ある誇大民族についての空想

仁後律人

ある誇大民族についての空想

 自らを神々と称するあの民族について、あなたはご存じだろうか。


 遙か南方、外界から隔絶された高地で独特の文明を築き、謎につつまれた生活を営んできた彼らのことだ。

 長らく現代文明との関わりを絶ってきたせいか、彼らは未だに協調や調和という概念を解さず、特有の尊大かつ高慢な性質によって周辺諸国を困らせ続けている。


 自らを神と位置づけるだけならばぼくらの社会でも珍しくないからまだ手のつけようもあるけれど、彼らの世界観は妙に作り込まれていて、それを否定しようものなら烈火のごとく怒り出すものだから、調査隊や支援団体はいつも気が気でないという。


 彼らは歌い唱えるような独特の発声法で、我々他民族を「ハイ=サイライ」だとか「アリアック=スウ」といった伝説上の奉仕種族の名で呼び、かける言葉といえばあれをしろこれをしろという命令のみだ。


 そういった連中のことだから尋常なコミュニケーションを成り立たせるのは難しい。せっかくの援助物資は捧げ物として接収されるばかり、外界の知識は不要なものだと拒まれるばかりで、ぼくらの世界が何を与え何を教えても彼らからは感謝の言葉のひとつもない。


 バカバカしい話だが、連中のあまりの尊大さ、ふんぞり返りっぷりに彼らこそ本当に神の末裔なのだと信じて拝み始める愚か者まで現れる始末だ。


 果たして、彼らはいかにしてそんな性質や文化を持つに至ったのだろうか。考察や研究は幾つも行われてきたけれど、これといった有力な信憑性を伴うものは未だにない。




 ……さて、彼らについての詳細はとっくの昔にさまざまな報告や論文、果ては胡乱なオカルト雑誌の記事に記されてきたことだし、日々勉強不足を痛感し続ける大学生のぼくでも知っている。

 だから説明はおさらい程度に留めておいて、本題に移ることにしよう。




 ご存じのように、彼らは長らく由来不明の古代ならぬ誇大民族として扱われてきた。

 なぜあんなに偉そうなのか。

 なぜあんなに自己評価が高いのか。

 答えは未だに導き出されず、大学の先生方の教養に富んだジョークのネタになりかけていたその謎にぼくが改めて着目したきっかけは、昨今著しい人工知能工学の隆盛であった。


 ――携帯端末や各種家電に人工知能を搭載し、発話命令によって生活における必須作業を代行させるアイデアが現実のものとなりかけている――。


 そんな夢のような話を聞いたとき、ぼくははたと気づいた。

 機械に労働を命じ代行させ、いつしかその快適さに慣れきって感謝も驚きもしなくなる。

 そんな未来のぼくらの世界観は、あの民族のそれとよく似たものになるのではないか、と。


 はるか古代には高度な科学技術文明が存在したのかもしれない。そう主張する学者は少なからず存在する。。

 由来を異にするいくつかの神話に同じ黒い板状のデバイスらしきものが登場したり、服飾や食事の文化に共通項がみられることがその根拠だ。

 とはいえ現状では前提にするにはあまりに頼りないから、悔しいけれどこの三文字を文頭に置こう。


 『もしも』。

 現代文明と同じかそれ以上に発達した科学技術が古代に存在したのならば、それはどこかで一度滅んだということになる。戦争や環境変化という何らかの要因によって。


 それでもぼくらが今を生きているということは、人類は数を激減させながらも生き残ったのだろう。

 そしてその生存者たちの傍らには、高度な文明の利器があったはずだ。命じるだけで面倒な作業を代替してくれるような、極めて高度な文明の利器が。


 高度とはいえ機械である限り、それは必ず劣化し故障する。部品を交換しようにも、それを生産する設備は文明ごと壊滅しているのだから、生存者たちはどこかで旧文明との別れを強いられたはずだ。

 そうしてゼロから形作られたものが、きっと今あるぼくらの世界なのではないだろうか。



 そして、空想に仮想を重ねるかたちになるが。

 おそらく、彼ら誇大民族の場合は――そうはならなかった。

 いかなる巡り合わせによってか、彼らは外界との往来が困難な僻地を生活の拠点としてしまった。限られた土地での生活は人口の拡大を留め、彼らを少数民族として保ち続けたはずだ。

 それは彼らの面倒を見る機械たちには好ましいことだったろう。世話をする人数が少ないということは、それだけ故障や劣化のリスクが低減するということだから。

 そうした具合で、彼らが利用した旧時代テクノロジーの劣化は比較的ゆるやかなものだったと考えられる。


 ぼくらの祖先が原始的な工具で文明を再興させようとしているときも、再び電気の灯火を手にしたときも、彼らは従順な機械とともに快適な毎日を過ごしていたのかもしれない。


 幸か不幸か、それは彼らの変化を遅れさせたことだろう。ぼくらの場合は生活スタイルの退化と進化によって実用的に変化した言語や文化が、彼らの場合はそうならなかった。


 そう考えると、ぼくらに対する高慢さにも納得できる。彼らの文明にとって人間たる自分たち以外の異物といえば奉仕種族イコールかつての機械であり、そいつらには命じるように話すのが当たり前だ。機械の内蔵マイクにも聞き取りやすい、はっきりした発声で。


 とはいえ、言語の経年変化や神話に登場する古代語などと照らし合わせて考えると、昔はもうちょっと簡素な名称だったんだろうな。





 ……たぶん、『ヘイ、シリ!』とか、『アレクサ』とか、そんな感じの。

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