花が降る

真名瀬こゆ

視界を染める赤色の夢

 景色が上から下へと流れていく。

 あまりにも早すぎる速度で、どんどんと先へ進んでいく。私は強すぎる風にしっかりと目を開けることが出来なくて、遠くまで見通せる高い位置からの景色はほとんど見ることができなかった。

 もし、私の体重がもっと軽かったら、風船のようにふわふわと浮いてゆっくりと眺望を楽しむことができただろうか。真南の太陽からの強い日差し、高層ビルの数々は光を受けてきらきら輝くだろう。密集する住宅地の屋根は枯れ果てたパレットのようだろうか。集団で集まる人の群れを昆虫か何かのように錯覚するかもしれない。


「そういう自殺まがいなことはやめなっていったじゃないか」


 このまま地面に叩きつけられれば、原型も残らないほどに酷い弾け方をするだろう。しかし、それが叶わないことを私は知っていた。


「早かったわね」

「ボクがキミの奇行に気づかないわけないだろう」


 逆さまの視界のまま、私の身体は空中でピタリと止まった。この感覚は何度体験しても慣れない。慣性の法則をまるで無視し、今までためにためた運動エネルギーはどこに行ってしまったのか、と首を傾げたくなる。


「こんな変人がボクのご主人様とは」


 ぎりり、と耳に聞こえの悪い歯ぎしりを奏でるのは、怪鳥ヘディサムレ。

 赤色の花弁の翼をもつ化け物だ。どういう身体の構造なのか、私は未だに理解できない。

 人間なんて丸のみしてしまうだろう大きな嘴。いつでも半開きで、そこからは白い歯が見え隠れし、唾液に濡れた長い舌がだらしなく飛び出ている。いつ見ても汚い。

 ぎょろりと飛び出た目玉は厚く透明な膜に覆われていてぶよぶよとしている。茶色の虹彩と縦に長い瞳孔は、よく見ると別の生き物のように動いていて、あまり長く見つめることはお勧めできない。

 頭を覆うのはふわふわの羽毛であるが、これを撫でると手はボロボロになる。柔らかく見えるのは本当だし、実際にも柔らかいのだが、毛の形をした肌を裂く剃刀のようなものであり、簡単に肉を突き刺す棘でもある。

 私は最初に首に腕を回して抱き着いてしまったがゆえに、無数の小さな傷を負い、その傷すべてから血を流すこととなって、赤い皮をかぶることになってしまった。今思い返しても痛い。

 身体は爬虫類の鱗のようで硬い。身体から延びる脚も太く、ライオンなんかの首もへし折ってしまいそうな力強いかぎ爪をお持ちである。爪は鋭く、この前にカラスのように地面を跳ねてコンクリートを抉っているのを見た。

 一番目を引くのが翼である。花弁でできた翼は甘く幸せな匂いをさせているのだ。何の花かは分からないが、きっと学名もない花に違いない。大小さまざまな大きさであるが、同じ花の花弁はすべてが真っ赤である。これは頭の偽羽毛とは違い、触ることができるのだが、触れると花弁はあっという間に枯れてしまう。もちろん、私がこれを知っているということは、実践したことがあるということで、その時は片翼を使い物にならなくしてしまった。報復に右足を食べられてしまったのだが、結局、彼女の翼は元に戻ったので、納得がいっていない。私の足は生えてこないというのに。


「気持ち悪いわ。ヘディサムレ」

「それはそうだろうね。人間は足より上に頭がある生き物だから。あは、でも君には足がないね!」

「片方はあるわよ。その大きなおめめは節穴なの?」

「ボクの目は見たいものしか見ないんだ」

「子供の我が儘みたいな視力ね」


 くるり、と私の視界が回転する。ようやく正しい流れで血が流れ始め、私はふるふると頭を振った。頭が熱くて気持ち悪い。

 高いところにいるせいで太陽が近いからか、余計に熱く感じられた。このまま発火して消えてしまうかもしれない。


「ヘディサムレ、貴方が空を飛ぶと人間には軍事的事件になってしまうって分かっている?」

「キミが死のうとするからわざわざ出てきてやったんだろう」

「死のうとなんてしてないってば、高いところから落ちていただけよ」

「へえ、それで? 落ちる先はどこなの?」

「そうね、あの街路樹の上かしら」

「落下物の衝撃に裂けた木に串刺しにされたキミの出来上がりだ」

「汚い花が咲くわね」


 真っ赤の花ヘディサムレが。

 それはどんな光景なのかしら。私が花になってしまうのならば、それを見ることは叶わないのね。とても残念だけど、とても心躍るわ。


「そんな醜い姿を望まなくても、キミはすぐにでも真っ赤な花を咲かせられるよ」

「嫌よ。私、絶対に怪鳥遣いになんかならないわ」

「キミに選択権はないんだよ。ボクだってキミなんか絶対嫌だ。でも、ボクにも選択権はない」


 この世界で、私とヘディサムレだけが世界の理を知っていた。

 私は生まれた瞬間からすべてを知っていた。どうやれば彼女と出会えるかも、もちろん知っていた。本当はあと五年後に残酷な運命に導かれて邂逅するのが正史であるが、私は簡単に決めごとを破って彼女に会いに行った。そして、生きる意味を失った。


「これは物語なんだ。物語の進行も、命の役目もはすべて外側で決められる」


 彼女は我が物顔で空を闊歩し、支配者の顔で人間を見下している。この物語で彼女は女王様なのだ。何よりも不気味で、何よりも卑しくて、何よりも美しい。

 そして、私はその女王に首輪をつけて、鎖でつなぐのが仕事である。

 私は君臨者。この怪鳥を扱い、人間を滅ぼす宿命を担っている。


「絶対にお断りよ。私は必ず世界から脱出して見せるわ」


 ヘディサムレは私の夢を鼻で笑った。

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