第16話「ダークウッドの森へ」

「おいおい! 見ろ。ロクスレイ。どうやら俺はこの国で指名手配されているようじゃないか!」


 ロクスレイらが祝宴を上げてから二日、使節団の面々の心と身体の療養のため、未だシラテミス王国の宿屋に滞在していた。


 そんな中、久々に街へ出かけたトーマスが一枚の人相書きを手に戻ってきたのであった。


「馬鹿げたことを言わないでくださいよ。第一、貴方のことを知る人間なんてこの国では限られて……」


 ロクスレイがそこまで言って、人相書きを見て驚く。そこにはトーマス・サンソンのフルネームと、トーマスの特徴をよく捉えた手書きの顔が載っていた。


「顔だけじゃなく、身体的な特徴まで事細かに描かれている。驚きじゃないか、俺はどうも有名人のようだな」


 トーマスは自分の人相書きを見て悲しんだり怒ったり困惑するどころか、喜んでいる。ここまで子供のような無邪気さは、呆れるどころか逆に感心さえしてしまう。


 だが事態はそれどころではない。


「この短期間で何をやらかしたんですか? 強盗? 殺人? それとも強姦ですか」


「失礼だな、ロクスレイよ。確かに俺は戦争において略奪の限りを尽くしたが、まだこの国では何もしていないぞ。冤罪だ。冤罪」


「まだとは何ですか。まだとは」


 後数日は滞在するつもりだったが、予定変更だ。こうなっては無実を証明しに行って捕まるより、早くシラテミス王国を出るべきだ。こんな陰謀めいた策略にわざわざ付き合う必要もない。


「ミリア、使節団がフサール王国に帰還するまで指揮権を譲渡します。メイ、ウィルの二名はトーマスの護衛のためについて来てください。私もトーマスの方で行動します」


「待って、なんで私はこちら側なの? 私もついていくわ」


「特使に逃亡生活なんてさせられますか! 大人しく使節団を率いてフサール王国に帰ってください。これは第二書記局書記長としての命令です」


「いやよ。私も連れて生きなさい。それとも、この間のことを皆に言いふらされたいわけ?」


 ミリアはそう脅しながらも赤面する。戦勝会でのことはロクスレイにとっても恥ずかしいことだが、ミリアにとっては一生ものの不覚だ。これは脅すための諸刃の剣と言うより、自分を流血させる自刃である。


「――分かりましたよ。ミラー、後のことは任せます。それよりも自分の荷物の準備を急いでください。直ぐにでもここを離れますよ」


 五人はさっさと荷物を纏めると、宿屋を出発する。次に問題なのは向かう先だ。


「行き先には当てがあります。ここからならダークウッドの森が一番近い国外です。急ぎましょう」


「あ、いいっすね。久しぶりの里帰り、ビックマザーも喜ぶに違いないですね」


 五人は馬に乗って先を急ぐ、途中で人の視線を感じつつも特に何事もなく。ダークウッドの森に続く検問までたどり着いた。


 難関は、ここからだ。


 検問なら既に人相書きは出回っているであろうし、トーマスを隠すためのちょうどよい馬車もない。


 ロクスレイは仕方なく、<ギフト>の方ではない特権を利用することにした。


「通行証を拝見する」


 検問に立っていた革の鎧を着た中年の男が手を差し伸べてきた。


「こちらフサール王国の信任状となっています。私はフサール王国第二書記局局長のロクスレイ・ダークウッドです。向こうにはダークウッドの森のマザー達に用件があり、来ました」


「フサール王国の――」


 中年の男から、検問の隊長らしき男に信任状が渡される。検問の隊長は信任状に目を通し、頷いた。


「フサール王国の信任状に間違いないようだが、ここの検問を通るという話は事前に聞かされていないぞ。何かあったのか?」


「外交とは何分、移ろいの多いものですから。時には変化に対して機微に動く必要がありましてね。詳細は話せませんが、そういうことです」


「……。外交について俺は門外漢だ。深く追及はしない。では、荷物と通行人の確認を――」


 検問の隊長はロクスレイの連れの一人を見て、ハッとする。フードを目深に被っているものの、一目で大柄と分かり特徴的な体格をしているトーマスに目が留まったのだ。


「おい、そこの男。フードを外してみろ。まさか人相書きの――」


 検問の隊長がそこまで言いかけたところで、ロクスレイは早口で言葉をまくしたてた。


「外交官、及びその同行者は使節団として輸送手段の不可侵性が保証されています。また、身体の不可侵性により逮捕拘束監禁は禁じられており、それを破ることは外交問題となります。ご存じでしょうか」


「い、いや。しかし急に何を」


「では裁判権の免除により、裁かれることや事件の証人となることを免除されていることについてはご存じでしょうか。ご存じないのですか? これらは死者の不可侵性とも言われ、外国に滞在中に生命や健康や自由を保障されることを意味します。時には、これらを侵害した者に対して国王は厳罰を処することもあると言います」


「な、なるほど」


 検問の隊長はロクスレイの専門用語や専門知識の羅列に、ただ首を縦に振るしかない。シラテミス王国とフサール王国との間の検問ならいざ知らず、ここはダークウッドの森に続く片田舎だ。対応に慣れていないのだろう。


「更にこれらを侵害することは相互外交の妨げであり、国家への反逆であります。加えて任務について明かせませんが、ダークウッドの森にいるマザーと客人の面会を妨害することは宗教的な侵害も意味します。これらを鑑みて正しい判断をお願いします」


「わ、分かった。ならば荷物の検査は免除しよう。しかし、せめて通行人の顔だけでも確認させてもらおうか」


 検問の隊長はそれでも食い下がる。ロクスレイは押し切るにはあと一歩と判断して、力押しすることにした。


「私の話を聞き届けてもらえなかったようですね。つまり隊長殿は使者に保証された不可侵性を破ると言うことですか。これは後でしっかり丁寧にシラテミス王国国王様のお耳に入れることにしましょう」


「ま、待て。そういう意味で言ったわけではない。分かった! 通っていいぞ」


 ちなみにこれらの不可侵性については、あくまでも使者の側が国内の法を順守した場合に限られている。例えば暴動を企んだり、国内事件に干渉したり、国の敵に支援することは使者の権利を放棄することに等しい。


 トーマスは確かにフサール王国の客人であるが、今回の場合かなりグレーなゾーンを踏み抜いている。もしかしたら後でシラテミス王国より非難されるかもしれない。


 そうなれば外交評判を著しく損なうことになる。けれども今は実利を優先すべきだと言う判断を、ロクスレイは下した。


 こうして強引ながらも、ロクスレイらは何とか調べられずに検問を通ることに成功したのであった。


「私から見ても、今のはかなり穴の多い論説のように思えたのだけど」


 検問を通り過ぎた後、ミリアがそう耳打ちをしてきた。


「掬えぬものを掬おうとすれば、水のようにどこかで漏れてしまうものです。今回は自分を助けるのに十分量だったので、良しとしましょう。先を急ぎますよ」


 無事通り抜けたとはいえ、追手が来ないとも限らない。ただしそれも、ダークウッドの森に入りさえしてしまえば問題はない。


 ロクスレイらは検問側から見て不自然でない程度に鹿の脚を速めた。


「さて、私の故郷。ダークウッドの森が見えてきましたよ」


 ロクスレイが指さす通り、山のようにうっそうと盛り上がっている森が一同の目前に現れたのであった。




「ウィル、道案内は貴方に任せますよ。私よりも紋章に詳しいのは貴方ですからね」


「へいへい。任されました。これはファーザーのお役目っすね」


 ウィルはこう見えて、マザーから聖務の代行を任されたファーザーという地位にいる。この役職は結婚を祝福したり、赤ん坊を清めたり、罪の懺悔を聞くなどを森から出てこないマザーの代わりを行うものだ。


 実質、聖職上の第二位の地位にいるわけである。


 ミリアはそのことを初めて知り、信じられないと言った顔をしていた。


「ファーザーはもっと厳格で、慎みがあって、道徳的な人物なはずなのに。どうしてウィルがそんな地位を保っていられるのよ……」


「失礼っすね。俺だって聖務の時はしっかりとするんですよ。何ならミリア嬢ちゃんのお悩み相談も」


「絶対に嫌よ!」


 ダークウッドの森は昼間だというのに暗く、奥に行けば行くほど闇が手招きをしている。そのため、ロクスレイらは森の手前から松明を手にしていた。


 水先案内人となったウィルはまず手始めに一番近い木の根元を探す。


 そこには、鳥のような紋章が描かれていた。


「頭を垂れる太陽神の鳥……となると、西っすね。西は……こっちっす」


 ウィルは手早く紋章の意味を読み取ると、木々を掻き分けて進む。森の色は更に深く黒い色に染まっていき。その中を、ロクスレイらは松明を手に一歩一歩確かめながら歩いて行く。


 ロクスレイらが進むごとに、森の枝や幹、地表に露出した根に描かれた紋章の数は湧き出るシミのように増えていく。紋章事態も最初のように意味がはっきりしたものから、より抽象的で難解な記号へと変わっていた。


 それでもウィルは順調に加護の紋章を読み解いていく。


「バラ窓、銀の十二宮の記号、公国紋章、ワシと雷光。なるほど、記号の組み合わせで順路と無視をすべき記号を提示してるんっすね。つまり――」


 ウィルは学者のように紋章の細部の意味を汲み取っていく。そこにはいつも酒場にいるほろ酔いの顔はなく、生真面目な男の顔だけがいる。


「紋章の読み間違いをすれば、下手をすると一生迷い込むか、最初の場所に戻されます。特にトーライ王国ではなく、シラテミス王国側からの入り口は難解です。ウィルがいなければ、ここ通れませんでしたよ」


「ウィルもたまには役に立つもののね。てっきりただの酒飲みのすけべ野郎かと思っていたわ。見直した」


「ウィルは繊細ですからね。日々を聖職者でいる緊張から心身を崩し、聖務から公務へ逃げ、そして酒におぼれるようになってしまいました。昔はもっと固い印象でしたのに」


「……今の態度からはとても考えられないわ」


 しばらくウィルに先導されていくと、徐々に遠来から光が零れ始めた。どうやらダークウッドの森の入り口を抜けたようだ。


 やがてロクスレイらの目の前に、幻想的な苔の絨毯と霧のベールに包まれた、開けた土地が現れた。


 そこには奇妙な形で鎮座している一軒家があり、軒下には誰かがいる。近づいてい見ると、その人影はロクスレイのなじみの人物であった。


「おかえりじゃの、ロクスレイ。ウィル。そして旅の仲間達よ。客人がシラテミス王国のお尋ね者になるとは間の悪いことよな。今日はゆるりと休んでいくがいい」


 木の板を外にせり出したような、縁側という場所にビックマザーのソルスがいた。彼女は分厚い粘土のコップに緑色の水を湛え、おいしそうに飲んでいた。


「さて、旅の話でも聞かせてもらおうかのう」

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