1-4 プログラミングの鎖を破れ

 不意に、凛とした声がその場を割った。

 聞き覚えのある声だ、とツァーリのマイクは認識、まさかと思いカメラをそちらに向けると、

 そこにいたのは、明るい茶髪に青緑の瞳、白衣の。

「……マス、ター?」

「天才技術者リリヤ、到着。ツァーリ、よく頑張ったね。ここは僕が何とかするから、君はゆっくり休むといいよ」

「どう、して……?」

 ツァーリにはわからない。人間嫌いのリリヤは普段、町になど下りてはこないのだ。町に来たら人間と出会う。リリヤにとっては人間こそが、最大のトラウマであるはずなのに。

 ツァーリのセンサーは真実を見抜く。実際、リリヤは震えていた。その息づかいも荒く短く、額には汗が浮いている。しかしそれでもその青緑の瞳は強く強く輝いて、睨むように謎の男を見つめる。

 リリヤは震える手を、そっとツァーリに差し出して優しく言った。

「君は僕の大事な発明品なんだよ。ピンチになったら助けに行くのが、親である僕の役目だろう」

 そして彼は、言うのだ。


「君は心があるじゃないか」


 心底、嬉しそうに。

 ツァーリは、普段から偽りの笑みしか浮かべないこの主の本当の笑顔を、初めてそのカメラに映したような気がした。

 リリヤは無理して立ち続けるツァーリをそっと大地に横たえてやった。

「駆けつけてきて、わかったよ。君はあの女の子を守ろうとしたのだろう? そんなの僕は君にプログラミングしていない。没交渉不干渉が僕の基本姿勢で、君にもそうあるようにプログラミングしてある。でも君はそれを破った。それは君に心が宿った証拠だ」

 よく、プログラミングの鎖を破ったね――その言葉を聞くと、涙なんて流せないけれど、ツァーリは涙が出てきそうな気持ちになった。

 大好きな主に認めてもらえた、それがとても――嬉しかったのだ。

 さて、とリリヤは前を向く。

「ツァーリがボロボロになってまで守ろうとした女の子だ、ツァーリの仕事は僕が引き継ぐ。

 それに君には仕返しをしたいんだよ。よくも僕の可愛いツァーリを酷い目に遭わせてくれたね?」

 勝負だ、とリリヤが言うと、いいだろうと男は頷いた。

「じゃあ……先攻は僕でいいかい? どうせ君ならば耐えられるんだろうけれど、試してみないとわからないさ」

「……構わない。お前のようなひ弱な人間が、俺を傷つけ得るというのならば」

「サンキュ」

 リリヤは笑い、両手を白衣のポケットに突っこんだまま、飄々とした足取りで男に近づく。男は警戒の素振りを見せたが、リリヤはただ、口元に諧謔かいぎゃくの笑みを浮かべるだけ。

 そして男に手が届く位置に来た時、ポケットに突っ込まれたリリヤの腕が素早く動いた。

「やあこんにちは、お土産どうぞ?」

 言った瞬間、

 男の全身に、激しい衝撃が走った。それは痺れるような衝撃で、男には反撃する余裕などなかった。

 いつの間にか、リリヤの両手にはそれぞれ、先端のすぼまった銃のようなものが握られていた。それらの口から煙が上がっている。それの正体は――

「遠距離対応スタンガン! 一発しか撃てないけれど、流石僕の発明品だ、効果は抜群だねぇ。痺れれば反撃すらできないだろうそうだろう。相手を無力化するにはこいつが一番だ。僕は人を殺すのは好きじゃないからねぇ」

 まぁ、胸に当てれば死ぬけどねとこともなげに笑う。

 男の身体が倒れていく。男の全身が激しく痙攣していた。当分は立ち直れそうにない男を見下ろし、リリヤは勝利宣言を口にする。

「僕の勝ちだ。今回は見逃してくれるかい?

 ……それにさぁ、君。服の下に金属を仕込んでいるだろう。金属は電気伝導率が高い。そんなのを着ていたのも運が悪かったね? お陰で派手に電流が流れたし僕からすれば万々歳だけど」

 言うだけ言うと、リリヤはツァーリに近づき、その壊れ方を見て難しい顔をする。

「ふぅむ……導線破損とボディに傷、燃料が漏れだして……結構なダメージだ。これは修理にしばらく時間が掛かるなぁ。まったく、何てことしてくれたんだ」

「あの……マス、ター」

「どうしたんだい?」

 ツァーリの割れた声に、リリヤはさわやかな笑顔を向ける。

 ツァーリは問うた。

「どう、して……ボク、が、ピンチ……だと、わかったん、ですか」

 ああそれね、とリリヤは頷き、ツァーリの頭を指さした。

「君のそこに、特殊な発信機を付けてある。君が大きなダメージを受けたら研究所に危険信号が届く。そんな仕組みになってるってわけ」

 さぁ、もう君は休んでいいよ、とリリヤがツァーリを抱き締めた。その白衣がオイルで汚れるが気にせず、リリヤはツァーリの「ある場所」に触れた。

 それはツァーリの、スイッチだった。リリヤしか知らないスイッチだった。何かあった時に、ツァーリの電源を落とせるようにするための、ツァーリをシャットダウンさせるための。

 カチリ、何かを押したような音をツァーリのマイクは拾った。それを最後に、ツァーリの意識はブラックアウトした。


  ◇


「さて」

 ツァーリの電源が落ちたのを見、リリヤは腰に手を当てる。

 ちらり、彼の視線がとらえたのは、目を覚ました幼い少女。

 彼女は怯えた顔をしてリリヤを見たが、彼がツァーリに優しく話しかけていたのを見ると、少し安心したらしい、その顔の緊張は消え去った。

 彼女は何度も首をさすって小さな咳を繰り返しながらも、そっとリリヤに問い掛けた。

「……キミは、ティティの敵じゃないの?」

 そうさ、とリリヤは頷いた。

「ツァーリが君を守ろうとした。ならば僕も君を守らなくちゃいけない。ツァーリが君の味方であるなら、僕も君の味方だよ」

 良かった、とティティは頷き、大地に横たわりぴくりともしない男を見、不安げに問い掛けた。

「……この人。ヴェノン。起きたり、しない?」

「起きても今回は君を追いかけない。それがこの人の流儀だろうからね。この人は僕らに負けたんだ。だから次戦うときは、しっかり出直してくるだろう」

 そっか、とティティはほっとしたように笑った。

 しかしそのすぐ後に、その顔に不安がよぎる。

 彼女は消え入りそうな声で言った。

「……ティティ、帰りたくないの。帰ったらひどい目にあわされるのわかってるの。ティティ、帰る場所がないの。どうしたらいいんだろう……?」

 するとリリヤは彼女に近づいていき、彼女と目線を合わせてその手を差し出した。

 普段の彼ならば絶対に口にしないような台詞がその喉から紡ぎだされる。

「うちに、来ないかい?」

 幼い子を、あやすような口調で。

「僕の研究所はセキュリティが万全だよ。うちに来てくれても僕は構わない。行く場所がないのなら、どうだろうねぇ?」

「……いいの?」

「ああ、いいさ」

 リリヤが頷くと、ティティはぱっと花が咲いたように笑った。

「わぁい、ありがとう! ティティ、リリヤ、好き!」

 言ってリリヤにしがみついて頬ずりした。彼女と触れた瞬間、リリヤは身体を硬直させた。人間嫌いの彼にとって、人と触れ合うのは緊張する行為なのだ。

 リリヤはその顔に強張った笑みを浮かべながらも、何度も何度も深呼吸してトラウマと恐怖を鎮めつつ、声だけは努めて明るくティティに言った。

「じゃあ……よう、こそ、僕らのおうちへ」

「うん!」

 喜ぶティティをそっと離すと、リリヤは大きく息をついた。

 その様を見て、ティティは言う。

「リリヤがにんげん怖くても、ティティはリリヤが好きなんだよ。一緒にいれば慣れてくるよね? ティティ、信じてる!」

「……そうかい。ありがとう」

 リリヤは震える身体を抱きしめて震えを抑え、電源が落ちて大地に横たわるツァーリに近づき、機械で出来た重い身体を抱きあげ、肩に担ぎあげた。貧弱なリリヤの身体がその重さにがくんと下がるが、何とか持ち直してゆっくりと歩き出す。

「さあ、帰ろう」

 誰にともなく呟いて、リリヤは研究所までの長い道を歩き出した。

 その背をとことこと幼いティティがついていく。

 こうしてツァーリの一連の事件は幕を閉じた。


  ◇

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