【11】絶交と仲直り

 男子はこれからの試練を覚悟している。恐怖と不安に打ち勝つためにも落ち込んではいられない。女子を守り、無事に新学期を迎えたい。


 教室にいるときのように明るく振る舞う理由は、冷静な判断力を要するときだからこそ、これ以上、気持ちを乱れさせたくなかったからだ。


 一方、下着姿で砂浜に腰を下ろす女子は、美紅と由香里の話に耳を傾けていた。ゲートや漂流物に関して話し合った詳細を聞かされても、険悪な雰囲気は一向に変わらない。ふたりがこの場を離れているあいだにひと悶着遭ったようだ。


 土砂降りの雨に鈍色の空。心まで暗くなりそうだ。早く仲直りしてほしい。どれだけ過酷な状況でも笑顔だけは忘れたくない。


 ふたりはすべてを伝えたあと、綾香と道子の心の距離を縮める方法をそれぞれで考えた。まずはこの場の雰囲気を変えたい。事前に打ち合わせしなくても意思の疎通は完璧。女子会といえば “恋愛トーク” だ。


 恋愛の話が得意ではない綾香と、苛立ちの表情を浮かべている道子に話しかけるよりも、結菜や恵の気分が上がれば仲直りしやすくなるだろう、と考えた美紅が作戦に出た。


 「漂流物も謎のベールに包まれてる。だからみんなで力を合わせて頑張らないと、最高の新学期を迎えられない」全員に言ってから結菜に顔を向けた。「でも、無事にそのときを迎えられたら、三組のカップルができてるんだろうなぁ。結菜と明彦なんて絶対にラブラブだよ」


 結菜の顔に笑みはない。

 「はっきりと告白されたわけじゃないから」


 笑顔が戻ると思っていた。それなのに否定されてしまった。気まずくて言葉を噛んだ。

 「ほ、ほら、だって告られたようなものじゃん」由香里に目をやり、助けを求めた。「だよね?」


 由香里まで言葉を噛んでしまった。

 「そ、そ、そうだよ。もうすでに仲良しカップルみたいだよ」


 「仲はいいけど、まだカップルじゃない」結菜は首を横に振った。「過去の経験から恋愛には慎重なの」


 由香里は、ふたりが両想いであることを確信している。

 「でも、明彦は結菜だけだよ。見ててわかるもん」


 恵がふたりに訊いた。

 「結菜と明彦はわかるけど、残り二組は誰のこと?」


 恵に質問された美紅は、一気に盛り上げようとした。

 「まずは、恵と光流のことだよ」

 

 告白はされていなくても、互いに想い合っている。つきあうのも時間の問題なので、恵は何も言わずにうつむいた。

 

 由香里は道子に言った。

 「翔太なんて好きってオーラ全開じゃん」


 「は? あたしと翔太が?」道子は眉をひそめる。「わるいけど好きじゃない。草食系で積極性を感じないもの。そういうのってイラッとする。男はもっとはっきりしていたほうがいい。余計なところで気が強いのに、肝心なところではっきりしない、誰かさんにそっくり」


 “あ……まずい” 由香里と美紅は思った。こんなとき、類ならどうするだろう。仲直りさせるつもりが険悪な方向に流れていく。ふたりの喧嘩を止められそうにない。

 

 「そんなに怖い顔しないでよ」由香里は道子を宥めようとした。「いつもの道子に戻って」


 道子は語気を強めた。

 「由香里は引っこんでて」


 そう言われると何も言えない気が小さい由香里。

 

 (どうしよう、あたし余計なこと言っちゃったのかな?)


 苛立った綾香が道子に言い返した。

 「肝心なところではっきりしない? あたしはいつも自己主張だってしっかりしてるけど。何が言いたいわけ?」


 美紅は、綾香と道子のあいだに割って入り、喧嘩を止めようとした。

 「ちょっと、ふたりともやめてよ。くだらない喧嘩どころじゃないでしょ? 男子も呆れてるよ。きのう一致団結したじゃん」


 加熱する喧嘩。それに従い雨脚も強くなる。そして綾香の語気も強くなる。

 「くだらないって思うなら男子と一緒に呆れていいよ。あたしはべつにかまわない」


 いつもの綾香とちがう。美紅は戸惑う。

 (どうすればいいの?)


 綾香の目に威圧感を覚えた気の小さい由香里は、完全に怯えていた。滞在期間が長くなるにつれて、仲間同士が不仲になっていくのではないだろうか、そしてデスゲームに発展したらどうしよう……と不安に駆られた。


 「怖いよ、ふたりとも……」


 綾香は道子を睨みつけた。

 「すべて自分が正しいみたいな言い方しないでよね」

 

 顔をしかめた道子は、勢いよく立ち上がった。そして、すさまじい剣幕で捲し立てた。


 「あたしは自分のために生きてるの! 誰のためでもない! 中途半端な虚勢を張っているから類を理沙に横取りされたんでしょ! あたしだったら絶対に渡さない! だから肝心なところではっきりしないって言うの! いつも強気なくせに、恋愛だけが引っ込み思案? 意味わかんない! だったらほかでも大人しくしてたら!」


 絶対に誰にも知られたくなかった想い。類とは親友であり続けたい。自分がいつか結婚して、類や理沙と家族ぐるみでつきあえたら幸い。


 悩んだ時期もあったが、いまはそう思えるようになった。それなのに……封じていた過去の想いを、いま一番知られたくない相手に知られてしまったのだ。綾香は動揺した。


 そして、結菜、美紅、恵、由香里は顔を見合わせた。


 綾香と類は、つきあいが長い。特別な恋愛感情を類にいだいていた綾香の気持ちに気づかないふりをして新学期を迎える、それが一番だと思っていた。

 

 道子の味方だった恵でさえ、綾香の恋心にはあえて触れたくなかった。男女の垣根を越えた親友であり続けたいと決めたのは綾香。それに対してとやかく言う必要もなければ、そのような権利もないのだ。


 「いまは関係ないじゃん」恵は道子の肩を引く。「落ち着こうよ」


 道子は恵に言う。

 「こうゆう女が一番嫌いなの。ぼやっとしてるから男を奪われるんだよ」


 恵よりも先に、結菜が口を開いた。

 「男のことになったら目の色を変える女のほうがよっぽど嫌だけど、あたしは」


 道子は結菜を睨みつけた。

 「綾香に明彦を奪われたら、その意見が一変するよね?」


 結菜は呆れたような表情を浮かべた。

 「馬鹿じゃないの? 頭イカれてる。綾香がそんなことするわけないじゃん」


 由香里と美紅は、顔を見合わせた。そして、由香里が美紅の耳元で小声で言った。

 「あたしが悪いの? 仲直りしてほしいだけだったのに」


 美紅も小声で返事する。

 「由香里は悪くない」


 「もう疲れたよ、あたし……」


 「あたしも」


 綾香は必死に感情を抑えようとした。気持ちの動揺が表情に出てしまいそうだ。

 「かんちがいしないでよ……。ありえないから、あたしが類を好きだなんて、ほんと……ありえないから」


 道子は続けた。

 「言わなきゃ気持ちは伝わらない! ぜんぜん自己主張できてないじゃん!」


 綾香は何も言い返せなかった。抑えていた感情が涙になり、一気に溢れ出した。

 

 綾香の肩を抱き寄せた結菜が、道子に言い返した。

 「言いすぎじゃない?」


 道子の味方をしていた恵も我慢の限界。

 「そうだよ、言いすぎだよ。もうやめて。これ以上続けたら、みんな道子を嫌いになっちゃうよ」


 恵の忠告を無視した道子は、言ってはならない言葉を口にする。それが全員の地雷を踏む結果になるとは考えもせずに。


 「類はいつも理沙を抱いてる。綾香には一生叶わない夢。でもこのサバイバルで願望を叶えようとしてるくせに! 本性は相当なビッチ! 案外理沙もビッチだったりして。だって笑いながらひとの男を奪っていったんだから」

 

 「いい加減にしなよ!」と堪忍袋の緒が切れた結菜が、道子の頬を張った。産まれて初めてひとに手を上げた結菜の手のひらが痺れた。


 「いた……」道子は頬を押さえた。「何するの?」


 険悪な音が周囲に響いた直後、たえられなくなった綾香はジャングルへ駆けていった。


 「ビッチは道子のほうだよ! 言っていいことと、悪いことってあるよね!」道子を怒号した結菜は、美紅とともに綾香のあとを追い駆けていった。


 そのあと愛想を尽かせた恵と由香里が、道子に歩み寄った。


 恵が訊いた。

 「道子、恋したことある?」


 道子は返事した。

 「あるよ……」


 「だったらわかるよね? 綾香にしかわからない特別な想いがあったんじゃないかってことくらい」


 「わからない、わかりたくもない。だって……最悪な恋しか知らないから」


 「誰にでも最悪な恋の経験くらいあるんじゃないの?」

 

 「わかったような口利かないでよ」


 「恋愛が幸せだと感じられるのは、つきあってうまくいってるあいだだけ。別れたあと友達になるひとたちもいるけど、あたしはそうゆうの苦手だから。

 関係が破綻してしまえば苦い想い出だけが心に残って、乗り越えるのに時間が必要なときもある。もしも裏切りに遭ったならなおさら……」


 道子は唇を結んだ。

 

 勉強はベストを尽くせるように学習プランを立てて机に向かう。頑張れば試験でよい結果が出せるはず。しかし恋愛は、幸せプランを立て、努力したとしても、よい結果が出せるとはかぎらない。


 永遠に続く愛を築けるひとたちもいれば、別れてしまうひとたちもいる。そこに人間の感情があるかぎり絶対的なものではないからだ。それでもひとびとは、ぶれない愛を求めて何度も恋をする。いつか運命の相手に巡り逢えると信じて―――


 恵は話を続けた。

 「大好きなひとと結婚まで続いたら最高に幸せだよ。でも、思うようにいかないひとたちだって、いっぱいいるんだよ」


 道子は訊く。

 「何が言いたいわけ?」


 「恋愛に失敗するたびにひとに当たるって最低だと思う。まるで綾香に当たってるみたいだった」


 「最低だと思うなら綾香のところに行ったら?」


 「道子とは友達やめるから、そうするつもり」


 冷たい目をした由香里が言った。

 「あたし……道子のこと軽蔑する」


 綾香たちがいるジャングルへ歩き始めたふたりが浜辺を去ると、道子は泣き崩れた。激しい雨音が泣き声を掻き消してくれても、以前、恋愛で受けた心の傷を消してくれそうにない。


 そして、ジャングルへと駆け込んだ綾香も泣いていた。四人は慰めようとするも、どのような言葉をかければよいのかわからず、結菜が綾香の背中を優しくさすり続けた。


 「大丈夫? 綾香」


 綾香は眼鏡をはずして、涙を拭い、誰にも話したことがない恋心を打ち明けようとした。一生、誰にも言うつもりはなかった。類に対する気持ちも自分の中で整理がついていた。それなのに……海馬の奥深くに封印した昔の記憶が甦る。


 「この前髪……」眉毛の上で揃えた前髪をそっと押さえた。「元々……あたしが故意に切ったわけじゃないの。子供のころ、お母さんに失敗されたのが始まりなの。入園前に可愛くしようねって、切ってくれたのはいいんだけど、恥かしいくらい短くてまっすぐで」


 結菜が言う。

 「似合ってるよ、綾香らしいもん」


 「でもね、当時はこの前髪で幼稚園に行くのが嫌だったの。絶対に馬鹿にされると思ったから。案の定、初対面の類が、この前髪を見るなり馬鹿にしてきた。

 最初は不快に思ったけど、それがきっかけでたくさんの友達ができた。この前髪だったからこそ、類と仲良くなれたわけだし、お母さんに失敗された前髪が、いつの間にかあたしのトレードマークになっていた」


 結菜は優しく相槌を打ち、話を聞く。

 「そうだったんだ」


 「類に恋愛感情はなかった……というより、自分の気持ちに気づいてなかった。類に対する想いに気づかされたのは、小学五年生のころに転校してきた理沙の存在だった。

 類は、あたしに見せることのない優しい笑顔を理沙に向けていた。好意を寄せる女の子に向ける笑顔。皮肉にも、その笑顔を見て類への気持ちに気づいたの」


 「つらかったね……」


 綾香は首を横に振る。

 「嫉妬に苦しむ時期もあったけど、理沙に向ける笑顔に恋したんだって思えるようになった。将来はあたしの家族と類の家族と一緒に、バーベキューでもできたら楽しいよねって……。

 だって……あくまであたしは類の親友。好きな女の子は理沙なの。気持ちを打ち明けて、いまの関係が壊れるのが怖かった。それならずっと友達でいたいって思ったの。だからあたしは……ずっと類の友達でいる選択をした」


 結菜は、綾香を強く抱きしめた。明彦に想いを寄せるいま、恋をしているからこそ綾香の切なさがわかる。恵や美紅や由香里にも、綾香の切なさが痛いほど理解できた。

 

 綾香は泣きながら続けた。

 「大学に合格したら髪型を変えて彼氏をつくる、それがいまの目標なんだ。そうすれば、過去に抱いた類への想いが消えるはずだから」


 「綾香は美人だからすぐに彼氏ができるよ。応援する」


 「ありがとう……」結菜の言葉に微笑んだ。「それにね、けっきょく……類とあたしは、想い描いている幸せのかたちがちがうの。類は、可愛いお嫁さんと安定した幸せを望んでいる。あたしは弁護士になって、キャリアを積んで、自分の法律事務所が欲しいの。結婚はアラサー過ぎちゃうね、きっと」


 人生に求めるもの―――幸せの価値観はひとそれぞれ。異なる道を選んで意見がくいちがえば、行く先にあるのは別れの道。たとえ類と恋人同士になったとしても、うまくいかない。自分らしく生きるために、あえて想いを告げなかったのも、告白しなかった理由のひとつなのだろうと理解した結菜は、綾香に微笑み返した。


 「カッコイイ弁護士になるのを期待してる」


 「このことは類には絶対に言わないで、ぎくしゃくしたくないの」


 「当たり前じゃん。絶対に言わない」


 由香里も約束した。

 「安心して言わないから」

 

 美紅もうなずいた。

 「あたしたちの口は堅いんだよ」


 恵が言う。

 「道子が何か言おうとしたら、あたしがぶっ飛ばしてやる」


 綾香は空を見上げ、雨で顔を洗った。涙を流す直前まで、雨にはうんざりしていた。けれどもいまは、雨水が涙を洗い流してくれるから好都合だ。


 結菜が訊く。

 「気持ちが落ち着くまでここで休む?」


 綾香は眼鏡をかけた。

 「もう大丈夫」


 「あいつの顔は見たくないから、男子のところに行こう」恵も綾香を気遣う。「いま類と対面するのつらい?」


 綾香は恵に言う。

 「ぜんぜん。言ったでしょ? あたしの目標は大学で彼氏をつくることだって。類とはずっと親友」


 恵は言った。

 「そっか、そうだよね」

 (強いな、綾香は……)


 由香里が言った。

 「男子のところに行くのはいいけど、あたしたちみんな下着だよ」


 結菜が言う。

 「洋服はずぶ濡れだし、血もついてるよね」


 濡れた衣服を着用して男子と会話していた美紅も、恥じらいう気持ちはあるけれど、身につけていたくない。

 「このさい水着ってことでいいんじゃない?」


 由香里がうなずく。

 「思い込めば水着だね。見た目は似たようなものだし」


 綾香が笑みを浮かべた。

 「それもそうだね」


 綾香に笑顔が戻って安心した。道子の存在を無視して、男子がいる場所へ歩を進めた。ジャングルから砂浜に移動すると、すぐに男子の姿が見えた。


 最初に下着姿の女子に気づいたのは斗真だ。目を見開いて、歓喜の声を上げた。

 「おお! いいねぇ! 異世界スコールに感謝しちゃう最高の眺めだ!」


 純希の顔が緩む。

 「下着風の水着ってことで」


 類が斗真と純希に言った。

 「おっさんじゃないんだから嬉しそうな顔するなよ」


 鈍感な類。下着姿の女子に夢中な純希と斗真。欠けている人数に気づいていない三人とは対照的な翔太たちが首を傾げた。


 「あれ……」翔太が言う。「道子は?」


 ようやく類が気づく。

 「本当だ、道子がいない。どうしたんだろう?」


 明彦は焦った。

 「もしかして完全に仲間はずれにされたわけじゃないよな?」


 うまくいけば女子同士で解決できると思っていた類は慌てた。

 「仲直りするどころか悪化じゃん」


 男子は、急いで女子に駆け寄った。状況は最悪だと理解しているものの、女子の胸元や太腿につい目がいってしまうのは男子の悲しい性(さが)。斗真が胸元に目をやった瞬間、綾香に睨まれたので思わず目を逸らした。


 しかし、真顔の綾香は見逃さない。

 「何見てるのよ? 将来はエロ弁護士決定。中年になったころ、若い秘書に手を出して逮捕される。それが斗真の将来」


 「なんだよ、そのへんな予言は。俺は逮捕なんかされないし」斗真は、綾香に言い返したあと訊いた。「そんなことより道子は?」


 「知らない、あんな女」


 「あんな女って、友達だろ?」


 「ちがう」


 「ちがうって……」


 類は綾香に訊く。

 「何があったんだよ」


 言えるわけない。言ってしまえば、過去に封じた自分の想いを口することになる。綾香は唇を結んだ。

 「…………」


 「説明してくれなきゃわからないよ」


 綾香は、真剣な面持ちの類に肩を引き寄せられた。その瞬間、昔の想いが甦り、心が乱れた。綾香は、咄嗟に類の手を払い除けた。

 「知らないって言ってるでしょ!」


 類は吃驚した。明らかにいつもと様子がちがう。

 「どうしたんだよ……」


 綾香の気持ちを察した結菜が言った。

 「あたしたちと道子は縁を切ったの。もう友達じゃない」


 恵が厳しいひとことを口にした。

 「絶交」


 類は、恵の言葉に耳を疑った。

 「絶交って、なんだよそれ……」


 光流が恵に言った。

 「いままで友達だったのに、簡単に使う言葉じゃないじゃん」

 

 恵は光流に言う。

 「だって、本当に絶交したから」

 

 光流は、友達関係を修復させるのは不可能に感じた。

 「どうしてそんなに仲が拗れちゃったわけ?」


 恵は語気を強めて言った。

 「全部あいつが悪い!」


 美紅が言った。

 「本性は最低。性格が歪んでるんだよ」


 翔太が言った。

 「こんな場所でひとりぼっちにするほうが性格歪んでるよ」


 美紅は翔太に言い返す。

 「何があったかも知らないくせに失礼なこと言わないで」


 なぜ仲が拗れたのか理由を知りたい翔太は、美紅に訊く。

 「だったら何があったか説明しろよ」


 美紅は、別のひとを選ぶべきだと言いたい。

 「とにかく、あいつは翔太が思っているような女じゃない」


 由香里が翔太に言った。

 「道子を想うのはやめといたほうがいいと思う」


 優しい性格の由香里にまで言われるとは思わなかった翔太は動揺した。


 恵が、道子の気持ちを翔太に伝えた。

 「翔太は道子になんとも思われてない。草食系男子は見ててイラッとするみたい。積極性がないとも言ってたよ。はっきり言って翔太に相応しくない」


 “見ててイラッとする” だなんて、道子が言ったとは思えなかった。

 「それ、本当に本人が言ってたの?」


 「そうだよ」恵は正直に答える。「こんなときに嘘をついてどうなるの?」


 翔太はショックを受けた。

 「そ……そんな……」


 光流が恵に言った。

 「それこそ、こんなときに言わなくても……」

 (翔太がかわいそうじゃん)


 恵は光流に言い返した。

 「こんなときだから言ったの」

 

 光流はひとことだけ返した。

 「そうですか……」

 (女子ってけっこうきついよな)


 翔太は悄然とした。入学当時から好きだった道子の本心を知り、泣きそうになる。

 

 (脈なしかよ……)


 好きな気持ちは止められない。それなのに……勇気がなくて告白できない。“はっきりしない草食系男子” なのだろう。積極的に女の子に声をかけられる健が羨ましい。余計な冗談は言えるのに、肝心なことがはっきり言えない。何度か告白を考えたが、そのたびに緊張して言えずじまい。


 意気地なし。


 情けないよな……自分に自信が持てなくて……勇気がなくて……。


 「でも……」翔太は静かに言った。「想われてなくても、いまは放っておけないから」


 結菜が言った。

 「あいつがひとりを選んだようなものだよ」


 類が結菜に言った。

 「そんな薄情なこと言うなよ」


 結菜は類に言い返す。

 「だってそうなんだもん」

 

 明彦が言った。

 「この島は何が起きるかわからないんだ。単独行動は生死に関わる問題だ。関係の修復が困難なのはわかった。でも、島から脱出するまで一時休戦しよう」


 綾香が明彦に言う。

 「あいつと会話なんかしない」


 結菜も言った。

 「ほっとけばいいじゃん!」


 明彦は結菜に言う。

 「ほっとけるわけないだろ?」


 純希が声を大にして言った。

 「十三人揃って新学期を迎えるって決めたんだ! 道子がどうなっていもいいのかよ!」


 絶交はしても ‟どうなってもいい” とは思っていない。女子はだんまりした。

 

 類と健が、道子のところへ行こうと足を踏み出した瞬間、翔太が言った。

 「俺ひとりで行く。道子にお節介って言われたとしても、ここに連れてくる」


 類は言った。

 「俺たちもいくよ」


 完全に孤立した道子のほうから綾香に謝らないかぎり、仲直りは難しいだろう考えた健は、類の肩を引いた。なぜ道子だけが孤立し、全員が綾香の味方についたのか男子にはわからない。いままで道子の味方だった恵にもひどい嫌われようだ。複雑な事情があるように思えたので、男子が固まって行ったところでなんの解決にもならない。


 健は類に言った。

 「翔太に任せよう」

 

 類は心配する。

 「でも……」


 健は翔太に言った。

 「頼んだぞ」


 「うん」と返事した翔太は、一同に背を向けて駆け出した瞬間、我慢していた涙が溢れてきた。頬を伝う涙が雨とともに流れ落ちる。


 男が失恋で涙を流す。女の子から見たら恰好悪いかもしれない。


 だけど―――どうしようもなく心が痛いんだ―――


 涙は雨が洗い流してくれる。けれども、心の痛みまでは洗い流してくれない。みんなの前で泣くのは恥ずかしいから、気丈に振る舞う演技をする。


 男の失恋だってつらい。


 俺は友達としか思われていないんだよな―――


 類と友達になったのをきっかけに、一目惚れした道子と仲良くなった。たとえ想われていなくても、これからも仲良くしていきたい。それにいまは恋愛感情を抜きにして、この状況を乗り越えたい。そのためには、女子たちのあいだにできてしまった深い溝を埋めなくてはならない。


 考えを巡らせながら走る翔太の視線の先に、号泣しながら海へ入っていく道子の姿が見えた。驚いた翔太は、慌てて道子に駆け寄った。


 海に飛び込んだ翔太は、道子の華奢な腕を握って引き寄せた。

 「馬鹿! 何やってんだよ!」


 道子は泣きじゃくる。

 「ほっといてよ!」


 「ほっとけるわけないだろ!」語気を強めて言ったあと、子供を宥めるように優しく訊いた。「何があったんだよ?」


 「綾香から聞いてないの?」


 「誰も教えてくれない」


 「だよね……言えるわけないよね、類がいるんだから」


 「ごめん、話が見えない。恵が言ってた、道子とは絶交したって」


 「絶交……」友達だった……。自分からみんなを突き放したようなものだ。「そうだね……絶交しちゃったかんじ」


 翔太は道子の腕を引く。

 「陸地に上がろう。話を聞かせてくれないと解決できないじゃん」


 「もう解決なんかできない……」静かに言ったあと、語気を強めて言った。「絶交の理由がそんなに知りたい? あたしが綾香に言ってやったの! ぼさっとしてるから理沙に類を奪われたんだって! このサバイバルで理沙から類を奪おうとしてるビッチだって、そう言ってやったの!」


 翔太は道子から手を離した。薄々感じていた綾香が抱く類への想い。しかし、綾香の心の中で整理ができているように思えた。


 「気持ちを打ち明けてしまったらいままでの関係が壊れてしまう、そうゆう恐怖だってあるじゃん。綾香にしかわからないことがあって当たり前だろ? あいつらつきあいが長いんだから」


 「恵にも言われたよ。でも……」怒鳴るように言った。「でも! 言わなきゃ伝わらないし、綾香を見てると昔のあたし見てるみたいでイラッとするの!」


 「だからって……」


 「軽蔑する? いいよ、由香里にも軽蔑されたし」


 「昔……何があったんだよ」


 「最悪の記憶。まるで汚物みたいな記憶だよ」


 「言ってみろよ」


 道子もまた、誰にも打ち明けたことのない過去を言おうとした。翔太の前ではいつだって素直な自分でいられる。女友達よりも、なんでも言える存在だ。


 「中学のころ……ずっと好きだったひとがいて、いいかんじだった。だから告白しなくてもあたしの気持ちをわかってくれてる、そう思っていた。

 でも、ちゃんとつきあいたいから、高校に合格したら告白しようって決めてたの。うちの高校、偏差値が高いから勉強に集中したかったし」


 「誰かに相談とかしなかったの?」


 「してたよ。小学生のころから親友だった子にね。彼女を心から信用していた。でもね、ある日その子とあたしの好きなひとが、手を繋いで街を歩いてる姿を目撃しちゃったの。

 翌日、問い詰めたよ。そうしたら、 “ごめんね、つきあっちゃった。さっさと告らないからあたしが取っちゃったよ” そう言われたの。

 彼女、成績優秀なあたしを僻んでいたみたい。あたしは努力して頑張っただけなのに……それなのに……」


 経験豊富な男子なら気の利いた台詞を言えるのだろう。言葉の選択に迷った翔太は、何も言ってあげられなかった。

 

 道子は続けた。

 「親友って思っていたのはあたしだけだった。女を信じたあたしが馬鹿だった。理沙も同じ。綾香の気持ちを知ってて奪ったの!」


 「ちがうと思うよ。理沙は知らなかったんじゃないかな。あいつはそんな女じゃない」


 「綾香もあたしもそう、言わなきゃ伝わらない。だから……だから……」


 「その女が最低だったんじゃないか? あいつらは信用できるよ」


 「でも……もうみんなとは終わったの。新学期が始まってもあたしはひとり」


 「絶対にひとりにはならない。俺は道子をひとりにはしない。入学当時からずっと見ていた。ずっと……」いつもなら緊張して言えない言葉が自然と言えた。「タイミング悪いかもしれないけど……好きなんだ」


 突然の告白に驚いた道子の鼓動が速まる。

 「何言ってるの? あたしみたいな女のどこがいいの?」


 「一目惚れだった。けど、知れば知るほど可愛いだけじゃなくて……自分をしっかり持っていてカッコイイなって、どんどん好きになっていった」


 「そんな子いっぱいいるじゃん。やめときなよ、あたしなんか」


 “やめときなよ、あたしなんか” 興味のない男子へのていのいい断りのように感じた。それは道子の本心を聞かされていたからなおさらかもしれない。


 「俺に興味がないってわかってる。草食系だもんな。けどさ、俺は道子を泣かせたりしない」


 女子の前で言った翔太への気持ち。決して本心からではない。つい感情的になり、勢いで言ってしまった言葉だった。


 「それって、恵たちから聞かされたんでしょ?」


 「うん」


 「それなのにどうして……」


 「好きだからだよ。こんな場所でほっとけない」


 「馬鹿だね、翔太は……」


 大粒の涙を零した道子は、翔太の背中に腕を回した。道子に抱きつかれた翔太は、全身が心臓になったかのように感じた。奥手の翔太は、激しい雨でさえ蒸発しそうな熱い恋を知る。


 幾度となく想像してきた―――好きな女の子を抱きしめ返す、こんな瞬間を―――


 「俺とつきあってよ」何度も躊躇した告白。本当はディズニーランドのように、愛と夢に溢れた場所で言いたかった。


 道子はゆっくりとうなずいた。

 「あたし、わがままだよ」


 口元に笑みを浮かべた。

 「とっくに知ってる」


 「翔太の手に負えないかも」


 翔太は道子の顎を優しく引き上げた。雨に濡れた艶っぽい道子の唇に、自分の唇を押し当てた。想像以上に柔らかい女の子の唇は、まるで子供のころに食べたマシュマロのようだ。

 

 初めてのキスの余韻をもっと味わいたいが、この状況では難しい。翔太は道子の手を引いて、海から陸地に体を向けた。みんなが待つ場所に戻らなくてはならない。


 「行こう」


 心の準備ができていない道子は立ち止まる。

 「待って、無理だよ。もう……無理なんだよ。だって、ひどいこと言っちゃったもん」


 「ひどいことを言った、その自覚があるなら、まずは自分から謝ってみようよ。勇気を出せば大丈夫」


 恐る恐る歩を進めた道子は、翔太とともに陸地に上がり、一同が待つ場所に向かった。降りしきる雨のせいで視界が悪い。それでも、一同がこちらを見ているのがわかった。


 翔太に手を引かれながら歩く道子は、緊張して手が小刻みに震えた。綾香たちの刺すような視線が怖くて顔を上げられない。それに気まずい。綾香に歩み寄った道子は泣いた。


 「ごめんね、綾香」勇気を出して心からの謝罪をする。「本当にごめん」


 綾香には、翔太がどのようにして道子を説得したのかはわからないが、突然、謝罪されても簡単に許せない。

 「急に謝られても困るんだけど。都合よすぎじゃない?」


 類が肘で綾香の腕を軽く突く。仲直りしろと言いたい。

 「そう言うなよ」

 (うまくいったな。翔太に任せて正解だった)

 

 類が言いたいことはわかる。だがひどい暴言を吐かれたのだ。すぐに許す気になどなれない。器が小さいわけではない。誰だってそう思うはずだ。綾香は道子の手首を掴んで、強引に引っ張った。

 「来て!」

 

 綾香たちは定位置にしていた場所へと駆けていった。男子は、女子の後ろ姿を見て同じことを思う。

 (女子って複雑だな……)


 類が言った。

 「男でよかった」


 似たり寄ったりの性格の純希がうなずく。

 「言えてる。女子の喧嘩ってドロドロしてるよな」


 男子から離れて定位置に戻った女子は、道子を囲んだ。


 申し訳なさそうにうつむいている道子に、綾香は厳しい言葉を言った。

 「謝ればいいってもんじゃない」


 道子は、自分でもひどいことを言ってしまった……と、反省している。

 「帰りたいのに帰れない。イライラしてて当たってしまったのかも……だから本心じゃないの。本当にごめんね。勝手かもしれないけど、みんなと仲直りしたい」


 怒り心頭の綾香は言う。

 「あたしに何を言ったかわかってるの?」


 関係の修復は不可能かもしれないと思った道子は焦りを感じた。仲良しに戻りたい。どうすればよいのだろう……と、自分なりに考えた結果、目を瞑った。


 「あたしを引っ叩いてもいいよ。そのくらいひどいこと言っちゃったから」


 綾香はため息をついた。そのあと、道子の額を人差し指と親指で軽く弾いた。

 「しかたないから、これで許してあげる」


 道子は額を押さえて、安堵の涙を流した。仲間はずれにされてしまう、本当に絶交されてしまう、とすごく不安だったのだ。

 「綾香、ごめんね」


 綾香は微笑んだ。 

 「あたしは心が広いの」


 反省している道子の様子を見て恵が言った。

 「絶交解除だね」


 喧嘩に終止符が打たれると、お天道様もふたりの和解を祝福したかのように雨が上がった。雲の切れ間から太陽が顔を出すと、大海原に大きな虹が架かった。


 笑顔が戻った女子は、男子が待つ場所に歩を進めた。不安げな表情の男子の姿が見えたので、綾香が男子に向かって声を張った。


 「あたしたちは仲直りしたよ!」


 安堵した男子は顔を見合わせてうなずく。険悪な雰囲気から解放されて気分がよい類は、目を細めて空を見上げた。そのあと、戻ってきた綾香に訊いた。

 「さて、ジャングルで切り上げた謎解きでも始めようか」


 綾香は言った。

 「夜の学校でいいんじゃない?」 


 道子が言った。

 「この状況がツアー会社の罠によるものなのか、それを明らかにさせてから謎解きしたほうがいいと思う。そのために理沙に協力してもらうんだから」


 ふたりの意見に納得した類は訊いた。

 「まぁ、いいけど。だったら、夜までどうする?」

 

 綾香は満面の笑みを浮かべて、海を指さして答えた。

 「遊ぶしかないでしょ!」


 「賛成!」と、最高の笑顔を見せた道子は、綾香と手を繋いで海に向かって走った。


 ふたりは教室にいるときのように笑い合う。それを見た一同も、一斉に足を踏み出した。謎解きの続きは夜にして、いまは遊ぶことにしよう。

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