第二部 一章-1 ニューウェーブ

 八島人工島の港に降り立った時、水瀬イトは疲れ果てていた。

 赤道近くに浮かぶ楽園エリュシオンから中継点であった「とある島」(名前はすっかり忘れてしまった)まで大きな船で何日か、その寄稿先で補給などで数日、そしてその大きな船でまた何日か。日数を数える余裕は航海一日目の夜できれいに消し飛んだ。

 初めての長旅、初めての海、初めての航海……決して道中が退屈だったわけではない。水瀬イトからすれば、船旅自体が新鮮だったし、エリュシオン以外の国に来たという事実も、船酔いで削がれてるとは言え、少なからず気分を高揚させる。


 ――だけど絶対船に長期滞在するのはもうごめんだ。


 せっかく航空機があるのに、どうしてそれで送ってくれないのかと道中何度思ったか。代わり映えしない大海原に愛想を尽かし、揺れる船体で湧き上がる吐き気をこらえたり、吐きすぎて脱水症状になりかけたこの一ヶ月。


 クルーズ船ならば幾分か楽になったかもしれないが、つい最近まで閉じていた楽園にクルーズ船なんて用意されていなかった。よくわからない作業船。船尾からなにかを下ろしていく光景を眺めて暇をつぶしたこともあった。仮にも自分たちはエリュシオン初の大規模海外留学ニューウェーブ計画、その第一陣なのだからもう少しマシな船は用意できなかったのかと考えなかった日は一度もない。


 ともあれ、この永遠にすら思えた船旅はようやくここで終わった。されど、この八島人工島も中継点でしかない。七面倒な歓迎会と諸々の説明が終えたら出雲への移動が待っている。


 歓迎パーティと説明を受けている間は本当に煩わしいことこの上なかった。歓迎パーティーで女性から何度も口説かれ、軽くいなしたら減るどころか増えたのだからたまらない。その中には本気で口説き落とそうとする男性も混じっていたものだから冷や汗を禁じえない。


 歓迎パーティーに浮かれる留学生たちから離れ、ぼくは君たちのように浮かれている暇はないんだと内心ひとりごちながら軽くため息をつく。決してプライドとかマウントを取りたいわけではない。本当にこんなことをしている暇はないのだから。


 説明会で手渡された手錠型デバイスを操作しながら、必死に近寄るなオーラを出しているのに、また一人……


「……水瀬イト、ですね」


 また八島の女生徒……いや、よく見たら制服のデザインが少し違う。違うと言うなら雰囲気も違う。自分の本来の髪色と同じ水色の髪が――ではない。

 イトは戦場という場所には二回しか足を踏み入れたことがない。二回、幸運とも不幸とも取れる回数。これからの動き次第では増えるかもしれないし、カウントする暇もなく終わるかもしれないこの回数。

 目の前に立つその女生徒は、二回どころではない場数を踏んでいる、そして人も場数の分殺している――そう直感できるぐらいには血の匂い――あくまでそういう雰囲気だが――がした。


「君は……」


「あなたの護衛です」


 ――護衛。護衛と来たか。

 あしながおじさんI.O.D.C .から協力関係にある機密組織から護衛名目の監視がつくだろうと聞かされていた時、留学するにあたって支給される手錠端末を介してのものだろうと考えていたが、まさかこう堂々と来るとは思ってもいなかった。


 いやそれ以前に護衛対象がわかっているということは――


「……あなたのことは名前含めて把握しています。も用意しています」と恐れていた答えを耳元でそう囁かれたイトは心のなかで静かに頭を抱えた。



 ◇ ◇ ◇



「転属……ですか」


 転機となったのは『黒天使』の介入を受けた技術遺産回収任務の翌日だった。

 彼女は、目の前で電子ペーパーに視線を向ける支部長の言葉を一瞬理解し損ねた。


「そうだ、ミュレン――三戸嶋レン。おまえは命令を無視して作戦を台無しにした。この責任は重い。本来ならば即座に処分すべき事案だ」


「しかし、あのとき――」


孤児エンダース風情が技術師の私に口答えか? 現場指揮官・技術師に対する越権行為その他諸々を加味した処分にしてもいいんだぞ?」


 独立治安維持組織アリアドネ・フォワーディングにおける実働工作員エージェントは、孤児によって構成されていた。これは彼女だけの話ではない。先の静馬動乱と同時に行われた北方皇国の侵攻とそれに伴うヒノマ共和国樹立の混乱で多くの孤児が発生していたのだ。


「……いえ、なんでもありません」


「それでいい」


 支部長は満足そうな表情を一瞬浮かべたあと、続ける。


「お前はこれから護衛任務に当たってもらう。詳しい任務内容は手錠端末に送信している」


「護衛!? 護衛ですか……?」


 レンは困惑せざるを得なかった。護衛、よりによってVAFパイロットフレームランナーに護衛。畑違いにも程がある。事実上の左遷ではないか。


「これは、単にお前の命令無視だけではない。本部とI.O.D.C.からのオーダーだ。命令無視の件があろうがなかろうがお前に拒否権など有りはしない」


 支部長は「九宗家から放逐された落ちこぼれの末裔共が偉そうに……」と吐き捨てていたが、ミュレンはあまり気にしなかった。国から様々な特権を与えられる技術師は往々にして非技術師を下に見る傾向にあるのだから。問題はそこではない。


 国際海洋開発公社I.O.D.C.――三戸嶋レンが物心付いたときから、このヒノマから遠く離れた島国エリュシオンに本社を置く会社の名前を聞かなかった日はなかった。当然と言えば、当然だ。なにしろ自分の育ての親であるAFを支援している会社であったからだ。


 なんでそんな企業がAFを支援してるのかはわからないが、それでも無視できないほどにお世話になっているということには変わりなかった。数ヶ月ほどだけだったとは言え、自分にVAFの操縦技術を教えてくれた教官を派遣してくれたのもI.O.D.C.だ。彼がいなければ、彼女はここにはいない。先の技術遺産回収任務を除けば、自分の力で今を得てきた。


 だけど、それは今日で終わってしまった。


 VAFの操縦技術だけで今を生きてきた。だが、その場を失ってしまったら? 私には何がある? どうやってこれからを掴めというのか?


 護衛対象である水瀬イト――本名、静馬ミィナ(性別:女性)の前に立っても、その答えを見いだせずにいる。


 ……当然、なぜ護衛対象が男装しているのかという答えも、見いだせずにいた。



 ◇ ◇ ◇



「……『黒い天使』がまた来ることになるとは」


 元フレームランナーが部屋から去るのを見届けた秘書はそう切り出した。


「近年この出雲を騒がせている都市伝説――とされてはいるがその実態は未知の第三者の介入だ。それも我々が関わったところにと来れば大問題だ」


「我々の作戦行動が漏れている――と?」


「それだけで済めばいいのだが、な」


「はい……?」


「見てみろ、例の黒天使の戦闘を捉えた映像だ」


 手錠端末に送信されたのはノイズまみれの写真と映像だった。ノイズまみれで人型の何かが大地に降り立って、バルデリウスを蹂躙しているものであった。

 高解像度化が当たり前のこのご時世ではこの写真はかなり珍しいものである。


「これは……一体」


「このノイズまみれの映像と写真は先の介入時にいた《エッジランナー》のブラックボックスから回収したものだ。問題は、このノイズを作った技術だ」


「……と、言いますと」


「このパターンのノイズには見覚えがある。石動家が開発した敵対的サンプリングと対イメージセンサ複合型のジャミング素子を鋳込んだ次世代型アクティブステルス装甲によるものだろう。そしてこのバリアめいたもの……天堂家が宇宙開発用途でこれに似たものを開発しているという話を聞いたことがある」


「たしか石動家はコンピューティングと光学系、天堂家は宇宙開発関連の技術に長けていましたね。そういうことなら納得できますが……」


「それだけじゃない。VAFの設計に単独飛行能力……最低でも4つの技術流派があの機体に絡んでいる。この意味がわかるか」


「……まさか」


 現在のヒノマにおける技術流派の主流は全部で九つ。

 藍城、露崎、天堂、西條、星見、大場、石動、華八木、神楽。

 ヒノマの行く末を示し、導く九つの星。故に九大技術流派ナインスターズ


 二~三の技術流派が協力することはこれまでの歴史を振り返っても少なくはない。しかし、それ以上の数で協力したというケースは無い。良くて不干渉、最悪不仲まであり得る技術流派の半分以上が協力するなんてありえない話だ。


 もし、そんな九大技術流派の多く……もしかしたら、全てが互いに手を取り合っていたのなら? それはすなわち、二~三家の協力だけではなし得ず、同時に流派の垣根など、どうでも良くなる程の何かがあることの証左に他ならない。


「……もしそうだったのなら、由々しき事態です。共和国政府……北方皇国に知られたならば」


「技術流派宗家と、その末裔がいるこの出雲学園研究都市を守り抜き、どれだけの期間がかかったとしても、この都市をヒノマ皇国復興の起点とするのが我々AFの役目。あの天使は危険だ。なんとしてでも狩らねばならない。絶対に」


 そして秘書に聞こえない声量で「……例え、九大技術流派と相対するとしても」と付け加えた。

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