそんなこと言い切れるんダヨ」


 ラインの言葉に一瞬戸惑いを見せ、ばつが悪そうに口を一文字に結ぶルシア。

 しかしこれ以上黙っていても仕方ないと感じたルシアは、口にするのもはばかられるその存在をラインに聞こえる程度の小声で呟いたのだった。



「怪蟲の魔女」

「……ンァ? それって、もしかして五姫の魔女か?」

「そう。更に言えば、アタシに蜘蛛の呪いを掛けた張本人よ」


 途方のない怒りや憎悪を込めて、ルシアはその真実を告げた。


 ルシアがまだ生まれて間もない頃に、その魔女は彼女の両親を亡き者へと変え、強力な呪いを彼女の体内に埋め込んだ。その上、人々の記憶から魔女自身の存在を抹消し、その事件そのものを深き闇の中へと葬り去ったのだ。


 唯一その事件を覚えていたのは、数年前にこの世を去ったルシアの祖父のみ。

 真実はもう何も分からなくなってしまった。


 ただ確実なのは、怪蟲の魔女こそがルシアを異形へと変えた元凶であること。

 そして、その魔女は直に復活を遂げるであろう邪神の眷属であること。

 それだけだった……。


「なるほど……。魔女の呪術には、同じ魔女の解呪で対抗するわけカ。それなら望みはあるナ」


 ルシアの気持ちを悟ったラインは、真実に深く触れることはなく話を元に戻してくれた。これ以上、首を突っ込むのは野暮だと思ったのだろう。


 脳裏に蘇った苦い過去。

 ルシアは首肯しつつも、それらを記憶の隅へと追いやって、緑青のワンドを探すことに意識を向けた。


 呪いが解けるか解けないか以前に、フロズラシアが手に入らなければ何の意味もない。その力に期待しているからこそ、他の人の手に渡ることだけは何としても避けなければならないのだ。



 思いを巡らせながら幾らか通路を曲がった先、そこに地下一階層へと続く階段が姿を現す。

 適度な段差が下へと連なり、その先には思わず飲み込まれてしまいそうな暗闇がどこまでも続いていた。


 ルシアは鞄からロウソクを取り出すと、ラインに魔法で火をつけてもらい、暗闇の先を照らす。

 橙色の炎は、通路を駆け抜ける風で小刻みに揺れ動いた。まるでこの先に待ち受ける何かに怯えているかのように……。


「安全なのはここまで……。この階段を降りたら、魔物のオンパレードよ。心の準備はいいかしら?」

「オウヨ! 覚悟は出来てるゼ、気が済むまで暴れてやるヨ」


 ルシアとラインは顔を合わあせて頷き合うと、一階層へと降りていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

聖剣、美味しくいただきました ~武器を喰らうスライム&蜘蛛の腕を持つ武器コレクター~ 井浦 光斗 @iura_kouto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ