輪輪輪廻

 良介は三井薫子の家のチャイムを押した。ドアの向こうでパタパタと近づいてくる足音が聴こえる。玄関の両脇に活けてある鉢植えは普通の盆栽に見えるが、その道に明るくない良介にとっては、いまや全てが怪しいハーブ的なものに感じられた。

 あれはあそこにあって大丈夫なシロモノですかとドラゴンに訊こうとしたが、当のドラゴンは三白眼をキョロキョロと動かし、離れた位置に所在なさげに立っている。


「なんでそんなとこにいるんですか。こっちきてくださいよ」

「いや、なんかこの、な」


 82歳の独身男は見るからに緊張していた。想い人の家に入るのが初めてのことなのかもしれない。これで三井さんが結婚してたら目も当てられないなと、良介は他人事ながらやきもきする。

 ドアが開き、薫子が姿を表した。部屋着なのだろうか、割烹着がよく似合っている。この老婆があのマジカルクッキーを焼いたとはとても思えない。


「あらあら、さっきはありがとうございました。どうしたんですか?」

「あ、先程のクッキーのお礼を言ってなかったなって。キマっ、酔ってたみたいで」

「そんなこといいのに」


 良介は薫子の目の動きや表情を観察しているが、特に変わった点は見受けられない。罪の意識そのものがないのか、先程のことを忘れているのか。


「それと次回の練習日についてですが……」

「あ、ここじゃなんだし、上がってちょうだい。散らかってるけど」


 魔女の館に招き入れられたらこんな気持ちになるのかもしれない。いつの間にか真後ろにぴったりとくっついていたコバンザメのようなドラゴンを伴い、魔窟・三井家に足を踏み入れた。



 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪



 リビングのテーブルに運ばれてきたお茶の色は、さわやかな緑だ。見かけ上、不安点はない。だが良介は念の為に、ドラゴンが口をつけて少し経ってから頂くことにした。

 知らないうちに毒見役を任された三白眼は警戒する様子もなく、「良い茶ですな」などとモゴモゴ言いながら湯呑を口に運ぶ。

 緊張の為に死んでも治らない状況になっているのか、それとももう午前中の記憶が消えてしまったのか。答えは前者だったようで、お茶を飲んですぐに良介を見ながら「あっ、あっ」と声にならない悲鳴を上げている。何も言わず20秒ほど毒見役を観察していたが、特に異変はない。どうやらこのお茶に何かが入っているということはなさそうだ。

 良介は話を進めることにした。


「ところで、三井さん」

「はい、なんでしょう」

「質問をお許しいただけますか」


 薫子は首を傾げている。

 良介は考えを巡らせた。どこから詰めていくか、ここは順番を間違えてはならないし、丁寧に話を進めていかなくてはならない。バンドの指南をするようになって分かってきたが、老人との対話を面倒くさがっていてはダメなのだ。面倒くささというのは伝わるもので、向こうが心を閉ざしてしまう。こちらが心無い雑な物の言い方をすると、相手は「いじけてしまう」と言えば分かりやすいだろうか。

 だが、この場には他に誰もいないこと、ペースを握られるのも厄介だということ、何より休日だというのにイリーガルな案件に巻き込まれていることに対する怒りのせいで面倒くささが勝った。


「こちらの毒見や、いえ、ドラゴンが貴女を好いていますが、どうでしょうか」

「おいおい、おおーいっ!」


 雑すぎる展開にドラゴンの声が甲高くひっくり返る。


「あのクッキーに練り込まれたものは違法です。知ってますか」

「ざっ、ざっ……」

「最初に訊くべきでしたが、結婚なされてるんですか」

「雑ゥ……」

「質問は以上です」


 オロオロするドラゴンをよそに良介は言葉を一方的に切り、相手の出方を待った。対面の薫子は首を傾げたままだ。動きがない。お茶を口に含んだ良介は「なんなら」と言いかけたが、さすがに慎んだ。


「もう一度言いましょうか?」

「いえ、大丈夫ですよ。ちょっと昔を思い出して」

「昔?」


 薫子は笑っている。お茶請けで出してくれたのであろう、チョコレートを一口齧った。


「19年前の夏ね。お庭に、あのヨモギが生えたのよ」

「いきなり生えたということはないでしょう」

「主人がジャマイカ旅行から帰ってきた後だから、靴の底になにかくっついていたのかもしれないわね。そうじゃないかもしれない」


 肩を落としたドラゴンが静かにお茶を飲んでいる。自分で告白する前の失恋が確定したのだ。2秒ほど同情し、良介は話を進めた。


「ええと、ご主人は空港で毎回ピンポン鳴らしたり、個室に監禁されたり、警察犬にガブリとされる感じの方ですか」

「それはなかったわね」

「失礼ですが、ご主人は何の為にジャマイカへ?」

「演奏ね。一応、プロのギタリストだったの」


 遠い目をしつつ、薫子はむき出しになったチョコレートを差し出してきた。所在なさ気なドラゴンが、どうも、と口に入れる。


「19年前の秋に、心不全でポックリ逝っちゃったんだけどね」


 良介は失礼を詫びるために頭を下げた。そんなショッキングな出来事があったからこそ、先程、19年前に生えてきたと即答できたのだ。会ったことのない薫子の夫に、心の中で失礼を詫びる。


「よく覚えてるわ。主人が亡くなった後、数ヶ月して、あのヨモギがね、生えてきたのよ、オホホ。それはもう元気よく、すくすくと育ってね」

「はい……」

「『これはきっと主人の生まれ変わりだ!』って思って、クッキーとかチョコレートに入れて、食べることに、したのオホ。あら雪かしら。そしたらオホそれがもう、美味しくて美味しくて美味しくてオホ、オホ」


 感動的な話から急速に甘い香りが漂ってきた。輪廻って植物までサポートしてるんだっけ、そんなゲームのガチャみたいな感じだっけと良介は三千世界に思いを馳せる。そして一つの残酷な結論に達した。


「あのですね、人は生まれ変わってもガンジャにはならねえですよ」


薫子はオホホという笑い声で応える。


「タイミングがね、そうとしか思えないのよオホ。ドリルが危ない。だって美味しいしオホホ。『輪輪輪りんりんりん』ってヒット曲ご存知オホ。あの映画の名は」

「なんかいい話かと思ったけど全然違った。やっぱり貴女は危険だ。知ってての所業なら犯罪です。ドラゴン、帰りましょう」

「貴女の心は美しいし、ありおり愛していまそかり。なぜならばリビングテーブルが浮いているから。だから消費税が」


 毒見役ドラゴン、82歳にして見事本日2度目のトリップ突入。あのチョコレートのせいだ。これでは連れて帰れない。魔女の館に足を踏み入れた気がした直感は、間違いではなかったのだ。

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