恋するマリー

冷門 風之助 

前編

『私・・・・恋をしてるの』


 彼女は俺の事務所に入って来るなり、頬をピンクに染めて、大きくため息を一つつき、それから艶消しブラックのシガーケースを取り出し、中からシガリロをつまみ上げると、ジッポで火を点ける。 

 

 見事な長身をグレーのスーツで包み、大きく開けた胸元から、形のいいバストが覗け、タイトスカートのスリットからは、脚線美がちらつく。


今すぐにでもモデルか女優にでもなれそうなプロポーションとセクシーさだ。


『恋ならいつもしてるだろ?警視殿?』


 俺は少しからかうように声をかけた。


 彼女の名は五十嵐真理いがらしまり。警視庁外事課特殊捜査班主任、これでも堂々たるキャリア、階級は警視。通称『切れ者マリー』。年齢は・・・・まあ、これは言わずに置こう・・・・である。


 俺こと、私立探偵の乾宗十郎いぬいそうじゅうろうとは、ビジネス上持ちつ持たれつという関係だ。

(おっと、肉体関係がないとは言わないが)


『今度は本気マジなのよ・・・・』

 紫煙を吐き出すとともに、また一つため息を漏らした。


『折角だがな。俺は私立探偵だ。恋愛の相談なら他をあたってくれ』


『そんな都合のいい伝手ツテが、すぐに見つかればね』

 

 彼女の物言いに、珍しく冗談めかしたところがないので、俺は意外に思った。


『まあいい、話だけは聞いてやるよ』


 腐れ縁のよしみだ。俺はコーヒーをれてやり、彼女の前に置いた。


 彼女はうなずき、半分になったシガリロをガラスの灰皿に置き、コーヒーを一口だけ啜った。


 何でも、今から2か月ほど前のこと、神奈川県警本部長から、直々警視総監に電話が入った。


 横須賀市内で風俗取り締まりを、県警の生活安全課が行うことになったのだという。


 特に狙いを定めていたのは一軒のショーパブ・・・・何でも度々の内偵で、違法就労の外国人女性が大勢働いていることが判明した。


 その上、どうやら麻薬ヤクの密売や、果ては地下売春組織まで絡んでいるという。


 そこで警視庁外事課の『切れ者マリー』に手助けを頼めないかと、普段ならばお世辞にも良好な関係とは言えない警視庁さくらだもんにお呼びがかかったというわけだ。


 手入れはかなり大掛かりなものとなり、怪しげな人物はそれこそ『芋づる式』に

お縄になったが、そこでマリーは『』に逢って、一目で『恋に落ちた』という。


『おい、ちょっと待て、「」って?』俺はマリーの話をさえぎって聞き返した。


『話してなかったかしら?私「バイ」なのよ』


 マリーの口調は極めて自然なものだった。


 彼女との付き合いは随分長くなるが、流石の俺も全く気付かなかった。


 マリーが出会った彼女・・・・その店でダンサーをしており、年齢は23歳、

パラグアイ国籍で名前を、

『イザベル・タキガワ・マルティネス』

 

 と言う。


 さながら古代ギリシャの彫像の如く、見事と言う他はないプロポーション、彫りの深い顔立ち、褐色の肌・・・・・そして何よりもマリーを引き付けたのは右の瞳が黒っぽいとび色、左が濃いブルー。つまりは『オッドアイ』だった。


『あの目の輝きに私は吸いこまれたのよ』 

『それとね』、彼女は少し間を置き、もじもじした。

 言おうか、言うまいか、散々迷った末、

『彼女の匂いも、私を捉えて離さなかったの』  

 マリーに言わせると、その匂い、シャネルやゲランなど物の数ではないそうだ。   彼女はまた深いため息をつき、シガリロを咥えた。


 同性に対して『』を持つのがどんなものか、正直言って俺には理解出来た訳じゃないが、しかしまあ『恋愛は人それぞれ、自由だからな』と言うことくらいは飲み込めた。


 外事課の特殊捜査班の主任なんかやってるくらいだ。当然ながらマリーは英語の外、六か国語は流ちょうにこなせる。


 そこでイザベルの取り調べに当たったのだが、話をすればするほど、ますます彼女の『瞳』と『匂い』にかれてゆくのが分かったという。


 恋は盲目とは言うものの、プロの警察官、しかもバリバリのキャリア様だ。私情を挟んでは周囲に示しがつかない。


 そう思って直接の取り調べは部下に変わって貰ったのだが、


『寝てはめ、起きてはうつつ、幻の』という言葉通り、イザベルの顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 夢の中でも彼女の姿が現れ、朝起きた時には下着を濡らしていることさえあったという。


 結局、イザベルは正規の就労ビザで入国していたし、ただのダンサーだと主張し続け、店で行われていたところの怪しげな『ビジネス』とのつながりについても一切関りが掴めなかったため、処分保留ということになり、そのまま釈放となった。


 県警本部と警視庁さくらだもんは警察庁と協議の結果、念のためインターポール(国際刑事警察機構)を通じて各国に照会をかけたところ、彼女は過去に幾つかの国際的犯罪組織と関りがあるということが判明した。


 あくまでも『』だから、それだけで拘束をするわけにもゆかない。


 そこでしばらくは『泳がせておいてくれ』と言うお偉方の結論に至ったのだという。


『さっきも言ったように、こっちはただの私立探偵だぜ。国際的犯罪組織なんざ、デカすぎて手に余るよ。そんなのはジェームズ・ボンドか、デューク東郷にでも依頼をかけるんだな』


『そっちはどうでもいいの』


 彼女はえらくはっきりと言い切った。


『そっちはビジネス、つまり警察の仕事だわ。でも、あの娘・・・・イザベルの問題ことは、プライベートなのよ。恋した相手について知りたいって思うのは、女性おんなとして当然の感情きもちじゃなくって?』


『・・・・』


『勿論、貴方のポリシーについては良く知ってるわ。でも、本当に他に宛てはないのよ。ギャラはポケットマネーから出すわ。相場の倍、いえ、三倍は約束するわ・・・・お願い』


 俺は居住まいを正し、彼女に訊ねる。


『で、何をすりゃいいんだ?』


『彼女に私の事を伝えて、逢う段取りをつけてほしいの。まずはそこ・・・・後は自分で何とかするわ。私ってね。本当に恋をした相手には乙女のようにシャイになるのよ。』


『体のいいメッセンジャーボーイだな。』


『悪いけど・・・・』

『いいだろう。オーケー、引き受けようじゃないか。ギャラは・・・・通常通りで結構。公務員の懐具合は知ってるからな。お巡りの上前をねるなんて無粋な真似はするつもりはない』

『有難う。感謝するわ』

 彼女はほっとしたように微笑み、シガリロを灰皿に落とした。


 やれやれ、俺って奴はどうしてこう、人がいいのかねぇ。

 










 



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