第四幕: 猟豹 - その1/3


 「早く死んでくれないかな」


 私は薄暗い病室でつぶやいた。

 視線の先にはたくさんのチューブにつながれた年老いた男が眠っている。

 口にした残酷な言葉は、紛れもなく私の本心であった。

 目の前に眠っているのは私の祖父だ。

 四年前、交通事故に遭い、そのまま植物状態になってしまった。 


 見舞いに来る人も、私以外にはいない。

 彼の妻私の祖母も六年前に他界した。

 父も母も仕事で忙しい。

 私たちのような普通の家庭には、祖父の介護費は高くついた。ひと一人を生きながらえさせる費用は、命の重さを否が応でも思い知らせてくれる。

 もともと共働きで家にいないことが多い両親ではあったが、六年前からはそれが顕著になった。


 祖父は優しく、しかし非常に厳しい人であった。

 そのため、目上の人間に向かって暴言を吐くことや礼儀に欠くことを許さなかった。


 だから、「死んでくれないかな」とつぶやけば、祖父がベッドから飛び起き、昔みたいに大きな声で怒鳴って叱ってくれるのではないかと小さな希望も持っていたのだ。


 いや、それは希望でもなんでもない。

 ただの阿呆な悪戯だ。ただの卑怯な言いわけだ。

 私はこころから、祖父に死んでほしいと、 家族に迷惑をかけないで欲しいと願ったのだ。


 つぶやきは病室の陰気な闇の中に染み込んでゆき、また静寂が訪れた。

 祖父は静かに眠ったまま、部屋には心拍数計の周期的な機械音が際立つ。

 ピストンが上下し空気を押し出す音は、祖父の呼吸を助けているようだ。まるで、シワシワで使い物にならない穴の開いた風船に空気を入れては膨らんでいるように見せかけているようで、屍に無理やり生気を吹き込んでいるようで、私の目には不気味に写った。


「失礼します」


 コンコンと二度ノックが聞こえて、スライド式の大きなドアが開く。

 明るい廊下からこぼれた光の筋が、闇を割いて私の背中を照らす。


「あ、ひばりちゃんいたの?」


 私は後ろを振り向き、入ってきた看護婦に会釈をした。


「こんにちは」

「もう、びっくりするからいるなら電気をつけてっていってるじゃない」


 看護師は親しみやすい笑顔でそう言って部屋の電灯をつけた。

 クリーム色の壁紙は電灯を柔らかく反射して、一転、明るい印象を見せた。

 部屋が明るくなったからなのか。看護師の愛想の良さからなのか。

 そのどちらもであろう。

 病室は眠りから覚めたように明るくなる。

 看護師はしずえさんといって、祖父が入院するようになってからは顔見知りの女性である。年齢は三十才前半で、朗らかな印象を受けた。

 しずえさんは電灯を点け、手に持っていたタライを机の上に置くと閉め切っていたカーテンを開け放つ。

 外は曇りであった。午後四時の曇天は私の心をさらに落ち込ませる。


「あら、降りそうね。でも、カーテンを閉め切っていた時よりは明るいわね。しってる?電気のついた閉め切った部屋よりも、くもりの日のお外のほうが明るいんですって」

 薀蓄うんちくをたれるしずえさんに、私は愛想なく「そうですか」と相槌をうった。

 私はいきなり明るくなった部屋に目が追いつかず、目を細めてしかめ面をしていた。


「あら、ごめんなさい。まぶしいかしら」


 静江さんはたらいにお湯をはったり、タオルを絞ったりしてせっせと手を動かしながら私を心配してくれた。


「大丈夫です。電気をつけてくれてありがとうございます」


 電灯を点けない理由は実にくだらないものだ。

 眠っている祖父が眩しくないか、などと考えている。

 できることならば、今すぐ起きて元気に戻って欲しい。しかし、医者からそれは絶望的だと宣告されていた。だったら、ゆっくり寝かしてあげようと思っていた。

 明るい部屋は、目をつむっていてもまぶしいだろうから。

 頭の中ではその矛盾した思考に気がついている。しかし、行動に移すことはいつも出来ない。


 カーテンも同じ理由だ。

 カーテンを開けて、街を見る。

 曇天といえど、病室のある七階からの街の眺めは悪いものではなかった。


「今日は学校終わるのはやかったの?」


 セーラー服のままの私の姿を見て、しずえさんは問うた。


「はい。午前授業でした」

「ひばりちゃんも中学三年生でしょ?まだ6月だけど受験勉強が大変なのにお見舞いなんて偉いわね」

「いいえ」


 私は何を褒められてるのか、いまいち分からず床をに視線を落とした。

 病院と学校はそれほど遠くなかった。家から学校までの沿線にある駅に病院はあった。

 祖父以外の近親者が大病したことがないので、私にはお見舞いというものがどういったものなのか知らない。

 しかし、きっとお見舞いは「お見舞いに来てくれた」という認識が入院している側にあるから意味があるものなのだ。

 私は、病は気からという言葉はあながち間違ってはいないと思っている。

 心配してくれる人のいる心強さ、一人でないという不安に打ち勝つ為の活力をくれる。それが糧になれば病気もすぐに回復するのだろう。

 しかし、祖父の耳には届かない。私が来ているという認識がない。意味がないのだ。

 そう思うから、私は「お見舞い」をしている認識などなかった。

 ではなんのため?

 届きもしない声を聞かせにわざわざ「お見舞い」に来るのは悲劇のヒロインを演じた自慰行為なのか。

 ちがう。

 小学校の頃は少なからずその要素があっただろう。

 私はさびしかったのだ。

 ひとりで家に帰るのがさみしかった。

 定期通学の私は交通費をいちいち気にすることなく「お見舞い」に来ることができた。

 家にいても一人だ。でも、ここにくれば大好きなおじいちゃんに会える。

 そう思って、小学校から中学校に入ってからもずっと「お見舞い」に来ていた。

 しかし、いつからかそれは惰性に変わっていた。

 体も心もほぼ大人であるため、今は寂しいなどという感情では動いてはいない。

 しかし、時間を見つけると、ついここに来てしまうのだ。

 そして、今では寂しさを埋めてくれた祖父の死を願っている。

 その理由は単純である。

 入院費が家計を圧迫し、私たち家族の関係さえ蝕んでいるからだ。父と母はここ数年、家でまともに口を聞いていない。仕事から帰ると顔も合わさず寝てしまうことも多くなったように思う。


 顔を合わせてもロクなことはないとわかっているのだ。

 ひとたび会話が始まれば、話題に登るのは私の養育費のことやこれからの生活のこと。結局いつも内容は同じで、お互いに不毛だとわかりきっている言い合いをするのだ。


 ふたりとも不安なのだ。


 わかってあげることはできるが、私にはどうすることもできなかった。

 私は願うことしかできないのだ。


「ひばりちゃん。マッサージの時間だから、 二十分くらい待合室でまっていてもらえる? 」


 しずえさんはいつものように少し申し訳なさげに提案をする。

 寝たきりの人間は、そのままにしておくと関節が固まってしまったり、床ずれを起こしてしまう。

 筋肉が衰え、目が覚めたとき一人で自立もできない体になってしまうのだ。

 だから、定期的なマッサージで筋肉を刺激して体や関節を動かしてやらなければならない。

 私はこの行為に滑稽さを感じる。

 もう、起きあがることのないこの体にマッサージを施すことに。


「はい。今帰るところでした。今日はありがとうございます。失礼しました」

「ごめんなさいね。明日の午後は何もないから、よかったらきてあげてね。おじいちゃん喜ぶと思うわ」


 私は軽く会釈をして病室をあとにした。


 電車に乗って、帰路につく。

 帰宅ラッシュにはまだ早い時間であったが、電車の中は立ち乗りが出るほど混み合っていた。


 私は出入り口とシートの角のスペースに背中を預けて本を開いた。

 開いた本は夢野久作の少し難しい本だった。

 混んでいるせいもあって、居心地も悪く本の内容がまったく頭に入ってこない。

 私は本を開いて活字に視線を落としたまま病院の祖父のことを考えた。


 私の祖父は大阪の地主の長男だったという。

 土地をもっているといっても、田舎の田園と山しかないような場所だ。

 高度成長期、その場所に駅が立つ計画が持ち上がり、駅周辺の地価が高騰したため一財築いたのが私の曽祖父の代だという。

 祖父は長男であったが家督は弟に譲り、七人いた兄弟にほぼその財産権を等分した。


 土地による権利収入には一切興味がなく、駅周辺開発による土地価格高騰の際にすべて売り払ってしまったらしい。

 分配したとはいえ、伝統の土地を売り払ってしまうことに家族は大反対したらしく、今でも祖父は兄弟の中でも浮いた存在となっている。

 電車のすぐ横をすれ違いの電車が通り過ぎ、轟(ゴウ)と窓がゆれた。ドアの隙間から勢いのある風が漏れてくる。


「家に帰ったら何をしようか」


 私はいつの間にかそんなことを考えていた。

 視線の先の活字の世界では、悪い夢のような人間関係が主人公をひどく混乱させているようだった。


 私は、今読んでいる小説と同じ夢野久作が手がけた「少女地獄」を思い出す。

 「看護婦」「バスガール」「女学生」三人の少女たちのそれぞれの地獄と彼女たちを中心として周囲に渦巻く地獄。


 そのなかに「赤坂ひばり」の地獄も加わらないかしら。

 そのように思った。

 ややあって、思い直す。


 「無理ね。役不足」


 私は自分だけに聞こえる程度の声でつぶやく。

 私の境遇なんて聞いても、きっと他人が感じるのは「現代ではよくあるはなし」という感想だ。第一、私の話は物語になるようなおもしろみはない。

 高齢化の時代にあっては誰にでもありうる不幸なのだ。

 電車は各駅に止まりながら、ややあって私の家の最寄駅までついた。

 駅をでると頬にポツリと雨が触れた。

 折りたたみ傘をもっていたが、雨足は非常に弱く、教科書にうもれた折りたたみ傘を出すのが億劫なのもあって、私は傘をささずに徒歩で帰路についた。

 しかし、数刻経たぬうちにやがて小雨になってしまったので、やむなく傘をさすことにした。意地で傘を差さずにしばらく歩いたので、髪と肩はしっとりと濡れた。汗をかいたので下着に不快感もある。

 六月は雨季である。

 夏に片足を突っ込んでいる六月中旬の今日は既に夏の気配を感じさせて蒸し暑かった。


 駅前からオフィス街を抜けて、住宅地へと向かう。

 雨の濡らすアスファルトの臭いで私は夏を感じる。だから嫌いではない。

 しかし、車通りの多いオフィス街の通りは排ガス臭く、陰鬱な空とじめっとした空気にあいまって私の心を沈ませた。


 歩いているとたくさんのことを考えるものだ。

 私は、また祖父のことを考えていた。

電車に乗ってた時のように軽く考えるのではなく、じっくりと過去の記憶を省みて、祖父に向き合おうと思った。

 一歩一歩踏み出すたびに、新しく買ったばかりの靴が少しずつ濡れて、よごれて汚くなり、むしっとした空気でべっとりとした汗が出て下着や髪を体にまとわりつかせた。

 きもちわるい。

でも、私は祖父のことを考えようとした。

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