第六十話 穏やかな船旅(ラビエスの冒険記)
二度の戦闘の後。
俺――ラビエス・ラ・ブド――たちの乗る
町を出ていきなり、続けてモンスターに襲われたのが嘘のような、穏やかな船旅だ。
モンスターの出現は、結局のところランダムだ。たまたま立て続けに襲われただけで、あのペースが続くわけではないらしい。
考えてみれば。
レスピラは「二年ほど前から、時々モンスターに襲われるようになった」と言っていたのだ。襲われるのは、あくまでも『時々』であって『頻繁に』ではない。戦闘直後に危惧したほどの頻度ではないのだろう。
「この様子なら、パラとラビエスの心配も、杞憂で終わりそうね」
「ああ、そうだな」
俺はマールの呟きに、曖昧に頷いておいた。あまり油断するのも良くないが、無駄に緊張する必要もない。
マールの言う通り、俺やパラは魔力が足りなくなるかもしれないと懸念していたわけだが……。どうやら大丈夫そうだ。
そのまま何も起こらないまま、夕方になった。
「そろそろ、今日の旅は終わりにしましょうか」
長距離タクシーのようなものだと思えば、どこまで一日に進むのか、それは乗客である俺たちの方に決定権がありそうなものだが……。
これはタクシーのような自動車ではなく、川を行く船だ。自動車のようにいつでもどこでも停車できる、というわけでもないのだろう。そもそも俺たちは、陸上を進む馬車の場合でも――『いつでもどこでも停車できる』はずの場合でも――、以前の冒険旅行で一日の進み具合を、御者であるリッサに任せていたくらいだ。
俺たちが頷いたのを確認してから、レスピラは、
川の
加えて、その近くには、何本かの
同じような
今思えば、
陸に上がった俺たちは、まずテントの用意をすることにした。
以前の冒険旅行では、四人で一つのテントを使っていたわけだが……。
「人数も増えたけど、テントも増えたわね」
マールが呟いたように、色々と規模が大きくなったのだ。
俺は、そう思ったのだが、
「ああ、みなさん。私は一応、一人用のテントを持っています」
レスピラが、小さな個人用テントを、
「場合によっては、お客様のテントの方へ、一緒に入れてもらうこともあります。でも、今回は、男女混合ですから……。冒険者でもない女の私は、私専用テントの方が無難ですよね」
そう言って、軽く笑うレスピラ。
東の大陸と同じく、この大陸でも、若い男女が一緒に泊まることに対して、冒険者とそれ以外では意識が違うのだろう。普通の人々は、冒険者とは違って、男と女が同じ一つのテントに泊まることには、特別な意味を感じてしまうようだ。むしろ、俺の元の世界の感覚に近いと思う。
「ああ、そうね。レスピラは冒険者ではないから、そういうのを気にするのね。だったら……」
マールがレスピラの言葉に頷いており、それで話は決まりかと思ったのだが、
「ちょっと待ってくれ」
ここでヴィーが、ストップをかけた。
「忘れているかもしれないが、私は宗教調査官だ。教会組織に勤める聖職者だ。冒険者ではない」
いやいや、別に忘れていたわけではない。
だがヴィーは、センのパーティーと共に、イスト村からウイデム山の頂上まで、二日間の小旅行をしている。つまり、センたちと同じテントで一泊しているはずだった。
「あら、ウイデム山へ向かったことで、あなたも冒険者の流儀には慣れたんじゃないかしら? 今さら、同宿程度が気になるの?」
まるで俺の代弁をするかのように、マールが指摘してくれた。
ヴィーは、顔をしかめながら、首を横に振って、
「確かに、あの時は、センたちのテントに泊めてもらった。だが、他にテントがないから、仕方なく同衾しただけだ。そういうのは『慣れた』とは言わない。『我慢した』と言うのだ」
続いて彼女は、レスピラが出してきたテントを指差す。
「テントが複数あるならば、何も無理して一緒に泊まることはない。レスピラ、私もそちらのテントに入れてくれ。女同士ならば、安全だろう?」
「私のテントですか?」
今度は、レスピラが少し困ったような顔をする。
「私のテントは、本当に一人用で、お客様に一緒に入っていただくことなど、ちょっと難しいと思うのですが……」
まだ彼女はテントを広げていないが、コンパクトに畳まれた状態の包みを見る限りでも、小さなテントであることは理解できた。
それを二人で使うというのは、さすがに無理があるだろう。俺が、そう思った時。
「面倒だから、俺が運んできたテントを『非冒険者用』ってことにしないか?」
センが、そんな提案を口にした。
「俺のところのテントは、三人用だったから、二人で使っても『広すぎる』って感じはしないはずだ」
つまり。
センのパーティーが使っていたテントを、レスピラとヴィーの二人に提供しようということだ。
「それでセンは、どこで眠るんだ?」
俺の質問に対して、
「ラビエス、お前のところに入れてくれよ。そっちを『冒険者用』ってことにしようぜ」
これが、センの答えだった。
ふむ。
俺たちのパーティーのテントは、今まで四人で使ってきたから『四人用』という認識だったが、そう明記されているわけでもない。ラゴスバット伯爵から与えられたテントだけあって、結構ゆったりとしているし、最初の印象では「数人用のテント」だったはず。だから五人で使っても、特に手狭に感じることはないだろう。
「私は構わないぞ。冒険者用と非冒険者用に分けるというのは、わかりやすくて良いだろう」
真っ先に受け入れたのは、リッサだった。
彼女は、テントをくれたラゴスバット伯爵の娘でもある。そのリッサが、そう言うのであれば……。
「そうね。どうせ、寝る時はいつもの配置になるでしょうし……。センには、ラビエスの隣で寝てもらいましょう」
具体的な『配置』まで想定するマール。
特に示し合わせたわけではないが、だいたい常に、リッサとパラの二人が奥で眠り、その隣にマール、一番手前に俺という形になっている。女性と同じテントで眠ることには慣れてきた俺でも、もしも女性に挟まれたら緊張するだろうから、俺には好都合な配置だった。
そこに、今度はセンが加わるだけだ。マールの提示した並び方は、ある意味、パーティーの女たちとセンとの間で俺が壁になれ、ということだろうか。
「私は、みんなの意見に従いますよ」
パラは、軽い口調で言っている。
いやいや、もともとパラは人見知りの傾向があったのだし、そもそも俺と同じ世界――「若い男女が一緒に泊まるということは……」という価値観の世界――から転生しているのだから……。内心どう思っているのか、わかったものではない。
ともかく。
俺も強く反対する気持ちはなく、頷いてみせた。
その結果。
「では、私も、お客様のテントの方へ入れてもらうことになりますね。今回の旅では、これは不要ということで……」
レスピラは、引っ張り出した自分の専用テントを、
夕食をとり、その後、打ち合わせた通りに二つのテントで眠り……。
翌朝。
俺たちが船旅を始めてから二日目、この大陸に転移してきた日から数えたら三日目。
転移したのは、ウイデム山の頂上に辿り着いた火曜日だったから、今日は木曜日ということになる。以前の冒険旅行でもそうだったが、旅に出ると曜日感覚が希薄になるので、しっかり自分で覚えておくことが大切になってくるのだ。
朝食の後にテントを畳み、また俺たちは、船上の人となった。
「昨日もそうでしたが……。今日も、良い天気ですね」
「うむ。こういうポカポカ陽気ならば、船の旅も快適だな」
のんびりした声で呟いたパラに、リッサが応じている。
二人の言葉を聞きながら、ふと俺は「雨が降ったらどうするのだろう?」と考えてしまった。
オープンカーの中には、折りたたみ式あるいは着脱式の幌や屋根が用意されているタイプもあるのだろうが――というよりそれが主流なのかもしれないが――、この
「晴れている日はいいけど、雨の日はどうするのかしら?」
パラ達の会話から、マールも、ちょうど俺と同じ疑問を
「もちろん、雨が降ったら、お休みです。岸に寄せて、しばらく休憩することになります。雨で増水した川を進むのは、熟練した水先案内娘でも、ちょっと危険ですから」
ああ、なるほど。
彼女たち漕ぎ手にしてみれば、
このように天候に左右される
俺がそう考えていると、
「ならば、少しでも移動距離を稼げるように、私たちは雨が降らないように祈り続けるしかないだろう」
ヴィーが『のんびり』とは逆の態度を示していた。
冒険者の俺たちは「これも冒険のうち」と旅を楽しむことも出来るが、宗教調査官として任務中だった彼女は、俺たち以上に、一刻も早く帰りたいのだろう。
気持ちはわからないでもないが……。残念ながら、この世界には『てるてる坊主』のような習慣は存在しないはずだった。
そして、何事も起きないまま、昼になる。
俺たちは船に乗ったまま、携帯食で簡単な昼飯を済ませるが……。
「こう天気が良くて、モンスターも現れないとなると、眠くなってくるなあ」
少し腹が膨れたところで、センが、そんなことを言い出した。
「気持ちはわからんでもないが、昼寝は困る。貴様たちは私の護衛なのだから、モンスターが出てくるところでは、頑張ってもらわないと」
苦笑するヴィー。
センの言葉を聞いた瞬間には、もっと真剣に怒られるかと思ったが、そうでもなかった。ヴィーの態度は、俺が予想したよりも、はるかにやわらかい。
俺としても『気持ちはわからんでもない』という部分には、同意したいくらいだった。眠そうなセンを見ているうちに「腹の皮つっ張れば目の皮たるむ」という言葉を思い出したのだ。
その言葉を俺が初めて目にしたのは、小さい頃に読んだ漫画の中であり、れっきとした慣用句であることを、当時の俺は知らなかった。だが、とりあえず「お腹がいっぱいになると眠くなってくる」という意味だけは十分に理解できた。子供心にも、とても実感できる言葉だったからだ。
この世界でも、それに相当する諺や慣用句はあるのかもしれないが、少なくともオリジナルの『ラビエス』の記憶には出てきていない。それでも、今のセンやヴィーの発言から考えて、満腹が眠気を誘引するというのは、共通の概念なのだろう。
「だったら眠気覚ましに、私が一曲、歌いましょうか?」
それまで静かに
彼女の言葉に、真っ先にパラが飛びつく。
「歌ですか?」
「そうです。船の上で歌って、お客様を楽しませるのも、水先案内娘の仕事の一つですから……」
レスピラが答えたところで、
「ああ、そうだったな。市内を見て回った
市内観光を経験済みのセンが、その時のことを思い出すかのような遠い目で、口を挟んだ。
水先案内娘が歌うのをセンが聴いているならば、おそらく一緒だったヴィーも、やはり同じ歌を聴いているはずだが……。
そう思ってヴィーに視線を向けると、彼女は、少し顔をしかめている。その時の歌に、何か嫌な思い出でもあったのだろうか?
「『よくわからない歌詞』ですか?」
「ああ、そうだ。聞いたことのない言語で出来ているから、意味が全くわからん。せっかく歌詞があるのに、その意味が理解できないんじゃ、面白さも半減だぜ」
パラの質問に対して、センは正直な感想を述べたのだが。
「おい、セン。いくら何でも、その発言は酷いだろう」
同業の水先案内娘を悪く言われたレスピラではなく、宗教調査官であるヴィーが、センに文句を言った。もしかすると、先ほどからの彼女の不満顔も、センが原因だったのかもしれない。
「へっ? どういう意味だい、ヴィーさん?」
「『意味が全くわからん』というのは、別に構わない。しかし『聞いたことのない言語』というのは、聞き捨てならんぞ。魔法士ではないとはいえ、貴様だって、冒険者なのだろう? それに……」
ここでヴィーは、少し声を低くする。ヴィー独特の、目尻の切れ上がった瞳と合わさると、きつい印象が強くなった。
「……教会の日曜礼拝には、参加しているのだろう? ならば、賛美歌で慣れ親しんだ言語ではないか!」
話が見えてきた。
どうやら、センとヴィーに対して以前に水先案内娘が披露した歌は、賛美歌の一部や呪文詠唱に用いられるものと、同じ言語体系だったようだ。俺やパラの世界にあるラテン語と似ている、と言われる言語だ。
なるほど、それならば。
たとえ意味は理解できずとも、真面目に礼拝に出席していたら「知っているぞ! これ、いつも賛美歌で出てきた言葉だ!」となるはず。ところが、おそらくセンは、今まで礼拝に出席しても、賛美歌や説教を適当に聞き流していたのだろう。それが、思わぬ形で露見してしまい、教会組織の人間であるヴィーは怒り出したのだ。
「まあまあ、無理もないでしょう」
険悪になりそうな空気を察したのか、いつも以上に陽気な声で、レスピラが仲裁に入った。
「歌の歌詞って、歌い手の力量次第では『何を言っているのか、聞き取れない、わからない』となる場合がありますからね。知っているはずの言語でも『知らない言語だ』と思ってしまうかもしれません」
そんな言葉で、センの擁護をした後、
「お二人が聴いたのは、古代言語で書かれている『カンティクーム』と呼ばれる舟歌の一つなのでしょうが……。カンティクームは上手に歌わないと、お客様を楽しませるどころか、むしろ退屈させるだけになってしまいます」
「でも、自分から『歌いましょうか』と言うくらいだから、あなたは自信があるのでしょう?」
マールが、的確なツッコミを入れる。
ここで肯定したら、レスピラの説明も一種の自慢話になりかねない。だが、彼女は笑いながら首を横に振った。
「いえいえ、とんでもない。ここだけの話、私もカンティクームは得意とは言えず……。ですから、今から披露するのは、古代言語なんて使っていない歌です。私が作詞作曲した、完全オリジナルの舟歌です」
「ほう、それは面白そうだな」
「自作の歌ですか? ぜひ聴かせてください!」
リッサとパラに促されて。
「では……」
一つコホンと咳払いしてからレスピラは、
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