カミサマのいうとおり

ぽち

一日目 神様に出会いました。

 会社をサボった。

 朝起きて気怠けだるい気配を察知した私は、上司にメールをする。


『体調不良のため、申し訳ありませんが本日は休暇きゅうかを頂きます。』


 それに対する返事は、至極しごく簡単なものだった。


『了解しました。』


 ドキドキしながら待ったというのに、そんなものか。

 返事を見るなり、私の体調は途端に回復した。げんきんな体である。

 ベッドからがばりと起き上がり、Tシャツと短パンに着替え、いつもよりも高い位置で髪を結んだ。こうすると、気分が上がる。

 顔を洗って、財布とハンカチとティッシュだけをリュックに詰め、家を出た。




 新宿から湘南しょうなん新宿ラインの快速に乗って一本。都心からわずか一時間で行ける古都、鎌倉かまくら

 近くの江の島までは新入社員の頃に同期数人で行った事があったが、鎌倉の方には行った事がなかった。

 彼氏が出来たらデートで行こう、と夢を見たまま二年が経過。結局待ちきれなくなった私は、ついに一人で来る事を決めた。

 白馬の王子様は、どうやら遅刻ぐせがあるようだ。どのおとぎ話の王子様も、お姫様が死んでからあらわれるし。


 鎌倉駅に到着し、駅舎を見上げた。白い壁に黒塗りの屋根。おまけにレトロな時計まで付いている。

 なるほど、なかなかに風情ふぜいを感じる駅ではないか。

 平日の昼前だからか、観光地にしては人がまばらだった。かと言っても、駅前からつながる小町通りには多くの人が行き交っているのが見える。

 せっかく喧騒けんそうの街"東京"から逃げて来たというのに、わざわざ人混みに入っていく理由などない。私は駅隣にあるトンネルの方へと足を向けた。


 ソーセージの焼ける魅惑的な匂いのする店を通り過ぎると、江ノ電の乗り場があった。たった二両しかない江ノ電に、観光客が押し寿司のように詰め込まれていく。

 鎌倉名物だか何だか知らないが、そんな苦行は朝の山手線だけで充分である。

 どうせ線路は地面を走っているのだ。線路沿いに行けば、迷う事などないだろう。


「歩くか!」


 近くのコンビニで水分を補給し、私は意気揚々いきようようと歩き始めた。




 季節は夏。梅雨も通り過ぎて、熱波と台風が交互にやってくる時期だ。今日は熱波の日だった。

 鎌倉は日陰が少ない。空をさえぎる大きな建物がないからだ。鎌倉駅を出て雑貨屋の並ぶ商店街を抜ける頃には、滝のような汗が流れていた。

 スポーツ飲料が、飲んだ先から汗に変換されていく。陽に焼かれた頭頂が、じりじりと熱を放っていた。

 道路沿いをひたすらに進み、和田塚わだづか由比ヶ浜ゆいがはまと来たところまでで、私はある事に気付く。


 今日は、歩くような日じゃない。


 わずか二駅進んだだけで、私は現実の厳しさを知る事になった。

 そもそも、私は気晴らしを求めてはるばる鎌倉まで来たのである。優雅に避暑を楽しみ、海を見ながらカフェでまったりの予定だったのだ。

 それがどうしてこうなった事か。

 汗腺という汗腺から汗が噴き出し、腹と背中に服が張り付く。足りない谷間の間にも、汗が流れていった。頭に水分が足りないのか、どこか意識が遠い。


 やばい。これが熱中症という奴か。


 ペットボトルはすでに空になり、照り付ける太陽は否応なしに私の心と体をからびさせていく。どこかで水分補給をしなければ、本当に命の危険を感じる。


 なのに進めど進めど並んでいるのは、民家、民家、路地、乾物屋、民家、路地。

 カフェどころか自販機の一つもない。景観保護のためだろうか? くそったれ、こっちは人命が掛かってるんだ!


 そんな事を考えていると、前方に見慣れたコンビニの看板が見えた。


 神よ……!


 私は二十四時間営業の神に祈った。しかし扉を開けて一秒、異変を感じ取る。

 入口に貼られた紙に目を留めた。


『クーラー故障中』


 私は目を向いて固まった。

 クーラーがないコンビニに、何の存在価値があるというのか。


 とは言え栄養と水分も補給したかったので、涙をんで生ぬるい店内へと進み入る。従業員は奥に引っ込んでいるのか、誰もいなかった。

 どうやら壊れているのは店内のクーラーのみで、食品類の冷蔵は機能しているようだった。昼飯として、おにぎりと菓子パンを引っ掴む。巨大冷蔵庫からドリンクを取り出す際、心地良い風が吹きつけてきて、思わずなまめかしい声が出た。

 そのまま数秒間、冷蔵庫の扉の間で涼んだ後、ドリンクを取り出しレジへと向かう。監視カメラを見ていたのか、いつの間にやらレジへと出て来ていた店員と目が合った。


 貴様、いつからそこに居た。


 太陽のせいだけではなく火照ほてった体でレジを済ませ、コンビニの前で買ったドリンクをがぶ飲みする。干からびた体に潤いが戻った。

 二十代のぴちぴちの肌、復活である。


 死ぬかと思った……。


 数分の間、コンビニの屋根で出来た小さな日陰に入っていたが、思った以上に下から上がってくる熱が熱い。

 結局諦めて進み始めたは良いものの、太陽の下に出れば、またすぐに汗が噴き出してきた。


 日陰だ……! 日陰をよこせ……!!


 すわった目で道を進んでいたが、ある路地の前で足を止める。袋小路ふくろこうじと思われる路地の先に、鳥居があった。

 鳥居の先には石段があって、数段登った先に踊り場があり、その先にはさらに長い石段が上へと続いている。長い石段には、途中から生い茂った木々の影が差していた。石段の途中に座った変わった毛色の猫が、くるりと身をひるがえして登って行く。


 動物は、涼しい場所を知っている。


 その法則に従い、猫の後を追った。

 息切れを起こしながら長い石段を登って行くと、行く手に緑の屋根が見えてくる。階段を登った左手に手水舎てみずしゃ、右手にはご神木だろうか、大きな木があった。まるで山に抱え込まれたような神社だった。

 目の前には緑の屋根の拝殿があり、奥には神殿が連なっている。私は手も清めず、参拝もせず、ご神木の隣にしつらえられた木のベンチへと腰を下ろした。苔生こけむしたベンチは少し湿っていて、ひんやりとした冷気を尻に感じる。

 無神論者である私は、ただただご神木の作ったありがたい日陰の恩恵おんけい享受きょうじゅした。


 涼しい。


 真夏とは思えない涼しさだった。濡れたTシャツに、風を送り込む。


「生き返るうぅ」


 ふやけた声を上げ頭上をあおぎ見ると、灼熱の太陽をご神木の枝葉が遮っている。どこからか吹いてくる風がそよそよと木の葉をでて、たまに上から小さな木の実を落としてきた。

 境内けいだいを見回すと、拝殿横にはさらに石段がある。かどの取れた丸い石段を上った先には、小さなやしろが設置されていた。その先は、山へと続いている。

 首をひねると眼下には、鎌倉の街並みと海が見えた。案外、海の近くを歩いていたようだ。


「……穴場スポットだな」


 関東の有名な観光スポットに、こんなに静かな場所があるのは意外だった。まるで秘密基地を見つけたようで嬉しい。


 すっかり汗は引き、爽やかな気持ちで境内へと向き直る。

 と、拝殿の廊下、賽銭さいせん箱の向こうに坊主が一人、立っていた。

 あそこって入っても良いとこなのか、と見ていると、坊主も無遠慮にこちらを見返してくる。

 イケメンの坊主だ。塩系のイケメン。ちょっとタイプだった。ハゲだけど。


「こんにちは。どちら様ですか?」


 参拝に来て(してないが)、名を聞かれるとは思っていなかった。きょかれて、つい答えてしまう。


香坂こうさか、まことです……」

「まことさんですか」


 さすがイケメン。いきなり名前呼びである。

 昨今さっこんでは女性に声を掛けただけでセクハラだと騒がれる事もあるご時世だというのに、なんと浮世離れした事か。さすが坊主である。

 ちょっとときめいてしまった反抗心から、私も問いただした。


「そちらは、どちら様でしょうか?」


 そう言うと、まるで菩薩ぼさつのような笑みをたたえて、坊主は言った。


「カミサマです」


 ……なんだこいつ。

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