第2話 初エンカウント


「壁魔法『アイテムボックス』」


 歩きながら唱えた私の手のひらの上に、小さな黒い箱が現れた。

 壁が六つ組み合わされば箱になる。これも立派な壁魔法なのだ。

 この黒い箱は見た目以上に中は広く、その名前の通り物を入れることができるものだ。


 中身の目録は……頭に浮かんできたので、とりあえず一つずつ出して確認してみる。


 ナイフ。

 革の鞘付きで、腰に引っ掛けるためのベルトが一緒になっている。


 ローブ。

 色は茶色のフード付きで、私が今着ている中世の服っぽいのにはよく似合いそうだ。


 食料。

 コッペパンが三つに水筒代わりの水袋が一つ。


 ウェストポーチ。

 頑丈そうな革製の四角いポーチだ。中には仕切りがあり、外側にはポケットがついている。


 金貨100枚。

 たぶん神様が言ってた当面の資金だ。全て袋に入っている。


 以上がアイテムボックスに入っていた中身の全てだ。


 しかし、黒い箱からヌルリと中身が飛び出す様は、何とも言えない気持ち悪さだった。

 ポーチとナイフは身に付けて、他はそのままアイテムボックスの中入れておこう。


 私は腰の左右にそれぞれナイフとポーチをベルトで固定した。

 アイテムボックスは常時出しっぱなしにできたので、ポーチの中にしまっておく。


 うん、いい感じだ。

 私が一人満足していると、突如何かの咆哮が森に響いた。

 次いで金属をぶつけ合うような轟音が聞こえてきた。


「……そうだ、ここは剣と魔法のファンタジー世界だったな」


 当然のように魔物の類いも存在するのだ。

 その事をすっかり失念していた。


 私はとりあえず音がしている方とは反対から森を抜ける為、音の方向を探ろうと耳をすませた。


「たす……けて……」


 音の出所が私の進行方向だとわかったと同時に、聞きたくないものを聞いてしまった。


 踵を返して遠回りをするべきだと、私の理性が言っている。

 神様にも言ったじゃないか、安全第一でいくって。


 なのに私の足は勝手に動き、どんどん音の大きくなる方へと歩いている。


 ああ、平穏無事な人生が遠ざかっていく。


 それでも私の時は誰も来てくれなかった。

 だから私は理性を振り切り進んで行った。


 そこに適当な理由を付けるなら。


「助けを求められたのに見捨てるのは、後味が悪い」


 それに尽きる。


 見えた。

 音の出所にたどり着くと、そこでは三メートルはある巨大な熊が、丸い金属の塊を殴りつけていた。

 鋭い爪が金属に当たる度に、金属同士をぶつけたような音が響いている。


「うわぁ! 止めれー! 誰か助けてー!」


 助けを求める声は金属の塊から聞こえていた。

 あれは生き物なのか?

 一瞬迷ったが初志貫徹すべく熊の排除に移る。


「オラ! こっちだ熊!」


 私は熊に向かって呼び掛けた。

 瞬間、森に静寂が戻った。


 叩きつけていた手を止めた熊が、ゆっくりとこちらを向いた。

 血走った目が私を捉える。

 私も負けじと睨み返す。


「ビビってんのか? かかって来な」

 

 カンフー映画でよくやる、手のひらを上にしてクイクイとする挑発をする。


『グウオオォーー!!』


 熊が大きく吼えた。

 そこには自慢の爪をいくらぶつけても壊せない金属の塊と、見るからに己より弱そうなくせに挑発してきた生き物に対する、二つ分の苛立ちが込められているようだった。


 身体の芯に響く声は恐ろしくあったが、私は冷静でいられた。

 これが《精神耐性》というスキルの恩恵か。


 熊が四つ足で突進してくる。

 あんな巨体に体当たりでもされたら、死ぬしかないだろう。


 ふいに嫌な記憶が思い起こされた。

 私の死ぬ原因となったトラック。

 目の前の熊がそれと重なった。


 だけど、あの時とは違う。

 私は身を守る術を神様に貰ったのだ。


「壁六枚! 重なれ!」


 壁魔法の初歩の初歩、ただそこに半透明な薄い壁を張るだけの魔法。

 見た目より遥かに頑丈なその壁を、六枚重ねにして一枚の分厚い壁を形成する。

 それを突進してくる熊の前方に出してやった。


 目の前に突然現れた壁に避ける事も止まる事もできず、熊が頭から激突した。


 壁に亀裂が入る。


 あの時と似た、肉が潰れて骨が砕けるような鈍い音が響いた。

 ただし、今度は私ではなく熊の方から。


 頭を強打した熊がよろめき倒れる。

 あの衝撃では、首の骨が折れているかもしれない。

 しかし、念には念を入れておく。

 

「とどめだ! 壁魔法『蜻蛉切り』!」


 刃の如く極限まで薄くなった壁が現れ、熊の首目掛けてギロチンのように振り下ろされた。

 これはナイフを見て思い付いた私のオリジナル壁魔法。

 その名前は、私の名前の由来にもなった、ある戦国武将が使った槍の名前だ。


 蜻蛉切りが通り抜け、熊の首がコロリと転がる。


 残酷と言われようが、私は敵に容赦するつもりはない。

 もう二度と殺されるのは嫌だからだ。 

 熊の首から流れ出る大量の血が周囲に広がる様は、正直あまり気分の良いものじゃないけどな。


 完全に熊が動かなくなったのを確認して、熊の死体に手を合わせてから、私は金属の塊に近付いた。 

 近くで見ると金属の塊は樽のような形をしていた。

 その蓋のような部分が動き、隙間から覗く紫色の瞳が私を見た。


「あんたが助けてくれたんか。ありがとー!」


 少し高い声でお礼を言った金属の樽。

 叫び声を聞いている時から思っていたけど、この金属の樽は女の子みたいだ。


「どういたしまして」


 私がそう言うと、金属の樽に手と足が生えた。

 いや、丸まっていたから気が付かなかっただけで、最初から手足は付いていたらしい。


「ゴーレム?」


 金属の樽に金属の手足が生えて動いている姿は、不恰好なロボットに見えなくもない。

 ファンタジー世界でロボットみたいな存在といえば、それぐらいしか思い当たる節がない。


「しっ、失礼な! うちはカルーア工房んセヨン・カルーアや! こん格好よか鎧のどこば見たらゴーレムと間違うったい!」


 おお? 人間だったのか。

 というか、それ鎧だったんだな。


 金属の樽は、立ち上がっても140センチ位しかない、ずんぐりした形の鎧だったらしい。


「そいつは失礼。私はトンボだ。よろしくなセヨン。で、工房の人がこんな森で何をしてたんだ?」

「……わかればよかよ、よろしゅうトンボ。いやー、魔道具ん実験んために森に来たらマーダーグリズリー会うわ、武器は壊されるわで、大ピンチやったんばい」


 マーダーグリズリーとは、熊の名前ごっついなぁ。


 セヨンは金属の手で、樽鎧の蓋をガリガリかきながら笑っている。

 死にかけていたのにお気楽過ぎないか?


 そしてさっきから一番気になってるのが、セヨンの言葉だ。

 何故博多弁?

 あれ? 翻訳機能がちゃんと働いてないのか?

 

「うちゃ冒険者ギルドにもよう行くばってん、トンボば見た事はなかね。別ん街から来た冒険者なんやろうか?」

「ん? 違うぞ冒険者じゃない。ただ、別の街というか遠い国から来たんだ。だから良かったら街まで案内してくれないか?」


 一旦翻訳機能の事は置いておくか。

 街に行けばわかるんだし。


 冒険者は異世界版の何でも屋みたいなものだ。

 遠い国から来たというのも嘘にはならない。


「よかばい。命ん恩人ん頼みやけんね。うちが街まで案内しようか」

「ありがとうセヨン。じゃあ案内よろしく頼む」

「ん? マーダーグリズリーはどうすると?」


 どうするって、どうするんだ?

 持って帰って食べるのか?


「マーダーグリズリーは冒険者ギルドでは高値で取引しとるよ」


 ああ、なるほど。貰った知識の中にあった。

 どうやら魔物の死体から素材を剥ぎ取れば、冒険者ギルドで売れるらしい。

 死体ごと引き渡すと、手数料は掛かるが解体もしてくれるみたいだ。


「なら持って行くか」


 回収するために私達は熊の死体に近付いた。


「凄か綺麗な断面や。トンボは剣士なんか?」

「いや私は一応、魔法使い? になるのか」


 熊の死体。その首の断面を見たセヨンが私に聞いてきた。

 私には《魔法技能取得不可》が付いてるけど、壁魔法を使うし、魔法使いで合っているはず。


「カッター系が強か風属性に耐性んあるマーダーグリズリーん首ば、魔法でここまで綺麗に切断しきるなんて、トンボは凄か魔法使いばい」

「これマイナーな魔法らしいけどな」


 私は熊に向かってポーチから取り出したアイテムボックスをかざし、その中に熊の死体を入れた。

 アイテムボックスは色々と設定をいじれるらしいので、時間の進みを止めておく。

 これで腐ったりはしないはずだ。


「そりゃなんや?! マジックバッグとは違うみたいばってん、見たことなかぞ!」


 セヨンが樽鎧をガシャガシャいわせながら、興奮気味に聞いてくる。

 

 マジックバッグ? ああ、これも知識にあった。

 アイテムボックスと同じように、見た目より中に沢山物を入れられる鞄のことか。


「あー、今のは内緒で」


 マジックバッグの方が一般的らしいので、今度からはポーチから出してる風に見える様にしておこう。


「むー、特殊なスキルか? 命ん恩人が秘密にしたいなら、聞かんしバラしゃなか」

「悪いなセヨン」


 セヨンが義理堅い性格のようで良かった。


 準備も終わったので、セヨンに案内されながら私はラプタスの街に向かったのだ。

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