第36話 幽閉された当主

 かっぽかっぽ。

 規則的に奏でられる馬蹄の音が青空に吸い込まれていく。

 キルハルスの屋敷で一夜を過ごしたローザリッタたちは馬車に乗り込み、マウナの案内の下、サナリオン近郊の村まで訪れていた。


「……ここって、あのごろつきどもを引き渡した村じゃねぇか?」

 窓から身を乗り出したヴィオラが呟く。

 彼女の言葉通り、馬車が向かっている先に見えるのは、サナリオンを訪れる前に返り討ちにしたならず者たちの身柄を預けた村だった。


「お三方は、あの村に立ち寄ったことがあるのですね?」

「はい。ついこの間……」

 ローザリッタはその時のことを、向かいの席に座るマウナに話した。


「……左様ですか。ストラ地方の治安に貢献してくださったこと、子爵様に代わり御礼申し上げます」

 マウナは深々と頭を下げた。


「とんでもありません。ですが、奇縁だとは思います」


 ローザリッタは手を振りながら、その時のことを思い返していた。

 河原でならず者どもに襲われなければ、あの村に立ち寄ることもなかっただろう。

 御前試合のことを耳にしなかっただろうし、キルハルスの名も知らなかった。男装をしてまで参加しようとさえ思わなかったかもしれない。あの村に立ち寄った時から既に何らかの因果が結ばれていたような、そんな気さえする。


 それに――今にして思えば、村はずれに見えたあの建物。あれはキルハルス家の当主、ライスフェルトが隠居している場所だったのだろう。


 事情を知った今ならば、村人たちに詳細を伏せているのも理解できる。

 当主を幽閉同然に扱わなければならない経緯を知れば――人を裁く者が、心の病に冒され人斬りざいにんに成り下がるかもしれないなど――子爵家の威光にも関わるからだ。


「昨日から思っていたんだけど、わざわざ遠い場所に牢屋を建てたのはどうして? こういった場合、家の座敷牢にでも閉じ込めておくのが一般的じゃない?」


 かねてよりの疑問をリリアムが突いた。

 日頃の監視や身の回りの世話を考えれば、座敷牢の方が合理的だ。隠蔽も兼ねているのであればなおのこと。幽閉の拠点を外部に設けるのは、いささか危険が伴うように感じる。


「そうですね。私もそう思います。ですが、それでは身内の者が真っ先に危険な目に遭うからと、ライスフェルトが」

「……ま、牢屋って言っても完全じゃないものね」


 牢屋というものは破られないように設計されているものではあるが、人の造る物に完璧はない。いかに堅牢に作られていようと、それを管理するのはあくまで人間である以上、人為的過誤によって脱獄を許してしまうこともある。であれば、ライスフェルトの懸念もあながち絵空事ではない。


 だが、ローザリッタの考えは二人とは違った。

 ライスフェルトはこそを警戒しているのではないか。だからこそ、もしもの時を考えて物理的に距離を開けざるを得なかったのではないか。


 ……こんなことを話せば笑われるだろう。徒手空拳の人間が重厚な壁や柵を破壊して逃げるなど、それこそ絵空事だと。


 しかし、妙な確信がローザリッタにはあった。その絵空事を成し遂げた経験がある彼女だからこそ、ライスフェルトの懸念が現実味を帯びて伝わってくる。


 馬車は村を通り過ぎ、その奥に建てられた牢屋の前で停まった。

 実物はその響きに似つかわしくないほど立派な邸宅で、別荘と言われても違和感はない。ただし、窓や戸など外界へ通じる個所には鉄格子がはめ込まれており、尋常さはあくまで外観だけのものだとわかる。


 馬車から降りたマウナは玄関の鉄格子の鍵を開けると、三人に目配せをして中へ入って行った。ローザリッタたちも敷居を跨いで、奥へ進む。


 昼間だというのに廊下は薄暗かった。家を装っていても、その本質は閉じ込めるためのもの。明かりが差し込むような個所が少ないのだろう。


 とはいえ、それだけだった。板張りの床には埃も積もっていないし、空気も淀んではいない。定期的に清掃が成されている証拠だ。ならず者を引き渡した時も、遠目に水煙が立ち上っているのが見えた。誰かしら世話をしに来ているのだろう。


 マウナが突き当りの部屋の前で立ち止まった。格子のはまった小さな窓に机。床には積み重なった本が山を成している。どうやら書斎のようだ。


 机の前には、ほっそりとした背中があった。何かを書いているのか、筆を握った右腕がせわしなく動いている。


「……どちら様ですかな?」

「ライスフェルト。私です、マウナです」

「おお、これは姉上。お久しゅうございます」


 明るい声をあげ、ライスフェルトが振り向いた。

 漆黒の髪に白い肌。整った目鼻立ち。男女の違いこそあれど、姉弟だけあって顔の造りが良く似ている。だが、その目元には最後に寝たのはいつかと尋ねたくなるほどの、黒々とした隈ができていた。


「今日は何をしていたのです?」

「絵をしたためておりました。見てください」

 ライスフェルトは一枚の紙を掲げた。淡い色使いで描かれているのは――


「……栗の木ですか?」

「ええ」

 ライスフェルトは窓を指差した。格子の向こう、まだ若い木の枝が見える。青々とした葉に混じって垂れ下がる白く細長い穂。花弁だろうか。


「あの木に花が咲いたのです。つまりは、今年の秋には実をつけるということ。桃栗三年とはいいますが、本当に三年で実がるものなのだと感動しまして、つい描き止めたくなったのです」


 穏やかに微笑むその姿は、とても処刑執行を司る家の当主とは思えなかった。

 ただひたすらに優しそう。そんな印象。

 天賦に恵まれながらも、罪人に対して決して傲慢にならず、その死を憐れむ心の清らかさも兼ね備えている――そんなマウナの言葉が、ローザリッタの脳裏に蘇った。

 そんなライスフェルトだからこそ人の首を斬る重圧に耐えられず、マウナはそれに気づけなかった己の不甲斐なさを悔やんでいる。


「……よく描けていますね」

 マウナは一瞬、複雑そうな表情を浮かべるが、すぐに笑みに切り替えた。

 三年という言葉から推察すれば、この栗の木は幽閉されてから育て始めたものなのだろう。その成長は、何も解決策が出なかった期間に比例する。マウナからすれば、己の無力さの象徴だ。無論、ライスフェルトには姉を非難するつもりなど露ほどにもないだろうが。


「……ところで、その方たちは?」

 落ち窪んだ瞳がマウナの背後に立つローザリッタたちを捉えた。


「紹介が遅れましたね。こちらは……マルクス殿。先日の御前試合で、シャーロウを破った者です」

「は、初めまして。マルクスと申します」

 ローザリッタは深々と頭を下げた。


「初めまして、お客人。そうですか、君がシャーロウを……それでは?」

「私は、マルクス殿に婿になっていただこうと考えているのですが、お前の意見を聞きたくて参りました」

「……ふむ」

 ライスフェルトはローザリッタをじっと見つめる。

 全てを見透かしているような知的な輝きを秘めた視線だった。とても、狂人めいた忘我の剣を振るうとは思えない。


「……姉上が美少年好きなのは存じていましたが、婿にするにはいささか若すぎるのでは? 声変わりもまだのようですし、さすがに元服していない少年を婿にするのは法律的にいかがなものかと」


 四人の首が、かくんと折れた。


「……そこぉ?」

「いえ、すごく常識的なことを言っているわよ」

 男装したローザリッタの見た目は十三、四歳。元服は十六歳からなので、当然未成年に見えるだろう。未成年ということは当然ながら結婚する自由は与えられていないのわけで、それと知りながら結婚しようとすれば法律上は犯罪になる。


「美少年っていうあたりにこだわりを感じるな」

「業が深いわねぇ」

「わ、わたくしの趣味で声をかけたわけではないですよ!?」

 青、赤、黒。三者三色の胡乱うろんな視線を受け、マウナが顔を真っ赤にして否定する。というか、お前らが言うな、という感じではあるが。


「姉上の趣味をとやかくは申しませんが、当主代理が若い燕に熱を上げているなどと噂されれば、子爵家のご威光にも傷がつきます。公私は分けるべきかと」

「お前が駄目出しできる立場ですか!?」

「もっともですな」

 はっはっは、と朗らかに笑う幽閉された当主。

 本来ならば微笑ましいはずの姉弟のじゃれ合いは、事情を知っているローザリッタたちからすれば、むしろ痛ましく見える。


「……こほん。お恥ずかしいところを見せました。ですが、マルクス殿の腕前は確かです。お前に届き得る可能性は――」

「ああ、それは疑っておりませんよ。見ればわかります。並々ならぬ修練を積んでいますね。シャーロウが遅れを取るのも納得です。僕が言っているのはあくまで道徳の話ですよ」


 ライスフェルトは絵筆を置いて立ち上がると、ローザリッタに歩み寄った。

 並び立つと二人の身長差が浮き彫りになる。彼女に比べてライスフェルトのほうが頭二つほど高い。しかし、全体的な肉付きは薄く、同じ長身のシャーロウが大岩だとすれば、彼はまるで枯れ木のようだ。一見すれば、とても強そうには見えない。


「マルクス君。姉上から当家の事情は聞いていますね。君はそれでいいのですか?」

「……正直、唐突な話で困惑しています」

「そうでしょうね。君くらいの歳では結婚などなかなか実感がわかないもの。とはいえ、僕も君には期待しています。君がもし僕を凌駕する剣士であれば、是非とも姉上の婿になってほしい」

「……その返事は、まずあなたの眼鏡に適ってから考えることにします」

「そうですね。では、一手ひとて立ち合いましょうか」


 散歩にでも誘うような気軽さで、ライスフェルトはにこやかに微笑んだ。


 ――だが、ローザリッタの剣士としての本能が切実に訴えている。

 老木のように頼りないのは姿の内側に、途方もない実力を秘めていると。

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