【13】魔鏡の世界

  楽しそうな少女の笑い声が聞こえる。


 廃墟が映し出された鏡の破片に吸収された類の体は、粒子のように細かくなり、誰かの記憶の中にいた。意識ははっきりとしており、トンネル状の巨大な映写幕の中を落ちていくような奇妙な光景が広がっていた。


 鮮明に映し出される記憶の数々が類を取り囲む。


 アンティークの家具が置かれた広いリビングルームに設置された大きな鏡の前に、若い女が立っていた。女は、駆け寄ってきた幼女を抱き上げて、笑みを浮かべる。そして幼女は微笑み返す。


 お母さん大好き―――


 場面は変わり、リビングルームから家具が撤去されて、生活感がない売家になっていた。玄関の鍵穴に細長い金属を入れてピッキングする男と、長い黒髪の少女の姿が見えた。玄関を開けた男女は殺風景なリビングルームに侵入して、キスを交わす。フローリングに横たわった少女の衣服を脱がせる男。その後、少女は男に愛撫されて、快楽に悶える。

 

 お兄ちゃん大好き―――


 ふたたび場面が変わった。桃色のカーテンが引かれた室内の片隅に置いてある机に座る少女は、卓上カレンダーを手にした。西暦一九九一年、暦十二月二十八日に印をつけると、余白にサイパン旅行と書き込んだ。


 その直後、類は制御を失った軽飛行機の中にいた。六十代前半の操縦士と十代の乗客を含めた六人の動揺する声と悲鳴が機内に響く。機体は一気に急降下し、鬱蒼としたジャングルが目の前に迫った。


 自分が搭乗していた旅客機の墜落の瞬間とよく似た光景を目の当たりにして、フラッシュバックに襲われた類は、悲鳴を上げながら、魔鏡と呼ばれる廃墟の鏡の世界へ抜け落ちた。そして、粒子だった体は瞬時に元の形状を取り戻し、仄かな月明かりが差すリビングルームの床に尻もちをついた。


 恐怖に身震いする類は、乱れた息を整えようとした。

 「くそ……どうなってるんだよ……」


 (やっぱり飛行機は一生無理だ。それにしても……どうして魔鏡に移動してしまったのか。どうやって学校に戻ったらいい?)


 自分が置かれている状況を冷静に考えようとした。そのとき、正面にひとの気配を感じたので、驚いて咄嗟に顔を上げた。すると、白いロングワンピースに身を包んだ少女が立っていた。


 このとき、純希と一緒に撮った画像に映り込んだ少女の影はこの子だとわかった。そして、ここに降り立つあいだに見たすべての光景が、この少女の過去の記憶なのだろうと理解した。


 立ち上がった類は、少女から離れた。


 少女は後退りする類に尋ねた。

 「あなたは誰なの? なぜここに?」


 十三人だけの鏡の世界に、見ず知らずの部外者が突然現れたら驚くだろう。そして自分も、少女と同じ質問を部外者にするはずだ。


 旅客機が墜落してからきょうまでのできごとを少女に打ち明ければ、島から脱出するために必要な手がかりを得られるかもしれない。


 だが……少女の記憶の中で見た卓上カレンダーの西暦は一九九一年。少女はまちがいなく廃墟の元所有者の娘だ。三十年前の過去の人物がここいる。


 なぜ……。


 もしも自分たち十三人と同じ状況で鏡の世界にいるなら、どこかで歳をとらずに寝起きを繰り返していることになる。少女は死んだのではなく、行方不明者なのだから……。


 どうして少女が鏡の世界にいるのか気になる。それに……卓上カレンダーにサイパン旅行と記入していたので、なおさら気になる。自分たちが搭乗していた旅客機の墜落となんらかの関わり合いがあるとしたら……。


 (怖気づいている場合じゃない。訊かなきゃいけいないんだ、自分たちの運命のために!)


 「無料で海外に行けるモニターツアーの登録をして……」


 類が言っている意味がわからない少女は首を傾げた。

 

 類は考える。

 (三十年前にそんなものあるけないよな。インターネットすら一般に普及していない時代だ)


 類は少女にわかるように一連の流れをおおまかに説明し始めた。

 「あるツアー会社の抽選で、無料で行けるサイパンツアーに当選した俺は、友達を十二人誘って飛行機に乗った。それがフライトから数時間後、俺たちが乗った飛行機は無人島に墜落し、機体は大破した。生存者は俺たち十三人だけ。その後、海を目指してジャングルを歩いたんだけど……」


 類の説明の途中で、少女は静かな口調で言葉を連ねた。

 「大地に根を下ろす植物は硬質で摘み取ることすらできないのに、散った植物は簡単に握り潰せる。虫もまた同じ。生体はまるで石のように硬い。だけど生命線が断ち切られているものは脆い。そして、眠れば鏡の世界、目覚めればジャングル」


 鳥肌が立った。自分たちと同じ状況でここにいる。だとしたら三十年ものあいだ、鏡の世界と現実を行き来していることになる……。


 (いったい、どういうことなんだ?)


 「あなたはいま眠っている。そして鏡の世界にいる」類を見据えて、もう一度、訊いた。「あなたは誰なの? なぜ、私の鏡の世界に? あなたの鏡の世界はここじゃない。どうやってここに来ることができたの?」


 「学校の鏡を割った。夢の世界の鏡を割ってもらったんだ。気がつけばここに……」


 「鏡の外に協力者がいるのね? だってここからでは、ドアすら開けられないもの」


 「うん」大切な協力者、理沙がいる。「俺だけじゃ何もできないから」


 「こことあなたがいる鏡の世界が偶然繋がったんだわ。もう二度と起きない現象だと思う。そう……偶然……」


 偶然この世界に……。


 少女は島のカラクリの答えを知っているのだろうか? いや……もし知っているのだとしたら、とっくに島から脱出しているはずだ。鏡の世界にいるはずがない。


 何から何まで気になることばかり……。


 訊きたいことがたくさんある。何から訊けばよいのか迷うほどたくさんの質問がある。


 「俺は類。君の名前は?」


 「小夜子(さよこ)」


 もし、小夜子もツアーでサイパンに向かったとすれば、『ネバーランド 海外』は創業したばかりの会社ではない。三十年前から存在していたことになる。ツアー会社の謎を明らかにしたい。カレンダーに記していたサイパンへの旅行について訊いてみた。


 「小夜子もツアーでサイパンに?」


 「どうして私がサイパンに出かけたことを知ってるの?」


 「この世界に通り抜ける途中で小夜子の記憶を見たから」

 

 「だったら何も言う必要はない。軽飛行機が島に墜落する瞬間を見たんでしょ?」


 「見たよ。見たけど、詳しく知りたいんだ。未だにどこかの島で寝起きしているなら、情報交換したほうがお互いのためだ」

 

 類の言葉に驚いて、目を見開いた。

 「未だにってどういうこと?」


 類も驚いた。寝起きを繰り返しているなら、島にいる年数を把握しているはずだ。


 「小夜子は何歳?」


 「十七歳」


 「俺は西暦二〇二一年の十七歳なんだ。小夜子は一九九一年の十七歳……」


 「二〇二一年? あれから三十年もたったの? 私の体はどうなってるの?」


 寝起きを繰り返しているわけじゃないのか? だったらまるで『眠り姫』と同じじゃないか、と動揺する気持ちを抑えて質問を続けた。 


 「もう一度、訊いていい? 小夜子はツアーでサイパンに行ったの?」


 「私の体の行方を類に訊いたところで答えは出てこないよね。ごめんなさい」


 「いいんだ。それよりも俺の質問に答えてもらえる?」


 「私はツアーでサイパンに行ったわけじゃない。お祖母ちゃんがサイパンに住んでいて、正月を一緒に過ごさないかと誘いの電話があったの。だから私は、ひとりでお祖母ちゃんの自宅に行くことにした」


 「…………」

 (ツアーじゃない?)


 「無事にサイパンに到着した翌日、観光客を相手に商売をしているお祖母ちゃんの友人に誘われた私は、四人のアメリカ人観光客と一緒に、そのひとが操縦する軽飛行機に乗ったの。

 最初は楽しかった。でも、しばらくしてスコールに見舞われた。すぐに引き返そうとしたんだけど、災難は続くものでエンジンが故障して、無人島に墜落した」


 呟くように疑問を口にした。

 「ツアー会社は関わっていないのか?」


 「そういえば……」ふと思い出す。「同乗したひとたちはツアーでニューヨークからサイパンに来たって言っていた。彼らも抽選で無料ツアーに当選したって言っていたような……」


 目を見開いた。

 「無料ツアー?」


 「飛行機や旅先のホテルや送迎まで、ツアー会社が無料で手配してくれる。添乗員もいないし、個人旅行みたいに自由に行動できる最高の無料ツアーに当選したから、お正月を常夏のサイパンで過ごすことにしたって言ってた」


 添乗員もいない個人旅行のような内容も、類が登録したモニターツアーと同じだった。『ネバーランド 海外』は日本のツアー会社だ。だが……運営者が異世界の者なら神出鬼没。


 「あのさ……」恐る恐る尋ねた。「そのツアー会社の名前はわかる?」


 「わからない」


 ツアー客と一緒になったとしても、ツアー会社の名前を訊くひとはほとんどいない。 “ツアーなんです” “そうですか” と、そんな単純な会話を交わす程度だろう。


 それに……ツアー会社が関係していたとすれば、生存者は自分たち十三人と同様、ツアーで訪れた四人のみで、小夜子は即死だったはずだ。だが、小夜子は生きていた。


 だとしたらツアー会社は無関係? やはりバミューダトライアングルの伝説のような現象や、墜落の衝撃で偶発的に島にワープしてしまったのだろうか?


 (どういうことなんだろう?)


 「操縦士は、ニューヨークから来た彼らから、ツアー会社のリーフレットを貰っていた。操縦士も観光客を相手にする仕事だから、商売上、気になったんだと思う。たしか……鍵が壊れた小型金庫を小物入れ代わりに使っていて、その中にしまっていたような気がする。ごめんなさい、役に立てなくて。記憶が曖昧なの」


 ツアー会社の名前を聞けなくて残念だがしかたがない。

 「いや、いいんだ。墜落してからの話の続きを聞かせてもらえる?」


 小夜子は続けた。

 「墜落後、操縦士以外の私たちは意識を取り戻した。彼はひどく血塗れだった。いまでも鮮明に思い出す、あの悲惨な姿を……」


 類も夥しい死体を目にした。戦慄の光景が脳裏に焼きついている。

 「わかるよ、その気持ち。俺たちは無傷だったけど、ほかの乗客は血塗れで死んでいたから」


 「体に付着した血は操縦士の血……私たちも無傷だった。ここがミクロネシアのどこかの無人島なのだろう、と考えた私たちは機体から出て救助を待つことにした。けど、ジャングルの中にいては自分たちの身を隠してしまう。だから全員で浜辺を目指すことにした」


 「俺たちと一緒だ……」


 「歩き出してすぐに、墜落した軽飛行機の近くに急勾配があることに気づいた。見下ろしてみると、そこには川が流れていた」


 「え?」

 (川だって? ちょっと待て……ちょっと待てよ……)


 浜辺を目指して歩いていた途中で、墜落した軽飛行機を発見した。その後、由香里を抱きかかえて転落した急勾配の下に川が流れていたのを思い出す。


 ひょっとして、あの軽飛行機は小夜子が乗っていた機体ではないだろうか……。


 だが、大破した機内の座席には夥しい血痕が……。


 搭乗者全員が絶命したものだと思っていたが、あの血はすべて操縦士の体から流れ出たものなのだろうか……。


 だとすれば……機体の下に転がっていた髑髏は操縦士の頭部なのか?


 ということは……やはり……小夜子は三十年ものあいだ、あの島のどこかでいまも眠っている?


 類は墜落していた軽飛行機に関して何も言わずに、黙って小夜子の話を聞き続けた。

 

 「川で血を洗い流したあと、浜辺を目指して歩いた。しばらくして浜辺に辿り着いた私たちは、植物や昆虫が鉄のように硬いことに気づいた。異常としか言いようがない不気味な光景だった。だから確認のためにすごい実験をしたの」


 類は息を呑んだ。

 「どんな?」


 「大地に落ちた木々の枝を集めて焚き火を作った。そして、生け捕りにした魚を熱い火の中に放り投げたの。どうなったと思う?」


 察しがつく。小夜子の質問に答えた。

 「薪が灰になっても魚は生きていた」


 「正解よ。魚は海水に覆われていた。魚にとっては火の中でも海と同じ環境だった。生体は目に見えない不思議な力に守られているように感じたわ……」


 「やっぱり……生体はなんらかの力に守られているのか……」

 (俺たちの仮説は当たっていた……)


 「本当に信じられないことばかり」


 「常識という概念を根底から覆す驚異の島だ」


 「そうよ、あの島に常識は存在しない。夜を迎え、眠りに就けば鏡の世界よ」


 「俺たちは学校の鏡の世界にいる」


 「ここは鏡に閉じ込められた世界なの。私たちは、全員が異なる鏡の世界を見続けた結果、ある共通点に気づいたの」


 「共通点?」


 「共通点は、全員が思い出深い場所の鏡の世界へ意識が移動していた。私たちにとってたくさんの思い出がある場所や、大切な場所にある鏡がこの世界となる」


 なぜ、学校の鏡の世界だったのかという疑問が解けた。想像したとおり、これから先も十三人の意識は、学校の鏡の世界とジャングルを行き来することになる。

 「なるほど……校内だった理由がそれか……」


 「全員が自分にとって、一番思い出深い場所にある鏡の世界を見続けた。そして、ここの鏡と現実世界の鏡は繋がっている」


 「だから俺は彼女を協力者にして、あの島から脱出する手段を探しているんだ」


 「彼女と鏡でやりとりを?」


 「ああ」


 「私もお兄ちゃんとここでやりとりしていた。ずっと……ずっと……」


 小夜子の記憶の中で見た血縁関係にない兄のことだと理解した。だが彼は、三十年前に魔鏡の前で衰弱死している。それを知っているのだろうか……酷な質問かもしれないが類は訊いてみた。


 「小夜子のお兄ちゃんは……」


 質問の途中で双眸に涙を滲ませながら、首を横に振った。

 「愛していた。これ以上ないくらいに愛していた。いまも愛してる。訊かないで、お願いよ……訊かないで。つらいのすごく……与えられた罰以上に……」


 小夜子の言っている意味がわからない。

 「与えられた罰って?」


 「いいの、その話は……」類の質問には答えずに続けた。「寝起きを繰り返しているうちに、島は現実世界じゃないって、全員がそう思い始めたの」


 質問を逸らされてしまった。もし、愛する理沙が死んでしまったら、自分も答えたくないだろうと思い、兄のことはそれ以上訊かずに話を続行した。

 「あの島は異世界だ」


 「私たちも異世界だと考え、島から脱出するためのゲートを探そうとした。スコールに見舞われた軽飛行機は、エンジントラブルを起こして墜落した。そのときに時空と空間を超えて、現実世界と異世界を繋ぐゲートを通り抜けてしまったのだろうと考えた」


 「墜落の衝撃……」


 「もちろん、それも考えた。私たちは、いろいろと意見を出し合いながら、ゲートを探すために、こんどは浜辺からジャングルへと移動した。だけど、その翌日、ジャングルで方向感覚を失い、完全に迷ってしまったの。それから私たちは、四日間もジャングルをさまよい歩いた」

 

 島には時間が流れていても、自分たちの体に流れる時間は止まっている。島にいるあいだそれに気づかなかったのだろうか? と疑問を感じた。しかし、現代っ子の自分たちは、スマートフォンがあったから気づけたのだ。三十年前では確認するすべはないので、あえて年齢については質問しなかった。それに、あの島に長居するつもりはないので、脱出に必要な質問だけに集中することにした。

 

 「肝心なゲートは見つかったの?」


 「…………」


 唇を結んだ小夜子の様子から、カラクリの答えを知っているのではないだろうかと考えた。もしそうなら、いますぐ知りたい。


 「島のカラクリが解けたんだろ? 小夜子はその答えを知ってるはずだ」


 「カラクリ?」


 「俺たちは島の謎をカラクリって呼んでる」


 声を震わせながら言った。

 「カラクリは……私には理解できなかった。いまでも理解できない。だから私はここにいる。いいえ、これは……言えない、私には言えない。怖くて言えない。これは罰……私が犯した罪なのよ」


 「意味がわからないよ。俺はカラクリの答えを訊いてるんだ。小夜子と一緒にいたひとたちは解いたんだろ?」


 「彼らには解けた」

 

 「俺たちはカラクリが解けずに困ってる。だから、どうやって解いたのかを詳しく教えてほしい」

 

 「ゲートを見るためのカラクリの答えに彼らは気づいた。ゲートを通るには確実な答えが必要になる。私は彼らとともに、自分たちが導き出した答えが本当に合っているのかを確認するために、数日間ジャングルを迷いながら、ようやく惨劇の場に戻った」


 「惨劇の場? 軽飛行機の墜落現場に戻る?」


 「そう」軽くうなずいた。「そこに島のカラクリの確実な答えがあると言っていた」


 「どうして、墜落現場なんかに……」

 (椰子の実が欲しくて初日に墜落現場に戻っているけど、悲惨な光景が広がるだけで何もなかった。乗客の死体と飛行機の残骸だけだった。俺たちは、カラクリの答えに関わるヒントが欲しくて墜落現場に戻ろうとした。それなのに……答えそのものがある……どういうことだ?)


 虚ろな表情をした小夜子は、独り言のようにぶつぶつと呟いた。

 「墜落現場は腐敗した操縦士の死臭が漂っていた。死体は見るも無残な状態で野生動物によって引き裂かれていた。どうして彼は死んだんだろう……死神に支配された島だから……」


 なぜ、墜落現場にカラクリの答えがあるのか、その疑問は解けてないが、小夜子が呟いている内容が気になったので尋ねた。

 「死神に支配された島? あの島はやっぱり死神の島なのか?」


 はっきりしたことを言わずに、曖昧な答えを返す。

 「そうかもしれない……」


 焦燥に駆られて、語気を強めて言った。

 「カラクリの答えを知っているならもったいぶらずに教えてくれよ!」


 静かな口調で言葉を連ねた。

 「彼らは、墜落現場で雲の切れ間から眩い光が射している、そう言っていた。太陽とはちがう光、月とはちがう光。その光はカラクリが解けていない私には見えなかった。そんな光は空のどこにもなかった。

 でも、彼らの手が仄かに金色に光っているのだけはわかったの。彼らは私にカラクリの答えを説明しようと必死だった。だけど……私には理解できなかった」


 「どうして、どうして教えてくれるひとがいるのに理解できないんだよ! 聞いてくれ、よく聞くんだ! 俺が迷い込んだ異世界の島は、小夜子が迷い込んだ島と同じなんだよ。俺にそのカラクリの答えを教えてほしい! 俺たちは現実世界に戻りたいんだ! そのためには、どうしてもそれを知る必要があるんだ!」


 意味深長な笑みを浮かべた。

 「あの島は……異世界の島……そして死神の島と疑い……」


 「何笑ってるんだよ! こっちは真剣なんだ! 知ってるなら教えてくれよ!」藁にも縋る思いで訊いた。「頼むから……」


 「異なる謎には、共通点がある。一見バラバラなようで、たったひとつの共通点が……。異なる謎がひとつにまとまったとき、まるでジグソーパズルのピースがすべて収まったときのように、ひとつの絵となる共通点が見える」


 「やっぱり、明彦が言うように謎にも共通点があるのか。その共通点を教えてくれ!」


 「カラクリはひとりひとりが理解しないと意味がないの。自分自身が答えを理解しないと意味がない。理解しなければ何も目に映らない。そう……私には理解できなかった。私には答えは見えなかった」


 「何も目に映らない?」

 (どういう意味だ?)


 「ええ。そして彼らは言っていた、真実が明らかになったときにゲートを見ることができると」


 「真実?」

 

 「真実の中に現実がある。真実を知り、現実を見る」


 「わるいけど……俺には言っている意味が理解できない……」


 「きっかけひとつですべての謎が明らかになる。すべてを受け入れて、現実を見るんだ。そう言われたけど、どれだけ説明されても私には理解できなかった」と言ったあと尋ねた。「それより……どうして私が乗っていた軽飛行機が墜落した島と、類がいる島が同じだと言いきれるの? 似てるだけかもしれないでしょ?」


 「俺たちも浜辺を目指してジャングルを歩いた。その途中で大破した軽飛行機を見つけたんだ。近くには急勾配があって、小夜子が言ったとおり、下には川が流れている。まちがいなく小夜子たち六人が乗っていた軽飛行機だ」


 「うそ……だったら私の体は? 私の体はどこにあるの? あの場所で眠ってから、ずっとここにいるの。軽飛行機の近くに私の体があるはずなの」


 「なかった。誰もいない」正直に教えた。「あったのは大地に転がる髑髏だけ」


 「そ、そんな……」


 「残念だけど……誰もいなかった」


 「いいの……」静かに言った。「私の肉体は、お兄ちゃんが死んだ日に失ったの」


 “お兄ちゃんが死んだ日に失った” 。愛するひとを亡くせば、身も心も失ったかのように感じるだろう。理沙を失ってしまったら……と、思うと、小夜子の気持ちも理解できる。主観的な考えで小夜子の言葉を重要視しなかった類は、十三人にとって最も肝心な質問をした。


 「カラクリが解けたひとたちはいまどこに?」

 

 真剣な面持ちで答える。

 「彼らは、金色の光に包まれて島から消えた。おそらく……ゲートを通り抜けたんだと思う。私の目にゲートは映らなかったけど……無事に……ゲートを……」


 「現実世界に戻れたの?」


 「カラクリが解ければすべて解決する。そう……何もかも解決する。でも……類、いまはカラクリよりも、この鏡の世界に集中して。あなたがここに来たことに意味があるのだから」


 偶然に意味なんかあるわけない。類は、訝し気な表情を浮かべて首を傾げた。

 「何が言いたいんだ……」

 

 「私は私であって私じゃない。類、あなたも同じよ。あなたはいまから自分の人生の末路を知る」


 支離滅裂、意味不明だ。小夜子の言っている意味がさっぱりわからない。

 「さっきから言ってるだろ。俺にわかるように説明してほしい。知ってることを全部教えてほしい」


 目に涙を浮かべて質問する。

 「ねぇ……ひとを殺したことはある?」


 カラクリの答えが知りたいのだ。さっきから話の論点がずれている。まったく趣旨がわからない。

 「あるわけないだろ。俺の質問に答えずに、話を逸らすなよ。これじゃ会話が成り立たない」

 (俺が殺人を犯す? なんだよいきなり)


 「鏡の世界はひとを殺めた罰……そうよ罪を犯した罰。ひとを殺めた罪と罰。鏡の中に永遠に幽閉されるのよ」


 「意味がわからないよ。鏡の世界は思い出深い場所なんだろ? それなのにどうして鏡の中に幽閉されるんだよ?」

 

 「鏡の世界は思い出深い場所であるのと同時に、殺人を犯した者が幽閉される場所。ひとことで言えば牢屋。なぜ牢屋になるのか……いつ牢屋になるのか……私の言葉の意味はそのうちわかる」


 “そのうちわかる” ではなく、いますぐ意味を知りたいが、質問しても曖昧な返答をされるだけだと思った。


 (殺人を犯すような子には見えないけど、サバイバル生活をともにした誰かを殺したのだろうか? けっきょく生体は守られていないのか? やっぱり俺たちの仮説にすぎないのか? 頭が混乱する……)


 「類……あなたもいつかひとを殺す。近いうちに殺人を犯すの……」


 類は声を大にして言った。

 「俺は殺人なんかしない! ありえない話は聞きたくない! そんなことよりカラクリの答えを早く教えてくれよ!」


 類との会話の途中で眩暈を感じた小夜子は、足元をふらつかせた。

 「魔物が私に……意識が薄れていく……声が聞こえる……魔物の声が……死神の声が……」


 「どうしたんだよ?」


 小夜子は耳を塞いで、類に背中を向けた。そして、突然、叫び声を上げた。

 「私を解放してぇ! 殺す気はなかったの! 気づいたときには骨と皮だった! もうひとりの、もうひとりの自分の囁きが! 抗えない、囁きが!」

 

 意味深長な言葉を叫んだ小夜子の肩を引き寄せた。まだ訊きたいことがある。謎と真実、その繋がりを知りたい。カラクリの答えを教えてほしい。

 「おい! どうしたんだよ! もうひとりの自分の囁きってなんのことだよ!」


 「助けて!」


 「小夜子!」


 つぎの瞬間―――


 耳を塞いでいた手を下ろした小夜子は、体を左右に捩らせ始めた。その直後、断末魔に近い悲鳴を上げた。それは女の声でも男の声でもない、魔物そのものだった。


 小夜子は後ろ向きの状態のまま、じりじりと距離を縮めてきた。怖くなった類はドアに駆け寄り、ドアノブに手を伸ばした。だが、ドアノブを回そうとしても回らない。


 「来るな! こっちに来るな!」必死に声を張った。「来るなって言ってるだろ!」


 悲鳴が止んだ。身を捩じらせながら振り向いた小夜子は、白目が消えた真っ黒な双眸を類に向けた。


 慄然とする類の視界に飛び込んできたのは、小夜子とは思えぬほど恐ろしい顔つきをした化け物だった。

 

 (怖い! 誰か助けて!)


 葉脈のように青い血管が浮き上がった人差し指を類に向けた。

 「お前とは……一度、目が合っている……」


 小夜子の最後の意味深長な言葉、“もうひとりの自分の囁き” の意味を知りたかった。だが、先ほどまでの小夜子はもういない。人格交代のさいに聞こえる声のことだろうと解釈した。


 「誰だよ、お前! 誰なんだよ!」


 「ここに来る連中が死神屋敷と呼んでいるのを何度も聞いた。死神……悪くない呼び名だ。私は魔物……地縛霊であるのと同時に、お前ら人間が言う死神のような存在だ」


 慄然とする類は、壁に背をつけたまま身震いする。

 

 (死神だって? それに地縛霊ってなんのことだよ? 魔鏡の前で何人もの若者が衰弱死している。そして小夜子の兄が死んだのも、全部こいつの仕業なのか?)


 「去年のいまごろだったな……お前がここに現れたのは。ぎゃあぎゃあとうるさいガキが二匹。威勢のいいガキを殺すのが一番面白い。あのときも殺意が湧いた。だが、やめた。私が手を下さないときは、どんなときだかわかるか?」


 恐怖心から動けない。

 「わかるわけないだろ……」


 「死の影が見えたときだ。黒い靄……見たことはあるか? 黒い靄を……」


 ここのリビングルームを映し出していた鏡の破片が黒い靄に覆われていたのを思い出し、恐る恐る訊いた。

 「黒い靄がなんだっていうんだよ……」


 「体を取り巻く黒い靄、それが死の影だ。お前といたもうひとりのガキに死の影が見えた。わざわざ殺さずとも恐怖を味わいながら死ぬ。そう遠い未来じゃないかぎり、人間の生き死になど簡単に見えるようになる。じきにお前もな」


 「どういう意味だ……」

 (純希に死の影? 純希が死ぬってことなのか? あいつは死なない! 絶対に!)

 

 「しかし……そのガキよりもお前のほうが愉快だ」


 「愉快?」


 「私の姿がお前の人生の末路。お前の目の中には、すでに魔物が棲み始めている。もはや、お前であってお前じゃない。お前は近いうちにひとを殺す」


 「俺は誰も殺さない! 絶対にそんなことしない! するわけない!」


 「お前の目の中の魔物が騒ぎ出す」


 「目の中の魔物ってなんだよ!」


 「お前が一番恐れている死神……」


 「お、俺が死神に!」


 (小夜子は死神に身体(からだ)を支配される直前、 “あなたはいまから自分の人生の末路を知る” と言ってきた。俺はひとを……純希やみんなを殺して目の前にいる死神みたいになるのか? サバイバルで気が狂った俺がみんなを殺す? そんなことありえない!)

 

 「ああ、そうだ。お前は死神になる」


 「うそだ! うそだ! 俺は誰も殺さない!」


 「いいや、お前は殺す。すでに殺そうとしている」


 「そんなこと俺がするわけない! 俺は誰も殺そうとしていない! それどころかみんなを守りたいんだ!」


 「いずれ消える無駄な想い」


 「消えない! 俺の想いは決して消えない!」


 類は泣き叫んだ。そのとき、魔鏡の向こう側に浮遊するふたつの光が見えた。ふたりの若者が懐中電灯を片手に、こちらに向かって歩を進めてきた。


 去年の自分と純希のようだと思い、ふたりに向かって必死に声を張った。

 「駄目だ! 来るな! 死神に殺される! ここに来ちゃいけないんだ!」


 魔鏡に近寄る若者ふたりに、いますぐ立ち去れと伝えたい。類は魔鏡に息を吐きかけたが、長年の埃が付着していたため、側面が曇らなかった。それでも、鏡に付着した埃を必死に拭い取ろうした。しかし、物が移動できないのと同じように埃も拭えなかった。


 死神と化した小夜子は魔鏡に歩み寄り、若者ふたりを凝視した。室内は無風だが、まとっているロングスカートが揺れる。


 いましがた笑い声を上げていた若者ふたりが床に座り込んだ。虚ろな表情で微動だにしない。まるで催眠術にでもかかってしまったかのようだ。


 一発でも拳を当てることができれば、このふたりを救えるかもしれないと思った類は、勇気を出して襲いかかった。


 「この化け物が!」


 そのとき、魔鏡の中心部に黒い靄が現れた。靄は渦を巻きながら円になった。ここに降り立ったときは、小夜子の記憶が映し出されたトンネルを通り抜けてきたが、いまは黒い靄のトンネルだ。


 宙に浮き上がった類の体に悪寒が走った。つぎの瞬間、ふたたび体が粒子のように細かくなり、黒い靄のトンネルに吸い込まれていった。


 暗闇しか見えない地の底のような静けさの中に囁き声だけが響く。その声は、不思議と自分の声だった。


 殺す―――


 殺す―――


 殺すんだ―――


 連れて―――


 一緒に―――


 類は心の中で叫び声を上げ続けていた。殺人など犯すはずがない。何度も繰り返し囁いてくる、 “殺すんだ、連れて、一緒に” 、その言葉の意味がわからない。


 俺は誰も殺そうとしていない! 何が言いたいんだ! 教えてくれ!


 その囁き声に何度も問いかけたが返事はない。そして、なぜ自分の声なのかもわからない。


 のち、類の体は学校の家庭科室の鏡の破片から抜け出した。そして、廃墟に落ちたときと同様に、瞬時に元の体の形状を取り戻した。


 突然、室内に戻ってきた類に驚いた一同は、一斉に声を上げた。

 「類!」


 綾香は類に抱きつき、号泣した。

 「よかった! 戻ってこなかったらどうしようって、みんな心配したんだよ!」


 恐怖に駆られて、歯の根が合わない。

 「あ……ああ……」


 泣きそうな顔の光流が駆け寄った。

 「類! どうなるかと思ったけど、戻ってきてくれてよかった」


 明彦は、蒼白な顔の類を心配する。

 「顔が真っ青だ」


 類はまともに喋ることすらできない。

 「さ、寒い……」


 クーラーがない室内は蒸し暑い。寒さを感じるなどありえない。純希が類の肩に触れた。

 「大丈夫だ。落ち着くんだ。お前はここに帰ってきた。もう何も心配いらないんだ。安心しろ」


 類は咄嗟に純希の手を振り払った。死神に変貌した小夜子に言われた言葉が頭から離れない。


 お前はひとを殺す―――


 「俺に近寄らないほうがいい」


 類はどうしてしまったのだろうか、と一同は不安になった。なぜ、近寄ってはならないのだろうか。純希は理由を訊く。


 「俺たちにもわかるように説明してくれ、類」


 「俺、俺さぁ」目に涙を浮かべた。「誰も殺したくない。でも、殺しちゃうかもしれないから」


 「お前がひとを殺すわけなだろ?」


 「言われたんだ、死神に。死神になった小夜子に……」


 「死神? 小夜子って誰のことだ?」


 聞き覚えのない名前が気になる。純希に続いて明彦も訊く。

 「鏡の中で誰かに会ったのか?」


 綾香が、明彦と純希に言った。

 「質問攻めはやめて。類がもう少し落ち着いてから訊こう。ここだと理沙とやりとりするにも鏡が小さすぎて不便だから倉庫に戻ろう」


 たしかに割れた鏡では小さすぎて文字を書きづらい。明彦も、倉庫に戻ったほうがよいだろう考えた。

 「そうだな」


 斗真が鏡の破片に息を吐きかけて、理沙に類の無事を知らせた。

 《類が戻ってきた》


 安堵した理沙は号泣した。類がいなければ生きていけない。かけがえのない存在なのだ。

 「よかったぁ!」


 斗真はもう一度息を吐きかけて、鏡の破片に指を走らせた。

 《倉庫》


 理沙は涙を拭った。これからも想像を絶するような恐怖を体験するかもしれない。怯えて泣いてばかりはいられない。気丈に振る舞い、立ち上がった。

 「わかった。戻ろう」


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