恋をしようよ Yeah! Yeah!

 良介は自分の身に何が起きたか把握していた。

 理由も元凶も、なんとなれば誰がどこで取った何を摂取した結果こうなってしまいました、と出るところへ出てつぶさに語ることもできたが、それをすると同時に路頭に迷うことは確実である。少なくともここがワシントン州やコロラド州、オランダやジャマイカでない限りは。

 大西家内の小次郎の和室で、良介と小次郎はかつてないほど真剣な面持ちで向き合っていた。傍らには放心状態のドラゴンとハッピーも、柱によりかかって斜めになったりしている。


「みなさん、アレ……知ってたんですか?」

「……知るわけないじゃろ」


 全員が首を横に振った。


「ですよねえ……」


 何はともあれ、今やるべきことは一つ。箝口令をしくこと。良介は全員を畳2帖ほどのスペースに密集させ、声を潜めて言った。


「僕たちは今日、バンドの練習をしました。納得したら全員返事をしてください」

「はい」


 全員が同じタイミングで答える。


「途中、三井さんが差し入れてくれたお酒を飲んだら、その度数が強くって意識が飛びました。そうですね?」

「はい、そうです」


ハッピーが手を上げた。


「マッスオ、クッキーの中に入っていたアレはたぶん大」

「酒」

「いやマリ」

「酒! 意識! 飛びます!」

「はい、酒でした」


 異論を唱えたハッピーを大声で黙らせ、再び全員に同じタイミングで答えさせる。


「ただ、そのお酒がなんなのか、三井さんもいなくなってしまったので、永久にわかりません。そうですね?」

「はい、わかりません」

「よくできました」


 よりによってこんなことでバンドメンバーとの結束が強まるとは。

 ただ、ここにいない三井薫子の動向が掴めないという不安は残る。あの現場を録画でもしておけば、資産家の小次郎や新興宗教の教祖ハッピーからはいくらでもふんだくれるのだ。狡猾な老人がどれだけ面倒な相手になりうるか、先日の教団での一件で良介は骨身に染みていた。


「これからどうしますか。三井さんを」

「どうしますとは?」


 ドラゴンが応じる。


「通報するか排除するか、のどうするかです。あんな危険人物、我が家に入り込ませる訳には」

「けど良介、彼女は何かと間違えたのかもしれない」

「その間違いが今、僕たちをここまで追い詰めているんじゃないですか。日本の社会はワンナウトで試合終了。今、ギリギリアウトのとこで喋ってるので口が悪くなってたら申し訳ないんですが、彼女は状況次第で」


 良介は前置きして、


「『ピン!と来たら』のポスターに顔バーンな人ですよね」


 と重々しい内容には相応しくない、ポップな物言いをした。

 ドラゴンが黙り込む。額をぶつけ合うような狭い空間に沈黙が満ちた。そこへ緊張感の欠片もないのんきな声が落とされる。


「アウトにギリギリも何もないじゃろ。それに終戦直後はヒロポンって合法じゃったしな」


 小次郎だった。このジジイまだキマってやがんのかと良介はいぶかしむが、義父の目には明らかに意志が宿っていた。


「けど急に違法ってことになって、それを知らずに捕まった奴も多かった。だから彼女も、もしかしたら」

「違法だと知らなかった、かもしれないと」

「うむ!」

「なるほど。で、だからなんなんですか」

「いや、あの」

「出るとこ出て、それ言えるんですか」


 良介の冷たい視線に、小次郎の舌先は凍りつく。静まり返った和室に、再び緊張感の欠片もないハッピーでのんきなフォローが投下された。


「ですがヒロポンより全然良かったですよ。神の声が聴こえるような気もしました。ヒロポンに浸っていた私が言うのだから間違いないです。三井さんのは自然のものですから体に害もないし」

「なるほど。で、だからなんなんですか」

「だから、その」

「黙っててもらえますね」


 本人が言うように、何かしらの境界線ギリギリアウトのところに立っている良介は余裕の無さから、老人たちを容赦なく次から次へと切り伏せていく。凝縮された濃厚な殺気が可視化されてもおかしくないほど苛立っていた。まさかそこへ3発目ののんきな爆弾がドラゴンから発射されるとは、誰が予想しただろうか。


「……彼女は……結婚してるのかなあ……」

「……知りませんて。何言ってるんですか……。お気楽な……。」

「薬指に指輪なかったんだよなあ。仲良くなりたかったのになあ」


 小次郎とハッピーが顔を見合わせた。小次郎はニンマリと笑い、ハッピーは黙ってドラゴンを指差し、両手でハートマークを作った。うなづいた小次郎がドラゴンをつつき始める。


「おいドラゴン、あれか、もしかしてもしかしなくても、彼女にホの字か?」

「ババババ、バカ言ってんじゃねえ。なな、仲良くなりたくて悪いか。いいいいいまはそれどころじゃねえだろ!」

「図星じゃな。いいじゃないか、ドラゴン老いらくの恋! わしらは応援するぞ! なあ良介君!」


 良介は殺気を解かない。このジジイどもはまだキマってるのかとすら疑っている。何よりかつてないほどの罪悪感がまだ身をさいなんでいた。


「よろしいのでは……。こちらに迷惑がかからなければ……」


 わあい、キャッキャと沸き立つ老人達。先程までの脱力感はどこへやら、まるで中学生のように色恋沙汰に夢中になっている。

「どこに惚れたんじゃ」「いやあの甘い匂いが」「それはアレ入りのクッキーの匂いですね」などとはしゃいでいる様子からは、数時間前に日本国の法律を犯してしまったアウトロー集団でございますといった気配は伺えない。


 良介は考える。楽観的な見方にはなってしまうが、恐らく、薫子は今回のことを黙っているはずだ。もし脅迫なり他言なりするような性格ならば、とっくに顔写真が交番横に貼り出されていてもおかしくない。

 司法を司る、撮影不可な堅苦しい場所に運悪く出頭することになっても「ヨモギおいしかったです」と無邪気に言わず「黙って渡された」と真実を主張すればいいのである。もつれこんだとしても簡易、地方、高等とランクアップするにつれ捜査の目はきつくなる。薫子が動画を録っていようが証拠としての根拠は薄くなるに違いない。


 とすれば、そこまで思い悩むことではないのかもしれない。そんな気がしてきた。


 何よりバンド面において彼女の存在は大きい。一聴して分かるほどギターの腕前は優れていた。埃を被っている様子もないES-335は手入れも十分にされているのだろう。

 だが彼女をバンドに入れるに当たって生じる大きな問題が、あのイリーガルヨモギだ。そもそもヨモギではない。彼女がそう言っただけで、アレは断じてヨモギではないのだ。しかし外部の人間が「アレ、ダメ!絶対!」と強く指摘したところで、アレの収穫をやめるとは考えづらい。それでやめられるようなものなら世界の多くの国で禁じられることはない。


 そこへまんまと飛んできたのがドラゴンの恋心である。もしドラゴンが本気で彼女との結婚を考えているのであれば、彼女をバンドにつなぎとめておくことができる。更に家族の進言であればヨモギを捨てる可能性が高まる。

 なにより、バンドの中で最も長く孤独な道を歩んできたドラゴンに伴侶ができることは、この上ない喜びでもある。

 一発の石を投げたところ、鳥の大群がボトボト落ちてきた気分になった良介は、もう一度同じ言葉を吐いた。


「よろしいのでは?」


 再び年甲斐もなく頬を染めキャッキャと喜び合うOld Holmesメンバー。


「ただし、そうするからにはドラゴンが彼女のアレを止めさせないとダメです。でないとボニーアンドクライドになりますよ」

「だよなあ。流石に蜂の巣にはされんじゃろうが」


 小次郎が同意した。


「というか、三井さん、本当に結婚してないんですか。結婚してても指輪してない人なんかいっぱいいますけど」

「私が調べましょうか。信者を使って」

「なんかめんどくさくなりそうなのでいいです」


 ハッピーの提案を断り、小次郎に向き合う。


「住所とか知ってます?」

「ああ、同じデイサービスのかみさんが知ってるはずだ。送迎があるからな」


 では早速ドラゴンを伴って行くとしよう。表向きの要件はクッキーのお礼と次の練習日のすり合わせだ。

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