此岸の獣

赤魂緋鯉

此岸の獣

 テレビから繰り返し大雨情報が流れる夕暮れ時のこと。私は大して意味をなさない百均の傘をさして、近所のドラッグストアに向かっていた。


 この調子だと、ズボンのポケットに入っている財布もズブれだろう。でも、そんな事はもう、どうでも良い。


 なぜなら私は、これから死のうとしているのだから。


 理由はまあ、特に大それた何かがあるわけではなく、ありがちないじめを苦にした自殺だ。


 きっかけは何だったっけ? ……ああ。確か、私がぼうっとしてて「せっかく話しかけてやっているのに」無視した、だった気がする。


 親元から離れて暮らしていて、社交的じゃないからか、私への女子特有の陰湿ないじめはあっという間に加速して、3ヶ月で仕送りの生活費をカツアゲされる様になった。


 親は私に興味がないらしく、親からの愛情と呼べるものはお金だけだ。別に死んでも悲しまないだろうし、むしろ居なくなってくれた方が喜ぶかもしれない。


 というわけで、近くの川が増水する中、私はオーバードーズ用に睡眠薬の買い出しに出た。


 いつも買い物のときに使う、大通りへと抜ける一定間隔で溝蓋が並ぶ、見通しの悪いカーブの裏道に私は足を踏み入れる。

 

 こんな天気に出る変質者は居ない、といっても、かなり薄暗いのは少し嫌な感じがした。


 そんな事を思いながら、道の中間地点にやって来たところで、


 ……えっ、何あれ……?


 昭和の化石の様な、電球の街灯の下で両膝をつく、大きい毛むくじゃらの何かと遭遇した。

 見た目は長毛のおおかみ、といった感じだけど、サイズはバスケ選手みたいだし、爪も私を刺し殺せるくらいには長いし太い。

 何かと戦ったみたいで、その金色の体毛のあちこちに、まだらに血の赤い模様がある。


 そんな「何か」を見ていると、それも私の方を見てきた。


 死のうとしていたはずなのに、私はそれに「死」を感じて、瞬間に腰を抜かしてしまった。


 「何か」は、ふらり、と立ち上がると、前のめりでフラフラと私の目の前に来た。


「……」


 食われるのかと思ったけど、それはてのひらで私の頰をそっと触ってきた。


「……驚かせてすまない。……どこか、人目に付かない所へ案内してくれ」


 見た目と違って少し低い女性の声で、「彼女」は私にそう助けを求めて来た。

 すると、体毛を落としながら「彼女」はだんだんと身体がしぼんで、少し大きいぐらいの全裸の女の人に変わった。


 だけど、そのスレンダーな身体についた、痛々しい傷はそのままだった。

 少し怖かったけど、放っておく訳にはいかないので、私は彼女を自分のアパートの部屋へ連れていった。


 驚いた事にもう血が止まっていたようで、玄関の三和土たたきらすのは、長い髪と身体から垂れる雨水だけだった。


 私が渡したタオルで身体を拭く彼女は、申し訳なさそうに肉を食べさせて欲しい、と言ってきた。


 どうせ使う予定のお金だったから、近所のコンビニ数軒を回ってフライドチキンとかを20個近く買い集めた。


「……すまない。頂くよ」


 私の持ってる服で唯一着られた、ゆるい部屋着姿の彼女は、あっという間にフライドチキンとかを平らげて、そのまま電池切れみたいに寝てしまった。


「傷が……」


 すると、彼女の全身の傷がみるみる塞がって、私がシャワーを浴びて戻ってくるまでの間に、どこにあったかすらわからなくなった。


 なんとなく床で横になって、スヤスヤと寝息を立てる彼女を見たりしている内に、私もいつの間にか寝落ちしていた。


 次に目を覚ましたのは、始業時間間近の8時だった。


「……まあいいや」


 でも行くのが面倒くさかったので、体調不良だと学校に連絡を入れて休んだ。


 昨日はあれほど激しく雨が降っていたのに、今はそんな事なんか微塵も感じさせない、穏やかな晴天だった。


 まだ寝ている彼女と一緒に、私は特に何もしないまま、日中をダラダラと過ごした。


 人生初めてのズル休みの結果、どうやら心がリフレッシュされたみたいで、死のうという気持ちがなくなっていた。


 だがその穏やかな1日は、夕方の5時過ぎに、いじめの主犯の同級生達がやってきたせいでぶち壊された。


 部屋の前の連中はドアを乱暴にノックして、あざけりが混ざった不快な声で、お前が来ないと変な騒ぎになるから明日は来い、もちろん金も一緒に、と自分勝手な事をまくし立ててくる。

 それが終わると、ぎゃははは、と満足そうに汚く笑って帰っていった。


 私は窓からこっそり下を見ると、案の定、表面上だけは良い子ぶっている、4人組の後ろ姿が見えた。


 カーテンを強く握りしめて、その姿をおびえながら見ていると、


「ええっと、お前、名前、なんて言うんだ?」

「ああはい、はるです」

「陽か。陽は、あの連中に何かされてるのか?」


 いつの間にか起きていた彼女が、私より頭1つ高い位置から、同じものを見つつそう訊いてきた。


 私がその質問に首を縦に振ると、彼女は少し曇った顔で、そうか、と言って窓から離れた。


「言うのが遅れてすまない。私はアンジェという名前だ」


 さっきまで寝てた位置に立つ彼女は、最低限の自己紹介をして、それ以上は出来れば訊かないで欲しい、と、困った様な顔で私にそう頼んできた。


 私が、分かった、と答えると、助かる、と少し微笑ほほえみつつ言う。


「……非常に差し出がましいお願いなんだが、もう1日、陽の家に置いて貰えないだろうか?」


 まだちょっと、体力が戻らなくてな、と、またさっきと同じように頼んできた。


「別に良いですよ。好きなだけ居てもらっても」

「ありがたい。ちなみに、自分の生活費は自分で出すから、心配は要らないよ」


 まあ手持ちはないんだけどね、と、アンジェは情けない声で自嘲じちよう的に笑って続けた。


 そんな風にして、謎の女性アンジェとの奇妙な同居生活が始まる事になった。


「じゃあ、取り急ぎ金を引き出してくるよ。ついでに服とかも買ってくるから、少し遅くなると思う」

「ああはい。……行ってらっしゃい」


 アンジェは早口気味にそう言って、裸足はだしのまま出かけていった。


 色々と気になる部分はあるけど、追求しないで欲しいと頼まれたし、あんまり興味も無かったので私はスルーを決め込んだ。


 それから4時間後の9時過ぎぐらいに、アンジェはやたら大荷物を抱えて帰ってきた。


 荷物の大半を占めていたのは衣装ケースで、彼女はそこに買ってきた自分の物を詰め込んだ。


「……?」


 その最中、彼女のすぐそばを通ったとき、うっすら鉄の臭いがした気がした。でも、それを感じたのはその1回だけだったから、多分気がしただけだろう。



                    *



 翌朝。私は憂鬱な気分を隠して、寝ぼけ眼で朝食をるアンジェに見送られながら登校した。


 何かされないか、とおびえながら教室に入ると、大体いつもそろっているはずの昨日の4人が、何故なぜか全員欠席していた。


 その理由は、血相を変えて教室に入ってきた先生の話によると、昨日の午後6時ぐらいから行方不明になっているらしい。


 ……あれ? 確か、アンジェが出かけたのってその時間だったような……。


 気のせいだと思っていたけど、もしかしてあの臭いは本当で、その元は連中かもしれない、と私の中で、状況証拠しかないけど、何となく納得できる仮説が浮かんだ。


 それから、授業は全部中止になって、事情聴取やらカウンセリングやらを受けて、いつもより少し早い時間に家へ帰れた。


「お帰り、はる。いつもこのくらいなのか?」


 部屋に入ると、地味めなティーシャツと短パン姿のアンジェが、何故かカレーを作っていた。近くにスマホがあるから、多分見ながら作ったんだろう。


「いえ、もう少し遅いです。……ところで、スマートフォン使えるんですね。あと料理出来るんですね」

「むっ、その言い方は心外だなあ。私は文明人だよ?」


 アンジェは唇をとがらせて、ちょっとねながらそう言う。


「……アンジェさん」


 そんな彼女の様子を見て、私は何故か無性に抱きつきたい思いがわき上がった。


「ん? どうしたはる?」

「いえ。特に理由はないんですけど……」

「……まあ、そういうときもあるよな。好きなだけ抱きついてて良いぞ」


 私は、ありがとうございます、と言って、彼女のなんだかした布団みたいな匂いを嗅ぐ。


 彼女はちょっと変わったなぞの多い人で、私はその人と暮らす同居人。私達の関係はそれでいい。――それ以上は、知らなくて良いんだ。

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