世界の終わりと失恋ラーメン

蒼舵

失恋と書いてヤケと読む。

「文化祭まであと〇日」という貼り出しが、そのまま世界の終わりへのカウントダウンとして機能しているというのは、どうにも皮肉な話だなと思う。

 毎日通う学校の、毎日通る体育館外壁で、僕たちは一日一日、世界の終わりへの日めくりを見届けている。

 生徒総数は、例の全世界同時公表以降、緩やかに右肩下がりだけれども、文化祭の準備を進めることが出来る程度には、まだまだ残っていた。

 昨日は、クラス委員長の長倉さんが自室で首を吊った。どうせなら世界の最期を見届けたらいいのに、と思うのだけれど、真面目な彼女のことだったから、何かしら思うところがあったのかもしれない。

 恋人と二人で行方をくらました瑞月さんは、今頃どうしているだろう。屋上でメシア信仰を語る幸人くんは、いじめられていた頃とは打って変わって溌溂としている。グラウンドにテントを張り、今日も水道をシャワー代わりにしている道真くんは、相変わらずタフだなぁと、横目に捉えながら思う。


 皆静かに、緩やかに、いつも通りの日常に戻った。「日常」……なんて、なんだか可笑しい。だってその「日常」の倫理や常識は、もう既にズレてしまっているのだから。

 それでも、公表直後からの一ヵ月間が嘘みたいな穏やかさだ。

 なんたって、唐突に世界が終わると言われても、皆、特にやることもないのだ。

「俺をフッた女をぶち犯してやるぜ」と意気込んでいた笹木くんは、彼女の父親に撲殺された。


     ◇


 高校生というのは安直なもので、世界が終わりますと言われてやりたがることが「恋人と過ごす」らしい。十代を対象に行われたインターネットアンケートの集計結果がそう言っているのだから、とにかくそうらしいのである。

 世界の終わりを一緒に見届ける相手を作るため、全国の学校中で一大告白ブームが起こった。

 我が校においては、血迷った男たちが学園のマドンナに一斉突撃、結果は惨敗。誰一人として彼女の隣に立つことはできず、実のところ彼女の隣には既に成海さんという女性がいたのだった。

 成海さん、カッコいいもんね。ボーイッシュで。


「おい」

 放課後の教室で、クラス展示用の制作物を進めていると、廊下から声がした。

「……僕?」

「お前しかいないだろう」

 そういう彼女は歩み寄ってきて、僕の机の前で立ち止まる。

「今からラーメン奢れ」

「え、は、僕? ……なんで?」

「フラれたから。失恋ラーメン」

 失恋と書いてヤケと読むんだぞ、と彼女は言った。


 血痕のへばりついた通学路を歩き、学校から500メートルの距離にあるラーメン屋に入る。我が校の生徒も多く利用するここ「白波亭」は、学生特典として白米がお替り無料であり、本日も店の奥を運動部が陣取っていた。お替わり無料のきゅうりの漬物を皆で取り合っている。


「金」

 そう言って、僕から1300円を毟り取った彼女は、問答無用で半熟味玉ラーメンの食券を二枚購入した。

 僕に選択権はないらしいが、異論はない。ここに来る時は必ず半熟味玉ラーメン一択だからだ。この店の半熟味玉ラーメンだけは、世界が終わるその瞬間まで、どうか先立ってほしくないなと思う。


 カウンター席には既に二人の客がいた。一人は既に食べ終わり、無愛想に携帯端末をいじっている。奥に座るもう一人は今まさに特盛が到着したところで、その眼鏡を曇らせていた。


 僕はプラカップふたつに水を注ぎ、ひとつを隣に座る彼女に差し出す。

「ありがとう」そう開いた口にそのまま、コップの中身全てを注ぎ込んだ彼女は、左手の甲で唇を拭う。薄茶色のショートカットがよく似合う、綺麗な横顔だった。


「あー……、その」

 彼女は目の前のお品書きを見ているのか、はたまた何かを考えているか、視線を動かさずにじっと身を固めている。失敗したらしい告白のことを思い返しているのだろうか。

「誰にフラれたの」

「澤村」

「……あぁ」

 澤村と言えば、剣道部主将で、化学の成績が学年一位のイケメンだ。終末以前から人気な男だった。

「……しかし、なんでまた。例の告白ブーム?」

「そんなブームなど私には関係ない」

「……そっか」


 しばらくして、店長がのっそりと、二杯のラーメンをカウンターに置いた。

「いただきます」互いに手を合わせ、食べ始める。


「なぁ、――これは決して、私の話ではないのだが」

 麺の咀嚼の合間で、彼女が話し出す。

「例えば失恋の失意のまま、『この恋が叶わない世界など、いっそ終わってしまえばいい』と思ったとしよう」

「うん」

「そんな誰かが、今この瞬間に、終幕へと向かうこの世界にいたとする」

「うん」

「その人にとって、現在の状況というのは、お膳立てされた、実に理想的なものなわけだろう?」

「そうかもしれないね」

 店の外で誰かの叫び声がする。


「ねぇ、ところで」

 この手の叫び声には、もはや誰も意識を向けなくなった。目の前で人が死んだとしても、僕たちは食事を続ける。そういう世界に、なってしまったのだ。

「……その、君の機嫌を悪くしてしまったら、本当に申し訳ないんだけど」

 僕はレンゲを宙に浮かせながら、歯切れ悪くも、いい加減に尋ねた。

「君は、僕とどういう関係なの?」

「……はっ、今更何を言っているんだい。どういうも何も、もう十年以上の付き合いじゃないか。……ああ、なんだ、もしかして気にしているのか? 『澤村にフラれたのは、僕のせいなんじゃないか』って。わはは、安心しろ、それはないよ。澤村がお前をライバル視するわけがないだろう」

「……いや、そうじゃなくてさ」

 カウンターの無愛想なサラリーマンが、ご馳走様、と店を後にする。


「僕は、君を知らないよ」


 彼女が箸を止め、ゆっくりとこちらを向く。

「……あぁ。……今回は、違うのか」

「え?」

「……そうか、ようやくか」

 それからしばらく、黙り込んだ彼女に従うように、僕も黙々と手を進めた。

 彼女は一口一口味わうように麺を噛みしめ、果てはスープを飲み干して、綺麗になったどんぶりを静かにカウンターに置く。

「ごちそうさまでした」と手を合わせる。背筋を伸ばし、目を閉じたその様はまるで祈りのようにも見えた。美しい情景だった――ラーメン屋に似つかわしくないほどの。

 そして彼女はゆっくりと立ち上がる。そのまま、カウンター越しの厨房の方へ向かっていく。

「店長」

 彼女は、厨房で一人スープをかき混ぜていた店長を呼び止めた。

「26年間、私たち学生のために安くて美味しいラーメンをありがとうございました。半熟味玉ラーメン、大好きでした」

「ええ、ああ……それは嬉しい言葉だけど……ここは従業員以外立ち入り禁――」

 唐突に、店長の口は塞がれる。彼女が店長の頭をスープの寸胴に沈めたからだ。

 暴れる店長を、少女とは思えない強靭な力でホールドし続ける。

 やがて、店長が動かなくなる。少女が素早く身を引くと、寸胴ごと店長が厨房の床に転がった。


 既に店内は静まり返っていた。

 頬に伝う涙を手の甲で拭い、彼女は静かに告げた。

「白波亭は、本日を以て閉店です」

 白波亭半熟味玉ラーメンは、僕の願い虚しく、世界の終わりを待たずして先立ってしまったようだった。

 眼鏡の男は、目の前にある白波亭最後の一杯を、呆けた様に見つめている。


「仕方なかったの」

 僕の隣に座り直した彼女は、水を一杯、一気に煽った。

「必要なことだったの」

 僕は最後のお楽しみに取っておいた味玉を、スープと一緒にゆっくりと味わう。

「……行くよ」と、彼女が立ち上がる。

「……ごちそうさまでした」しっかりと手を合わせて、店を出る彼女の背中を追う。


「えっと、いろいろと理解が追い付かないんだけど……」

「――説明しなきゃいけないことはたくさんあるけど」

 学校へ戻る道は、橙色に染まっている。

「とりあえずひとつだけ言っておく」

 彼女は立ち止まり、改まって言った。


「私、澤村のことは本当に好きだったから。マジに」

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世界の終わりと失恋ラーメン 蒼舵 @aokaji_soda

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