第15話「つかの間の休息」

 シラテミス王国に着いた使節団一同は道中捨ててしまった糧食や消耗品を買い直した。また戦死者達は、請負業者に故郷の地まで送り届けられることになった。


 あくまでも平和的な外交の仕事のはずが大勝とはいえ、戦死者まで出してしまい、使節団の空気は暗かった。そのため、ロクスレイは提案した。


 戦勝会をしよう、と。


「かーっ。やっぱ他人の金で飲む酒は上手いっすね。それにしても、ロクスレイの兄貴と俺、どっちが倒した数が多かったんですかね?」


「言おうと思ってましたが自己申告以外に確認のしようがありませんからね。確証はありませんよ。ちなみに私は忘れました」


「ちょっ。ずるいですよ、兄貴!」


 酒場の一角を借り、ウィルを筆頭に使節団は酒を飲み始めていた。戦い慣れているロクスレイの護衛達はともかく、黒百合騎士団の面々は無理にでも明るく振舞って生存を喜び、勝利を祝い、死者の鎮魂を祈っていた。


「ミラー、最後の突撃は見事でした。こちらは助けられましたよ」


「いえ、面目ありません。相手が正規兵とはいえ、貴重な護衛部隊から二人も戦死者を出してしまい。申し訳ありません」


「こちらこそ無理を掛けて、すいませんでした。今だけでも楽にしていてください」


「お言葉、感謝であります」


 ミラーはそう言って、護衛達の輪に加わる。自分も辛いだろうに、仲間を失って気を落としている者を励まし、笑いを作っている。そんな保護者気風のあるミラーを、ロクスレイは気に入って銀鹿騎士団から無理言って引き抜き、護衛隊長に任命したのだ。


 皆、思い思いに傷ついた心を洗い流している中、少し違う反応を示している者もいた。


「うむ、俺が活躍できなかったとはいえ有意義であった! 五百歩の距離を優に超える弓、最新兵器だという銃の威力。どれもアルマータ帝国にはない軍事力。ぜひ、うちにも採用したいものだな」


「軍事顧問みたいなことを言いますね。予言の使者を返上して、その道を行った方がいいんじゃないですか」


「ふむふむ、それもありだな。何にせよ、今回の旅は実り多き体験がわんさかではないか」


 ロクスレイの皮肉も通じないトーマスは、おそらく難破した体験も含めて良い体験と言っているのだろう。まさに豪の者、長年の戦いで心臓に毛でも生えているのではないかと疑ってしまう。


「メイは、何もできなかった」


 その中で、別の意味で落ち込んでいる者もいる。メイだ。


 メイは戦闘には参加できず、目の前で仲間達が倒れていったことにひどく不満と後悔があるようだ。


「メイはいつも私を救ってくれているじゃないですか。それが今回はたまたま巡ってこなかっただけ。勝負が時の運であるように、人を守る戦いも時の運。成すべきを成してもこればかりは仕方ありませんよ」


「そうか? そういうものなのか」


 さて、落ち込んでいる者の中で一番深刻なのは黒百合騎士団を指揮したミリアだ。ミリアは初の実戦のプレッシャーをはねのけたと言っても、戦闘後はまた違う。


 ミリアは戦いに勝利したという高揚と、仲間を失ってしまったという悲しみから。その二つの感情の狭間で苦しんでいる。


 この二つの相反する心境を制御できないのか、ミリアは誰よりも酒をあおっていたのだ。


「だからねえ。この戦いはロクスレイが隊長をすれば良かったのよう! 私なんてアリみたいな度胸で、周りから見れば年端もいかない少女なのよ。だからさあ、ロクスレイが隊長をすれば良かったのよう!」


 先ほどからロクスレイに絡み、同じ言葉を繰り返している。


 ミリアは遠征前に酒を一気飲みしたその強さから、べろべろに酔うことはないと油断していた。酒乱、というほどではないにしろ。ミリアの顔は赤く、目の焦点はやや虚ろだ。


 これが、からみ酒というものなのだろうか。


「なあ。ロクスレイぃ」


 ミリアは遠慮なく、ロクスレイに身体を預けて密着させて来る。女性経験の少ないロクスレイにとって、これはどきまぎしてしまう。なんとかしなければならない。


 ロクスレイはミリアと距離を取ってから、意を決して話しかける。


「それでも、ミリアは黒百合騎士団の勇猛さを私達に知らしめてくれたではないですか」


「そんなの。ロクスレイにもできたわよお。私は他の誰かが代用できる存在なのよお」


「いいえ、できません。私には黒百合騎士団への理解はなく、信頼もありません。一つの命令にしたって、行動に移させるまでのタイムラグはひどかったでしょう。それは致命的な遅れに繋がります。他にも、ミリアが指揮をとってくれたからこそ、私は隊の危機に迅速に対応できたのです」


 ロクスレイは、酔って視線の移ろうミリアに熱弁する。でもでも、と否定を繰り返すミリアに、これだけは伝えなければならないのだ。


「私はミリアのおかげで皆を救えたと思っています。だから、本当にありがとうございます」


 ミリアはロクスレイの生真面目な会釈に面食らったようだ。


「ミリアはもっと自分の成果を誇るべきです。それが死した仲間の弔い方の一つなのです。自分を褒めることで、共に戦った仲間を褒めて。失った悲しみを、誇りで埋めるのです。自分の死が仲間の脚を引っ張ることこそ、死者への侮辱にほかならないのですから」


 ミリアはロクスレイに言われて、首をちょっとかしげて。分かった、と言うように頷いた。普段も、これくらい物分かりが良ければ助かるのに、とロクスレイは思う。


「なら、本当に感謝してるなら、私にチューして」


「な、何を言っているんですか!」


 ミリアの誘惑に、ロクスレイはひどく狼狽する。この男、同世代の女性と手をつないだこともない童貞野郎なのだ。接吻など、まだロクスレイには早すぎるステップだ。


「何故、そう過激なことを要求するんですか!」


「だってえ、口で言うなら簡単じゃない。だから行動で示してほしいの。それとも、ダメ?」


 ミリアは目を潤ませ、上目遣いで問いかけてくる。どうやらミリアはからみ癖の他にも、甘え癖があったようだ。


 ロクスレイは悩んだが、事態を収拾するには他の者の目が酒と騒乱に向いている今しかない。この状況を長引かせ、他の誰かに、特にウィルなどに知られてしまえば一生ものの恥だ。


「特別ですよ。目をつぶってください」


 ミリアは言われた通りに瞼を落とす。本当に、ミリアは黙ってさえいればかわいいのだ。しかしそれは、ミリアらしくもないし、弱みに付け込んでいるようで気が引ける。


 だからロクスレイは、唇を重ねる代わりに、自分の人差し指をミリアの唇に触れてやった。


「これで勘弁してくださいよ」


「……いくじなし」


 ミリアは軽く拗ねた後、満面の笑みでロクスレイの行為を喜んでくれた。


 その直後、ミリアはそのまま椅子から転げ落ちるように酔いつぶれてしまった。




「わ、私はなんてことを……」


 祝宴を開いた次の日の朝、ロクスレイが二日酔いで苦しむウィルのために水を貰いに行くと、一階でミリアが机に向かって悶えていた。


 どうやら昨日のことはしっかり覚えているようで、二日酔いもないようだ。ただ本人にとっては、昨晩の酒のあおりで苦しんでいた方がまだマシなのかもしれない。


 それはロクスレイも同じだ。あんなキザな行動、他の誰かに見られたりしたらと思うとおぞけが走る。気持ちは似たようなものだ。


 ロクスレイは迷った後、ミリアに声を掛けることにした。


「元気そうですね。ミリア」


「あ……。何よ。笑いに来たの?」


「笑い飛ばせればいいのですが、あいにく立場は同じでしてね。同じ境遇の者同士、慰めあいに来たのですよ」


 ミリアはロクスレイを不審そうに見る。今にも自分を馬鹿にしようとするのではないかと、警戒しているようだ。


 ロクスレイはその猜疑心を解くために、一つ昔話をすることにした。


「私の初めての戦闘は、ミリアの見事な戦いっぷりに比べればひどいものでした。兵の派兵について東のスシイ王国と話し合いに行く途中、南の番族のピラマン部族の斥候に遭遇してしまい大変でした。その時はミラーも一緒にいてくれたので助かりましたが、私は鹿のヴェッリの上で小便を漏らしてしまいましてね」


「――プッ!」


 ミリアは吹きこぼす。掴みとしてはまあまあのようだ。


「その後が大変でしてね。鹿のヴェッリは自分の上で用を足したことに気付き、ご立腹してしまいましてね。しばらく私を背中に乗せてくれませんでした。おかげで私は馬車の上で揺られて、尻を痛めてしまいましたよ」


「はっはっは、何よそれ。自分の鹿に騎乗拒否されるなんて、可笑しい話」


「ええ、護衛達からも笑いものでしたよ。しばらくは小便たれの外交官殿と噂されて、顔を真っ赤にしながら仕事をしたものです」


 そう、だいたい初めての戦闘などこんなものだ。訓練通り動けるの者は数えるほどで、敵の首級を上げられることなどまずない。だからミリアは誇るべきなのだ。


「それに対して、ミリアもミリアの部下達も訓練以上の動きをしたのではないですか? 恥じることなど一つもありません。私のことは笑い話にして、国に帰ったら自分たちの勇ましさを喧伝すべきなのですよ」


「……そうね。ありがとう。ロクスレイ」


 ミリアは自分の醜態を忘れたかのように、感謝を述べた。


 さて、ミリアが落ち着いたところでロクスレイは話題を変えた。


「初めての実戦でマスケット銃を使った感じはどうでしたか?」


 マスケット銃運用事態は黒百合騎士団が初めてではない。これまでフサール王国の農兵による常備軍や仮想敵国のモグリスタ共和国でマスケット銃は実戦投入されている。


 しかし、黒百合騎士団にとっては何もかも初めてのことだ。


 ロクスレイ自身もマスケット銃の運用を目の当たりにしたのは今回が初めてで、単純に使用感について興味があったのだ。


「それについては部下達とも話したのだけど、正直に言えば、思ったほどの威力じゃなかったわ」


「やはり、ですか」


 ロクスレイは絶理の箱の知識でマスケット銃の運用方法について少しだけ知っている。マスケット銃はその性質から、銃単体の運用は難しく。大量動員大量運用するか、砦での使用に限られている。


 野戦で使おうものなら、前述の物量戦か長槍による援護が不可欠であり、小隊規模での使用は自殺行為に近かった。


「もし、ロクスレイの鉄条網がなければマスケット銃なんて隙の多い玩具ね。まだまだ運用も改良の余地が多いわ」


「聞くところによれば常備軍が反乱を鎮圧できたのも、数を揃えたマスケット銃による威圧効果が高かったおかげのところもあったそうですよ。敵国のモグリスタ共和国に至っては猛威をふるうどころか銀鹿騎士団の弓にあっさり撃破されてしまっているそうです。平野より森の多い地形なので、命中率の差が大きく出てしまうのでしょう」


「……」


 ミリアは黙ってしまう。黒百合騎士団の主力はマスケット銃と長槍だ。こうも明快に弱点を突きつけられては、躊躇うのも無理はないだろう。


 それでも、ミリアはただ弱いだけの女ではなかった。


「弱点があるのなら、補えばいい。銃の習熟の速さを活かして常備軍のように大量運用をする方法もあるわ。今までの、農奴達の真似をするなという考えも、変えていくしかないわ。マスケット銃はまだまだ可能性のある武器よ」


「そうですね。銀鹿騎士団も、近年は弓に長けた新兵を育成するのに苦労しています。五十年もあればマスケット銃の改良も合わさって、弓の代わりに銃が使われるようになるでしょうね」


「いいえ。五十年も要らない。三十年、いえ十年以内で黒百合騎士団は戦場の常識を変えて見せる。私が、そうするの」


 ミリアは野望に燃え上がる。これだけ元気なら、もうミリアは大丈夫だろう。


「それはともかく、特使の仕事を忘れないでくださいよ」


「忘れてなんていないわよ。特使の任務なんて、片手間で終わらせてあげるわ」


 ミリアはそう言って自信ありげな顔をした。

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