4 「お前はお前なんだよ」

 ジルドの家で過ごすうち、ファナクの体調は少しずつ回復していった。

 ジルドの家は鍛冶屋だ。ジルドは父親に鍛冶を教わり、今日も様々な失敗作や試作品を作っている。工房の金属音を聞きながらも、平和に時は過ぎていく。


 ジルドがいない間、ファナクは鴉のハインと過ごした。この鴉、結構頭が良いようで、ファナクの話しかけた言葉も全て、理解しているようだった。ファナクが話しかけても鴉は何も答えない。けれどファナクはこの鴉と過ごすのが、楽しいと思えるようになってきた。

 ある朝、ファナクはベッドから起き上がり、恐る恐る立ってみた。

 もうふらつかない、大丈夫だ。そう、彼は思い、階段を下りて下の階、居間に行く。

 家は木造。しかしいくら木で作られていると言ったって、冬の空気は裸足の足にはひどく冷たい。

 パジャマの中で震えながらも、ファナクはそっと、居間の扉を開けた。

「誰? ……って、ファナクじゃん! もう治ったのか? それはよかった、けど……なんだその格好! 震えてるじゃねーか! ああっ、もう! すぐにあったかい服用意するから待ってろ!」

 扉を開けるとジルドがいた。彼はファナクの格好を見て叫ぶと、自分の着ていた毛皮の服を差し出した。ついでに靴も差し出して問答無用でファナクに履かせた。

「ジルドは……大丈夫なの?」

 心配げに訊ねるファナクに、あったり前だろ、と彼は胸を張る。

「俺はこれでも鍛冶屋の息子なの、身体鍛えてるの! それよりもいくら風邪が治ったからって、そんな恰好でいたらまた風邪引くぞ? 心配するから無理すんなっての」

「……うん」

 ファナクは頷き、毛皮の服の前を掻き合わせた。

 そんな仕草に、ジルドの眉が困ったようになる。

「どうした……寒いのか?」

「ううん」

 けれどファナクは震えていた。

 喉の奥から絞りだすように、彼は言う。

「……悪夢。忘れられない。僕は怖いんだ、この力が怖いんだ」

「なんだよそんなことかよ」

 ジルドは溜め息をついて、そっとファナクを抱きよせた。

「あのな、たとえ『痛み』を感じても、お前は全て救おうとしなくても良いしその必要なんて全くないの。お前が無力でも誰もお前を責めやしねぇよ。だからいちいち気に病むなって」

「全て救おうとしなくても……良い?」

 ジルドの言葉に、ファナクは目を見開く。

 そうだよ、とジルドは力強く頷いた。

「あのな、お前は救世主でも聖人君子でもねーだろ? ならさ、『受信』してしまうのはわかったけれどもさ、もう少し、相手の状況や自分の状況を考えろよ。見ず知らずの他人のために、お前が命を捨てる必要なんてない。その力がどうであれ、お前はお前なんだよ、ファナク」

 そっか、とファナクは微笑んだ。

 でも、と彼の身体が震える。

「他者の痛みを知りながら、救うことができなかったら。僕はきっと後悔するよ、救えたかもしれない人を救えなかったことを後悔するよ。だって僕はわかるんだ、わかるんだよ、ジルド。確かに僕は救世主でも聖人君子でもないけれど、目の前で苦しんでいる人がいたら、助けようと思うのが人情じゃないか……」

「お前は優しいんだな、ファナク」

 ジルドはそんな親友を見て、なら、と強く胸を張る。

「どうしても辛くて耐えられないことがあれば泣けばいいじゃないかよ。知ってるか? 涙には感情を鎮める効果があるんだぜ? なんなら俺が付き合ってやるからさ、そんな時はそういった感情、涙にしてすべて押し流しちまえばいいんだよ」

「……ありが、とう」

 頷いて。

 ファナクはジルドに強くしがみついた。

 その華奢な身体では、しがみつく力と言ったって知れたもの。

 ファナクは、泣いていた。家族を失って以来、初めて人前で泣いていた。

 内向的で自省的な彼。誰にも言わないで溜めこんだ思いは、どれほどか。

 ジルドは初めて心の内を晒した親友の背を、何度も何度も撫でてやった。

 そしてファナクは思ったのだった。

(……ありがとう、ジルド)

 心から。

(僕は君とならば、やっていける。ずっとずっと、生きていける)

 聖人君子になんてならなくていいんだと、教えてくれた大親友。

 『お前はお前なんだよ』その言葉が胸に沁みる。

 ファナクはしばらくずっと、そうやって泣き続けていた。

 温かな時が、部屋の中を流れていった。


  ◇

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