第42話 結婚

 防音設備が整っているマンション『ボヘミアン』は、和彦達が暮らすZ市内の中心部にあり、自転車で20分程だが光画舎自動車から電車で一駅離れていて、会社の人間に見られる事はそんなにないだろうなと和彦達は肩を撫で下ろす。


 鍵を開けて部屋に入ると、大人のおもちゃなのか、男性器を模った物が玄関に転がっており咲は篤の人格を疑うかのような訝しげな表情を浮かべる。


「淀川さん、なんちゅう物がおいてあるんすか……!?」


 和彦は恥ずかしがりながら大人のおもちゃを見ている咲を見て、セクハラだろうと思い篤に軽く注意をする。


「いやこれな、デリヘル嬢とのプレイ用なんだよ。普通のプレイでは飽きてしまってな……」


 篤はもう彼女は作れないし結婚はできないと諦めているのか、セクハラまがいなのに咲に気を使う事はせず、申し訳ないとか恥ずかしいとかいう感情はなく、落ちている大人のおもちゃを手に取り、和彦に見せる。


「お前らもどうだ、んん?」


「いやしないっすよ! 何すかそのハプバー的なノリは!」


「ハプバー!? ハプニングバーの事っすよね!? 何故和さんはそんな店知ってるの!? もしかして行ってないよね!?」


「いやこいつな、学生の時に一度行って、ムチで尻を叩かれたんだよ! 変なババアにな!」


 篤の一言で、和彦は10年近く前に飲み会での二次会でハプニングバーに篤と琴音と行き、泥酔して、隣にいた卑猥な顔つきの中年の女性にムチで尻を打たせてくれとせがまれて仕方なく打たせてあげた経緯があったのである。


「余計なこと言ってんじゃない! 壊すぞこれ!」


 和彦は知られたくない秘密を咲に知られてしまった為、顔を赤くして大人のおもちゃを手に取り折ろうとする。


「馬鹿野郎、これ1万円ぐらいした特注品なんだぞ!」


「変態よ! 和さん! 貴子さん達にチクってやろう!」


「いやこれは誰でもが一度は通る道だ!」


「死んでも行きたくないわよそんな店! いやらしい!」


 咲は和彦を嫌悪感で満ち溢れた目つきで見やる。


「てかお前ら、この部屋使うんだろ!? 説明まだ終わってねーぞ!」


 篤は、そんな彼等のやりとりを見て、本物のカップルの喧嘩のようだなと思っている。


「あぁ、そうでしたね……いやすいませんね。この子はウブな子でして……」


「いやね、普通に大人のおもちゃを使う人なんていないからね! 汚らわしい!」


 咲は性的な事にそこまで興味を示しておらず、モラルがある為、大人のおもちゃを自慰行為に使うなどの変態的な事に抵抗があり顔を赤らめている。


 篤は自分の発言と、大人のおもちゃはセクハラだったのかな、隠しておけば良かったなと軽く後悔しながらリビングへと足を進め、小さな冷蔵庫と電子レンジしかない殺風景な部屋を紹介し、居間を案内する。


「うわぁ、広い……!」


 居間は10畳ほどあり、音響機器を置いてもお釣りが来る広さである。


「でな、寝室がここだ」


 篤は隣の部屋の扉を開けると、シーツが乱れたダブルベッドが部屋の中央に置かれている。


「……!?」


 咲はみだらな想像をして、顔が赤くなった。


 ♫♫♫♫


 部屋の説明が終わった後、彼等は小腹を満たそうと近くのファミレスにいる。


「どうよ、この部屋は。家賃はタダでいいぞ」


 篤はそう言い、コーヒーを口に運ぶ。


「ええ、勿論喜んで……ってか、こんなにいい部屋を使っちゃっていいんですか?」


「あぁ。実はな、俺結婚するんだ、だからこの部屋があるとな、邪魔なんだよね、かみさんに変な事を勘ぐられるし……だから自由に使っていいからな」


 篤は照れ臭そうに顔を赤らめて口を開く。


「へぇ! 結婚ですか! いいですね、どんな人なんですか!?」


「それはめでたいですね……」


 和彦と咲は、こんな冴えない、胡散臭い男性と一緒になる女性がどんな人なのか興味津々である。


「この人なんだよねぇ」


 篤のスマホには、裸の金髪の外国人の女性が写っている。


「……」


「あの、安仁屋さんとのお話は……」


「あぁ、それならばな、来週の土曜日の11時にアイベックスさんの本社に来てくれと。俺もついていくから、待ち合わせていくぞ」


「え、ええ……」


(無理なのかもしれない、俺たちがメジャーデビューするのは。だが、このまま燻ったままで終わりたくはない、咲ちゃんはこのままだと一生派遣で終わるだろう。この子のために人肌脱ぐか……!)


 和彦はそう決意してタバコに火をつける。


 その和彦の男らしい顔つきを見て、咲は胸の高鳴りを感じた。


 ♫♫♫♫


 和彦達が篤と別れ、それぞれの家路に着き、和彦はシャワーを浴びてビールを飲みながら居間で一息をついている。


「メジャーデビューかぁ……」


 かつて昔、和彦はまだ青春の情熱が冷めやらぬ中、琴音とバンドを組みメジャーを目指して幾つかの音楽会社のオーディションを受けたが、惨敗だった。


 就職を機に、音楽は青春時代の一ページにしておこうと決めて、ギターをしまい、毎日が同じことの繰り返しである現状に甘んじながら、ゲームや漫画の世界に傾倒していった。


 だが、咲が現れ、現状は変わっていった。


「一肌脱ぐか……!」


 和彦の脳裏に浮かぶのは、咲の顔。


 自分と対等に付き合ってくれる人間の顔。


 和彦はきっと決意を固めた。

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