城崎温泉湯けむり裁判開廷す その2

  妹のことはこれくらいにしておいて、ちょっと城崎の様子でもお届けしよう。

 川が一本流れていて、それを中心に北側と南側に分かれている。どちら側にもお土産屋さんや旅館が立ち並び、温泉街といった印象を与える。

 この田舎特有の匂い。

 ボクは嫌いじゃない。

 街行く人のうち、結構な割合で浴衣姿を見る。それに外国人観光客も多い。

 浴衣姿なのは最初に言っていた外湯めぐりの関係らしい。旅館や温泉では浴衣を貸出しているらしく、浴衣姿で街を自由に散策できるとのことだ。

 ちょっと気になるが、流石に温泉をはしごするほどの時間はない。姉と同意見だ。

「昭和風情だねぇ」

「平成生まれだけどね」

「良いじゃない。そういう昔っぽさが残ってるって意味なんだから」

 特に説明はできないけど、都会のゴミゴミとした雑多な雰囲気のない、景観の整備されている空間という意味では昔を維持しているのだろうと思う。


 南柳通りを東へ歩く。

 名前の通り、道沿いには柳の木が植えられており一定間隔でずっと続いている。

「こりゃあ幽霊もで放題だねぇ」

「ちょ、や、やめてよ」

「逆に怖くなくない? ちょっと歩くごとに幽霊が『やぁ』って出てくるのよ。おっまたか、やってるやってる。元気そうで何より、って感じしてこない?」

「してこない。やめて」

 姉は夜の墓地を平気で歩けるタイプだ。

 昔から肝試しではとても頼りになったし、そこは感謝している。

 幽霊とも打ち解けそうな勢いだ。


「風情だねぇ。善き哉善き哉」

 とても良い場所ではあるが、一つだけ不満をいうなら。

 ボク達が歩いている道は歩行者専用道路というわけではなくて、車も行き来する普通の生活道路なのだ。だから往来のど真ん中で好き勝手歩けるというわけではない。観光地としては珍しく、というべきか、むしろありのままの姿であることこそ観光地たる所以、というべきなのか。


 やがて「一の湯」という温泉で南北の道は一旦繋がり、再び二股に分かれていく。

 ここで温泉に入るのかと思ったが、姉は気にせず再び南側の道を進む。

「へぇ。木屋町通だって。本当に京都みたい」

 姉が指差す看板を見ると、確かに木屋町通と書いてある。

 川が流れ、お店は消えて普通の一軒家や古びた小屋、伸び放題の草木が生い茂る空き地のような空間が広がる裏路地のような雰囲気。本当に京都の木屋町通のようだ。

「あら、いつの間にか柳じゃなくて桜になってる」

 姉の言葉に呼応して顔を上げる。

 確かに柳ではなくなった。これが桜かどうかはわからない。紅葉ではない、ということくらいしかわからないほど植物への関心が薄いのだ。

「桜の木の下には死体が」

「なんで人を怖がらせるようなことしか言わないのさ」


「おっすごい、ここホタル居るんだって」

 姉が見つけた看板には確かにホタルの生息地と書かれている。

「こんな場所でホタルが見られるなんて思いもしなかったわ。夜まで粘る?」

「いや、ホタルの時期過ぎてるって」

「えー、そうなの? 残念。じゃあ来年は泊まりで来ましょ、あの子も一緒に!」

「うーん」

 ボクは気のない返事をした。

 先程の話に戻るがボクは一応まだ妹を許していないのだ。

 だから来年の話だからとか言ったって、そうすやすと賛同するわけにはいかない。

 鬼は勝手に笑っていればいい。

「ちょっとー、アンタまだ怒ってるの? いい加減――あっ、ここ良い。ここよ、ここ」

 何か良いものを見つけたという具合に姉のテンションが上がる。

 こういう時は碌でもないものを見つけた時だ。


「極楽寺よ極楽寺。うわ、その先に温泉寺ってのもあるわよ。この安直なネーミングセンス、絶対たいしたことないわ! でも見ずに帰るのも癪だから行くわよ」

 相変わらず姉は堂々と悪口を言う。

 周囲に人が居ないから良かったものの、地元の人が居たら怒られているだろう。


 その看板からちょっと歩いたところに外湯めぐりの温泉の一つ『まんだら湯』があり、さらに奥へと歩いていく。

 山へと登る階段がある手前、ちょっとした街角の変わったお店、みたいな雰囲気で急に極楽寺が現れた。

 大きな黒板には心に響くのかどうかよくわからない文言が書かれており、その横には町内会の掲示板があってゴミ掃除の日程がどうとかお知らせの貼り紙がある。このお知らせの方がちゃんと知らしめるべき内容では。

 その隣には立派な『極楽寺』の石柱があるのだが、目に入った順番が残念なこともあり、微妙な反応をしてしまった。


「うわ、何これ。極楽でも再現してるのかしら!?」

 一方で姉は大袈裟なリアクションを取る。

 何を馬鹿なことを、と左を振り向くと、確かにそこは極楽を再現したかのような空間が広がっていた。

 いくつもの大小様々な仏像が鎮座しており、手前の池にその姿が反射している。低い位置にあるものもあれば、山の麓にあって顔を見上げなければならないような場所にも仏像が配置してあり、何十体もの仏像に見守られているような、そんな空間だった。

「水掛け地蔵……水子の霊を鎮めるための場所かしら」

「また怖い話する」

「そんなこと言ったって看板にもそう説明してあるし……とりあえず、祈っときなさいな。悪いようにはされないでしょ」

 そう言って姉は手を合わせて軽くお辞儀する。

 全然信仰心のない人がやるようなお祈りだ。

 姉は神様も幽霊も信じていないのだろうか。

 流石にそれは返事が怖いので聞いたことがない。

 もしくは神様も裸足で逃げ出すような人種か。

 ボクもそこまで信心深くはないが、パワースポット巡りをしている時点でそれなりに信じているのだろう、神様ってやつを。

 あ、でもここに居るの仏様か。

 まあいいや、いざとなったら蜘蛛の糸垂らしてください。待ってます。

 そんなことを願いながらお祈りした。


「さ、行こうか」

「中に入らないの?」

「だってお金かかるし。お金払ったらちゃんと見なきゃ損でしょ。時間ないからここまででオッケー」

 地獄の沙汰も金次第。

 姉の切り替えの早さだけは本当に見習いたいものだ。


 その先には何やら現代風なお洒落なカフェもあったが寄る時間もなく、温泉寺のある大通りへと出る。

 左手に流れている川に沿って少し進むとガソリンスタンドがあり、その奥には駐車場があって温泉寺までの距離が書かれた看板がある。

 道路から逸れて参道を歩く。

 左右の大きな木が揺れている。まるでボク達を歓迎しているのだろうか。

「カサカサ五月蝿いわねー。さっさと出ていけってこと?」

 ボクと姉の感性はここまで違うのである。


 道中に足湯もあったが、それには目もくれず、かといってまっすぐ正門を往くわけでもなく、姉は駐車場側に歩いていく。

「こんな場所があったとはね。次来る時はここに停めようかしら。――ああ、でも旅館の駐車場とかあるわよね、きっと」

 次回来訪のことをあれこれと言いながら駐車場を奥へと進んでいく。

 不思議に思っていると、その先にも登り口があった。

 少し急だが、恐らく温泉寺へと続いているのだろう。

「あら、なんか近道っぽくない? ショートカットできそうな雰囲気」

 たまたま発見しただけだった。

 いや、そりゃそうか。

 今更戻る気にもなれず、その急な上り坂を進むことにした。


 温泉寺の正面は何十段もの階段があって大変そうに見えたので、正直こっちのほうが楽かも、と思っていた。

 しかしそんなことは無く、上り坂も同じくらい大変だ。

 踏ん張っていないと足を踏み外して転けてしまいそうなほど角度がきつい。

「いやぁ、ちょっと、大変かもね」

 珍しく姉も息を切らしている。

 いや、無理もない。

 膝に手を付きながらやっと登れるような角度なのだ。


 一方、ボクは最初の数歩ですでに息を切らせていた。

 一言もしゃべる余裕など無く、顔を上げた先に見える手すりのついた道までの距離を思案することだけが唯一の拠り所だった。


 ふと、急に体が軽くなった気がした。

 魂が抜け落ちたような、天国へ向かったような、いや極楽浄土へ赴いたような、そんな心持だった。

 それが目眩を起こして倒れ込んだのだと理解するまでに、ボクの意識は異世界へと飛んでいたのだ。

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