第2話 青年よ、なぜ恐れる。

 村を激走する青年、ダンテ・アンフィニート。17歳。

 村と平和を愛する彼は、諸事情により女性の素肌や体の凹凸、色っぽい香りなど……つまりは、エッチなもの全般を苦手としていた。



 全力で走ることおよそ5分。村の南にそびえ立つ聖堂の前で、ダンテは息を切らしていた。滲み出る汗をぬぐい、深呼吸。すぐに脈拍は正常になり、呼吸も整う。

 いきなり突き飛ばしたのは失礼だったが、それにしてもあの露出度はない。と、キレ気味に勇者を名乗る少女の姿を思い出す。

 顔だけを思い出したかったのに、半分以上飛び出していた胸や尻が記憶の中でも強く主張してくる。一旦引いた汗がまた湧き出してきた。


 少し休んでから、突き飛ばした件の謝罪はしよう。そう考えたダンテは、聖堂の裏側へと周った。手入れの行き届いた庭の奥に、整然と墓標が並んでいる。その中の一つ、一番大きな墓に近寄った。

 刻まれた文字は『偉大なる勇者 カルロ・アンフィニート』。

 つまりダンテの父の名前だ。墓の周りには、訪れた者たちが供えた花がいくつも並べられている。無感情な目で供物を眺めたダンテは、それらを足で横に寄せ、墓石の上に座った。ひんやりとした石に体温を奪われながら、遠く在りし日に想いを馳せる。


 今から7年前。神使を名乗る者たちが突然ミルティーユ村に現れた。彼らはダンテの父を名指しし、こう告げたのだ。

『あなたは選ばれし勇者。これより魔王討伐の旅に出てもらう』

 お人好しで無鉄砲だった父はそれを快諾し、家族を残して旅に出た。翌年、病弱だった母が死んだ時、父と連絡を取ることはできなかった。さらに翌年、魔王が倒されたという情報が、村に帰ってきた。

 しかし、ダンテは知らせが届く少し前から、魔王の敗北と父の死を確信していた。なぜなら―――


「いたいたいた!おーいダンテ!」


 回想は友の呼び声に遮られる。軽快な足取りで近づいてきたジュリオは、ダンテの座っているものを見て顔をしかめた。


「おーまえ、また親父さんの墓に……」

「いいんだよ。どうせ中身は空っぽだ」

「そういうもんでもないだろ。ほれ、降りろ降りろー」


 ジュリオに促され墓標から降りる。すかさず周りを片付けだすジュリオに吊られて、ダンテもダラダラと片付けを手伝った。

 そこそこキレイになったところで、遅れてハイリーが追いついてきた。白桃のような胸の谷間に汗を光らせ、額に汗をかき、纏ったマントを鬱陶しそうに羽織りなおす。


「やっと、やっと追いつきました……っ!貴方たち、足、早くないですか?」

「だって地元だし。走り慣れてるし」

「そうですか……」


 ふーっと大きく息を吐き、呼吸の整ったハイリーはダンテに近寄る。マントで肌が隠れているお陰で、今度はキチンと彼女に向き合うことができた。

 近くで見ると、長いまつげに光を宿した瞳、その顔立ちの良さがさらに輝く。一見、迫力があり意志の強そうな印象を受けるが、タレ目で意外と可愛らしい。服装が違えば、どこぞの姫と言われても納得できそうだ。


 さて、と息を吐き、ダンテは頭の中を整理した。まずは謝罪だ。そして彼女とは早々に縁を切る。そして平穏な日々を取り戻そう。

 蒼い瞳に目を合わせ、頭を下げた。


「さっきはすみませんでした」「先ほどは失礼いたしました」


 ダンテとハイリーは同時に謝罪し、同時に顔を上げた。


「……オレはさっき突き飛ばしたことについての謝罪だけど。……なぜ、あなたが謝罪を?」

「私のこの姿、聖なる鎧とはいえ田舎の方々には少々刺激が強かったという判断を下しまして、配慮にかけたことへの謝罪です」

「田舎なのは認めるけど腹立つなーお前」


 ジュリオの横槍にハイリーはキッと睨みを効かせる。何かを言いかけた彼女を咳払いで制し、ダンテは右手を差し出した。それを見た彼女からは子犬のようなキラキラとした笑顔が向けられ、すぐさま手が重ねられる。しっかりと握られた手の小ささを感じながら、ダンテは乾いた口調で自己紹介した。


「改めまして、ダンテです。確かに父は勇者だったけど、俺はマジただの一般人だから」

「しかし間違いなく、世界を救った勇者様のご家族ではありませんか!そんな素晴らしい功績を持つ方が家族だなんて、とても誇らしいことだと思います!」

「別に、ただの血縁。それ以上のことはありません」

「え?あの、でも」


 きっと素直に相手の意見に同意して、「父は誇りです」とか「私も父のようになりたいです」とか言っていれば、話はすぐに終わっただろう。それでも、父を認めるような発言は絶対にしたくない。それはどうしても譲れない部分であった。

 頑なな姿勢のダンテを見て、予想と異なる反応にハイリーは戸惑った様子を見せた。世の中の多くの人間が勇者を尊敬し、憧れているのだから、彼女がダンテの父へ憧憬の念を抱くのは至って普通のことである。ダンテがイレギュラーなのだ。

 困惑し固まってしまったハイリーに対し、ジュリオが横から口を挟んだ。


「あのさー、本人がそう言ってんだからさ。あんまり深く突っ込むなって」

「何なんですか貴方はそういえば、先ほどからちょこちょことっ!」

「俺はジュリオ。雑貨屋の息子。で、ダンテの幼馴染。マント代ちゃんと払ってくれよー。頼むぜ勇者様」

「ご安心を!国宛に経費として申請しましたので!ドアの修理代と併せて月末にお支払いたします!」


 怒りながらも律儀に返事するハイリーを「生真面目直情型人間めんどうくさいやつ」カテゴリに入れたダンテは、そっと立ち去―――れなかった。

 しっかり掴まれた手の予想外な力強さに、驚き振り返る。

 振り返った瞬間にそのままグッと引っ張られ、恋人並みの距離感に体が近づいた。吐息が頬に当たる。全身に鳥肌が立つ。熱のこもった息と体温を容赦無く密着させて、ハイリーはダンテを引き止めた。


「息子殿。私、まだ貴方と話したいことがあるのですけれど」

「……何でしょうか」


 マント越しに柔らかな肉体が押し付けられる。果実のように甘い香りが仄かに香り、触れあっている部分から生物的温度を感じる。

 ダンテはそれらに怯えながらも、目力と物理的な力に押さえつけられて目を逸らすことができなかった。

 真剣な眼差しの勇者は、深く息を吸い、問いかける。


について、なにかご存知なことは?」


 先ほどの朗らかな雰囲気とは打って変わって、真剣な表情。詰問するかのような口調からは、彼女の真剣さが感じられる。きっとこの村に来た最大の目的は、勇者の息子から聖剣について聞き出すことなのだろう。

 限りなく正解に近い選択なのに、答られないことを申し訳なく思いながら、ダンテはとぼけた口調であっさりと嘘をついた。


「聖剣、ねぇ。よくわからないかな」


 仕方ない、ダンテにはダンテの事情があるのだ。聖剣について彼女に話せることは何もない。話しても信じてもらえないだろう。というのがダンテの見解だった。

 しかし、ハイリーは諦めなかった。


「なんでも、なんでもいいのです!名前、大きさ、見た目、伝承!なにか知らないのですか!?」


 胸ぐらを掴まれ、凄まじい勢いで高速で前後に揺すられる。勇者を名乗るだけあって、細腕に見えても力はかなり強い。ぶれる視界に息を詰まらせながら、ダンテは必死に叫んだ。


「なんっ、にも!しり、まっ、せんっ!」

「貴方しか知らない秘密を話すなら今しかないのですよ!?」

「まて、まっ、ま、きもちわ……っ!」


 そこまでして話させたいのか。押し付けられる熱意にダンテは若干引いた。

 口の中に酸っぱ苦いものがせり上がる。そろそろ限界だというところで、見かねたジュリオが助け舟と口を出した。


「むしろアンタが勇者なんだから、俺らより聖剣に詳しいんじゃねーの?」

「残念ながら私は文献以上のことを知らないのです。王国図書館の資料から学んだので、一般国民の方々以上の情報は知っているかもしれませんけれども!」

「さりげなく、また、田舎をバカにして……ゔぉぇ」


 揺さぶる手は止まったが、まだ視界がぐわらぐわらと揺れて気持ち悪い。今にも胃袋の中身を吐き出しそうなダンテの一方で、ハイリーは、真面目な顔で熱意を溢れさせていた。


「聖剣の手がかりは、前勇者様の故郷であるこの村と占い師の予言のみなのです」

「……そんなこと言われても、この村にあるの親父の墓ぐらいだし」

「そんでもって占い師って、どうなのよ。それ信じていいヤツ?占いって怪しくない?」

「大丈夫です!きちんと関係者の方から紹介していただいた由緒正しい占い師ですので!」

「へー。由緒正しい占い師……」

「占い師に由緒とかってあるんだ」


 ダンテたちの薄い反応を気にも止めず、輝く金髪を秋風に靡かせて、若き勇者は聞かれてもいない予言の内容を語り始める。


「占い師の予言は三節に分かれていました。そして聖剣について述べている、予言の第一節はこうです。『真の聖剣を求むなら、3つの魂、オオカミの口腔に臨むべし』と。私の推理ではオオカミの口腔とは、この村はずれにある『空腹の狼ファンデルーの洞窟』に違いないのです!」


 自信満々に目を見開いて語るハイリーに、ジュリオは首をかしげた。


「えっとさ、その根拠は?狼って名前の付いた地名なんて、この国には掃いて捨てるほどあるからね?」

「しかし『空腹の狼ファンデルーの洞窟』に違いないのです!それに予言とは別に、私は神の声によってこの村に導かれたので、間違いないのです!」

「うん……うん?神んごもっ」


 ジュリオの口をダンテが素早く塞ぐ。勇者様に早くお帰りになっていただくためにも、適当に相槌を打って話を終わらせよう。彼女とはついさっき知り合ったばかりなのだから、別にこれ以上付き合う義理もない。

 必要以上に首を縦に振り、ダンテは友好的笑顔を浮かべた。


「そうかそうかなるほど。それなら洞窟に直行すればいいじゃないか」

「むう。しかしですね、村でもなにか情報が得られるかもしれませんし、せっかくなら勇者様の息子である貴方にもお会いしたかったですし……」

「洞窟は天然の罠でいっぱいですから。どうぞ気をつけて行ってきてください」


 ダンテの脳内に昔の記憶が蘇る。

 それはまだ両親が健在だった頃。一人で洞窟探検に行ったダンテは、そこで採取できる鉱石の数々に夢中になった。しかし不注意で狭く深い縦穴に落ちてしまい、半日そこで泣いて過ごしたのであった。

 ―――……たしか、親父の転移魔法のお陰で救出されたんだっけ。

 泥と涙にまみれたダンテを背負う父の背中を思い出し、ダンテはノスタルジーに浸―――らなかった。


 むしろ乾いた鬱憤すら覚え、一刻も早く平穏な日常に帰りたいと脳が要求する。この状況から早く逃れようと、ダンテは先ほど以上に友好的な笑顔を作り上げ、言葉を吐き出した。


「とりあえず俺らから話せることはありません。すまんな」

「……あー。そう、だな。よし帰るか!」


 察したジュリオが先陣を切って歩き出す。彼のいいところは、こういった時にすぐさま空気を読み行動できるところだ。

 これにて若き女勇者様との縁はおしまい。彼女は聖剣を求め危険な旅に出る。自分たちは日常に戻り、平和な村で平和な人生を過ごす。 と、思っていたのだが


「何をおっしゃいますの。洞窟まで付いて来てくださるでしょう?」

「「えっ?」」

「えっ?」


 しばしの沈黙。


「……えっ?」

「えっ?」

「えっ?じゃねーよ」


 ジュリオのツッコミに対し、体に見合わぬ幼い表情できょとんとするハイリー。小首をかしげ、彼女は純粋な瞳で言い放った。


「……付いて来てくださるでしょう?」

「なんでそうなるんだ」

「だって、占いは『3つの魂』といっていますし。それって3人で行かなければならないという意味でしょう?ほら、ちょうどここに3人いるではありませんか」


 さも当たり前だと言わんばかりのハイリーに対し、ジュリオは眉間にシワを寄せて、対照的な表情だ。


「……俺、含まれてる?」

「数合わせですけども、まあ」

「まあ。じゃねーよ!」


 キャンキャンと言い争う2人をよそに、ダンテは深い深いため息を吐いた。

 とにかく、早く平和で何事もない日常に帰りたいと強く強く願う。どうすれば最短ルートで日常に戻れるかを考えながら、墓地から離れつつある2人の後をゆっくり追いかけた。


 秋の昼は短い。

 傾きつつある太陽が、勇者の墓を静かに照らしていた。

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