第35話 銭湯

 Z市内には『爽快健康の湯』という人工温泉があり、和彦はそこに一平や会社の人間との付き合いで何度か足を運んだことがある。


 自宅近くのバス停で咲と合流をした和彦は、コミニュティバスに乗り『爽快健康の湯』へと行くことにした。


「なんか今日、少し暖かいですね」


「あ、あぁ、そうだね……」


 バスの座席で隣り合って彼等は座り、極度の緊張で滑舌が悪くなっている和彦は、緊張がバレないように、さっきからしきりに自販機で買ったお茶を飲んでいる。


「あれカップルよ……」


「お似合いね……」


 後ろの座席から、井戸端会議が好きな中年の女性の、自分達の噂話が聞こえ、和彦はますます緊張に襲われる。


(お似合いのカップルだと!? 俺たちそう思われてるってことか!? 嬉しいけど内心咲ちゃんは俺のことを心の片隅で気持ちが悪いオタクだなと思っているんだろうなぁ……)


 和彦は、自分が誤解されているんじゃないかと妙な汗が止まらなくなり、喉が渇き、お茶を口に運ぶ。


「和さん水飲みすぎですよ、ひょっとして疲れ溜まってますよ、早く風呂に入りましょう……」


「あ、あぁ、そうだね……」


 咲は和彦の心境を露知らず、貴子にこれから和彦と『爽快健康の湯』に行くとLINEで無料のスタンプを入交えながら話している。


『終点、終点〜』


 バスが終点で止まり、和彦達は立ち上がった。


 ♫♫♫♫


 大浴場には人工温泉と泡風呂、サウナがあり、和彦は体を洗うのをそこそこにして、サウナに入る。


「うおっ……!」


 5年振りののサウナの熱気に、和彦は気持ちが押されそうになりながらも、疲れを癒したいと言う気持ちで、床に腰掛ける。


 先客が何名かおり、ある程度年齢があった人間が多い印象を和彦は受ける。


(サウナに入るのは何年振りなんだろうかな……)


 タオルを腰にやり、和彦は無言で腕を組んでいる。


(ライブではたまたま上手くいったのだが、まだ俺たちのレベルはアマチュアの域を出てない、音楽で飯を食えるようになるのならば、路上ライブやって沢山の観客がこないと駄目だ、動画は幸い会社から了承を得られたのだが大っぴらにはできない……クソッタレ、俺にもう少し才能があれば……!)


 扉が開くと、和彦にとって見覚えがある顔が入ってくる。


「淀川さん……!」


 そこには、見事と言って良い太鼓腹を抱えた篤がいる。


「よう、お前もここに来ていたんだな」


「淀川さんこそ。今日は休みですか?」


「あぁ、うちの会社は週休2日制なのでな。この前の話は……」


「ええ、咲ちゃんと相談したのですが、その話を引き受ける形にします、あの、これからお時間をいただけませんか? 丁度彼女もいるので、何処か静かな場所でお話を詳しくお聞きしたいのですが……」


「そうか、いいぞ、ここから出たら、ここのそばにファミレスがあるからそこで話をしよう、なに、胡散臭い話ではないからな。きちんとギャラは払うし契約書は用意してある」


 篤はニヤリと笑い、和彦の肩を叩く。


 ♫♫♫♫


 彼等は『爽快健康の湯』から出た後に、近くにあるファミレスに入った。


 目の前に置かれている書類に和彦は真剣な眼差しで読んでいる。


「虫眼鏡で見えない文字で書いてねーから安心しろ」


 篤は軽く笑いながら電子タバコを口に加えている。


 隣では、咲がメロンソーダを飲んでいて、和彦が読んでいる書類を横目でチラリと見ている。


「和さん、一体何て書いてあるの?」


「あぁ、ワンライブ7000円と、ライブをやるときはあらかじめ前の晩に連絡を入れることが書いてあって、それ以外は書いてないな……」


 和彦は相当目を使って読んだのか、目が疲れており、バッグから目薬を出して目に滴を差す。


「7千円! いいじゃないですか! 動画でも稼げないですよそんなには!」


 動画の広告収入は良くて月に500円程度であり、その契約に咲はすぐに飛びつく。


「いやな、確かに破格だがな、顔バレするんじゃないかというリスクがあるんだよ。あの店って職場の若い派遣の人とか行ってるだろ? 多分。俺的には賛成だがな……」


「それならば、被り物をしてやればいい。バレないだろう、多分」


 篤は口から煙草の煙を吐き出して、目の前に置かれているポテトフライを一切れ、ケチャップをつけて口に入れる。


「うーん、ならば、バレないか……いいや、参加しますよ、ただ、僕ら会社員なんでね、予定外のことがあるのでその事は踏まえて欲しいっすが大丈夫っすかね?」


 和彦は、自分達がこれからやる事が副業であり、本業を疎かに出来ないのが気掛かりなのである。


「あぁ、大丈夫だ、てかな、うちのバンドやDJも昼間は勤めてる傍バイトでこっちに来てる奴らもいるんだよ、うちな、10組ぐらいのバンドを集めてローテーションでやってるんだよ、その日の流れによるんだがな。なので全然構わないぞ」


「!!」


「是非お願いします!」


 和彦達は篤に深々と頭を下げる。


「なに、いいもんだ、お前らのライブがまた聴けるからな……」


 篤はニヤリと笑い、コップに注がれたコーラを喉に流し込む。


「いえ、そこまで自慢できるものでは……」


「でも、盛り上がっていたんだがなー」


 咲と和彦は、篤の前では普通の社会人らしく謙遜をしているのだが、内心は凄いぞ俺達と軽い自信が芽生えてきている。


「まぁ、取り敢えず来週から頼むわ。お前らの動画も教えてくれ、店のTwitterで宣伝しておいてやるよ」


「え! いいんですか! 有り難うございます!」


 和彦はスマホを取り出して、YouTubeを開き自分達のアカウントを篤に見せる。


「ふーんこれか。店のSNSで宣伝しとくわ。なんか腹減ったから頼もうぜ、何か」


 彼等はドリンクバーとポテトフライしか頼んでおらず、腹の虫がグウと鳴った。









 




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