此処の話

豆腐

君と僕

小学生にとって、23時という時間は十分に遅く、それは初めて体験する深夜の外出だった。


 父は、小説家だった。父は、家で小説を書くことが仕事だと思っていた僕にとって、出張にいくという父の言葉は奇妙に感じていた。

 しかしそれを訪ねてみても、曖昧な返事しか返ってこなかった。


 大体何故、こんな夜中に出発するのだろうか。どうして、深夜に見送りが必要なのだろうか。疑問に思いながらも、答えてくれそうにないので押し黙る。

 仕方なく母と手を繋いで、駅へと歩く。地元の駅は徒歩5分と目と鼻の先にあるものの、僕には億劫に感じられた。


 23時という真夜中、街灯は点滅を繰り返し、更に母は虫の居所が悪く、僕の方など全く向こうとしない。居心地が悪すぎて、僕は踵を返して家に戻りたい気持ちでいっぱいだった。

 無人駅となった駅の改札で、母に入場券を買ってもらい、ホームへと向かう。階段を上りきると、僕たちの少し後を、スーツケースを引きずりながら歩いていた父が、急に隣に並ぶ。

 

 父は、僕を見る時いつも笑顔で、明るく話しかけてくれる。よく食べるので体も大きく、僕は毎晩お腹に顔をつけて寝ることが、習慣になっていた。今日から数日は、それが出来ないらしい。


「父さんは、いつ帰ってくるの?」

「切符は往復で買っているし、順調なら2日後の夜だな。東京の近くへ行くから、土産を楽しみにしておいてくれよ」

 父は、出張を楽しみにしているようで、声から陽気なことが伝わってくる。僕は、機嫌の悪い母と、これから2人きりになることを考えて憂鬱だった。


 電車が到着する放送が流れ、すぐにクリーム色とも灰色とも言えないような電車が目に飛び込む。それは見たことない電車だった。僕がいつも見ている電車とは異なり、窓が大きい。それに2段になっている。 


 僕が目を丸くしていることが面白かったのか、口を閉ざしていた母が急に声をかける。

「あれはね、寝台列車って言うのよ。席ではなくて、小さい部屋ごとに分けられていて、寝られるようになっているの」

 どうしてわざわざ寝台列車に乗っていくのか知らないけど、と付け加える。


 父はスーツケースを列車に乗せて、僕の方を向き直す。そして1冊の本を、僕に手渡す。

「これを俺が帰ってくるまでに読んでごらん。一応小学生向けだから。それじゃ、行ってくるよ」

 そう言い残して、電車の奥へと消えていく。父がどの位置で寝るのか分からないまま、電車は出発する。暗闇の奥へ、電車のライトが消えていくのを見てからゆっくり母を見上げる。母は、相変わらず不機嫌なままだった。駅の電車の階段を下りながら、母は、明日私の誕生日なんだけどねと大きい独り言を言った。


 今になって思う。あの時の本が、小説を書くきっかけになったのだろうな、と。

貰った本自体は、そう珍しいストーリーじゃない。親を事故で亡くした男の子が入院し、そこへ夜にだけ可愛らしい少女がやってきて、生きるための幻想を見せるという話だった。


 なぜか、その幻想が僕にも輝いて見えた。もっと、本の輝きを見たくなった。僕自身も輝きを作りたくなった。

 将来、文系に進んで、書くことを学ぶのは真っ当な道だと理解していたが、知識を肥やすために、向いていないと分かっていながら理系に進んだ。


 高校までは、周りに趣味があう友人も居なかったし、僕自身もSNSの人間関係だけで十分だった。互いに小説を読みあって、レビューや感想を付けたり、何人かで企画に参加したり、ほどよい距離を楽しんでいた。


 それが化学専門学校では、なぜか周りに創作が趣味の人が集まってきた。それは、もちろん偶然だった。実験の班を組んだメンバーが、全員何かしらの創作が趣味で、それをオープンにしているのだ。


 それから日常的に彼らと一緒に、食事をしたり集まって映画をみたり、好きなことをしている。

 彼らとはSNSでもつながりを持ち、授業中以外ではハンドルネームで呼び合うようになっていった。それが、入学から1ヶ月くらいのことだった。


 今日も、彼らとSNSをテーブルの上に開いたまま食事をする。

「みんな、食事中くらいスマホしまいなよ! 行儀悪いよ!」

 作曲が趣味のマツは、マナーやルールに厳しく、毎回懲りずに注意する。

「だってさ、昨日書いた絵にコメントが今日も来てるんだよ? 気になるでしょ。かくいう自分も、一昨日作った曲への通知が来てると思うけど見なくていいの?」

 1枚絵を描くことが趣味の碓氷は、敢えて煽る。


「どうせ、イイね通知だけよ。返信の中身みても一喜一憂するだけだし、見てないもの。それより食べ物を飲み込んでから話してくれる?」

 どうやら、碓氷の口の中に入ったものがマツの方へ飛んだらしい。嫌悪が顔に滲み出ている。

「ほんとにそれ。スズくんなんか、呆れて無視している位なんだから気が付いた方がいいよ」

 4コマ漫画を描くことが趣味の緑は、マツより冷たく指摘する。

 緑はこの学校には似合わないくらいの典型的な文学系女子で、メガネと参考書を持ち歩く成績優秀者である。しかし書いている漫画の方は、ツッコミどころ満載のギャグ漫画で、この中で1番拡散数が多いというギャップを保有している。


 僕の方は、急に話を振られたので、少し硬いミートスパゲティを急いで飲み込む。

「ごめんごめん! ちゃんと聞いてるよ? でも、あと5分で昼休みが終わるし、急いだ方がいいかと思って」

 

 碓氷は、それを聞いてウソだろと言いながら時間を確認する。それからは、マツ達が何を言おうと聞く耳を持たず、必死な顔でカレーを頬張っていた。

 緑はいい気味と言いながら、碓氷を放置して教室へ戻る。


 僕は、そっとスマホのホームボタンを触って、画面を見てみる。ただ、待ち受け画面の猫が、いつも通り僕を見つめていた。SNSのアプリを立ち上げて更新ボタンを押しても、相変わらず、通知はこないままだった。


 もちろん、僕だって学校に行きながら作品制作をした。専門学校に通いながら、小説投稿サイトで週2作短編と1話の長編更新を心掛けた。しかし、それも長く続かなかった。


 自信というものは無かったつもりでも、あったのだと自覚させられる。専門学校に入ってから、多く書くようになった僕と小学生の頃から創作をしていた彼らでは天と地の差がある。


 練習しなければ上手くならない、努力は裏切らない、継続は力なり。

 全ての名言が僕を責めたてるように感じていた。


 彼らは、僕以外の人が書かなくなれば心配するのに、毎週更新していたことを僕がやめても何も声をかけてこなかった。

 フォロワー数が僕と2倍も3倍も違う彼らには、僕なんか石ころレベルだと思い知ってしまった。それから僕は小説を書かなくなった。


 それでも、彼らと映画を見て感想を言い合ったり、課題を一緒にこなしたり、ドラマの話を毎週のようにすることは変わらなかった。友達に劣等感を感じたからといって、友達をやめなければいけない理由はなかった。


 ただ、作品の話をするときだけは、ここに居たくないと思った。


「碓氷の絵を、設定そのままでコメディ漫画にしてみたの、どうだった?」

 どうやら緑は、碓氷の絵を漫画風に編集したらしい。恥ずかしがり屋の緑は、お腹の前で手を組みながら手遊びしている。

「すごく良かったよ! まさか俺を登場させるとは思わなかったけど!」

 碓氷は嬉しそうに、とびきりの笑顔で答える。

「俺も今度、緑の漫画にでてくるキャラクターを1枚絵にしてもいい?」

 緑は、照れくさそうにうなずく。こんな光景を見せられて、羨ましいと思わない方が、おかしい。


「えー! 良いなあ。だったら、私の曲にPVか、表紙絵付けてよー!」

 不満そうにマツは、頬杖をつきながら口元をへの字にして言う。

「マツの為だったら、今日から取り掛かるかも」

 緑は意地悪そうな顔で、碓氷の方を見る。

「なんだよー! その顔は!俺も平等だろ?」

 女子から、えー?という声が上がる。僕はここにいるのだろうか。


 いや、自信があれば、同じように僕もと、言えたかもしれない。

 プライドも自信も元からなかったはずなのに、足元にあった何かが今無くなっていく。僕は居たたまれなくなって、席から勢いよく立ちあがり、帰り支度をする。


 3人が何か言ったような気がしたので、体調が悪くなったから帰るねとだけ付け加えた。


 家に帰っても誰も居ないので、部屋着に着替えて久しぶりにパソコンの前に座る。最近何も書いていないので、2週間くらい経っている気がする。


 SNSのほうには通知が来ていないので、小説投稿サイトなど来ているわけもないと思っていた。

 しかし実際に開いてみると、新作4作のレビューと2人からのメッセージの通知があった。メッセージを送ってくれている2人は、一緒に投稿サイトの企画に投稿したことのあるメンバーだった。


 1人は、恋愛小説を主に手掛ける兎さん。

 僕は、恋愛などしたことがないので、書こうとした時に読むべき本と「恋愛したことがない方が良い恋愛小説が書ける」と名言を頂いた。

 会ったことがないので、性別は不明だが一人称は俺なので男だと思われる。ユーモアで、笑わせどころを作るのが上手い彼からのメッセージを先に開く。


「スズ、最近小説書いてないみたいだけど、何かあった? SNSにも出てこないから、こっちでメールさせてもらっちゃった。新しい作品読んでほしくてさ。また、やたらと長いレビュー楽しみにしてるからさ。毎回、長い長い言ってごめんね。本当は嬉しいからさ。あと新作は、スズくんが恋愛したところを想像して書いてみたんだ! 相手は俺。嬉しいでしょ? 安心してね! ちゃんと俺が女になってるから!じゃ、よろしくね 兎より」


 最後まで読んで、思わず吹き出す。何勝手に気持ち悪いことして……。何故か、画面が滲んで見える。なんとかリンク先に飛ぶと、タイトルが大きく表示される。その下に、表示されているあらすじを読む。


「夏の終わり、教室で1人居残り課題をしていた兎沢は2階から女子バレーボールの部室が目に入る。窓を開けたまま、着替えている鈴音と目が合ってしまい……」

 愕然とした。僕の感動を返してほしい。

 僕が女になっているじゃないか。このオチのために、書いたのではかと思わせる。

 兎は、そういうユーモアを持ち合わせたやつだ。ありえないことではない。僕はブックマークに入れて、あとで読もうと決める。


 もう1人から来ているメッセージを開く。送り先は伯爵だった。

 彼は、主に異世界から現代への逆転生作品を書いている。お互い新作のアイディアを送って、面白そうかどうか相談している。


 元々は、2人とも自主企画イベントで、アクセス数の上位ランキングを取ったことが始まりだった。それから、作品のネタ交換相手になっている。


「そろそろ自主企画イベントも飽きたよな。来月から開催される投稿サイト公式企画に投稿しようぜ。イベントがあるとモチベーションも上がるだろ? 何かアイディアが出たら送ってくれ。俺も送るわ」


 思わずティッシュを手に取る。この人たちは、僕がほしい言葉がどうして分かるのだろう。


 作品の読みあいは、たかが……3年。3年も経っている。

 毎日投稿していなかった時代も含めて3年。それに比べて学校の人たちは1ヶ月。僕の気持ちなんて分かるわけがない。


 それに気づいたら、急に馬鹿らしくなってきた。SNSの通知を切って、紙とペンを取り出す。今度の企画に出す作品のプロットを作らなければ。

 兎に対抗する作品のプロットを作らなければ……モチベーションなんて軽いものだなと達観する。


 ただ好きなものがあって、同じものを作る人とつながりがあって、それだけで十分幸せなことを忘れていた。

 全ての創作物の受け身であるより、何か1つでも創作者でありたい。


 その気持ちを忘れないようにしてくれているのは、此処だ。

 劣等感は一旦捨てて、此処で作り続ける僕の今日の話。






 

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此処の話 豆腐 @tofu_nato

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