Ⅲ 願いの代償

「――ほう、これは…………なるほど。私を呼ばれたわけがよやくわかりましたよ」

 

 その翌日の午後、異端討伐を目的に設立された〝白金しろがね羊角ようかく騎士団〟団長のドン・ハーソン・デ・テッサリオの姿は、ベロニカ伯爵家の物置小屋の中にあった。


 そう……昨日、エミリオがある儀式を取り行った、あの物置小屋である。


 今、彼の美しい碧色の瞳には、床に描かれた魔法円と燃え尽くした蝋燭の残骸、そして、部屋の隅にシーツをかけられて横たわる、当家の三男だという若者の遺体が映し出されている。


「見るに堪えん顔だな……死ぬ間際、どれほど恐ろしいものを見たものか……」


 純白のサーコートを翻して遺体に近づき、シーツを捲り上げたハーソンは、その断末魔の叫びを上げたまま固っている彼の表情を確認し、主人には聞こえないよう、小さな声でそう零す。


 その状況から見て、遺体の主が悪魔を召喚し、その悪魔に魂を奪われたのに間違いはあるまい。


「息子がご禁制の魔導書を使って悪魔を召喚したのは明らかです。こんなことが表沙汰になれば、我がベロニカ家の家名は失墜、伯爵の地位も失いかねません……ですが、どんなに愚かでもかわいい我が息子。なぜ、このようなことになってしまったのか、せめてその理由が知りたく……そこで、ご帰国されていると聞いたので、お招きした次第です」


 本来、ハーソン達〝白金の羊角騎士団〟の職務は異端討伐なのではあるが、昨今は新天地との貿易ルートを荒らす海賊の掃討を専らとしている。


 そのため、魔導書ばかりを狙う〝禁書の秘鍵団〟とも浅からぬ関係にあり、今では魔導書の絡む犯罪の専門家のようにもなっているのだ。


 そして、預言皇側の〝レジティマム(正統派)〟に対して各地で反乱を起こしている〝ビーブリスト〟討伐に駆り出され、新天地から本国へ戻っていた彼のもとへ、今日になって突然、ベロニカ伯から遣いが来たというわけである。


「お立場は重々承知しておりますが、どうぞ、この件はご内密に。我がベロニカ家はけして教会や帝国の御威光に背くつもりはありません」


「わかっております。当家の御子息の一人は羊角騎士団の団員でもありますし、我がテッサリオ家とは先代のベロニカ伯からの昵懇じっこんの仲。衛兵(※今でいう警察)には伝えず、表向きは病死ということになさればよい」


 当主として、そして親として、家名の存続と愛しい息子への思いの板挟みになって苦しむ老いた伯爵に、ハーソンは淡々とした口調ながらも優しい気遣いを見せる。


「ありがたきお言葉。この御恩はいずれまた……」


「それで発見当時、御子息はこの魔法円の外に倒れていたんですね?」


 だが直後、それよりも事件への好奇心の方が勝ったかのように、ハーソンは唐突にデリカシーのない質問をベロニカ伯にぶつける。


「は、はい。私が駆けつけた時にはもう移されていましたが、見つけた使用人の話ではそのように……」


「ふうむ。自殺行為も甚だしいが……メデイア、どうだ?」


 それでも真摯に答えるベロニカ伯の返事を聞くと、ハーソンは顎に手をやって少し考えてから、一緒に連れて来た騎士団の女団員・メデイアへ声をかけた。


「これは〝秘鍵団〟の手によるものではありませんね。印刷ではなく、下手な手書きで写したものですし、魔法円から出てはいけないことや、けして悪魔の誘いに耳を傾けてはいけないことなど、重要な注意書きが欠落しています」


 その修道女の黒服にハーフアーマーを着け、やはり白のサーコートを羽織った女修道騎士は、顔を覆う薄絹のベールの裏からそんな返事を返す。


 〝もと・・魔女〟という異色の経歴を持ち、誰よりも魔術には詳しいそのハーソンの片腕は、先程より現場に残されていたという『ソロモン王の鍵』をペラペラと捲り、その内容を確かめていたのだ。


「やはりな。労を惜しんで端折はしょったか。この身に着けている儀式用ローブも、本来は赤糸の刺繍であるべきところが赤絵具で代用された安物だ。おそらくはそのバッタモン・・・・・の『ソロモン王の鍵』と一緒に購入したんだろう」


「い、いったい、どういうことですか?」


 二人の専門的なやりとりに、ついていけないベロニカ伯が怪訝な顔を交互に向けて尋ねる。


「最近、この手の偽物が広く出回っているんです。正規品…ああ、やつらも盗んだものを違法に複写した海賊版・・・ですが、さらにそれを稚拙に写しとったまがい物をエジプシャンなんかが安く売ってるんですよ。ようは海賊版のさらに海賊版といったところです。だが、安価で手に入る分、知識のない素人が作ったバッタモンなので、大事な部分の抜けている危険なものも多い」


「本来、魔導書による悪魔召喚は、その式次第通りに行えばけして危険なものではないのですが、御子息はどこかでこの偽物の魔導書を手に入れ、その欠陥ある記述に従ったがために、残念ながら悪魔に魂を奪われたのでしょう。いわば、これは悪魔召喚の儀式中に起きた事故です」


「そ、そんな……ああ、エミリオよ、おまえはなんと愚かなことを……」


 ハーソンと、それを補足するメデイアの説明に、老伯爵は黄ばんだ瞳をふるふると小刻みに震わせながら、愛しい息子の名を呼んで弱々しく床へ崩れ落ちる。


「魔導書が流布すればこういうことになる。魔術師船長マゴ・カピタンよ、だから魔導書の自由所持など認めず、ずっと禁書としておくべきなのだ……御子息がなぜ魔導書を使おうなどとしたかまではわかりません。我々に言えることはここまでです」


 枯れ木のように生気を失った、そんな老人の力ない姿に、ハーソンは誰に言うとでもなく遣り切れない怒りを口にすると、その感情を隠すかのように結論をベロニカ伯に告げる。


「大事な御子息を亡くされたご心中、お察しします。それでは、我々はその魔導書を世にバラ撒く悪党討伐の任務があるのでこれで」


「御子息のご冥福、蔭ながらお祈りいたします」


 そして、哀れな老人の姿をもうこれ以上、見たくはないといわんばかりに、二人は事務的に断りを入れると、その場を足早に後にした――。



「――あぁぁぁ、なんということですの! わたくしがもっと早くこの気持ちに気づいていれば……」


「ああ、おいたわしやお嬢さま。神様もなんと無慈悲なことを……」


 だが、小屋を出て屋敷の表門の方へ向かったハーソン達は、本館の玄関の前で泣き崩れるどこぞの令嬢と思しき美しい女性と、それをかいがいしく介抱するお付きの老婆に出くわした。


「これはなんの騒ぎだ?」


 そのあまりの剣幕にいかんせん気になったハーソンは、困った顔で二人の傍らに立つ門番の下僕に尋ねてみた。


「はあ、それが……その、こちらのアルパ公爵様の御令嬢が、今日亡くなられたエミリオ様への想いに突然気づかれ、居ても立ってもいられなくなってお忍びで会いに参られたそうなのですが……ご存知の通り、エミリオ様はああいう次第でして……」


 訊かれた門番は、ハーソンの耳元に顔を近づけると、口に手をかざして小声でそう答える。


「あああ、愛しのエミリオ! なぜ、わたくしは今まで、あなたにあのようなつれない態度を!」


「おいたわしやお嬢さまぁ~!」


 そんな門番とハーソンの会話を気にすることもなく、令嬢と老婆は人目も忍ばず嘆き悲しんでいる。


「なるほど。彼女が魔導書を使った理由か……どうやら悪魔は律儀にも、ちゃんと代価分の願いはかなえてくれたらしい」


 すべてを理解したハーソンは、訝しげな様子のメデイアに向かって、皮肉たっぷりのニヒルな笑みを浮かべながらそう呟いた。


                         (魔導書の使い方 了)

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Cómo Usar El Grimorio ~魔導書の使い方~ 平中なごん @HiranakaNagon

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