二日目 人間は、ウグイスと一緒です。

 レシートを見ると、中心に鎌倉駅を表す黒丸がある。

 そこから右下の方へと道路がひかれて、その道路に沿うように"卍"と"光明寺こうみょうじ"という文字が記されていた。


「一人でご旅行ですか?」


 他意はなかったのだろうが、独り身の私にはなかなかこたえる質問だった。

 ついついムキになって、


「自分探しの旅です」


 と答えると、那雲なぐもさんは笑ってこの場所を書き記してくれた。


「静かで、座禅ざぜんをしたりするのにオススメです。自分を見つめ直すのにぴったりの場所ですよ。トンビには気を付けて」


 鎌倉駅前で、これもオススメされていた鱒寿ますずしを買い、小町通りの反対側へと歩き出す。




 道路沿いを、ただひたすらに進んだ。こう言っては何だが、道中は全く観光向きではなかった。

 鎌倉は結構、車の交通量が多い。道路沿いを行けばうるさいし、空気も汚れている。何故この場所をチョイスされたのか分からず、私は終始、眉間にしわを刻んで歩いた。


「ていうか、遠すぎっ!!」


 道中にはいくつも寺が並んでいた。そろそろ着かないかと、私は毎度、寺の中をのぞき込んだ。

 レシートを見れば、鎌倉駅からたかだか三センチ程の距離にその場所は記されている。


 どう考えても、縮尺しゅくしゃくがおかしすぎるでしょ!


 初めて会った時の言動といい、那雲さんはなかなかにいい加減な人だった。


 地図が大雑把おおざっぱにしか書かれていなかったのもあり、結局、光明寺に着くまでに四十分も掛かってしまった。

 痛む足を引きずって視線を上げれば、巨大な山門がある。


「おぉ、でかっ……」


 思わず声が漏れた。

 一帯には山と海しかない開けた場所なので、陽炎かげろうの向こうで揺れるその山門は、まるでエアーズロックみたいだった。……本物は見た事ないけど。

 山門は近くまで寄ると、被ったキャップ(今日は日差し対策もばっちりだ)のつばを持ち上げなければ、全容が見えない程大きかった。

 奥行七メートル、高さ二十メートルにもなる巨大な山門だ。二階建てになっていて、山門の下をくぐる時には二階へと上る梯子はしごが見てとれた。残念ながら、立ち入りは禁止だ。


 山門を抜けると、広い境内けいだいには桜の木と本堂がある。本堂横にははす池があり、登山客らしき数人がベンチに座って話していた。

 本堂には立ち入れるようで、靴を脱いで畳の上へと上がる。涼しい堂内は広い畳の間になっていて、中央奥には仏様が鎮座ちんざしていた。

 畳の上に座って、酷使こくしした足をいたわる。


 無音だ。


 心地良い静寂が流れている。

 時折、トンビの鳴く声だけが聞こえた。しばらく目をつむって、その静寂を噛み締める。

 頭が空っぽになって、ひんやりと冷たい、澄んだ空気で"中"が満たされていった。


 ぐうぅぅぅぅぅ


 その静寂を打ち破り、私の腹が煩悩ぼんのううなりを上げる。

 時刻は十二時三十分。予想外に到着が遅れたため、未だリュックの底に眠ったままの鱒寿しは手付かずのままだった。


「……お腹空いた」


 名残惜しくはあったが、背に腹は代えられない。

 本堂を後にし、境内のベンチに腰掛ける。ちょうど良い日陰の席は、境内を写生するご老人方に占拠されていた。


 うぅん、暑い。


 何より、上からトンビが狙っている。これではゆっくり弁当を味わう事が出来ない。

 私は再度腰を上げ、山門下の梯子に腰掛けた。

 なるほど、これはいい。

 山門の立派な屋根が、日光とトンビから守ってくれる。私は悠々と、鱒寿しを堪能した。







 光明寺を後にし、近くの材木座ざいもくざたぶのき公園へと立ち寄った。

 公園と言っても遊具は何もなく、公園中央に、木にまとわり付くようにして幅のあるベンチが一つ、置かれているだけだ。

 そこに今度は靴のまま上がり、足を投げ出して座る。上を見上げると、木の葉の間から木漏れ日がきらきらと光っていた。

 先程は人目を気にして出来なかった分、私はその場に仰向あおむけに寝転んだ。

 光明寺よりも、ここはいくらか物音がする。

 ぴちぴち。ちゅんちゅん。鳥達がせわしなくおしゃべりしている。


 気持ちいぃ~。


 深呼吸をして目を瞑ってしまえば、そのまま眠ってしまいそうだった。

 うとうとと微睡まどろんでいると、スズメやヒヨドリの鳴き声の間から、通った声が聞こえてくる。


 ホーホケキョ。


「おっ」


 夏にも鳴くのか、と少しお得な気持ちになる。そのまま、もう一度鳴いてはくれないかと耳をそばだてて待った。


 ホーホケヨ~。


「ん?」


 ホーホケヨ~。


 ……何か力が抜ける。


 ホーホケヨ~。


 結局その気の抜けた愛の告白が気になって、居眠りは出来なかった。





 ********





「ウグイスは鳴き方の師匠をつけるそうですよ。きっと、ついた師匠が良くなかったんでしょうね」


 私はまた、神社のご神木の隣にあるベンチに腰掛け、那雲さんを見上げていた。

 盆に乗った湯飲みを差し出され、礼を言って飲み干す。冷たい麦茶がのどを通り過ぎていき、大きく息が漏れた。

 何て気の利く神様だろうか。


「私が聞いた奴だと、ホーホケチョピ! なんて鳴く奴もおりましたよ」

「それは熱烈ですね」

「彼も、それだけ必死だったのでしょう」


 そう思えば、ウグイスも人間も変わらないのかもしれない。

 良い上司の下には良い部下が育ち、悪い上司の下では、以下略。


「光明寺は如何いかがでしたか?」

「良いところでした」


 そう答えると、那雲さんは嬉しそうに笑う。


「あそこは、感じの良い方が多いですから」

「でも、今度はもうちょっと近場でお願いします」

「あれ、遠かったですか?」

「思っていたよりは」


 言葉の裏にある意図を察してもらえないかと思ったが、那雲さんは、じゃあ、次はあそこですかね!ときゃっきゃしている。

 どうやら人にものをくのが好きらしい。さすが坊主である。


 紙とペンはあるかと言われ、私はリュックからボールペンとB6ノートを取り出した。今度は準備万端だ。

 那雲さんはサラサラと書きつけると、ノートをこちらに返した。

 相変わらず、字は汚い。

 何とかしてその暗号を読み解くと、鎌倉駅の北西の位置に黒丸が記されていた。


「化粧坂……?」

「それで、"けわいざか"と読みます。昔の人達も通っていた道です。自分探しの旅に、故人の軌跡きせきを巡るのも良いかと思いまして」


 私は鎌倉駅から化粧坂けわいざかまでの道筋を、指で辿ってみた。大体、人差し指の第一関節分位の距離だ。


「……"本当に"、近いんですよね?」

「えぇ」


 ニコニコと疑わしい笑顔を浮かべている。


 くそっ。イケメンなら何でも許されると思いやがって。


 私はため息を吐いて、ノートをリュックへとしまった。

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