第29話 御前試合

 黄金の海原の方々ほうぼうで、異郷の麦刈り唄が響いていた。

 ストラ地方の農作地はすっかり麦秋だ。黄金色の地平線が青空を横一文字に大胆に分割されている光景は、この時期にしかお目にかかれない雄大な眺めである。


 しかし、それは農作業に従事しない者のみが抱く感傷だ。田畑の主である農民にとって、そのようなものに銅貨一枚の価値もないだろう。


 麦の収穫は時間との戦いである。麦は乾燥しているうちに刈り取らなければ品質が下がってしまうため、梅雨を目前に控えた今、景観を楽しんでいる余裕は微塵もない。むしろ、その美しさを構成する最大の要素――刈っても刈ってもきりがない耕地面積の広大さに忌々しささえ覚えているに違いない。


 加えて、農村の戦いは収穫だけではなかった。麦の刈り入れが済んだら、今度は稲作のための代掻きと田植えが待ち構えている。長閑な麦刈り唄とは裏腹に、この季節の二毛作農家は壮絶極まる繁忙期なのだ。


「――そんな大変な時期に、このようなお願いをして申し訳ありませんでした」


 農村の入り口で、ローザリッタは恐縮そうに頭を下げた。

 心情を反映してか、黄金の麦穂よりもなお清く輝く金髪が力無く垂れ下る。


 河原での一件の後、一行はすぐに近くの農村に助力を求めた。

 野盗たちを生け捕りにしたのは法で裁くためだが、十人もの人数を連行するのに女三人ではさすがに手に余る。相手が無頼の輩だけに、本来であれば騎士団を頼るのが筋だろうが、野盗の中には負傷した者もいるため、速度を優先してより距離が近い農村に駆け込んだというわけだ。


おもてを上げてください、旅の御方。そんなに畏まられては、こちらが恐縮してしまいます」

 老齢の村長は、にこやかな笑みを浮かべた。

 村の若い衆らに連行されていく野盗たち無念そうな背中を眺めながら、言葉を続ける。


「野盗であれば、我らも無関係ではありません。むしろ、この村が被害を被る前に召し捕えて下さり、感謝しておるくらいです」


 荒くれ者の保護という厄介事であるにも関わらず、ローザリッタたちの願いを村長は快く承諾した。

 麦は庶民の食事事情の大半を賄う。その収穫の時期に狼藉を働かれれば、生活が立ち行かなくなってしまうだろう。その排除に協力するのは長として当然の判断だ。


「そう言っていただけるとありがたいです。もちろん、駐屯騎士団に身柄を引き渡すまでは、わたしたちが責任を持って滞在します」

 顔を上げながら、ローザリッタが宣言する。

 野盗たちを預けるだけ預けて、はいおしまい、ではあまりにも無責任だ。事態が収拾するまで居残る覚悟はできている。ヴィオラとリリアムも異論はない。

 異論はないが――


「迷惑ついでに、食糧を融通してくれると助かるわ。非常に」

 昼餉を食べ損ねたリリアムの腹の虫は収まらなかった。鳴くというよりは、もはや吠える域にまで達している。もちろん、機嫌も悪い。


「リリアム」

 ローザリッタが小声で友人の図々しい要望を咎める。


「だって、手持ちの食糧は全部ヴィオラさんが投げちゃったじゃないの」

 リリアムは恨めしそうに唇を尖らせた。よほど、芋を食べ損なったことを根に持っているようだ。


「そう責めてくれるなよ。あいつらを難なく捕らえることができたのは、あたしの奇襲が成功したからだろ」

「あれが奇襲……?」

 飄々とした態度のヴィオラに、リリアムは疑わしげな視線を向ける。

 ヴィオラの行動が一助になったのは事実だ。鍋を投げつけられたことによって野盗たちは出鼻を挫かれ、攻撃の機を逸した。精神戦で優位に立てたからこそ、三人は十名もの人数を不殺で捕らえることができたのだ。


 ――とはいえ、あれは九割九分、八つ当たりではなかったか。誰が見ても。


「いえいえ、もちろん食事の席はご用意いたしますとも。野盗退治の勇者様を飢えさせるわけにはまいりませんからな」

 実に図々しいお願いであったが、村長は気にしていないようだった。


「それにしても、たった三人で野盗どもを相手取るとは。お若いのにずいぶん腕が立つようですな。もしや、御前試合に参加するつもりでサナリオンに向かわれておるのですかな?」

「……御前試合?」

 村長の予想外の言葉に、ローザリッタは目をぱちくりさせる。


「おや、ご存じなかったのですか。近々、領主様がサナリオンのお屋敷で剣術の腕比べを催されるそうで、街で参加者を募っておるのですよ」


 領主主催の剣術試合は別段珍しいことではない。地方官吏の代表格である警吏にとっては日頃の訓練の成果を披露する場でもあるし、有望な人材を登用するための試験でもある。


 とはいえ、その参加者は大体は領内で経営している名のある道場の門弟か、その推挙によるものだ。誰でも彼でも挑戦を許されるわけではない。本来ならば。

 しかし、参加者を募っているということは――


「ふうん。外部参加ありなんだ。珍しいわね」

「確かに。ですが、それは願ってもない好機です!」

「斬り合いの経験はできたけど、どれもまともな相手じゃなかったもんなぁ」


 ヴィオラは腕を組んで、しみじみと頷いた。

 武芸など知りもしない野盗。運剣の癖を極限まで高め、魔剣の域まで昇華した堕剣士。正統派剣術の裏を掻く、絡繰り仕掛けの邪剣の遣い手。そのどれも強敵には違いなかったが、同時に尋常な相手ではなかった。


 しかし、領主主催の剣術大会ともなれば、由緒正しい正統派の剣術遣いが集まることだろう。


 ――あの無名の剣にも、こういった機会に恵まれれば、その運命も違ったものになったのかもしれませんが……。


 ローザリッタは、人生初めての真剣勝負を思い出す。

 我流で剣を学んできたは道場からの推挙も受けられず、ひいてはこういった剣術大会にも参加できなかった。アコースで出会った剣士の言葉を借りれば、彼もまた人間の一人だったのだろう。


「とはいえ、御前試合にはキルハルスの剣士も参加されるでしょうから、いくらお三方でも勝ち抜くのは難しいかもしれませんな」

「キルハルス?」

「代々、この土地で介錯人を務める一族のことですよ」

 村長は、どこか誇らしそうな声音で言った。


 介錯人とは斬首――死刑執行を担う役職のことだ。

 人命を奪う忌まわしい役目であっても、それが公的機関の権能である以上、その役職は誰でも就けるわけではない。国王より統治三権を委ねられた貴族、あるいはその勅命を受けた譜代の家臣が担当するのが常である。


 その中でも、介錯人は武芸に秀でた家柄が選ばれるという。

 何故かと言えば、首を斬り落とすというのは非常に高度な技術がなければ不可能だからだ。


 切れ味の鋭い太刀であっても硬い骨を断つことは容易ではなく、骨と骨のつなぎ目に正確に刃を通さねば、一撃で首を落とすことはできない。

 失敗したとしても、それで刑が終了するわけではないため、首が落ちるまで何度も斬りつけなければならず、受刑者は地獄の苦しみを味わうことになってしまう。


 それ故、介錯人が遣うのはいたずらに傷つけず、一刀で罪を洗い流す、慈悲の太刀だと言われている。


「無論、首をねることだけが上手いわけではございません。キルハルスに連なる者は通常の剣技においても、この地方最強の遣い手と言われております」

「それは重畳。わたしは、そのような強敵と相手と戦うために旅をしているのです。御前試合、是非とも参加しましょう!」

 ローザリッタの双眸に闘志が灯った。

 それほどの兵、手合わせせずに何が武者修行か。かつてない強敵の気配に、彼女の体は興奮に震える。


「やる気になるのはいいけどな、お嬢。この件が片付くまでは動けねえぞ」

 今にも飛び出しそうなローザリッタに、半眼のヴィオラが釘を刺した。


「わ、わかっていますよ。ちゃんと責任は果たします。でも……うぅ、騎士団の到着が待ち遠しいです……」

「その前に何か食べないと、騎士団より先にお迎えが到着しそうだわ……」

 リリアムがほっそりとしたお腹を押さえる。腹の虫が本格的に暴動を起こし始めたようだ。


「そこまで喜んでくださるとは、こちらとしても教えた甲斐がありました。では、我が家へご案内しましょう」

「はい! お世話になりま――あれ?」


 村長に連れられて歩き出した矢先のことだ。

 村の外れに広がる深い森から煙が立ち上っているのが見える。煙の色からして火事ではなさそうだ。水煙だろうか。


「……あんな離れた場所にも、人が住んでいるんですね」

 ローザリッタが指差した方角を見た村長が、得心がいったように頷いた。


「ああ、あれは家ではなくです。行政都市から一人、投獄されておるのですよ。あれが建って、もう三年になりますか」

「……なぜ、こんなところに都市の牢屋が?」

 都市で拿捕された犯罪者は、警吏が管理する拘置所に収容されるものだ。ここでは物理的に距離がありすぎるし、監視の目も完全には行き届くまい。万が一、脱獄してしまえば、もう一度捕まえるにしても後手に回ってしまう。


 村長はかぶりを振った。


「詳細は聞かされておりませんし、時折、世話をしに来る警吏も何も語りませぬ。この村は世話に必要なものを提供するだけです。ただ……由緒ある出自の方だそうで、一般の罪人と同じ牢には入れられないとだけ伺いました」

「……なるほど」


 罪を犯した貴族を収容する専門の牢は確かに存在する。だが、その管轄は王都のはずだ。だとすれば領主の縁者か、あるいは配下の重鎮か。


 いずれにせよ、余所者である自分たちには関わりようのないことだ。

 そう結論したローザリッタの脳裏からは、次第に不自然な牢の存在は消えていき、まだ見ぬ強敵への思いに静かに置き換わっていった。

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