第19話:炎が水に変わるとき

「修行、順調?」

 食堂のテーブルの向かい側から、美玲とアリスが興味津々に話しかけてくる。僕は取り皿のパエリアを食べる手を止めた。

「今、新しい料理味わってるんだけど」


「わかってるわよ。アンタ、新世界料理好きだもんね」

 美玲は無邪気に頷いた。新世界料理とは、異世界から転生してきた人が、転生前によく食べていたとしてこの国に広めたものだ。

「パエリア、エビやアサリなどの魚介類を中心とした具をカレー風味に染めたご飯とともに炒めた料理ですね」

 アリスが生真面目にパエリアを説明する。


「パエリアは美味しい? そして修行は順調?」

 美玲が矢継ぎ早に質問を重ねる。

「新世界料理にしてもパエリアは美味しいと思う。修行は順調だよ。マグマウスを凍らせた」

「マジ!?」

 美玲が食い入るように身を乗り出した。


「あのマグマウスを凍らせちゃったの?」

「マグマウス自ら氷漬けから抜け出したけど、その後冷えて固まって倒れたよ」

「マグマウス、怖くなかったの?」

「はっきり言う。怖くない炎属性のモンスターを教えてほしいぐらい。僕は、炎が怖いからこそ、あいつらが調子出す前に怒涛の攻撃でねじ伏せたわけだ」


「アンドリューなりに恐怖心を克服しようとしているわけですから、もういいじゃないですか」

「アリスはちょっと黙ってて」

 美玲はここでも容赦なくアリスを遮った。


「ねえねえ、アンタが炎属性のモンスター叩きのめすところ見てみたいんだけど」

「何言い出してるの?」

 能天気な発言を重ねる美玲に僕は困惑した。

「ほら、マグマウスって、学園近くの森に生息する炎属性のモンスターとしては、ステータス高めじゃん?」

「スマウス10匹追い払っていたら、親のマグマウスが怒ってきたからね」


 マグマウスの雄叫びが脳内でリフレインしている。想像するだけでまだちょっと怖い。

「マグマウス凍らせたってことは、ほかのモンスターも凍らせられるんじゃないの?」

「いやいやいや、待って待って。マグマウスでも結構いっぱいいっぱいだったよ。君は僕をどういうところに駆り出そうとしているのかな?」

 僕は焦りながら美玲を諭した。


「マグマウスよりも強いモンスター探すのよ。それも炎属性よ」

「本当に炎属性ばかりと戦わせるんですか? それが特訓なんですか?」

 よし、ここでアリスがもっともな質問をぶつけてくれたよ。ジョセフにその言葉を聞かせて欲しかったよ。


「炎に対して致命的な恐怖を感じちゃってるのよ。ここで地属性のモンスター潰したって、まあ技術的ステータスは上がるかもしれないけど、精神面での成長は……どうかなって感じじゃない?」

 美玲が至極冷静な態度で反論する。


「相手はエドワード・モー」

「言わないでくれ! せっかくのパエリアがまずくなる!」

 僕は語気を強めて美玲を制すと、今のうちとばかりにパエリアを頬張った。


「何よ、たかが対戦相手の名前なのに」

 美玲が残念そうに嘆く。

「まだまだ恐怖心を完全に乗り越えたわけじゃないんですね」

 アリスが冷静な口調で僕を分析した。


 そのとき、僕の頭の上に、何かがふわっと舞い降りた。もののみごとに乗っかったものを取る。一枚の紙だ。十字に折り目がついている。

「業務連絡。食事が終わったら来なさい。 オズワルド・シュールズベリー マジックバトル部水属性チーフコーチより」


「どうしたの?」

 美玲が問いかけてくる。

「チーフコーチに呼び出された」


---


「単刀直入に言おう。炎に対して恐怖心を取り払うこともそうだが、今のお前には技のレパートリーが足りん」

 両サイドの壁の書斎が威厳を放つコーチの部屋で、シュールズベリー・チーフコーチが僕に指摘した。

「新技をつけなきゃな」

「マグマウスを凍らせたあの技も、最近覚えたばかりですが?」


「足りないものは足りないのだ。たかが1個ぐらいでは、エドワードとの差はつまらないぞ。お前がこうやって前に進んでいいのは認めよう。しかしこの間もエドワードはどんどん前に進んでいるぞ。それが分かっているのか」


 僕は口をつぐんだ。確かに、エドワードは恐ろしいけど、アイツもウィザードとして、日々鍛錬を積んでいる。彼の練習風景を見たわけじゃない。でも、プロのウィザードなら鍛錬に鍛錬を重ねて当然だ。


「あいつの鼻を明かす鍛錬を始めるぞ」

「わかりました」

 チーフコーチの気迫に押され、僕は大きく頷いた。


「今から行くぞ」

「今からですか」

「お前に引き伸ばす時間はない。早速練習場へ向かうぞ」


---


 チーフコーチに水属性の練習場に連れられると、そこではすでに美玲、アリス、ジョセフが待っていた。

「このオレが水属性の練習場に来るなんてな」

 ジョセフがちょっと嫌そうに本音を漏らす。

「炎属性のフィールドでアンドリューと戦って負けたからじゃない?」

 美玲がズケズケとジョセフの心に土足で踏み込んでいる。


「初対面なのに生意気な女子め」

「何よ」

「あの、ケンカはダメです。今はアンドリューさんの問題を解決することが大事ですよ」

 アリスが健気に二人をなだめかかる。


「美玲、ジョセフ、彼にお手本を示してやれ」

「どんなですか?」

 ジョセフは不機嫌を引きずりながらチーフコーチに問い返した。


「お前の技のカルマだ」

 カルマ、それは相手が撃ってきた攻撃魔法を、自分の属性のものに変えて相手に返すカウンター魔法である。

「カルマを習得している者は数少ない。だが、ドラゴン・エクスター・アクアがあれば、確実にカルマを覚えられる。ジョセフ、美玲を相手にお手本を示してみろ」

「ちょっと待ってください。私、この人のカルマを受けるってことですか?」


 美玲が焦りだした。

「嫌なら避けるかなんかすればいい」

 チーフコーチは意に介さない。


「ジョセフ、これは模擬なんだから、私に本気で当てないでよ」

「いいから撃ってこい」

 ジョセフは美玲に杖を構えた。

「ウォーター・ショット!」

 美玲が言われるがままに水の弾の集団を放つ。針のような弾で、ウォーター・グレネードより威力では劣る。


「カルマ!」

 ジョセフがすぐさまカウンターの魔法をかける。水の弾が全て空中で止まり、炎に変わった。燃え盛る弾がひとつ残らずUターンして、美玲に向かう。

「きゃあああああっ!」

 身をかがめる美玲。しかし、カルマで炎に変わった弾の一部が、美玲の背中をかすめた。


「あっつい!」

 美玲は悶絶しながら、地面を高速で転げ回った。

「大丈夫ですか?」

 アリスがたまらず介抱に向かう。

「ソイツに言ってやれ。オレは模擬だろうが本番だろうが、いつだって本番だよ。練習を練習と思うやつ、お試しに技を撃ってみろと言われて、本当にお試し気分になるやつ、そいつらはみんなウィザードのプロじゃないってことだ」


「立派なこと言っているわりには、アンドリューに2連敗したくせに!」

「おい、それ以上はオレの核心を突くな」

 ジョセフが杖を差し向けて美玲を威嚇する。

「何よ、アンタなんかちっとも怖くないのよ!」

 美玲が立ち上がり、ジョセフに歩み寄らんとする。


「ちょっと待って!」

 僕はいきり立つジョセフと美玲の間に入った。

「僕の特訓のお手伝いするんじゃなかったの?」

「そうだけど、この人と同じチームってことがなんか気に入らないわね」

 美玲はジョセフから露骨に目をそらしながら、彼を差す指を大袈裟に振った。


「他人同士がケンカをしてどうする、くだらない」

 シュールズベリー・チーフコーチが呆れたように一喝した。


「ジョセフ、美玲、今のお前たちに因縁の対決をしている暇はない。二人とも、アンドリューが強くなることを願っているのだろう?」

「そうですけど」

 気まずげに答える美玲に対し、ジョセフは誰とも目を合わせず、無言を貫いた。


「つまり、お前たちの利害は一致しているわけだ」

「まあ、確かに、あのエドワードのやりたい放題を拝むのは、ガイザー魔法学園の一員として指をくわえて見てるわけにはいきません」

 ジョセフが本音をこぼす。


「お願いだ。ケンカしないで、協力してくれ。エドワードにこの杖を狙われているんだよ」

 僕はドラゴン・エクスター・アクアを軽く前に突き出しながら事実を述べた。

「嘘でしょ?」

 美玲が呆然とする。

「確かにあの人の妹、水属性だけど。名前はパトリシアでしょ?」


「伝説の杖を奪われた者はどうなるかわかるか?」

 チーフコーチが意味ありげに問いかける。

「どうなるんですか?」

「『シェイマー』の称号を受ける」

 僕は何のことかさっぱりわからなかった。


「要するに、恥さらしって言われるんですよね?」

 アリスが恐れおののきながら言った。

「伝説の杖に関する本をこっそり数ページ読んだら、偶然、シェイマーになった人の末路が書かれたところを見たんです」

「天空の黒十字架が降りてきて、二日間、磔にされるぞ」


「ちょっと待ってください、磔だなんて」

「その間、食べ物も飲み物もいただけないって書いてあったような」

 アリスがさらにドギツイことを言った。

「シェイマーとして磔になった人は、黒十字架から降ろされても、エピフィア国の汚れの象徴として、その汚名を国中に知らしめられることになるそうです。そうなれば、ウィザードとしての活躍はおろか、この世界で胸を張って生きることもできなくなります。なぜなら、シェイマーとは、一度その名実に刻まれれば、二度と消し去れない、汚れた称号ですから」


「アリス、もういいから!」

 僕は狼狽しながら、精一杯に優しく彼女を諫めた。

「とにかく、僕は炎を恐れるダメウィザードだけど、究極のダメ人間になるのはもっと怖いから! シェイマーになんかならないよ! むしろエピフィア国の誇り高きウィザードになるために、こうやって特訓に望むわけだし」


「過去に風属性の伝説の杖であるダイヤモンド・サンクション・ハリケーン・メーカーを死神に折られたウィザードがいた」

 シュールズベリー・チーフコーチが意味深なことを言い出した。

「その人、どうなったんですか?」

「実際に天空の黒十字架が街の一角におり、彼は二日間そこに磔にされた。彼の姿はエピフィア国の歴史に残る汚点として人々の記憶に刻まれた。シェイマーとなった彼は話しかけても誰も相手にしてくれない。ウィザードとして認められることもなければ、ほかの仕事に就くこともできない」


「どうしてですか? 仕事ができなきゃ、生きてはいけませんよね?」

「彼とコミュニケーションをすれば、恥がそいつに乗り移るからだよ」

 チーフコーチがシリアスな口調で語った。内容は相手をバイ菌扱いする子供のような形だが、チーフコーチの真剣な表情がそんなふざけた思考を許さなかった。


「うっかりでもシェイマーと話してしまうと、自身も汚れに苦しむことになる。それはまるで体中の臓器を蝕まれるような感覚だと言われる」

「そんな大げさな」

「シェイマーと話した煙突掃除人は、次の日、煙突に落ち、暖炉に焼かれて死んだ」

 衝撃のエピソードに、僕は絶句した。


「だからシェイマーには、誰も間違っても話しかけないし、シェイマーから声をかければ人々は一目散に逃げ出す。それがエピフィア国の掟だ」

「じゃあ、アンドリューがシェイマーになったら?」

 美玲が呑気な調子でチーフコーチに問いかける。

「わかんねえの?」

 ジョセフが軽蔑するようなトーンで美玲を諌めた。


「お前も、シェイマーになったアンドリューに話しかけたら、呪われちまうってことだよ。アンドリューと汚れを分け合って、お前も彷徨い人になるんだよ」

「こわ~」

 美玲が僕を見ながら引いた。


「まだ僕、黒十字架に磔になったわけじゃないんですけど?」

 僕は美玲に潔白を訴えた。

「早く練習しなきゃ。こうやってサポートしてもらえるの、いろんな意味で今のうちしかないのよ?」


「こっち向きな」

 ジョセフの声に僕が振り向いた。

「クリムゾンパウダー!」

 深紅の粉が僕の体にふきかけられた。想定外の熱量に僕はパニックになりながら倒れ込んだ。


「あ~あ、カルマでこの粉を水に変えるチャンスだったのに」

「不意打ちはやめろ!」

「奇襲だ。バトルの常套手段だよ。言ったろ。オレが魔法を使うときはいつでも本番だと」


「早くフィールドにつけ」

 チーフコーチの指示で、僕とジョセフはフィールドで向かい合った。美玲とアリスは僕側の外野につく。

「とりあえず頑張って」

 美玲は本気なのかよくわからない感じで応援した。隣でアリスは控えめに両拳を手前に揃え、僕に戦いを促している。チーフコーチがフィールドの真ん中に動き、僕とジョセフを確かめた。


「これはスパーリングではない。今からアンドリューにカウンター技『カルマ』を覚えてもらうための特別訓練だ。スタート!」


「ファイアーボール!」

 ジョセフがいきなり火の玉を放つ。

「カルマ!」

 僕がドラゴン・エクスター・アクアを突き出しながら叫ぶ。火の玉のスピードが半減したが、止まらない。

「カルマだって!」

 僕は焦りながら伝説の杖に念を込めた。火の玉は止まらず、僕の直前まで迫ってきた。


「あああああっ!」

 炎を恐れるあまり、避けてしまった。

「何を避けてる、おバカさん!」

 チーフコーチがからかいにも似た台詞で僕を叱った。


「自分の意思をしっかりと杖にこめたのか?」

「こめたつもりですけど」

「『つもり』ではならん。死にかけになっても技を習得するという強い意志を見せなければ、いつまでも目の前の炎を水に変えることはできないぞ」

「すみません」


「ファイアーボール!」

 ジョセフが再び不意打ちのように火の玉を放ってきた。

「カルマ!」

 僕は咄嗟に火の玉にカウンターの魔法を唱える。今度は火の玉が空中で止まった。僕はちょっと安心した。直後に火の玉が再び動き出し、僕の体にぶち当たった。悶えながらフィールドを転がる僕。


「気を抜いたな、バカンドリュー!」

 僕の名前を侮蔑の材料に使いながら、チーフコーチが叱責した。

「バカンドリューだって」

「笑い事じゃないですよ」

 ついつい失笑する美玲の声と、それをたしなめるアリスの声が聞こえた。


 その後も僕は何度もカルマに挑んだ。カルマを成し遂げる気持ちを強め、何度も火の玉を食らった。


 傷だらけになりながら、僕は立ち上がり、自らを奮い立たせる印として、力強くドラゴン・エクスター・アクアを構えた。

「ジョセフ、来い!」

「ファイアーボール!」

「カルマ!」


 ジョゼフの杖の先端にある水晶から豪快に放たれた一発を、僕は握りしめた杖の力で食い止めた。右足を踏み出し、水に変われと念をこめる。

 ただ水に変わって欲しいだけじゃない。目の前のファイアーボールが変わる姿は、アンドリュー・サイモン・デューク=ウィルキンソンという名のウィザード終わらせないための望みであった。炎と、エドワードという名の恐怖を超える強い僕を現実にしてやるという思いを、全身に、杖全体に、そして火の玉にこめ続けた。


 火の玉が、だんだんと変色していく。炎が失われ、青い球体となった。メラメラとした見た目が、みずみずしく変わりきった。

 そして、ジョセフの方に、水の玉が向かっていく。ジョセフの体に当たり、快い音を奏でながら弾け飛んだ。


「クソッ!」

 水を受けたジョセフが、フィールドに倒れこむ。

「アンドリュー、成功!」

 僕は何が起きたのかすぐにはわからなかったが、倒れたジョセフのコスチュームが水に濡れているのが見え、現実を知った。

「やった!」


「よくやったな、アンドリュー」

「はい」

 僕はチーフコーチに安堵の笑顔を見せた。

「喜ぶのはまだ早いぞ。まだ成功1回目だ」


「あっ、そう。まだ終わりじゃないんですね。じゃあまた、ファイアーボール!」

「カルマ!」

 僕は再び火の玉を迎え撃とうとした。また変色させかけたが、今度は半端な形のまま、僕の体に当たった。熱かった。


「アンドリュー、油断大敵だぞ」

 チーフコーチのこんな度重なる檄に応えようと、僕は何度も立ち上がりながら、火の玉を迎え撃ち続けた。成功と失敗を重ねまくった。気がつけばジョセフの全身はずぶ濡れで、僕は火の玉でコスチュームがボロボロに破れている。

 大嫌いな火の玉を受けまくって、満身創痍だ。でも、エドワードに勝ってこの杖を守るには、こうするしかない。僕は痛みに耐えながら前に進むしかない。さもなきゃ待っているのは、死に等しい地獄だ。


「ファイアーボール!」

「カルマ!」

 もう百何発目かと思われる火の玉を、僕は空中で止めた。火の玉は浮遊したまま、燃え続ける。燃えたぎる炎が青白く変わる。ゆらめきが消えていき、炎は水のような膜に変わった。


 そうだ、このままはね返せ。我が力よ、炎に勝て!

 次の瞬間、水のような玉は急激に隕石レベルに膨らんだ。玉はジョセフへ一直線に突っ込み、水の玉とは思えないほど、フィールドをえぐるような大爆発を起こした。

 砂埃に巻き込まれ、僕は思わず地に伏せた。


 爆発音と砂埃が収まり、静まり返ったフィールド。僕はそっと立ち上がった。ジョセフは大の字で、目を回し、こう嘆いた。

「オレの……人生って……マジで……何な……の……」


「アンドリュー、すごい。その技って何?」

 美玲が呆然とした様子で僕に問いかけてきた。

「カルマかな? 自分でもわからないや」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る