第18話 貴人の労働

「路銀を稼ごうと思うのよ」

 至極、真面目な声でリリアムは言った。


 ローザリッタにとっての初陣である野盗退治から数日。

 名残惜しまれながらも住人たちに見送られて村を発った一行は、無事に領土境を通過し、ハモンド地方に足を踏み入れた。


 シルネオの街から一歩も外に出たことがないローザリッタにとって、他領は正真正銘の未知の世界である。ここから先は、領主の娘という特権も有効に働くことはないだろう。どんな困難が待ち受けているのか測りようもない。自分はただ一人の剣術遣いとして、この地に立っている。


 そう、旅はここからが本番。

 胸が高鳴る。血が滾る。夢にまで見た、武者修行の旅がいま始まるのだ。


 そう意気込んだ胸の内とは裏腹に、道行は極めて順調であったが、それでも目的地である行政都市の市壁が見え始めたのは、空が茜色に染まってからだった。


 安全な寝床を目の前にしながら野宿したくない。閉門の準備を始める警吏たちに猛虎を思わせる眼力でをかけながら、三人は転がり込むように入門した。


 呆気にとられる警吏たちを横目に手早く手続きを終えると、行き交う人々を掻き分けて今日の宿を探す。


 三人が泊まれる旅籠はたごを手分けしてどうにか探し出し、通された部屋で一息ついたところで、リリアムが冒頭の言葉を口にしたのである。


「……お金、ないんですか?」

 心配そうな表情を見せるローザリッタに、リリアムは肩をすくめた。


「まだ大丈夫だけど、先を見越してね」

 旅をするにも金が要る。滞在中の宿泊費や生活費はもちろん、武具の整備、次の旅程のための糧食や犬散らしなどの護身道具の補充もしなくてはならない。場合によっては案内人や護衛を雇うことも検討する必要もある。金で買える安全は買うのが旅の鉄則。であるからには、軍資金は多いに越したことはない。


「心配しなくても、少しくらい融通しますよ?」

 腐っても男爵家の令嬢。彼女が旅に出るにあたって費用は潤沢に用意された。貨幣だけでなく、いざという時に換金できるように宝飾品などもいくつか忍ばせている。適切な管理運用ができれば、数年は労せずに旅を続けられるだろう。


「むしろ、リリアムからはいろいろ学ばせてもらっているんですから、諸経費くらいはこちらが出しても……」

「気持ちは嬉しいけど、そういう部分でローザに甘えるつもりはないわ」

 ローザリッタの申し出に、リリアムは首を横に振った。


「ですが――」

「お嬢」

 なお言い募ろうとしたローザリッタを、ヴィオラが制する。


「金の切れ目が縁の切れ目って言うだろ? 友情が壊れる時ってのは、だいたい金銭絡みと相場が決まっているんだよ」

「そうかもしれませんけど……」

「それだけお嬢との関係を大事にしたいって思っているんだよ、リリアムはさ。対等でいたいってお嬢の気持ちを汲み取ってな」

「リリアム……」

 その言葉を聞いて、感激したようにローザリッタが瞳を潤ませる。


「べ、別にそんなことは言っていないでしょ!? 私はただ、その……そう、自分の食い扶持ぐらい自分で稼ぎたいってだけよ!」

 リリアムが真っ赤になってそっぽを向く。

 わかりやすい照れ隠しに二人は生暖かい笑みを浮かべた。

 そこで、はたとローザリッタが閃く。


「あ、もしかして、シルネオに七日間も滞在していたのも?」

「そうよ。仇の情報収集ももちろんだけど、路銀を稼いでいたのよ。さすが観光地。臨時の募集は山ほどあったわ」

「ちなみに、どういうところで働いていたんですか?」

「そうね、やっぱり酒場が多かったかしら。ああいうところって、基本的に人手が足りていないから募集も多かったし、酔っぱらいは総じて口が軽いから、情報収集もできて一石二鳥だったのよ」


 平然と言い放つリリアムを見て、ローザリッタは複雑な心境になった。

 同い年であるというのに、リリアムは自分の何倍も世の中のことに精通している。貴族である自分と庶民である彼女を比較してもしょうがないとわかっているのだが、それでも劣等感を覚えずにはいられない。


 ――負けていられない。

 ローザリッタに敵愾心のようなものが湧き起こった。

 もしかすると、自分とリリアムとの実力差は、こうした日常的な経験の有無から生じるものかもしれない。だとすれば、これは不足した経験を埋める絶好の機会だ。


「わたしも働きます!」

「「――は?」」

 リリアムとヴィオラがぎょっと目を見張る。


「な、なんですか、二人とも。そんなにおかしいこと言いました?」

 予想だにしない二人の反応に、ローザリッタは狼狽する。


「やめときなさいって。正真正銘のお嬢様に労働なんて勤まるわけないでしょう。そんなことより道場破りでもしてきたら? そっちのほうが、よっぽどあなたらしいと思うけど」

「そうだぞ。豪華なお屋敷に住んで、食うに困ったこともなく、朝から晩まで剣術しかやってこなかった文字通り箱入り娘が、労働とかできるわけないだろ」


 ばっさりと一刀両断。

 二人の冷淡な反応にローザリッタは頬を膨らませた。


「なんですか、なんですか二人して! 働けるかどうか、やってみないとわからないじゃないですか! それに、リリアムが働いたことがあるのに、その友であるわたしが未経験ではとても対等な関係とは呼べません! わたしもリリアムと一緒に労働というものをやってみます!」


 ――そんなこと言われても。

 血気に逸るローザリッタに、二人は困り顔になった。


「……いいの?」

「よかねえよ」

 リリアムからひそひそと耳打ちをされ、ヴィオラが渋面を作る。

 一般武家ならばともかく、貴族の子女――それも、ベルイマン男爵家の継嗣が、ろくな護衛もつけずに武者修行をしているということ自体が異例中の異例。不必要に民草の生活に関わっては、余計な騒動を呼び込む可能性もある。彼女の身の安全を任されたヴィオラの心中も穏やかではない。――が。


「つっても、お嬢は言い出したら聞かないからな……」

 数日前を思い出す。

 ローザリッタは野盗の脅威に晒された寒村を守るために、ヴィオラが必死の説得を拒んで死地に居残った。一度やると決めたら、その意志を挫くのは非常に困難なのは経験済みだ。


「まあ、市井の暮らしを学ぶって意味なら無価値とも言い切れんか。この旅の結果がどうあれ、男児を生むまでは爵位を継承して領主になるわけだしな」

「あ、そっか」


 リリアムは納得したように頷いた。

 女当主は真の後継である男児を産むまでの繋ぎに過ぎないが、一時的なこととはいえ、為政者としての責務を果たさなければならない。ヴィオラの言うとおり、他領であっても民草の暮らしを見ておくのは良い経験になるだろう。


「しょうがねえ。認める」

「やった!」

「ただし、あたしも付き添うからな」

「むー、なんだか保護者同伴という感じがして気が引けますが……妥協します」


 渋々という感じではあるが、ヴィオラの折衷案にローザリッタは頷いた。


「それで、働くはあるのかよ? まだ、アコースに着いたばかりじゃないか」

 もちろん、とリリアムは得意げに鼻を鳴らした。


「宿を探している時に見つけたのよ。例によって酒場ね。〈青い野熊亭〉ってところなんだけど、なんでも急に女給さんが辞めちゃったらしくて、急募の張り紙があったわ。お給金も一番良かったし、おまけに若い女の子だと五割増しだって」


 嬉々として語るリリアムに、ヴィオラは訝し気な視線を向ける。


「……それ、怪しくないか? 特に後半の文言なんか、絵に書いたような胡散臭さだぞ。なんか裏があるんじゃないのか?」

「飲食店にどんな裏があるってのよ。大丈夫だってば」


 その翌日、リリアムはその言葉を後悔することになる。


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