【26】囁きと嘘

  浜辺で待機している一同は、倉庫に意識を移動させた。理沙が鏡に両手をついて、こちら側を覗き込むように見つめている。


 鏡に息を吐きかけた綾香が到着を知らせた。

 《来たよ 綾香》


 鏡に文字を書いたのに、理沙からの返事がない。綾香は首を傾げた。

 「あれ? どうしたんだろう?」


 そのとき、理沙の顔を見た健が驚愕した。

 

 頬は痩せこけ、顔色が悪く、目のくまが目立つ。


 由香里や純希ばかりか、健にも理沙の顔が衰弱しているように見えたのだ。由香里がゾンビのようだとひどい比喩を言っていたが、まさにそのとおりだ。生気が感じられない。それに室温も異様に暑い。


 今朝まではいつもの理沙だった。それなのに……どうして……まるで別人だ。


 健は、訝し気な表情を浮かべてまばたきをした。すると、不思議なことにいつもの理沙に戻っていた。

 「いまのはいったい……」


 綾香は健に訊いた。

 「どうかした?」


 健は答える。

 「一瞬、理沙がひどく衰弱しているように見えたんだ。室内も蒸し風呂みたいに暑かったし、なんだったんだろう?」


 健の言葉に驚いた一同は、理沙を見た。だが、いつもどおりの理沙にしか見えない。


 綾香は健に言った。

 「室温もちょうどいいし、理沙もふつうだよ」


 「だよな……。だけど、そのわりに返事が遅いと思うんだけど」


 「なんでだろう? あたしの字が見えてないのかな?」


 「お前が書いた文字が消えちゃったから、もう一度書いてみるよ」こんどは健が鏡に息を吐きかけて文字を書いた。


 《到着》


 鏡に現れた文字を見た理沙は、嬉しそうに微笑んだ。

 「お帰り。その字は誰?」


 健は綾香に言う。

 「反応した。気づいたみたいだ」


 綾香は首を傾げた。

 「へんなの。ちゃんと書いたのに」


 健は理沙の顔を見ながら返事を書いた。

 《ただいま 健だよ》

 (いつもの理沙だよな……)


 理沙は言った。

 「類より字が上手だね」


 《ありがとう》


 理沙が心配するだろうから、あえて由香里が失踪したことは伝えなかった。そのほうが理沙の精神面の負担も少ないだろう。類も、島で起きたすべてのできごとを理沙に伝えていないはずだ。


 「ふつうに元気そうだよな……」健はまじまじと理沙を見る。「本当にいまのはなんだったんだろう?」


 綾香は健に言った。

 「疲れてるんだよ」


 「俺の体力も限界なのかも。女のお前よりデリケートなんだろうな」


 「どういう意味よ」


 「そういう意味」


 いつもなら笑いが湧き起るところだが、失踪した由香里のことを考えると、そんな気分になれなかった。


 その後、静かな空間に、ようやく類たちが現れた。


 「おまたせ!」一同に言った類は、鏡に文字を書いた。《到着!》


 文字だけで類だとわかった理沙は、満面の笑みを浮かべた。

 「類!」


 「可愛い笑顔だ」と、類は純希に目をやった。「ゾンビには見えないだろ?」


 純希は動揺した。昨夜と同じように、理沙の顔が衰弱して見えたのだ。思わず後退りした瞬間、明彦にぶつかった。


 「ご、ごめん」

 

 明彦は慄然とした表情を浮かべて固まっていた。目線は理沙だ。純希は、訝し気な表情で明彦を見つめた。


 類が純希に訊く。

 「まさか……また理沙がゾンビに?」


 「ああ」純希は返事してから、明彦に言った。「俺だけじゃないみたいだけどな」


 理沙を見つめている明彦には、純希の声は聞こえていない。


 「明彦」反応しないので、純希はもう一度呼んだ。「明彦!」


 明彦ははっとした。

 「え? 何?」


 純希は明彦を疑う。

 「理沙の顔に生気を感じなかったんじゃないのか? それこそ、ゾンビみたいに……」


 類も明彦に訊く。

 「お前まで?」


 「そんなわけないだろ。目も頭もまともだ。純希のかんちがい」明彦は強く否定した。「理沙はいつもどおりだ」


 純希は明彦に言った。

 「そのわりに顔が強張っていたぜ」


 明彦は純希に言った。

 「理沙の顔も俺の顔もふつう。それこそ目の錯覚だよ」


 健も話に加わった。

 「じつは……俺にも見えたんだ。けどいまは、いつもの理沙にしか見えないけどね」


 純希は健に訊いた。

 「衰弱して見えるのは、ほんの一瞬なんだ。まばたきを数回すると、いつもの理沙に戻っているんだよ。お前もそうなんだろ?」


 健はうなずく。

 「うん。目の錯覚かと思ったくらいだから」


 理沙が鏡をノックしてきた。

 「みんないるの?」


 話が長くなりそうなので、類は理沙に待つように伝えた。

 《うん しばらくスマホで遊んでて》


 大事な話の最中なんだ、と理解した理沙は、スマートフォンを手にして素直にうなずいた。

 「わかったよ。漫画でも読もうかな。続きを楽しみにしていた漫画があるの」


 《いいな 電波がほしい》


 「そっか、そっちはずっと圏外なんだよね」


 《うん》


 「じゃあ、ミーティング終わるまで待ってるね」


 《ありがとう》


 類は、理沙から健に顔を向けた。

 「中断させちゃってごめん」


 「ぜんぜん」健は笑顔で返事した。「理沙も仲間なんだから気にするな」


 「そう言ってもらえると嬉しいよ」


 「それより衰弱した理沙のことなんだけど……」


 「俺の目に映るのはいつもの理沙だ。みんな疲れているだけだ」


 「だけど、疲労感だけの問題なのかな? 気味が悪いし、頭が混乱する」


 「まぁ……たしかに気分のいいものじゃないよなぁ。俺も衰弱した理沙なんて見たくないもん」


 ふたりの会話を聞く純希は、スマートフォンを操作する理沙を見つめて考えた。


 由香里と俺だけならまだしも、健にも見えたということは、やっぱり……これはなんらかのメッセージだと考えるべきだろう。もしかしたら、そのうちみんなにも見えるようになるかもしれない。


 現実世界の理沙は元気なのに、鏡の世界から見る理沙はひどく衰弱して見える。これにどんな意味があるのか……。


 由香里も交えて話せる場所を探さないと……。


 そういえば、由香里の声が聞こえない。


 人数が欠けていることに気づいた純希は、浜辺で待機している一同に訊く。

 「あれ? 由香里は?」


 結菜が困った表情を浮かべて純希に教えた。

 「それが、急にいなくなっちゃったの」


 「え?」と、純希、類、明彦は驚いた。


 純希は結菜に言った。

 「そんな大事なこと、どうしてすぐに言わないんだよ」


 「すぐに言おうと思ってたよ」結菜は純希に言った。「でも、純希も健も理沙が衰弱して見えるって言うから……」


 「由香里とずっと一緒にいたんじゃないの?」


 「目覚めは一緒だった。でも、鍋の中に溜まった雨水に映り込んだ幽霊を見て、突然、発狂したの。そのあと、ひとりになりたいって言い残して、うちらがいた場所に向かった由香里は、そのままどこかに消えちゃったの」


 「幽霊を見た? 浜辺にも幽霊が出たの?」


 「もしかして、そっちにも?」


 「出たよ。俺たちを連れて逝こうとした」


 「あたしたちも連れて逝かれるところだった。ジャングルで遭遇したら逃げ場がないから、みんなで三人を心配してたの」


 「かなりヤバかったけど、なんとか逃げ切ったよ」


 こんどは明彦が結菜に訊いた。

 「鍋に溜まった雨水に幽霊が映り込むなんて、浜辺だろうとジャングルだろうと、島にいるかぎり逃げ場がないんじゃない? 大丈夫なのか?」


 結菜は幽霊が出没する範囲を明彦に説明した。

 「それが、幽霊はジャングルから出られないみたいなの」


 明彦は言う。

 「だったら、由香里が見た水面に映った幽霊は、目の錯覚だったんじゃないのか?」


 結菜は言う。

 「目の錯覚だったとは思えないよ。水面には、まちがいないく幽霊が映っていたはずだよ」


 道子が明彦に説明した。

 「うちらには見えなかっただけで、島にはいろんな霊体が浮遊しているんだと思う。だって死神が所有する島なんだから、ある意味それが当たり前だもん」


 「なるほどな」明彦は道子の説明を理解した。「でも、たとえ浮遊していたとしても、乗客の幽霊みたいに、俺たちにとって害にならなきゃそれでいい」


 道子は顔を強張らせた。

 「害があろうとなかろうと見たいくないよ。怖いじゃん」


 明彦は訊く。

 「でも、乗客の幽霊みたいに俺たちを追いかけてくることもない。由香里のほかに、水面に映った幽霊を見たやつはいるの?」


 道子は答える。

 「いないよ。由香里だけ」


 目に涙を浮かべた結菜は、明彦に言った。

 「由香里は……水面だけじゃなくて、コップの側面にも何かが見えたみたいで、すごく怯えていた」


 明彦は訊く。

 「俺が見つけた無地のコップの?」


 結菜はうなずく。

 「うん……」


 由香里をひとりにしてしまった責任を感じていた綾香が言った。

 「泣き喚く由香里は、カラクリが解けたようなことを仄めかしていた。詳しく訊きたくても、どこにもいない。目を離さなきゃよかったって後悔してる」


 「ちょっと待って」驚いた明彦は目を見開いた。「カラクリが解けた? どういうこと?」


 類も衝撃を受ける。

 「うそだろ……」


 純希が綾香に訊く。

 「それはガチなわけ?」


 「わからない……」綾香は首を横に振った。「あのときの由香里はふつうじゃなかった。あたしたちは全員でコップも容器も確認したけど、発見時と何も変わらなかった」


 純希と類は、訝し気な表情を浮かべた。

 「容器?」


 容器を拾ったことを伏せているので、綾香は誤魔化した。

 「容器じゃなくて……鍋。ごめん、動揺してて」


 純希は言った。

 「このさい隠しごとはなしだ」


 なぜかわからないが、知られたくないと強く思う。


 カラクリを解くな―――と、囁いてくる自分の声が頭の中に響く。それと同時に恐怖を感じてしまうため、どうしても囁きに抗えない。綾香は嘘をついた。


 「何も隠してないよ」


 綾香たちには内緒で由香里から一部始終を聞かされていた明彦は唇を結んだ。明彦も純希と類に言いたくなかった。

 

 綾香は説明を続けた。

 「みんなでコップの側面を何度も確かめたけど、取り乱す要素なんてどこにもなかった。水面に映った幽霊は別として、由香里には幻覚が見えていたんだと思う。だって、もしも本当にカラクリが解けたんだとすれば、答えを教えてくれるはずでしょ? ヒントすら教えてくれなかった」


 類が言った。

 「小夜子もひとりひとりが理解しないと意味がないって言うばかりで、カラクリの答えを教えてくれなかった」


 綾香は言った。

 「あたしにはカラクリが理解できても、みんなにはできないって、由香里も同じことを言ってた」


 純希が言った。

 「てゆうか……ガチで解いたんじゃないのか? もしかしたら、ゲートに吸い込まれたのかもしれない」


 明彦が純希の考えを否定した。

 「カラクリを解いたとしても、墜落現場で答え合わせをしないかぎり、ゲートには吸い込まれないんだ。気の小さい由香里が、たったひとりきりで墜落現場に向かうだなんて信じられない」


 純希は深刻な表情を浮かべた。

 「だったらどこに……」


 道子が言った。

 「やっぱり……幽霊に連れて逝かれたんじゃ……」


 綾香は道子に言う。

 「浜辺でも言ったじゃん、縁起でもないこと言わないでよ」


 道子はうつむいた。

 (あれだけ捜してもいなかった。だったらどこに行ったっていうの?)


 健が明彦に訊いてみた。

 「何かいい方法はないのかよ?」


 乗客の幽霊に囲まれ追いかけられたとき、転倒した類の足を引っ張る幽霊がいた。あれは本気で類をあの世に連れて逝こうとしていたにちがいない。


 もしかしたら、由香里は……。


 希望は捨てたくない。何がなんでも十三人揃ってゲートを通り抜けたい。明彦はネガティブな考えを振り払った。

 「まなみと男となら会話ができそうだ」


 健は言う。

 「まなみちゃんに訊いてみたんだ。由香里はいないって言われた。嘘なのか本当なのかは、わからないけど……」


 「そうか……」


 ため息をついた明彦の視界に理沙が映った。


 理沙はスマートフォンを握っているものの、虚ろな双眸は画面を見ていない。しかし、不思議なことにまばたきをすると、いつもの見慣れた理沙に戻っていた。


 島から倉庫に意識を移動させた直後、理沙が衰弱しているように見えたのだが、純希の問いかけに対して、嘘をついて否定した。


 俺は幻覚を見ているのだろうか?


 もしも、現実世界にいる理沙が、あれだけ衰弱していたら命に関わる。


 なぜ、衰弱して見えるのか。


 考えを巡らせる明彦の頭の中に、ふたたび囁き声が響く。


 理沙の身を案じる必要はない―――


 明彦は口元に笑みを浮かべた。


 (俺に関係ないよな)


 いや、待て! と囁き声を振り払った。


 友達想いの明彦。それには従えない。


 (頭の中に響く囁き声は、なんなんだろう……。自分の声だから余計に奇妙に感じる)


 健は、話を中断させたまま返事しない明彦に声をかけた。

 「どうしたんだよ? ぼーっとしちゃって」


 「あ、ああ……ごめん」と健に返事した明彦は、こめかみを押さえて背を向けた。「ちょっと冷静になりたい。廊下に出るよ……」

 (頭痛がする。囁きに逆らったせいだろうか……)


 「え? まだ話が途中じゃん」


 「肝心な思考回路がシャットダウンしちゃったかんじ。いまここに俺がいても役に立ちそうにない」


 「大丈夫?」


 「少し休めば大丈夫だ」


 類が明彦に言った。

 「由香里の失踪については、俺たちで話し合うから休んでてもいいよ」


 「ありがとう」


 明彦はもう一度、理沙に目をやった。楽しそうな表情でスマートフォンの画面を見ている。


 衰弱した理沙を最初に見たのは由香里だ。そのあと純希。続いて健。そして自分。全員が異なる奇妙な光景を見たというなら幻覚だろう。だが……全員が同じ。


 何か意味があるのだろうか……と、思い詰めた表情を浮かべた明彦は、倉庫から廊下にワープした。腰を下ろして、壁にもたれて考えを巡らせる。


 理沙が衰弱して見えるのも不思議だが、頻繁に聞こえる囁き声も不思議だ。カラクリを追究しようとするたびに聞こえる。


 由香里には、カラクリを解こうとしていないみたいだと言われた。俺たちは心のどこかで答えを拒んでいるのだろうか……。


 けっきょく由香里から聞いた容器についても類や純希に伝えていない。容器は綾香が言うように死神が置いたのだろうか……。


 死神の置物だ―――漂流物じゃない―――と、ふたたび囁き声が聞こえた直後、純希と健が廊下に現れた。


 「具合はどう?」純希が明彦に訊いた。


 「大丈夫だ」明彦は返事した。「ミーティングに参加しなくていいのか?」


 「理沙がゾンビに見えた特別グループで語りたくて、健と小声で話し合って廊下に出たんだ」


 「由香里の行方は考えなくていいの?」


 「類たちがいま話し合ってるよ」


 「そっか……心配だな」


 「みんなも心配してる」


 そのとき、綾香が廊下に現れた。こめかみを押さえて顔を歪めている綾香を見た明彦は、自分と同じ症状に悩まされている、とすぐにわかった。しかし、純希と健にはないようだ。


 「頭が痛いんだろ? 大丈夫か?」


 「痛いけど、なんとか大丈夫だよ」綾香は明彦に返事した。「囁きに逆らったの。やっと……逆らえたの……」


 「やっぱり……」


 「やっぱりってことは、明彦にも聞こえるの?」


 「ああ。俺も囁きに逆らってここに来た。まだ頭痛がする」


 純希と健にはふたりの話が理解できない。


 純希がふたりに訊いた。

 「囁きって何? 俺らにもわかるように説明してよ」


 由香里から聞いた容器の話を、純希と類に伝えていない明彦は、打ち明けることを躊躇した。


 そして綾香は、発見した容器を “死神の置物” と意見したとき、由香里以外の全員が賛成したことに疑問を持っていたが、それを口に出したくなかった。


 おそらく純希が浜辺にいれば、由香里と同じようにその意見を否定したはずだ。健は賛成したのに、なぜここに来たのだろうと疑問を感じた。


 あのときは、“死神の置物” という考えに賛成しただけなのだろうか? そしていまは、考えが変わっただけなのだろうか?


 ここで健に理由を訊くと、容器の存在を知られてしまう。みんなで考えたほうが答えに近づけるはずだ。それなのに心が拒む。どうして……。


 考え込む綾香よりも先に、明彦が口を開いた。すべてを説明しなければ先には進めない。島から脱出するためにはカラクリを解く必要がある。

 「なぜだかわからないけど……囁き声が聞こえるんだ。どうしても逆らえなくて……囁きが正しいかのように思ってしまう。じつは……由香里から……」


 明彦は、由香里から聞いた話を伝えようとした。その瞬間、頭痛が始まった。鈍い痛みとともに囁き声が聞こえ始めた。


 駄目だ―――


 カラクリを解いては駄目だ―――


 (自分の声だ。それなのに、カラクリを解きたい気持ちとは真逆の言葉を囁いてくる。この声の原因は、いったいなんなのか……)


 頭を押さえる明彦に、純希が声をかけた。

 「頭痛か? 大丈夫?」


 「うるさい!」明彦は自分の頭を叩いた。「黙れよ!」


 突然、声を上げた明彦に、純希は吃驚する。

 「なんだよ、いきなり。どうしたんだよ?」


 明彦は説明する。

 「本来の自分とは真逆の考えを囁いてくる奇妙な声が頭の中に響くんだ」


 純希は訊く。

 「もしかして……死神の声?」 


 明彦は答える。

 「いや……不思議なことに自分の声だから余計に戸惑う」


 頭痛に負けていられない。綾香は自分の身に起きている不思議な症状を説明する。

 「カラクリについて考えようとすると、囁き声が聞こえる。まるで、もうひとりの自分が囁いてるみたい。そして、その声を正しいと思い込んでしまう。囁きに逆らえば恐ろしいことが起きるような気がして、心の中が不安でいっぱいになった。だからいままで逆らえずにいたの。でも、いつもの綾香じゃないって由香里に言われてから、囁き声が聞こえる理由が気になってしかたないの」


 健が言った。

 「俺は囁き声が聞こえるわけじゃないけど、カラクリを解こうとすると、いままで感じなかった不安や恐怖に駆られた。なぜだかわからないけど、カラクリを追究するのが怖くなったんだ」


 明彦は純希に訊く。

 「もしかしたらみんな同じなのかもしれないな。お前はどうなんだ?」


 純希ははっきりと否定した。

 「いや、ぜんぜん。俺はカラクリを解いてさっさと現実世界に帰りたい、それだけだ」


 明彦は首を傾げた。

 「個人差でもあるのかな?」


 綾香は、明彦と純希に教える。

 「みんなにも夢がある、わかるよ、みんなの気持ちって、姿を消す直前に由香里が言ってたんだけど、将来の夢に関することが個人差の理由ってこと?」


 純希は苦笑いした。

 「だとしたら、俺が一番、現実的かもな。中学のときに実家の会社が潰れてから、世間の厳しさを目の当たりにした。夢も希望もなくなって、現実だけを見るようになったから」


 健が言う。

 「俺は、これといったやりたいことがないから、大学で将来を見つけようと思ってる。だからいまのところ夢はないし、高校生活を楽しんでるだけかな」


 明彦は両腕を胸の前で組んで考えた。

 「確かな夢と将来があれば、囁きが聞こえるということなのだろうか……」

 

 純希は言った。

 「死神は夢のある人間を潰したいのかもな」


 綾香は言う。

 「やっぱり、小夜子のときとはちがうのかな? こんなの類から聞いてないもん」


 明彦は言う。

 「三十年前とは異なる展開でも、最後は変わらない気がするけど……どうなんだろう?」


 「そういえば……それ、由香里も言ってた」綾香は思い出す。「けっきょくは三十年前と変わらない悲しみの結末だって」


 「悲しみの結末? どういう意味だ?」


 「さぁ」


 「島で起きてる謎のひとつひとつが答えに結びつく。由香里はいったい何を言いたかったんだろう……」


 「ねぇ、島で起きてる謎が答えに結びつくんだよね? それって幽霊の出没に関してもそうなのかな?」


 「あいつらは俺たちを連れて逝きたいだけなのかもしれないし、まだなんとも言えない」


 「そっか……」


 「どっちにしても、ガチで由香里がカラクリを解いたとすれば、何か解くきっかけがあったはずだ。それも俺たちが想像するより単純な何か……」


 「逆に超複雑な答えっていう可能性もあるんじゃない?」


 真剣な面持ちで言った。

 「いや……おそらく……きっかけひとつで解けるはずだ」


 難しい表情を浮かべた。

 「きっかけひとつで解けるほど単純なら、どうして小夜子は、アメリカ人に答えを説明されても理解できなかったのか、それが不思議だよ」


 健が言った。

 「カラクリを解こうとすると不安に駆られた俺らと同じで、小夜子もそうだったんじゃないのかな? 由香里が、コップや容器の側面に何かが描かれてるって必死だったけど、俺らには何も見えなかったじゃん。それこそ、理沙が衰弱して見える俺らと、みんなとのちがいみたいなものなんじゃないの? 答えを理解するためにも、そのきっかけってやつが必要なのかもな」


 「答えを理解しないと、肝心な ‟答え” が目に映ることはない……」綾香は、浜辺で言った考えを改めた。「やっぱり……コップや容器の側面には何かが描かれているってことだよね。由香里は幻覚をみていたわけじゃない」


 「ちょっと待て」純希が綾香に訊く。「倉庫でも言ってたよな? 容器ってなんのことだ?」


 健と綾香は気まずそうに顔を見合わせた。そして健が綾香に小声で言った。

 「俺の心にあった不安も、綾香や明彦の頭の中に聞こえていた囁き声も、きっとカラクリの一部なんだよ。だったら、囁かれた内容と真逆の言動をとるべきだ。漂流物のこともちゃんとふたりに伝えよう」


 容器に関して言いたくない自分と、言わなければならないと思う自分が葛藤する。だが、綾香は打ち明ける覚悟を決めた。

 「そうね。いつもの自分と真逆の考えを囁いてくるなら、それを反対したらいいんだよね。そうすれば、いつもの自分の考えになる。まるで反抗期みたい」


 隠しごとをしていた明彦も、健の意見に納得した。先ほど打ち明けようとしたときは、囁き声が聞こえるのと同時に、強い不安感があった。それに、ひどい頭痛がしたため言えなかった。


 「なるほどな、俺も囁き声が聞こえたときは、真逆の考えでこの先を進んでみるよ。じつは、何も知らないふりをしていたけど、みんなが見つけた容器のことを含め、由香里に全部聞いていたんだ」


 綾香が訊く。

 「え? いつ聞いたの?」


 明彦は答える。

 「熱中症の診断をするって廊下に出たときだよ」


 純希が明彦に言った。

 「ジャングルで隠しごとはしてないって言ったじゃん。嘘ついていたのかよ」


 「ごめん、いままで言えなかった。ようやく、恐怖心と囁きに逆らえたんだ。あのときは、どうしても囁きが正しいと思い込んでいた。本能のように抵抗できずにいた。さっき理沙が衰弱して見えた瞬間、本来の自分を取り戻せたんだ」純希に謝った明彦は、綾香に訊いた。「綾香もそうなんだろ?」


 綾香は首を横に振る。

 「いまのところ、あたしにはふつうの理沙にしか見えないの」


 明彦は綾香に理由を訊いた。

 「だったら、どうして冷静になれたんだ?」


 「由香里に “綾香らしくない” って言われてから、いったい何があたしらしくないんだろうって、ずっと考えていた。その疑問があたしを冷静にさせてくれた。だから衰弱した理沙を見て自分を取り戻せたわけじゃない」

 

 「そっか……そのうち見えるかもな」


 「そうだね、見えるかもしれないね。島に迷い込んでから現実世界では考えられないことばかり起き」


 「それはここが現実世界じゃないからだよ」と綾香に言った純希が、話を巻き戻す。「明彦との会話を中断させてわるいんだけど、容器について詳しい話を聞かせてほしい」


 綾香は、純希の質問に答えようとした直後、頭の奥に痛みを感じた。だが躊躇うことなく答えた。

 「あ、ごめん。こっちこそ中断しちゃったね。浜辺でクリーム入りの容器を発見したの」


 「クリーム?」


 「うん。劣化した油臭さを感じたけど、ふつうの美容クリームみたいな質感だった。あたしは漂流物じゃなくて、死神の置物と考えた。由香里には否定されたけど、みんなは納得してくれた」


 「死神の置物? 俺もそれはしっくりこないかな」


 明彦が言った。

 「それを由香里から話を聞かされたときは、さすがは綾香だって思った。だけど囁きに打ち勝ったいまは、純希じゃないけどしっくりこない」


 健が明彦の言葉にうなずく。

 「俺もだ」


 綾香は疑問を言った。

 「だけど……ひとが住んでいる島が存在しないのに、あれが漂流物だったら、やっぱり島の海は現実世界と繋がっていることになるよね?」


 明彦は閃く。

 「きっと、あの島全体が捕獲器みたいなものなんだろう。一度入った獲物は、二度と島から出られない。脱出するには罠をはずす必要がある。その罠をはずすために必要な鍵がカラクリの答えなんだ。だからたとえ現実世界の海と繋がっていたとしても、俺たちはカラクリを解かないかぎり現実世界には戻れない」


 三人は明彦の考えに納得した。


 漂流物が死神の置物だと言った綾香も考えを改めた。

 「島に流れ着いた漂流物がふたたび海を彷徨っても、現実世界の海には辿り着かないってこと?」


 「ああ」明彦はうなずく。「だからこそ、旅客機の墜落現場で正確な答えを知る必要があるんだ。じゃないとゲートは通れない」


 「よかった」と、純希が肩を揺らして小さく笑った。


 突然、笑い始めた純希を、三人は奇妙に思った。


 明彦が純希に訊く。

 「何ひとりで納得して笑ってるんだよ?」


 純希は笑った理由を答える。

 「安心したんだ。いつもの明彦に戻ったから」


 「でも、まだ頭の奥に痛みが残ってるんだ」明彦は不安を口にした。「またおかしくなり始めたら問答無用で殴ってほしい。囁きに負けるのはもう嫌だ」


 純希は指の関節を鳴らした。

 「俺のパンチは超痛いから、痛い思いをしたくないならしっかりしてくれよな」


 明彦は口元に笑みを浮かべた。

 「そうだな」


 綾香が健に言った。

 「みんなは理沙が衰弱しているように見えるみたいだけど、あたしにはいつもどおりの理沙にしか見えないの。これに意味があるとしたら、あたしはみんなとはちがう。

 あたしの様子がおかしいと思ったら引っ叩いてほしい。もうひとりの自分の奴隷になるよりマシだよ」


 健は戸惑う。

 「女の子に手を上げるのは嫌だな」


 「ビンタ一発であたしの目を覚まさせてほしいの」


 「抵抗があるんだよねぇ」


 「あたしが言ってるんだからいいの」


 明彦が本来の自分を取り戻したので、安堵した純希は得意の冗談を言う。

 「おっぱい揉んでみろ。互いに目が覚めるぜ」


 健は呆れる。

 「でたな、久々の変態……。お前らしいけど」


 綾香は健以上に呆れる。

 「将来セクハラで訴えられないように気をつけてね」


 「冗談はそこまでだ」明彦が真剣な面持ちで言った。「真面目な話、囁きが聞こえると、理性を保てるか自信がないんだよ」

 

 綾香も不安だ。

 「あたしもだよ」


 純希は言う。

 「そんなの簡単だろ? 囁いてくる内容と真逆の行動をとればいいって、さっき言ってたじゃん」


 明彦は言う。

 「その制御が難しいんだ」


 「お前はもう大丈夫だ、信じてるよ」


 自分を信じてくれている。純希の言葉をありがたく思った明彦は、ジャングルでの方向転換を考えた。

 「俺たちが進むべき道は、俺が選択した方向じゃなくて、純希が進もうとしていた方向だ。それが囁きに逆らった考えだからね」


 明彦が進もうとしていた方向に大きな不安を感じていた純希は、胸を撫で下ろした。

 「よかった。浜辺に引き返すなら、それが一番いいと思う。ちなみに、幽霊が指し示した墜落現場の方向に進むのは俺も抵抗がある」

 

 綾香が純希に訊く。

 「幽霊に何を言われたの?」


 純希は答える。

 「男に墜落現場の方向を教えられたんだ。小夜子やカラクリのことまで知っていた」


 「そんなことまで?」


 「幽霊になってからずっと俺たちを見ていたらしい」


 「どうしてあたしたちを観察してるの? 気持ち悪いよ」


 「それに俺たちを助けたいって言っていた」


 「あたしたちを助けたい? そんなわけないじゃん。道連れにしようとしたくせに。幽霊が教えてきた墜落現場の方向に進んじゃ絶対に駄目だよ」


 「もちろん行かないよ」


 明彦は言った。

 「純希が進もうとしていた方向に進む、それに決定だ」


 純希は深刻な面持ちを浮かべた。

 「問題は類だな。きっと反対する」


 「俺と綾香みたいに声が聞こえているのか、それとも健のようにカラクリについて考えると不安になるのか、類に訊いてみないとな」


 「訊いても正直に答えてくれないんじゃないの? 現にお前だって俺に嘘ついてたじゃん」


 「まぁ、そうだけど。説得するしかないだろ?」

 

 健が言った。

 「いつものみんなに戻ってもらわないと困るし、囁きについて話し合うべきだと思う。このままだと、いつまでたってもカラクリが解けそうにない」


 綾香が疑問を言った。

 「でも……どうしてカラクリについて考えると不安に駆られるのか……。最初はなかった感情だよね。さっさと現実世界に帰りたいのに超厄介」


 「根拠はないけど、カラクリの答えになんらかの不安要素があるからなんじゃないのかな? 無意識のうちに答えを理解していながらも、カラクリを解きたくないとか?」と言ってから明彦は、首を傾げた。「なんか……自分で言っといてわるいけど、しっくりこないなぁ」


 純希が明彦に言う。

 「もう少し時間がたてば、お前がはっきりさせてくれる。俺は期待してる」


 「超プレッシャーだね」明彦は軽く笑った。「けどさぁ、時間の経過とともに事情が複雑になっているのは気のせい?」


 純希もそう思っている。

 「たしかに言えてる」


 綾香が言った。

 「由香里を見つけ出したら答えを訊きたいよ」


 明彦は言った。

 「もし……自ら消息を絶ったとすれば、みんなを心配させることになる。それを承知でいなくなった由香里を見つけたとしても、答えは教えてくれないと思う。しつこく追及したら、またどこかに消えてしまうような気がするんだ。

 それこそ、理沙が衰弱して見える俺らと、みんなとのちがいみたいなもだ。カラクリの答えを理解してないと、コップや容器に何も見えないのと同じで、墜落現場に到着しても答えを確認できない。けっきょくは自力で解くしかないってことだよ」


 綾香はため息をついた。

 「そうだよね……由香里は教えてくれないよね……」

 

 純希は首を傾げる。

 「でもさぁ、肝試しでさえ無理なやつなのに、ビビりな性格の由香里が、ひとりきりでジャングルの奥地に行くわけないと思うんだけどね。俺でさえ単独行動は嫌だよ」


 そのとき、倉庫にいた一同がこちらがにワープしてきた。四人はこちらを見下ろす冷たい一同の目に恐怖をいだいた。


 いま囁きに関することを説明すると、恐ろしいことが起きそうな気がした綾香と健は、明彦と純希に目をやった。


 「そろそろ浜辺に戻ろうかな……」綾香が言った。「由香里を捜さないと……」


 明彦と純希も一同の表情に不安を感じた。もし浜辺で争いが起きた場合、七対二だ。明彦は綾香に小声で言う。

 「気をつけろよ」


 綾香は小声で返事した。

 「そっちもね」


 四人が立ち上がると、類が訊いてきた。

 「内緒話?」


 明彦が答えた。

 「いや……疲れたなって言い合ってた」


 類は笑みを浮かべた。

 「ジャングルに戻ろう」


 「そうだな、戻ったほうがよさそうだ」


 綾香と健は、純希と明彦に目をやった。油断するなと表情で伝えた。その後、浜辺で待機している一同とともに廊下から姿を消した。明彦と純希も、類と一緒にジャングルへ意識を移動させた。

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