第19話 剣術指南役

「女給さんが辞めた理由が分かったわ。嫁入り前にこんな格好させられちゃたまらないわよね……」

 周囲からの注がれる無遠慮な視線にげんなりながらリリアムは独り言ちる。その手に抱えられた盆の上には、大量の皿が山を成していた。


 開店して最初の頃は客足がいまいちだったのだが、給仕三人の奇抜な衣装が噂を呼んだのか、今では店内は大賑わいだ。席はすべて埋まり、立ち飲みでも構わないという客もちらほら。もっとも、そのほとんどが男性客だったが。


「愚痴を言いながらも、きちんと仕事はするのねぇ」

 盆の上に酒杯を並べながら、ファムがおっとりと言った。

 彼女に注がれるいやらしい眼差しの数はリリアムの比ではない。女盛りの肉感的な美人が、こんな際どい格好をしているのだから当然と言えば当然か。言い換えれば、彼女が客の視線の大部分を引き受けているからこそ、リリアムはこの程度の嫌悪感で済んでいると言える。

 もっとも、注目の的――ローザリッタをも凌駕するたわわな胸の盛り上がりは、別の意味でリリアムを落胆させるに十分だったが。


「五割増しの魅力には勝てなかったのよ」

「奮発しすぎたかしら。でも、その甲斐はあったわね。リリアムちゃんたちのおかげで大盛況! ふふ、昨日まで閑古鳥が鳴いていたのが嘘みたい!」

「客のほとんどが男だけどね。……まったく、単純なんだから」

 リリアムは呆れたように溜め息を吐いた。これまでと比べて料理の味や酒の質が変わったわけではあるまいに。ちょっと女が肌を晒しただけでこれだ。汚らわしいとは思わないが、嘆かわしいとは強く思う。


「お金さえ落としてくれれば男も女も関係ないわ。男から貰おうと、女から貰おうとお金はお金。お金に性別はありません」

 のほほんとした表情とは正反対の、現実的な持論をファムは述べた。もっとも、そうでなければ、このようないかがわしい衣装を制服にしようなどとは考えつかないだろう。


「……それにしても」

 ちらり、とファムが食堂で慌ただしく駆け回るローザリッタを見やった。

 料理を運び、空いた皿や酒器を下げ、注文を高らかに復唱する。ぎこちなさが残るものの、一つ一つの作業を丁寧に、確実にこなしていた。


「ローザちゃん、今のところ失敗らしい失敗をしていないわねぇ。こういう仕事、初めてだって言っていたのに」

「それは私も意外だったけど、まあ、あれでも剣術遣いだしね」

「……剣術と女給と、どう関係があるの?」

 ファムは小首を傾げる。


「目の前の敵にのみ集中しているようじゃ、伏兵の横槍や流れ矢で命を落としかねないでしょ。だから剣術遣いは普段から一点を凝視するのではなく、全体を捉える広い目の遣い方をしなくちゃならないのよ。遠山の目付けって言うんだけどね」

「なるほどぉ。全体の流れを掴むことにかけては熟達してるってわけね」

「ま、それだけじゃないでしょうけど」

 一番の要因は、ローザリッタ自身が朗らかな性根をしていることだろう。身分の高い人間にありがちな高慢な態度がまるでない。物腰が柔らかで、笑顔も華やか。何より真面目で一生懸命だ。案外、こういう商売に向いているのかもしれない。


 しかし、何か不満に思うところがあるのか、ファムは眉根を寄せた。


「順調なのは良いことだけど、それはそれで惜しいわねぇ。ドジっ娘が堪らないってお客さんも多いと思うんだけど」

「……思うんだけど、ファムさんって未来に生きてない?」

「何の話ですか?」

 空いた皿を下げに来たローザリッタが、二人の視線に気づく。


「ローザが意外と働けてるって話」

「まさか。いっぱいいっぱいですよ」

 そう言って、ローザリッタは苦笑を浮かべた。慣れない仕事が祟ってか、その顔にはわずかに疲労の色が見える。しかし、いささかも精気は欠けていなかった。それどころか、苦労を楽しんでいるように見える。


「それにしても大繁盛ですね。お皿を出したり下げたり、ひっきりなしです」

「こんな格好までしているんですもの。これでガラガラだったら、虚しさのあまり首を括るところだわ」

「リリアムちゃんは大袈裟ねぇ」

「乙女の肌は安くないのよ」

 いやらしい視線に晒されるのは嫌だが、まったく見向きもされないのも女の沽券に関わる。まったく、女心は複雑だ。


「あら、ひどい。私が乙女じゃないみたい。おねえさん、傷つくわ」

 リリアムの物言いが不服なのか、ファムは唇を尖らせた。年齢に似つかわしくない子供っぽい仕草だが、どういうわけか嫌味がない。全身から滲み出る鷹揚とした雰囲気のせいだろうか。


「おーい!」

 すると、厨房の方からヴィオラの声がした。


「皿がそろそろ尽きる! 誰か洗い場を手伝ってくれ!」

「あら、大変。ちょっと、洗い場の方に行ってくるわ」

「え、ファムさんが行くの?」

 リリアムが驚きに目を見開く。一番の経験者が持ち場を離れてどうするのか――というよりも、ファムがいなくなったら視線が自分たちに集中するではないか。


「そういうのは新人に振りなさいよ」

「リリアムちゃんはこういう仕事の経験があるし、ローザちゃんもだいぶ慣れてきたみたいだから。ちょっとの間、任せるわ。大丈夫、すぐ戻るから」

 そう言って片目を瞑ると、ファムは厨房の方に消えていった。


「任されてしまいましたね! ファムさんが戻ってくるまで何とか頑張りましょう、リリアム!」

 期待をかけられて嬉しいのか、鼻息を荒くするローザリッタ。対するリリアムは、うんざりしたように肩を落とす。


「真面目ね、ローザは。まあ、いっか。どうせ男なんて乳しか見てないんだから、みんなあなたに集中するでしょうし――」

 言いかけて、ぞわりとリリアムの背中に悪寒が走った。

 思わず振り返ると、少し離れた席に腰掛けた肥満気味な男と痩せぎすの男から何とも粘っこい視線を向けられているのに気づく。


「あの銀髪の新人、よく見ると……でゅふふ、性を知らなさそうな幼い躰に、男を誘惑する大胆な衣装……その落差が堪りませんなぁ」

「うむ。未熟とわかっていても、青い果実に手を伸ばしたくなる時がある。彼女にこの制服を宛がった御仁は良い趣味をしている」

「え――!? なにその反応――!?」

 予想外の反応に、リリアムは稲妻を思わせる速さでローザリッタの背後に隠れた。


「こっち! 私なんかよりこっちを見てなさい! おっきいでしょ!? 大丈夫、この娘、そういうのに鈍感だから! 谷間とか思う存分凝視していいから!」

 リリアムは叫びながら、ぐいぐいと前面にローザリッタを押しやった。仮にも友である彼女に対して何とも惨い仕打ちである。

 しかし――


「「恥じらう姿も堪りませんなぁ……」」

 尊いものを見るかのように、二人組は恍惚の表情を浮かべる。


「いやらしいとかそういう次元じゃなくて、なんか普通に気持ち悪いんですけど――!?」

「あ、八番卓、お会計ですね。ちょっと行ってきます!」

「ちょっと、ローザ!? ローザリッタさん!?」

 引き留めようとするリリアムから離れ、ローザリッタは会計に向かった。


「ありがとうございました!」

 つつがなく会計を終え、退店客をにこやかに見送る。

 すると、入れ違いで同時に新たな一団が入店してきた。

 男が六人。全員が道着姿だ。どこかの町道場の稽古の帰りだろうか。


「いらっしゃいませ、こちら空きましたのでどうぞ!」

 ローザリッタが笑顔を向けると、団体の頭目と思しき壮年の男が軽く会釈して、案内された席に腰掛けた。


「ご注文が決まりましたら、お声掛けください」

「ありがとう。さあ、みんな。今日は飲んでくれ。私の奢りだ」

 壮年の男がそう宣言し、取り巻きの若い衆が歓声を上げる。


 その場を離れようとしたローザリッタが、ふと足を止めた。

 繁盛していると言っても〈青い野熊亭〉は大衆酒場に過ぎない。出せる酒の値段もたかが知れている。とはいえ、それでもこの人数の飲み代を持つなど、随分と羽振りがいい。


 給仕の作法としては不躾であったが、好奇心を刺激されたローザリッタは尋ねずにはいられなかった。


「……あのう、何かおめでたいことがあったんですか?」

「こちらのシニスさんが、領主様の剣術指南役に任命されたのさ!」

 取り巻きの若い男の一人が嬉々として口を開いた。


 剣術指南役。

 文字通り、身分の高い者に剣を教える役職である。

 ベルイマン男爵家においては、当主が家伝の流派の長ということもあって、それに該当する役職は存在しなかったが、他家ではそういった公役があると聞く。


「領主様の剣術指南役は代々、我が道場の師範が勤めさせていただいているのだがね、当代の師範もそろそろ隠居を考えねばならないお歳だ。そこでこの度、後任を拝命したのだよ」

「それはそれは、おめでとうございます!」

「ありがとう。君のような美人に祝ってもらえると、大役を任された不安が、少し和らぐというものだ」

 シニスと呼ばれた凛々しい壮年の男は、爽やかな笑みを浮かべた。

 鍛え抜かれた体躯。真っ直ぐ伸びた正中線。ただ座っているだけでも一角の剣士の風格が漂っている。なるほど、指南役に抜擢されるだけのことはあるようだ。


「何を仰る。シニスさんはダヴァン流の両翼と呼ばれた御方ではございませんか!」

「そうですとも、あなた以外に誰が指南役のお勤めを果たせましょうや!」

「もちろん、精一杯やらせてもらうつもりだ。もっとも、正式にお役目を引き継ぐまでは、もう少し時間がかかるがね」

「では、その前に一度手合わせ願いたいものです!」

 持て囃す若い衆を押しのけ、ローザリッタがシニスに詰め寄った。空色の双眸に挑戦的な輝きが宿っている。


 ダヴァン流の名は聞いたことがあった。ハモンド地方の土着の剣法だ。知っていることはそれだけだったが、シルネオの街から一歩も外に出たことがなかったローザリッタにとって、他流の剣士はそれだけで新鮮に映る。


 戦ってみたい。剣を交えてみたい。何も真剣勝負とは言わない。木刀を用いた見切り試合だけでも得られるものは多い。


「お嬢さんは愛らしいだけでなく、勇ましさも備えているようだ。どうやら、剣術の心得がおありのようだが、君は何流なのかな?」

 シニスの問いかけに、ローザリッタの眉を顰めた。


「……流名を答えなければ、手合わせ願えませんか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

 シニスは困ったような顔をする。


「何事も格式というものがあるからね。無頼の輩の挑戦を受けては、かえって当流の名を汚すことになる。ああ、君がそうだと言っているわけじゃないんだがね」

「……ベルイマン古流を、少々」

 そう答えると、シニスは目を輝かせた。


「ほう、あの最強と名高い! なんだ、何も憚ることはないじゃないか!」


 シニスの反応を見て、ローザリッタは複雑な気持ちになった。

 数日前に刃を交えた無名の剣士を思い出す。誰にも師事することができず、独学で剣を学んだ彼は、きっとこの質問に答えられなかった。名誉がない。ただそれだけのことで、彼がこれまで積み重ねてきたものを否定されたのだ。


 名誉。そんなものが本当に重要なのだろうか。大事なのは、戦うべき時に戦い、勝つべき時に勝つ、確固たる実力ではないのか。


「うむ。よかろう。あのベルイマンと手合わせをすれば、私の経歴にも箔がつくというものだ。日時は――」


 その時だった。

 店の扉が怒号と共に荒々しく開け放たれたのは。


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