犯罪者レコード


「ないだって?」

「ありませんって!」


 中央図書資料館センターライブラリーの305閲覧室。宮森クリスは、支笏原一朗の襟首をつかんで壁に押し付け、額をくっつけるという最接近の形で詰め寄っていた。


「どこに落としたかわかるか? いつ落としたか分かるか?」

「いや。わかっていれば落とし物とは言わんでしょう。ぐべっ」

「いらん屁理屈を! 吐けっ吐いて楽になれっ」


 旧世紀の映画から抜け出したような、極悪人への尋問のようだが、支笏原一朗巡査部長は鑑識2課係長。筋金入りのたたき上げであり、まじめさと不真面目さのバランスのとれた、標準的な警官である。宮森クリスの新人研修担当でもあった。


 昨日の最後、尋問する予定でいた”ウェン・チュク”の人格RAMメモリが見当たらないのだ。朝の一番に尋問するつもりでいたが、3段重ねにあいた収納トレイに見当たらない。どこか下のあるものと、後回しにしていたのだが、3人まで尋問を終えても成果がない。重要人物から先にしようと、支笏原が改めて漁ったところ、どこにも”ウェン・チュク”がなかったのだ。


「いいかげん吐かないと、貴様の嫌いなニンニクラーメンを昼飯に食ってくるぞ!」

「それだけは……。臭いキツイの嫌いなんす。やめてくれぃ」


 ドスン。桜井たまきは、山のような資料の隣に新たな山を築いた。連峰の谷間からポニーテールを揺らし、冷静にツッコんだ。


「当たる相手が違いませんかクリスさん。あせる気持ちはわかりますが、遺失されたのはご自分・・・ですよね?」

「ぐぐむむ……だが、こいつが昨日のうちに指摘してくれていれば、その前に、保管室に片づけるとき、しかと整理しておいてくれていれば。もしくは今朝、閲覧室集合の直後に物品チェックしてれば」


 今日も、ラフなギャザースカートの宮森が、反駁というより屁理屈を力強く唱えながら、襟をつかむ腕の筋肉を盛り上げた。


「ぐっ……だーかーらー。俺は一足先に署に帰っていて片付け現場にはいなかった……いませんでしたっすよね? 今朝はけさで、機器の準備で手が離せなかった。ぐぇ」

「そんな詭弁、私には通じないっ!」

「どっちが詭弁、ぐあっ…………あ。お花畑がすぐそこに」

「はーい、はいはい。コントはそこまでにして、もう一度館内を捜しましょう。みつかるかもしれません。受付のお姉さま方には、お伝えしますか」


 支笏原の命を握る指がゆるんだ。花に蝶が舞う風景から解放された2課係長は、しばらくぶりとなる酸素を狂おしく吸い込んだ。


「受付……か」


 カウンターの奥から、ニコやかな微笑みを投げかける女性団を、宮森は思い浮かべる。中央図書資料館センターライブラリーは、デジタルと印刷を問わず、市販のあらゆる書籍と情報が集まる大倉庫。もはや法律といってもいい”都市の一元管理”条例で、犯罪文書はもとよりシティ冬都の公共情報も、すべてが管理、精査される情報の巨塔だ。


 派遣された彼女たちは、海千山千の警察官たち。ゴリ押しなどが一切通じない、どころか無理を通そうとすれば、その負債は、3倍返しとなって返還される。


 世界シティの裏表を知り尽くしているといっても過言ではない熟練メンバーらだ、館内の遺失物、それも貸出し物など、瞬きの瞼が戻る前のおちゃのこさいさい。あっという間もない短時間でみつけ出してしまう能力を、宮森は疑ってない。


 すがらない手はない。ないのだが、後の支払いが恐ろしかった。


 アレらにとって情報は武器。引き換えと称して、宮森が抱え込んだ公私情報を、根掘り葉掘り抉り出されるのは、南洋の台風が冬都に上陸する確率くらい自明だ。出土した遺品は墓に返ってこない。宮森リークスは、周遊して誰かの耳に届き、いつか自分の足元をすくう。デンジャーワーニングな危険が、ないとも、いえないともいえないともいえない、のだ。情報の重みは服用方法にある。彼女たちの処方箋は……宮森はいちど体を震わせると、迷いをふりきった目で断じた。


「この件は秘密裏に進めることにする。いいな?」

「やはり、そうきましたか。ならせめて相棒ミルフィーユに手伝いを」

「却下。メンテ中アンドロイドの手配に手間をかけるなら、その時間を捜索にむける」

「メンテ中?ミルフィーユが? 定期点検には早いし、まさか事故?」


 驚いて口をおさえる桜井たまき。アンドロイドは丈夫だ。ことに警察に配備される機種は安全性と頑健性を高められている。よほどのことがない限り、破損はないし、故障もたいていは自己修復してしまうのだが。大切な相棒バディがメンテナンスならば、よほど・・・のことが起こったということだ。


「日報は見てないのか、キミは」

「日報?警察署内活動報告のことでしょうか? ほぼほぼ変化のない内容のわりに、5重セキュリティの手間が惜しいと評判の。毎日真面目に目を通してるのはクリスさんくらいなものです。ミルフィーユになにがあったんですか」

「怠慢だな。まるで署内にまん延した精神病だ。そう、一時的だが機能停止状態となったそうでドッグ入りが決まった。本日から7日間な」

「機能停止!? なんで? 原因は書いてありました?」

「さぁな。それがわからないからのドッグなんだろ。これだからアンドロイドは」

「ミルフィーユ……」


 思い入れ深く、桜井たまきのポニーテールが、しょんぼり垂れ下がった。


「アンドロぼろイドのことよりも、今は人格RAMメモリだ」

「ボロなんかじゃありません。メンテナンス工場はどこだか、わかります?」

「拘るなあ。本署整備庫かメーカーラボだろ。いいから人格RAMメモリだ」

「相棒を心配するのが悪いんですか。普通のことです。あなたこそ……いえ、もういいです。人格RAMメモリですね。えーと、これだ。はい、みてください」


 病み上がりの月曜日が来たかようにダルそうな動きで、バインダーの書類をペラペラめくった桜井たまきは、挟まれた一枚を上にすると、バインダーを宮森警部補の鼻先につきつけた。


「ほう。」

「借りだした書籍と資料を記した書類です。それは人格RAMメモリの一覧。尋問済みのには赤線を引きましたよね。欄の右端にあるのがコピー開始と終了の時間ですね」

「分かってたか」

「もちろんです」


 ぬははと、宮森が白い歯を見せる。


「そう。あれはコピーだ。あと2時間で消去され中身は消え失せる。無罪放免の未来がまってるのに、応援を呼ぶとか事を大きくする荒立てるバカは、いないだろう」

「警部補……余裕で雑談しているとは思ってましたが」


 薄く悪い笑う宮森、うなだれる桜井。両者を見比べた支笏原は、一呼吸遅れ、言葉の意味に気が付いた。眉毛を吊り上げて驚いた後、肩を落とした飽きモードに入った。


「落としたのが人格格納スタックHANPNSじゃなくて幸い、というところでしょうか。人格RAMメモリコピーは24時間で消去されますからね」

「問題は”ウェン・チュク”ってことくらいだな。あれは一級の犯罪者。拾われて再コピーもでされたら、とんでもないことになるん……じゃないのか?」

「なんで疑問形なんですか。専門家としての意見はどうなんです係長?」


 指名された支笏原は、拠れたネクタイをきゅっと直す。鏡で正してない分だけ、いささかの曲がりを残したが、呆然を絵にかいたような抜け作が、頼れる係長の仮面をまとった。ふむ、ともう一度タイを締める。


「コピーの線はありえないな。人格格納スタックHANPNSはシプナスを再構成したもの。人格RAMメモリにも言えることだが、保存するのにも大きな電力を消耗してしまう。24時間というのはバッテリーの限界値なんだ。かつての二次元サーバー ――実際はシーケンシャルな1次元なんだが――とはワケが違って」

「なんだって? 煙に巻いてないでもっとわかりやすく言ってくれ、センパイ」


 はあと、今度は別のため息、そうみてやる気のテンションが低下した。


「データとはいえ人間の頭脳そのものっす。移動MOVE複製COPYにさえ専用ユニットを必要とするくらい綿密かつ膨大なんス。最小でも、えーと、家庭用オーブンレンジの4倍かな。重さなら20キログラムを超えるっつーことで、とてもじゃないが隠して持ち歩ける代物じゃないし、ほいほい用意できるものでもないっすね」

「話しっぷりが、見事に下っぱ化しましたね。CFM細胞フラッシュメモリとは違うんですか?」

「ほう。たかがデータコピーだろう。そんなに大掛かりになるのか?」

「そいつは認識のズレがすげぇ大きすぎだ……です。平面記憶じゃなくて立派な立体なんスよ。脳をという小宇宙をたった5センチ内に実現したPG社の科学的偉業は感動無しでは語れません。ちなみにCFM細胞フラッシュメモリは記憶媒体の最新系。生体細胞を原理を活かした容量は膨大だが、細胞ってところが倫理的に記憶保存に不向き。人格を持ちかねないと危惧されている。はぁ……遺伝子工学と情報工学が統合されて、もう10年以上にもなるってのに、俺のところにいた新人は、なにを研修したんだか。ぐぇっ」


 最後のほうは、独り言みたいで聞き取れなかったが、宮森は、野生のカンで脇腹に肘攻撃を施した。うははと、女性を捨てたともいえる喉ぼとけを大公開して、豪快に笑った。勝利を確信したかのようだ。


「面白いじゃないか。2時間を逃げ切るか、2時間以内に見つけるか。出目はどっちに転がっても、私の勝ちだ」


 この女性警部補のことを勘違いしていたのだと、桜井たまきは知った。巡査長はバカなのかと。支笏原一朗と目が合うとぶるぶる首を振ってる、それを言ってはいけない。哀しく訴えていた。


「桜井くん、君には引き続き資料チェックを頼もう。支笏原巡査長は私についてこい」


 このチーム、目的はなんだったのか。紅葉山ごう誤認逮捕事件と殺された海藤ソレイユ、身体部位パーツを失った事故や事件の資料をかき集め、類似性を突きとめ真実を導き出す。それがため宮森は、他部署の二人を接収までしたのだが、やってることは、落とし物探し。犯人は――張本人は――宮森。署内に知らないものは無い。彼女は生来の落とし物名人なのだ。


「尻ぬぐいかよ。泣けてくるな」

「巡査部長。なにか言ったか」

「……なんにも、です」


 口ごたえが許されないほど階級が高くなった後輩への文句を飲み込んだ鑑識2課係長は、通路にでるなり床にしゃがみ、目を隅なく光らせる。鑑識配属の新人がたたき込まれる、1ミリの破片も見逃さない匠の技だ。


「そこはいい。館内からの持ち出しは不可能、捜せば絶対みつかる。勝利はわが手にあるのだ。私はここ閲覧室側から当たる。君は保管室だ」

「スタート側ゴール側から縮めて、中央で落ち合うってことっすね」

「ブツはその間にある。くれぐれも敵には悟られるな」

「敵? ああ……受付やらの図書係やらね。はいはい」

「皆までいうな。駆け足!あいや館内は駆け足厳禁だった。走らず急ぐ。それ行け!」

「はぁ……」


 戦国武将もかくやという下知で、一階へと急きたてられる男性巡査部長。追い払われた兎な面持ちを抱えつつ、階段を駆け下りていった。


「私も行くとしよう。メモリーなんかすぐ見つかる。5センチ角の物体など、発見できないほうどうかしてる」


 腰に手を置いた前かがみ姿勢で、宮森クリスも動きだす。隈なく凝視するまでもない。見通し良い廊下には、棚のひとつも置かれてないのだ。通路の端から端までを6秒ほどで一目し終えた宮森は、支笏原が下りたほうではない遠いほうの階段を、一段一段、確認しながら後ろ歩きで下りていく。


「何かの陰になっている。もしくはすでに拾われた。どちらもありそうだな」


 そうも考えたがかぶりを振って訂正する。


「受付けに申し出れば、拾得物として届けられているかもしれない。いや、人格RAMメモリはコピーであっても厳格に管理されてる。万が一届いてるのならば、私にも報せがあったはずだ」


 コンタクトレンズ型アイデバイスで、メールの一覧をチェックする。本日ここまで、馴染みの通販ショップのおススメ以外の着信はきてない。図書館担当者が直接、含み笑いで言いに来るかもしれないが、今のところそれもない。落とし物として扱われてない、たしかな証拠だった。


「落とし物ものですかね。なんなら私も、捜しま……? み、宮森警部補じゃありませんか。どうなさったんですか?」


 ふり向くと、目を白黒させる警官がいた。不審な客に声をかけしたら署内きっての有名人という展開に、警備担当は驚きをかくせてない。宮森は舌打ちする。落としたメモリを探してるとも言ないし、麗しき事務嬢に伝わるのも不味い。コンタクトを落としたんだと、白々しいウソでごまかす。手伝いましょうと親切な申し出を、アイデバイスのアプリで見つけるからと、丁寧に追い払った。


「さすがわ適地だ」


 警官邪魔者の背中を見送ると、次なる介入者の陰を警戒し、3階から階段の踊り場、踊り場から2階へと、慎重に足を速めた。彼女はじつは、メモリは踊り場に落ちているはずなのだと、妙な確信をもっていた。みつけにくい段差に隠れているのだと、決め込んでいたのだが、来てみればどこにも見当たらない。自身があっただけに肩を落とし、ため息をついた。


「本当に、時間切れを待つしかないのか」


 2階フロアの通路にたたずんでいると、ゆっくりと移動している本棚が、目先で停止した。歩行本棚ブックシェルという、載せられた本を運んでいく箱型のロボットだ。人間を思わせる顔や胴体のようなものはなく、高さ1メートル40センチ4方の、動く図書棚だ。上部にせり出したパネルには15秒で切り替わるCMが流れる。いまは広報かrなおメッセージ”限りある資源を大切に”だった。


 温暖化は人にさまざまな方針転換を迫ってくる。気象変動、人間を含めた生物衰退、ほかにも資源の不足はもっと深刻で、電子化の波が加速したのは自然の流れといえる。ちり紙一枚に神経を尖らせる環境第一主義を唱える議員もいるほどで、彼らは自然を汚す者には死をと言ってはばからない。


 洋紙はパルプでできているが、原料となる針葉樹や広葉樹は生育が遅く、海外からの輸入が途絶えた今は、リサイクルが多数を占める。非木材なら、サトウキビや藁など、麻朝など、繊維であればなんでもいいことになるが、それはかつてのように生産拠点がいたるところにある場合に限る。供給できる製紙工場は一つしかない。原料うんぬん以前に、製造のほうに上限があった。


 その工場も、どうにか稼働はできているが、製造機械の老朽化が深刻だった。冬都は、昔から最北の都市であったが、工業の主力は本州。何かを製造しようとしても、製造業を営むためには機械が必要で、工作機械のほとんどを本州からの購入に頼っていた歴史がある。紙にかぎったことではなく、大規模メーカーが極めて少ない北海道の弱さは、すべての生産におよんでおり、現代はなお深刻な影を落としていた。


 それでもここは図書館だ。買えば高額となる紙の本が、目に映る視界のぜんぶに溢れる。代用繊維製や合成繊維【不織布】もを含めれば、蔵書は数知れない。いくつかのエリアがあるが、メインとなるのが”大フロア”。1階から3階までをぶち抜いた巨大スペースは、標準的な学校体育館を2つつないだ容積に相当する。一階部分が6メートルほどと標準の倍ほどに高く設計されているので、図書館の3階は、普通の4階建て規模以上。


 大フロアは、縦にも横にも高さにも広く、上下を4階層に仕切られる。それぞれの間には中間層が設定され、いたるところにベンチやらテーブルが配置してある。腰痛などで、座るのが苦手な人のための簡易ベッドまで用意されており、読みかた自由の、まさに本の娯楽スペースである。本好きを引き寄せるのは、当たり前といえよう。


 大フロアに置いてある本は、フリーレンタル。ほかの部屋に仕舞われた書籍と異なるのは、価値ランクが最低ということだ。一般娯楽、大衆文学、絵本、各種マニュアル、歴史やら文芸やら写真やら、さまざまな本があるが、”大量印刷された”というくくりで貴重性の低いものが並べられている。内容の価値が薄いということではない。


 いちいち許可を取らないでも、館内どこでも自由に持ち歩きできるところが歓迎されていて、さらには、読んだ本は、元の本棚に戻さなくてよいとしている。大規模図書館ではありえないシステムだが、本を置く場所だけは厳密に指定されていた。そうしたことから、わざわざほかの部屋エリアの許可を取ろうとするのは少数だった。


 本を返していい場所というのが、そこら中にある歩行本棚ブックシェルだ。腰の高さほどの自動歩行マシンは、置かれた本を識別すると本来の棚に戻すようプログラムされている。およそ1メートル以内に人を察知すると停止する機能もある。じっと動かず立ち去ると再び移動する。走行する本棚から本を手に取る人も多く、ユニークなサービスとして歓迎されていた。


 ふたりの利用客が、にぎやかなハードカバー本を歩行本棚ブックシェルに返し、置いてあったミステリーを手に持った。


「これは……この可能性を失念していた!」


 1階ロビーには、3軒の飲食物を提供するテナントがある。注文したコーヒーやシェイクなどを持って共用の飲食スペースで読書、というのは誰もがたどりつく楽しみ方。中央図書資料館センターライブラリーもおススメする読み方なのだが、本を汚す可能性があるので、本紙でない合成繊維【不織布】の本とはいえ邪道であると、本好きの通玄人は目を吊り上げる。


 大フロアで借りたのをロビーに持ち込んで読む。読み終えた本は歩行本棚ブックシェルに返して、新たに借りるもいい。誰かの置いた本をを手に取ることもよくある。そうして本はフリーダムに、本来の帰るべき棚への道のりを、移動していく。


 大フロアの歩行本棚ブックシェルには人格RAMメモリも返却できる。正確にはメモリではなく人格ROMレコードというのだが、一時的なコピーとは違って、改ざん不可能な記録版だ。借りる側とっては名前より実用。メモリとレコードを意識して区別する人はあまりいなく、ひとくくりにメモリと呼ばれてる。むしろ、警察があつかうコピータイプの人格RAMメモリのほうが特殊であった。


 人格ROMレコードは、複数の棚に分類別に並べてあった。使用には閲覧室を借りる必要があるが、大フロア棚にある物なら、自由に見ることができた。ただし、置いてあるのは、さほど問題とならないレコード――アリストテレスの疑似人格、著名な作家、有名タレント――には限られるが。


「拾われて、これに置かれでもしたら。歩棚ナンバーがある……全部で何台あるんだ」


 前に停止する歩行本棚ブックシェル、ナンバーは03。見回せば、ざっと4台が視界にはいった。図書館では「日本十進分類法」によって本が分類され、棚が配置されている。0総記、1哲学、2歴史、3社会科学、4自然科学、5技術、6産業、7芸術、8言語、9文学……。もっとの人気が高いのは小説で、本屋では”文芸”のジャンルを設けてる。その文芸も小説意以外に、エッセイ、詩歌・短歌・俳句、戯曲がある。


 ほとんど本を読まない宮森だが、巨大すぎる野生の本棚を見上げ、数という手に負えない圧倒的な存在感に戦慄を覚え、駆けだした。


「どこだ? どこにある?」


 大フロアの、最大3メートル20センチある本棚の間を歩行本棚ブックシェルを求め、彷徨った。みつけた!とスライディングの勢いでナンバー08に迫ったが、人格RAMメモリは見当たらなかった。ターゲットを次に移して猛ダッシュ。だがこれにも無かった。タゲ変更ダッシュ。またしても空振り。ナンバーはそれぞれ09、12だ。


 宮森は立ちすくんだ。


「あんなもの、あんなヤバい物、落としたなんてバレたら立場が」


 いやそんなことはいい。

 

 自分の立場が多少悪くなったところで、せいぜい謹慎が長引くか、受付の連中に融通をきいてやるくらいなもの。


 それよりも、だ。


 だれかに閲覧されネット上に流れでもしたら、古の知られざる悪行の手口が世に知れ渡る。模倣犯が乱立したりすれば。


 いや、そんなことさえ、今はどうでもいい。


 まずありえないことだが、と、最悪なケースが頭をもたげて、ジュラ紀の獣のように、巨大な足跡を踏み残しはじめた。まかり間違って、脳内に記憶ツールを組み込んだ人間が電脳ソケットで読み込みインストールしたりすれば……。


「そんな、まさかな。……それを見せてくれないか?」

「あいたた。何をするんじゃ!」


 思い描かれた不安要素、それにかぶりを振って自らの案を否定してから、歩行本棚ブックシェル人格ROMレコードを吟味していた老人に割り込み、手を伸ばしかけた四角の物体をひったくった。


「すまない警察だ。これでもない……失礼した。読書をゆっくり楽しんでいってくれ」


 歩棚にしがみつき目を凝らし、番号をにらみつける。6台目に表記されたナンバーは19だった。老人は腰をさすりながら「あの災害から、警察のモラルが低くなったの」と嘆いたが、それどころではない宮森には聞こえない。時計をみれば時間はあと58分。コピーが自動消去されるまで、あと58分。


 宮森は、どうでもいいことをぼんやり思い出す。子供のころに親に連れられて訪れた、図書館や博物館、それに、ほの暗い水族館を。そうした場所は異空間であり、他所よりも時間がゆったり遅く流れていく気がしていた。細胞の間を抜けていく空気は、忙しく追い越してく毎日を取り戻してくれるようが気もしていた。


 幼い直感はいまも健在で、やたら時間が永い。ただただ長かった。閉塞された空間の引き延ばされた時間感覚に、焦りを覚える。

 まだ、58分もあるのだ。


「仕方ないか」


 若き女性警部補はまたもや駆けだした。大フロアの中二階でよろけると、箱椅子に座る高校生をクッションに立ち直りながらスマホを取り出すと、暫定相棒にコールした。


『はい、こちら、第二鑑識室兼遺留品一時預かり室係長の、支笏原一朗ですが』

「長がぁぁぁい! 受付へ直行しろ!!」

『いまちょうど受けつけです』

「は?なんで?」

『床に這いつくばって捜していたら、女性客から盗撮と間違えられ連行されまして……』

「はぁ……だがちょうどいい。遺失物捜しを願い出ろ。わたしの名前で頭を下げておけ」

『ええ?』


 返事を待たず、通話アプリをプチっと切る。自らは1階カウンターではなく、閲覧室のある3階を目指す。いましがた降りたばかりの階段を駆け上った。目に染みこんでくる汗は冷たく、やけに痛かった。


 ”ウェン・チュク”。あれはヤバい。ほかの犯罪者もまずいが、あれは常軌を逸している。子供だって知ってる凶悪の権化で、何度も何度も物語の材料にされた恐怖の女だ。真っ先に尋問を終え、消去しておくべき手合いデータだったのに、後回しにと、仕舞いこんだ管理の甘さが悔やまれる。


 万が一にも、外に出てしまったりしたら、起こり得る事態は想像を絶する。昨日のことで、冬都シティはパニック気味なのだ。警官の多くが出払っている。考えれば考えるほど。


 アイヌ名”ウェン・チュク”。別名をハニーラックと言った。



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