第13話 手のひらの竜

 私はひとり旅が好きだけれど、たまには怖くもなる。

 たとえば夜道、見知らぬ街角にスーツケースを転がす音が響き渡っているときなんか、この音が刃物を持った誰かを呼び寄せちゃうかも知れないと怖い。土地勘のなさから迷い込んだ路地裏に、不審な注射器が落ちていたり、極端な薄着をした女性が高いヒールの上で立ち尽くしていたりすると、その後ろにいる誰かの存在が透けて見えて怖い。ひとりでチェックインしたホテルのフロント氏に手を握られるのも怖い。共用シャワーでお湯を浴びて、濡髪のまま足早に戻る廊下では、無防備なときにどんな人と遭遇するか分からないから怖い。ひとりで食事をする姿をじろじろ見てくる人が怖い。たまたま近くのテーブルに案内されただけの関係で、いきなり自分の膝に座るよう要求されたこともあったっけ。

 ひとり歩きには怖いことが起きる。残念だけれど、これは本当のことなのね。


そんなとき、私は指をそろえた両手をぴったり合わせて、その中にできた丸い空間にふぅっと息を吹き込むの。じぶんの胸から出てきた空気が、じぶんの手の平のなかで、温かく湿った渦を巻いて、ほぉっと音を立てるでしょ。私はその音と熱をふんわりと握って、手のひらに竜を抱くわけ。竜の名前は紀之介くん。

 紀之介と出会ったのは、百貨店の催事場だった。なにを買うつもりがあるわけでもなく、ただぶらっと遊びに行ったら、若手のアーティストを集めた企画展が開催されてて、そのうちのひとりが紀之介の生みの親だった。手のひらサイズの木片に、風変わりな動物のイラストを手書きして売ってらしてね、私はそのうちのひとつを1,000円くらいで購入して、紀之介って名付けて相棒にすることにしたの。体長は3センチくらい。身体を縮めてるから、まるでカメレオンみたい。すっとぼけた顔で、こっちを見ようともしないけど、ちゃんと私の様子を気に掛けてくれてることは分かってる。身体がちょっとこっちに傾いてるの。聞き耳を立ててるみたいに。

 今でも紀之介の絵姿は、私の部屋に飾ってある。カメレオン気質なのかな。のんびり屋さんだけど人目を嫌うから、いつもは透明になっていて、なかなか姿を見せてくれないんだけど、こうやって呼んだら来てくれるの。なにかの役に立つのかっていうと、そうでもないんだけどね。でも、一緒にいてはくれる。ぐっと身体を伸ばして、首からぶら下がっていてくれれば、体つきを探る不躾な視線を遮ってもらえるし、私が「やめてください」って言うときには、一緒になって吠えてくれる。荷物を抱えての移動のときに雨が降ってきても、水が好きな紀之介が喜ぶと思えば我慢できるし、甘い言葉を吹き込まれてぼーっとなりかけたら、紀之介が小指を噛んでくれる。たとえ、本当は自分で抓ってるんだとしても、紀之介が一緒にいてくれているんだと思うと、心を強く持てるから、そういうことにしてるの。

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架空紀行 高瀬やなぎ @takaseyanaghi

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