肆の太刀 首狩りの魔刃

第28話 悩める乙女

「おい、そこの美少女三人組!」

 振り向けば自意識過剰を疑われかねない、実に反応に困る呼びかけである。


「はい」

 にもかかわらず、ローザリッタは静かに応じた。

 決して、自分が美少女だと自惚れてはいるわけではない。この河原には自分たちしかいないことは確認済みなので、その呼びかけが自分たちに対するものだと消去法で判断しただけのことである。


 ついでに言えば、ローザリッタは男爵家嫡子。名実ともに貴族の令嬢だ。

 そういったお世辞や美辞麗句は幼少のころから聞き飽きており、もはやただの発音に成り下がっている。


 ハモンド地方からストラ地方に渡ったローザリッタ一行は、行政都市サナリオンへ向かっている最中だった。その道中、小休止にぴったりの河原を見つけたので、休息を兼ねて昼餉を摂ることにしたのである。


 昼餉ができあがるまで初夏の涼やかな風と川のせせらぎ、柔らかな木漏れ日を楽しんでいたローザリッタが視線を上げると、おおよそ十人の男たちが周囲を取り囲んでいるのが見えた。


 各々が薄汚れた粗末な服に身を包み、手入れの行き届いていない赤錆だらけの武器を携えている。おおよそ、真っ当な来歴の持ち主ではあるまい。

 どうやら、野盗のようだった。


「何か御用でしょうか?」

「用件は一つだ。金目の物を差し出してもらおうか」


 集団の長と思しき髭面の男が、見せびらかすように抜き身の太刀を掲げた。

 背後を取ったり、奇襲を仕掛けずに、刃物をちらつかせて脅迫するのみで済ますとは、実に基本に忠実な野盗である。


 言い方を変えれば、この集団の全員がローザリッタの実力を見抜けていないということだ。彼女たちの力量を推し量れる者が一人でもいれば、何らかの策を講じるか、撤退を推奨するだろう。もっとも、それだけの鍛錬を積む胆力があるならば、易々と野盗などに身をやつすこともないだろうが。


「……だそうですが」

 ローザリッタは河原で鍋と格闘している旅の仲間に視線を投げかけた。


「後にしてもらいなさい。もうちょっとでお芋が煮えそうなの」

 リリアムは鍋の完成が待ちきれないのか、箸と皿を構えてそわそわしていた。視線は鍋に注がれたままで、野盗たちには目もくれない。耳を澄ませば、ぐるぐると腹が唸っているのが聞こえる。よほど空腹が堪えているのだろう。


「美少女三人組ってことは、あたしも勘定に入っているよな!? いやあ、お前たち見る目あるなぁ! 飯食ってく?」

 おたまで鍋をかき混ぜながら、上機嫌にヴィオラが言った。

 彼女は一行の中では最年長である。それでも妙齢と言って差し支えない歳だが、女という生き物はいくつであろうと実年齢よりも若く見られたいものなのだ。相手が野盗とはいえ、思わぬ世辞にご機嫌になる。


 だが、喜んだのも束の間、子分と思しき小男が口を挟んだ。


「兄貴、少女は二人しかいません。あの背の高いのは、明らかに年食ってます」

「む。そうか。じゃあ、言い直す。何事も正確なのが一番だからな。そこの美少女二人と年増! 素直に金目の物を差し出したほうが身のため――うあっちぃ!」

 頭目の再宣言は途切れた。ヴィオラが煮えたぎる鍋を投げつけたからだ。

 飛沫がかかった野盗一行は、目を白黒させながら足を上下せさせた。


 古来より、熱湯を投げつけるのは立派な戦法である。

 籠城した際、敵兵を迎撃するために使うのは何も弓矢や岩石だけではない。煮え湯や熱した油、珍しいところでは出来立てのかゆなど、とにかく損害を与えられそうなものなら何でも投げるのが鉄則だ。熱いということは、ただそれだけで大きな脅威となるのである。


「危ねぇな! 火傷したらどうする!?」

「やかましい! そっちこそ身包み剥がされる覚悟はできているんだろうな、ああん!?」

 側に立てておいた太刀を握りしめながら、大股で距離を詰めるヴィオラ。どうも、年増という響きが癇に障ったらしい。


「どっちが野盗だかわからない台詞ね……っていうか、私のお芋!?」

 リリアムは悲鳴を上げた。

 目的地には今日中に辿り着けそうだったので、保存食の大部分を使っての豪勢な昼餉だった。それが――無残にも地面にぶちまけられている。


 こめかみに青筋を浮かべながら、リリアムがゆらりと立ち上がった。

 気炎立ち昇る二人に気圧されるように、野盗たちはじりじりと後ずさる。ここにきて、襲う相手を間違えたことにようやく気づいたらしい。


「あんたたち、食べ物の恨みは恐ろしいわよ……?」

「いや、投げたのそっちじゃ……」

「「問答無用!」」

 劣悪極まる野盗ではあるが、この件に関しては完璧な冤罪である。

 なんだか可哀想だなと思いながらも、ローザリッタも戦列に加わった。


 その数十秒後。

 野盗たちは全員、地面に大の字になって伸びることになった。



 †††



「……それにしても、ローザも慣れたものね」

 気を失った野盗たちを荒縄で縛りながら、リリアムが言った。


「はい?」

「刃物を向けられても臆しなくなったわ」

「そんなことないですよ。刃物を向けられれば、やはり怖いものです」

 ローザリッタは苦笑を浮かべた。

 十分な鍛錬を積んだ者でも、いざ刃物を向けられると萎縮して、思うように技を繰り出せなくなるものである。刃物に対する恐怖を払拭することは簡単ではない。


 だが、命懸けの真剣勝負を何度も経験したローザリッタは、そういった恐怖心と肉体の動きを切り離す術を掴みかけていた。郷里を発ったばかりの時と比べて、かつての自分より成長しているのが実感できる。その変化が、少しだけ彼女に達成感を与えていた。


「……ふぅん。それはそれとして、なんで斬らなかったのよ? 私は吐きたくなかったから、峰打ちで済ませたけど」

 十人の野盗は皆、生きている。ローザリッタたちが峰打ちで戦ったからだ。

 刃を立てていないとはいえ、それでも金属の塊。殴打されれば無事では済まない。骨が砕けた者もいるだろう。だが、全員、息はあった。


 リリアムが峰打ちを選択した理由は彼女の言った通りではあるが、ローザリッタがそれに倣ったのは、いささか腑に落ちない。力なき人々から略奪を働く野盗は、彼女が決して許さない理不尽の象徴であるからだ。


「それで勝てる相手でしたから」

 さらり、とローザリッタは言った。

 真剣を用いた斬り合いで、それでも相手を殺すまいとするならば、よほど実力差がないと不可能だ。


 無論、恵まれた環境で十年間鍛えたローザリッタと、そこいらの荒くれ者とでは力量差は歴然だが、ほんの数ヶ月前まで実戦を知らなかった小娘が、随分と戦い慣れしたものである。


「……それに、この人たちはちゃんとした裁きを受けるべきだと思ったんです」


 そう語るローザリッタの胸裏には、亜麻色の髪の女の姿があった。

 ――ファム。

 かつて戦った略奪の女。

 奪うことを生き甲斐とし、奪われることを蛇蝎のごとく嫌った女。

 奪われるくらいならば自刃することさえ厭わない。人生の最期まで、いや奪い続ける女怪。


 彼女を正しく打倒できなかったことが、ローザリッタの胸にわずかながらの慙愧の念として残っている。


「わたしたちが斬って捨てるのは容易い。ですが、できれば人として裁かれてほしいと思いました。どこまでいっても私たちは司法権とは無縁の、旅人に過ぎないのですから」

「……ま、殺さずに済むなら、それに越したことはないわよね」

「はい。――っ!?」


 その時だった。

 リリアムの背後の草陰から、人影が猛烈な勢いで飛び出してきた。

 その手には白刃。身なりからして野盗の仲間だろう。伏兵がいたのだ。


 もし、三人が野盗たちを斬り殺していたならば、諦めて撤退したかもしれない。

 しかし、まだ仲間が生かされているという事実が彼に奪還を決意させたのか。


 野盗らしからぬ仲間思いな行動ではあるが――結果的には、それが裏目に出たと言わざるを得ない。少なくとも、彼の命運に関しては。


 伏兵の接近にリリアムは気づいていなかった。

 いや、察知しているかもしれないが、背中を向けているために初動が遅れている。ヴィオラの位置は遠い。即座に対応できるのは、接近を正面から捉えることができたローザリッタをおいて他にはいない。


(峰打ちで――いや、仕損じる可能性がある……!)

 不殺で対応するには条件が悪すぎる。仕損じてしまえば、背中を向けたリリアムが傷を負いかねない。もし、刺さりどころが悪かったら――そう思った時、ローザリッタの心は決まった。


 ローザリッタはリリアムを押しのけるように踏み込むと、迫る男に神速の抜刀を見舞った。峰を返さぬまま。


「ぎゃあ!」

 横薙ぎに切り払われた伏兵は、血飛沫をあげながら倒れ伏した。


「……まだ仲間がいたのね。お腹が空きすぎて注意散漫だったわ。ありがとね」

 リリアムは素直に自らの不注意を認めた。

 彼女の技量はローザリッタに匹敵、あるいは凌駕する。それほどの達人であっても人間である以上、完璧ではない。一騎打ちでは無敗の剛の者でも、雑兵の横やりで落命するのが乱戦の怖いところだ。


「でも、まさか、私が助けられるなんてね。ふふ、旅の先輩としての教導も終わりが近いかしらね」

 悪戯っぽくリリアムが言った。

 ローザリッタと目的を異にするリリアムが彼女らに付き合っているのは、辺境の旅に対する二人のあまりの無知さ加減に愕然としたからだ。ローザリッタの成長具合を見るに、そろそろ自分の役目も終わりかもしれない。そんなことを彼女は思った。


「そんな、わたしなんてまだまだ――っ」

 言いかけて、びくりとローザリッタは肩を震わせると、苦しげに眉根を寄せて俯いてしまう。垂れた前髪の隙間から覗く頬は赤く染まり、膝をもじもじと擦り合せている。

 急に挙動不審になったローザリッタにリリアムは小首を傾げる。


「……どうしたの?」

「え!? いや、その……そうだ、まだ伏兵が隠れていないか見てきますね!?」

 ローザリッタは上擦った声を上げると、ばたばたと近くの茂みの中へ駆けこんで行った。


「ああ、うん。お願いね……?」



 †††



「またかぁ……」

 河原から少し離れた茂みの中で、新しい下着に履き替えたローザリッタは重苦しい溜め息を吐いた。


 その日の活力を全て修行に費やしてきた彼女にとってあまり馴染みがないものであるものの、が性的な興奮からくる生理現象だということは侍女たちからの教育で理解している。


 問題は、それが起こった要因だ。


 ――人を斬って欲情している。

 修行中はこんなことはなかった。門弟との試合でもこうなったことはない。この症状は初めて人を斬ってからだ。


 初陣の野盗退治の時は、人を斬る不快感が勝った。

 しかし、二度目の堕剣士との戦いから、どうにもおかしい。この手で人を斬ると血が昂ぶり、まるで酒にでも酔ったような恍惚が体の中に湧き起こる。


 ファムを斬った時だってそうだった。

 彼女を正しく裁けなかったことに絶望しながらも、その下胎はなまめかしい熱を帯びており、冷静になった後で愕然とした覚えがある。


 闘争による興奮と性的な興奮には近似性があるという。

 勝利は本能に根差した快楽だ。誰も傷つけたくないなどと考える肉食動物は、獲物を狩ることができずに飢えて死ぬだろうし、伴侶を奪い合うための争奪戦に参加することもできず子孫を残せない。


 闘争や暴力を忌避しているのはあくまで人間が作り出した社会性であり、肉体に刻まれた生き物としての本能はそれを非としていないのである。


 理屈ではわかる。わかるが、貴族の子女として培った倫理や常識が強固なのだろう。守るための剣を振るうと心を定めながらも、体は浅ましいまでの反応を示す。その矛盾が彼女を苦しめていた。


「……わたし、変なんでしょうか」

 このことを、姉代わりのヴィオラにも、友であるリリアムにも相談できなかった。

 もし、この症状が自分だけだったら。わたしだけがおかしいのだったら。きっと二人から軽蔑されてしまうのではないか。


 今の彼女には、それがたまらなく恐ろしかった。

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