第3話

「お客さん、終点ですよ。起きてください」


 車掌に肩を揺すられ、ようやっと目を覚ます。

 窓の外には、懐かしの故郷の駅名表示があった。時刻は夜の十時。


「あっ、すみません。すぐ降ります」


 隣の席に目をやると、彼女はすでに降りていたようだ。

 いつどこで降りたのかはわからない。全く気が付かなかった。

 網棚からリュックサックを降ろし、ポケットの切符を確かめて列車を降りた。


「……変らないな。いや、閉店してる店が増えてるみたいだ」


 駅前の繁華街は、僕が今日まで住んでいた街に比べると街灯も暗いし、建物の背も低い。

 何よりも人通りがまるで無く、平日の深夜のようだ。

 これでも土曜の夜だというのに。


 自分の足音が響く町並みを進み、最初の角を曲がると賑やかな団体が歩いてきた。

 年の頃は僕と同じくらい、男女混合の六人ほどのグループだ。


「あれえ?」


 先頭を歩いていた男が僕を指差すと、素っ頓狂な声を上げた。

 僕も彼らの正体に気づいたので、手を振った。


「よ、よお。久しぶり」


 高校時代の同級生たちだ。全員顔が赤く、どこかで呑んでいたようだ。


「久しぶりじゃん! こっち帰って来てたんだ!?」


「ん。さっきの電車で、たった今。みんな元気?」


「たりめーよォ!」


 同級生――タケシは僕の背中をバン、バンと勢いよく叩いた。


「今日はユウキが帰って来てるからよ、久しぶりに集まったんだ! ユウキのカミさんもこっちの人で、赤ん坊産むのに里帰りしてたんだ! それでユウキも一緒に戻ってたんだよ! せっかくだからって、ちょっとした同窓会的な?」


「へ、へえ」


 僕に聞かれても困る。しかし、ユウキの姿は無い。


「そのユウキが居ないようだけど」


「一次会はカミさんうるさくて来られないって、急に連絡があってな。でも、この後来るんだよ! 今から二次会だ」


「へえ」


 主賓無しというのもなかなか豪快だ。同窓会とまでは言わなくても、地元の友だちの集まり、といった所だろう。

 事実、メンバーの中には僕の知らない顔もあった。


「お前も来いって! さ、行くぜ!」


 有無を言わさずに酔っ払いの集団に腕を引っ張られ、僕は一軒の居酒屋の暖簾をくぐった。

 どうやら予約していたようで、僕たちは奥の座敷席に通される。


「よお、みんな元気か? 久しぶりだな」


 座敷にはすでに問題の男――ユウキがビールのジョッキを傾けていた。

 最後に会ったときと、何も変わらない。

 ……いや、少し痩せただろうか。

 高校時代はサッカー部のキャプテンで、クラスの人気者だった男。

 確か、当時はマネージャーの後輩と付き合っていたはずだ。

 卒業式には総代として、全校生徒の前で立派なスピーチをしていた。

 内容はまるっきり覚えていないのだが。


 各々席に付き、お通しの枝豆が配られると、すでに頼んでもいないのにビールが配られた。


「遠慮すんな、さあ! さあ!」


 僕はそのユウキの左隣に押し込まれてしまった。


「じゃあとりあえず、かんぱーい!」


 流されるままにジョッキをぶつける。

 懐かしい面々との突然の酒宴は、会社を雇い止めされたことも、同窓会に呼ばれなかったことも、今日たまたま出くわすまで一度たりとも連絡が無かったことも、一時忘れさせてくれた。


「そういやお前さあ、今どんな仕事やってんの?」


 タケシの何気ない一言。

 それが、僕にとってはどれほど残酷な質問だろうか。

 しかし、隠し立てしたところでこの狭い街ではいずれ知れる事だ。

 僕は正直に工場での雇い止めの事を話した。


「ま、この不況だもんな。どこも大変さ――」


 タケシは優しく僕の肩を二度叩くと、店員を呼んだ。


「すいませーん! 生もう一つ! ……ほら、今日は俺らのオゴリだ! 明日からまた頑張ればいいんだよ!」


「ん……ありがとな」


 いいやつだ。昔なじみというのは、じつに安心できる相手だ。

 その時、軽快な音楽が大音量で鳴った。携帯電話の着信音だ。僕ではない。

 タケシはポケットから派手で下品なカバー付きのスマートフォンを取り出すと、液晶に表示される名前を見てはにかんだ。

 ご丁寧にも名前の両側はハートの絵文字で飾られ、その下に表示された写真はタケシに抱きついて笑う女性――少々派手でケバケバしい――が写っていた。


「悪い、電話だ。……あ、もしもし?」


 タケシはそそくさと通路に消えていった。


「失礼っしゃーす。生お待ちーっす。空いたジョッキお下げっしゃーす」


 同時に目の前にジョッキが置かれる。


「お前さあ」


「うん?」


 ユウキだった。

 すでに相当に酔いが回っているらしく、顔が真っ赤で猛烈にアルコール臭かった。


「そんな事でこれからどうなるよ? ちゃんと努力したのか? お前昔からそうだったろ。やる気ねー顔してよ。甘く見てたんじゃねーの? 俺だったらそんなヤツは即刻クビにするね」


「…………」


「そう! なってない。まるでなってない! 大事なのはコミュニケーション力だよ。こういう飲み会とかでもさ、もっと率先して上の人にお酌したりさ! 取引先に下げたくもねー頭下げて! ゴルフに行けば、わざとスコア調整したりもしたよ! 本当は楽勝で勝てたのに! 俺はそういう努力してきたよ。だから今がある。お前はどうだ? さっきから聞いてりゃ愚痴ばっかりじゃねーか。いつまでもウジウジウジウジ、そんなんだからクビになるんだっつーの。もっと努力しろ、お前には覚悟が足りない。責任感ってものが足りない。もっとしっかりやってりゃ、こんな事にもならなかったろうよ」


「…………かもね」


 ぐうの音も出ない正論だ。

 確かにユウキの言う通り。何一つ反論できなかった。


 しかし、釈然としない。

 なぜいきなり連れてこられた飲み会で説教されなくてはならないのだ。

 僕は水を一口飲むと、脂っ気のやたらに多い、湿った唐揚げを口に運んだ。

 不味い。


 責任感が足りない。ユウキは確かにそう言った。


「――でも、責任なら取ったぜ」


 上層部の不正。法令違反。出向者の呼び戻し。結果生じた、人員の余剰。労災による欠員の穴埋め――それでもなお、僕の雇い止めは覆らなかった――。それに、有給休暇の破棄。これも努力不足というものだろうか?


「えっ? ああ、何の話だっけ」


 しかしユウキは僕の話を聞いておらず、右隣の女子の肩に手を置いていた。

 彼女は「ちょっと、やめてよ~」などと言いつつも、その手を払いのけようとはしない。

 それどころか頬を染め、どことなく嬉しそうだ。

 僕が同じ事をしたら、彼女はどんな顔をするだろうか。


「……いや。何でもない」


 そう、考えたところで大して意味は無い。

 彼女の薬指には、シンプルだが上品なプラチナ製の指輪がはまっていたからだ。


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