もつもつ

 無能無明と罵られながら蹴鞠の技だけは達人であった鞠大名。

 その技に憧れ、次第に心を寄せていく牛牽きの美少年比丸。

 比丸の主であり、粘っこい情愛を注ぐ老貴族の重晴。

 この三人のこじれた関係が円満に片付くわけがなく、世にも痛ましい、そして永年の後にまで遺恨を引きずる悲劇を迎えることとなったのだが、その悲劇の最大の要因というのは、つまるところ三角関係のただ一辺さえも、両想いに結ばれるところがなかったのである。

 重晴は比丸を愛でた。重晴は政に優れ、歌にも文にも精通した粋人であったが、人伝に美貌の比丸を手に入れてからは、他に花も香もいらぬほど、この珠に入れ込んだのである。素直で物に感じやすい比丸を傍に置き、「重晴様、重晴様」と慕われてさえいれば、忙しない政を若い者に任せて、老境をただ静かに過ごしても良いと思えるほどであった。

 ところが比丸の心は鞠大名にある。比丸はあくまで重晴に対して慇懃に仕え、気を配った仕事をするものの、それは単なる従者の態度に過ぎず、責務に対する忠義でしかなかった。

 そんな比丸が、鞠大名の名を耳にすれば、はっと身を固くする。近く何らかの会で鞠大名が同席すると聞けば、幼い頬と唇がふるふると淡い期待にうち震える。そしていざ遠目にその姿を認めれば、一時は主人の声も届かぬほど心を奪われ、じぃっと見入るのである。目敏い重晴がそれに気づかぬはずがない。けれど比丸には重晴の声も、想いも届かない。重晴の嫉妬は燃える一方であった。

 何しろ、相手はあの鞠大名――。

 そうなのだ。鞠大名であることが、重晴にとって堪え難き屈辱だったのだ。蹴鞠の他に何も出来ぬ暗愚の分際で、小手先もとい足先の演技を使い、かわいい比丸の関心を吸い寄せるなどもっての外。遠縁であるだけに、重晴は世間の評判以上に鞠大名を見下しているのだった。これがせめて、せめて、重晴にとっても十分に認められる偉丈夫であれば……。

 さて、当の鞠大名である。この男はつい最近まで、重晴や世間が言うように、蹴鞠の他にはどうしようもない男であった。しかし、近頃の鞠大名には自信がある。自信が行動を起こさせ、人々を驚かし、悪口を引っ込めさせる。自信の元は無論比丸で、唯一の取り柄である蹴鞠の、さらに誰にも言えぬ礼儀外れの大技を、美貌の比丸に褒められたことにあった。

 鞠大名は浮かれた。浮かれて、名声も上がった。世間の評判も上がった。それにつれて比丸からの熱い想いもますます募り、鞠大名もそれを快く受け取っていた。

 しかし、それだけだったのである。

 比丸は鞠大名に恋い焦がれた。重晴が比丸に思っているのと同じぐらい、あるいはそれ以上の熱を持って、鞠大名と心身ともに親しくなることを望んでいた

 鞠大名も比丸をかわいがった。だが、そのかわいがりは、恋や色とはまるで違っていた。

 単に、蹴鞠の技に夢中な少年としか見ていなかった。比丸の激しい恋など知らず。

 自信を得た鞠大名は無能ではなくなったかもしれないが、色恋に関しては無知であり、無神経だった。

「よろしければ今宵、秘密に会えぬだろうか」

 ある日、何気なく囁いたその言葉が、少年の心をどれだけ昂らせたか。それすらも知らぬ無粋であった。

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