第6話 ショートケーキ

今日は特別な日だ。俺は兼ねてから嫌煙していたデパ地下に足を向けて今時の女たちが喜びそうな煌びやかなケーキを買おうとしたが、俺が最終的に買ったのは売り場で一目惚れした王道ショートケーキを買って今帰路についている。あいつがどんなケーキでも俺が選んだものが食べたいと強請った時は、どうしたもんかと悩んだものだが、俺はあいつのその言葉の意味をよく考えてみた。そしてその意味は俺にも良く分かるものだった。まだ子供の癖にいっぱしな事言いやがる。家に帰って玄関を開けると、あいつが何時もの様に台所に立って晩飯の準備をしていた。俺は真っ先に手に下げていた袋をあいつの鼻先に掲げて少し小さ目の声で言った。

「誕生日、おめでとう」

するとこいつは頬では無く耳を真っ赤にして俯いたが、直ぐに顔を上げて俺にとびっきりの笑顔を見せて袋を両手で受け取った。

「ありがとう。すごく、嬉しい」

俺は泣き出しそうな顔をしながら笑っているこいつの頭に手を置いてそっと撫でた。

「さあ、飯にしよう」

大きく頷いてケーキを冷蔵庫に箱ごと入れてから食事の準備を始めた。メニューはシチューだった。しかも俺の好きなホワイトシチュー。

「なんで、お前の誕生日なのに俺の好物なんだよ」

俺が驚きの声を上げるといつもよりも優しい笑顔で静かに言った。

「私さ、この間誕生日プレゼントは何がいいか聞かれてケーキって答えけど、それは貴方との食事に特別感をプラスしたかったからなの。美味しそうに食べる貴方の顔が私にとってどれだけのご褒美に成っているのか、普段はあまり言わないけれど。貴方にも私の気持ちを分かってもらえるように、私の好物をリクエストしたのよ。それに、シチューは私も大好きなの」

彼女はそう言いながらそそくさと準備を進める。目を合わせて話すには確かに恥ずかしい内容だ。俺だったらそんな事面と向かって先ず言えない。俺はコートを脱いで手を洗って炬燵に足を入れた。向き合って何時もの様に食事をして、片付けた後にあいつはお湯を沸かしながらケーキを食べる準備をし始めた。ホールケーキを四等分にして平皿に盛り付けた。やかんが喧しい音を立て始めたと同時にポットにお湯をそっと入れて静かに揺らして今一度お湯を入れた。二回目は少し高さを付けて勢いよく入れた。激しく上がる湯気に乗って俺の鼻にまで紅茶の香りが届いた。普段は戸棚に入れてあるカップを出してきてそれに香り高い紅茶を淹れてくれた。

「今日はお前の誕生日なのに、お前にばかり働かせてしまうのは気が引ける感じもするな」

「気にしないで。好きでしてる事なんだから」

「そうだな。だがお前はもう少し世話を焼く事の大変さを自覚した方が良い」

「誰にでもこうする訳じゃないわ。貴方だからよ」

彼女はカップを机の上に静かに置いて足を炬燵に入れて座った。

「なんだか、気味が悪いな」

「どうして?」

「お前があんまり素直だからさ」

「今日は私の誕生日でしょ。だったら今日くらいは素直に何でも言っても構わないでしょ?」

少し悪戯な笑顔でそう言った。俺がそんな素直な素振りを見て戸惑う姿を観察する事を楽しんでいるのかもしれないと思うと、喉の辺りまで溜息や牽制するような言葉が責め上がってきたがそれはあいつの次の言葉で抑え込まれてしまった。

「私は貴方が困っている顔を見たいんじゃないのよ?ただ言いたい事を言いたいときに言っているだけ」

見え透いた事を言って返って俺に何も言わせない根端なのかもしれないが、俺はやられっぱなしは嫌いだ。

「俺はお前が喜んでくれれば、それでいい」

本心だったが、普段なら口に出さない言葉だ。恥ずかしいとかそんな理由ではなく、俺がこいつと一緒に居るために必要な事だからだ。今日くらいは、こいつが喜ぶことをしてやりたい気持ちが俺なりに有る事を分からせる為に敢えて言ったことだったが、思いのほか効果が有ったらしく黙り込んでしまった。

「おい、ケーキのクリームがへたっちまう前に食べようぜ」

「へっ?あぁ、うん。そうだね」

フォークで食べなくともスプーンで食べられると思わせるくらいにスポンジが柔らかかった。クリームは甘すぎず、だが濃厚な味わい。苺のピュレは酸味が少し強めの香り高いもので、微かに香る洋酒はスポンジに染み込ませたブランデーだろう。半分ほど食べた所で俺は乗っている苺にフォークを刺した。

「えっ。途中で食べちゃうの?」

少し意外そうな顔をして聞いてきたこいつのケーキの上はまだ苺が乗っていた。

「いや、1ピースのケーキならまだしも今は何時もの二倍の大きさの物を食べている訳だし、途中で食べなきゃならんだろう」

「1ピースのケーキだったら苺は何時食べるの?」

「それは・・・」

さっきの反応からして恐らくこいつは苺は最後に食べる派の奴だ。楽しみを取っておきたいと言う奴だろうが、俺からしてみれば、ケーキを食っている筈なのにいつの間にか最後の苺の為にケーキを食べているという状況に成りかねない事に気付いていない連中のする事だ。

「なによ、その目は・・・。最後に苺を食べるのがそんなにいけない?」

「いけないとは言わないが、ケーキを味わいたいのに苺を楽しみにしながらケーキを食べるなんて矛盾してると思わないか?」

「矛盾してないわよ!ショートケーキにとって苺もショートケーキの一部であって其れが無いとショートケーキとは言わないのだから其れを楽しみにしつつスポンジ部分も味わって食べれば一つのケーキで二回楽しめるでしょ?」

「確かにそうかもしれない。だがお前は苺を最後に食べる事の大きな欠点を見逃しているぞ!」

「なに?何を見落としてるっていうの?!」

彼女は炬燵の机に手を付いて前のめりに成って俺に食って掛かるようにして聞いて来た。どうやら今迄ケーキの食べ方に疑いを持った事が無かったらしい。そもそもこいつはそういう事に拘らないと俺は思っていた。一緒に食事をするようになって分かってきたが、切っ掛けや機会が無かっただけで、そういう事に無頓着な訳では無かったという事が分かった。俺はこいつに決定的な欠点を言わなければならない。教えてやらなければならない。

「最後に苺を食べると、スポンジケーキの甘さに慣れた口には苺の甘さは弱くかんじて酸味が目立つ。つまり、イチゴ本来の美味しさに靄が掛かる」

そう言うと彼女は、はっとした顔をして力無く座った。どうやらその欠点には気付いていなかったようで、ショックだったらしい。

「分かってはいたのよ。苺がすっぱく感じていた事も。その原因も。でも、でも苺を途中で食べるなんて自分はなんて忍耐の無い人間なんだって自己嫌悪に陥ってしまう気がして・・・」

「忍耐をケーキで測るなよ・・・。そもそも最後に食べなきゃいけない決まりなんてないんだから。好きに食えばいいだろう」

俺がそう言うと残ったケーキを見つめながらフォークを握り直した。そしてその矛先はケーキの上にまだ載っている苺に向いていた。その姿勢を崩さずに視線さえも動かさずに彼女は俺に聴いた。

「おじさんはどうやって食べてるの、苺」

「俺か?俺は苺をフォークで半分に割って片方ずつケーキの上に載ってる生クリームを少し掬ってつけて食べる。そうすれば酸味が和らいで美味しく食べられる。そのまま食べる時も有るが一気に一口会食べる事はあまりしないな。俺ならな・・・」

俺の話を聞きながら暫くそのまま停止して迷った挙句に其の苺にフォークの先を付けてぐっと差し込んでそのまま口に放り込んだ。入れた直後の顔は苦い物でも食べているようだったが、暫くしてその表情が消えてスポンジケーキを口に運ぶと、その顔に花が咲いた。どうやらこいつは苺を食った後のスポンジケーキのうまさを知らなかったようだ。

「美味いだろ」

俺が得意げに言うと頬にため込んだケーキを飲み込んだ後に大きく頷いた。


ケーキを食べ終えて片づけをしているとシャツの後ろを引っ張られた。

「どうした?」

泡が付いた手を流しから出さない程度に振り返ってみると、俯きながら何も言わずに俺のシャツを掴み続けている。俺は何も言わないこいつのが何を言いたいのか考えながら洗い物を済ませて手を拭いた。シャツを掴む手はまだ動かない。同じく彼女の口も動かない。

「どうしたんだ。黙っていては分からんぞ」

そう言うともごもごと口を動かし始めたが、俺にはその言葉が聞こえなかった。

「ハッキリ言え。なんて言ったんだ?」

すると彼女は俯いていた顔を上げて俺の顔を凝視しながら言った。

「名前。名前で呼んで」

驚いた。そんな事、こいつが俺に求めていたなんて。名前で呼ばれたい。其れがこいつの気持ちとどう結びついてくるのかを考えた時、俺は其れを許してしまっていいのか少し考えた。だがこいつはおド落俺がこいつの名前を呼ぶまでこの手を離さないだろう。

「ゆり」

シャツを掴んでいた手がゆっくりと離れていった。

「誕生日、おめでとう」

俺は抱き着こうとするこいつの頭を押さえた。

「やったああ!はじめてっ!初めて名前で呼んでくれた!ねえもう一回!」

「だめだ!お前はそうやってすぐに調子に乗る」

「お願い、もう一回だけ!ね?!」

こいつの諦めの悪さを俺は忘れていた。


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おじさんと女子高生の美味しい話 槙田 華 @kannoseika

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