第23話 天使


 時計塔の鐘の音が、青い空に響き渡る。


 そして、その音は、天上界に優しい音色を届けたあと、しばらくして、鳴りやんだ。


 鐘の音の余韻が、ほのかに残る中、クロは、固く閉ざしていた瞳をゆっくりと開けた。


 体は、今も震えていた。


 鐘が鳴り響いた瞬間、自分の魂は、身体から離れたのだと思った。


 だけど、振り上げられた鎌が、クロの体を通過することはなく、られる直前、肩口でピタッと止められた、その切先は、クロが息を飲んあとも、そこから動くことはなく


「ッ─────!!」


 瞬間、気が抜けたのか、クロは膝からガクリと崩れ落ちた。


 まだ消滅していないことを理解すると、緊張の糸が切れたのか、赤い瞳からは、一気に涙が溢れてきた。


 とっさに自分の体を抱きしめると、肌のぬくもりも、意識もちゃんとあった。


 だが、一体何が起こっているのか?


 サリエルが処刑を中断した意図がわからず、クロが恐る恐る視線を上げる。


 すると、広間の奥で、どこか驚いた表情をしているラエルの姿が目に入った。


 まるで、信じられないものでも見るような、そんな表情をしたラエルに、クロは更に困惑する。


「っ……な、んで……っ」


 軽くパニックになって、力なく床の上にへたり込んだ。


 これからどうなるのか? 今の恐怖を、もう一度味合わないといけないのか?


 先の分からない未来に怯えていると


「クロ」

「……ッ」


 瞬間、サリエルに名前を呼ばれ、無意識に身体が強ばった。


 その先の言葉を聞くのが、怖い。


 だが、そう言ってクロの名を呼んだサリエルは、冷たい表情でもなく、貼り付けたような笑顔ではなく、先程とは全く違う、穏やかな笑みを浮かべていた。


「どうやら、君にもいるようですよ」


「え?」


「君を、看取りにきた "天使" が──」


 その言葉に、クロは目を見開いた。


「て、んし……?」


 意味が分からず、ただ呆然とサリエルを見上げる。


 すると、その瞬間──


「サリエルさん。私は、クロを看取りに来たわけじゃありませんよ」


 声が、聞こえた。


 自分の背後で、広間の扉が閉まる音と同時に、聞こえてきた声。


 その瞬間、クロの瞳からは、また涙がこぼれ落ちた。透き通るような声だった。穏やかで優しい


 ──女の子の声。


「っ……、」


 その声をきいて、再び、クロがサリエルを見あげれば、サリエルのその視線は、まっすぐに広間の入口に向けられていた。


 体は、ずっと震えていて、一度、死を覚悟した身体は、そう簡単に落ち着くことはなかった。


 だけど、その声は、そんなクロの不安や恐怖をかき消すかように、はっきりとクロの耳に、心に、入り込んできた。


「っ……、なんで……」


 涙を拭うのも忘れて、クロは、ゆっくりと振り返る。


 すると、広間の入り口から、コツコツと靴の音を響かせて、歩いてくる少女の姿が見えた。


 肩口まである栗色の明るい髪に、日の光を浴びていないだろう、白い肌。


 そして、その背中には


 白く美しい──"天使の羽"が見えた。


 夢でも見ているのだろうか。

 幻覚でも見ているのだろうか。


 涙で視界がかすむ中、それでも、しっかりと目を凝らせば、その人物は、あの頃と変わらない柔らかな笑みを浮かべて、座り込んでいるクロの目の前に立つ。


「クロ」


 名前を呼ばれれば、自然と目の奥が熱くなった。


 なぜなら、そこにいるのは、あの日クロが看取り、天国にいったはずの


「コハク……っ」


 その名を呼べば、少女もまたクロを見つめて


「また、会えたね──クロ」

 

 花のような笑顔を浮かべた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る