第零幕: 白磁 - その3/3

 その後、僕は渋々トイレの神主になることを受け入れ、本当に救われたかどうかは知らないが多くの人の話を聞いてきた。


 もちろん、話の最後にはトイレの神様の存在を示唆するようなことを言って。


 無論、用を足しに入った個室の便器ごと移動した先で自分の意思とは関係なく便座から動けないだとか、『ある条件を満たす』まで元の場所に帰れないだとか、神様がKPをケチったせいでかなり苦労したと思う。 


 まず、いきなり音もなく現れる便座に座った中年男性が自己紹介するとき、なんと言って説明するのが正しいのか?

 ほんとうに最初期の頃は、正直に「僕はトイレの神主です」と言っていた。そして、返ってくる反応は決まって「…?」だ。耳慣れない言葉だし、当たり前だと思う。


 「トイレの神主」という、理解しようとすればするほどわからなくなる言葉もなかなか無いだろう。 だから、途中から自分こそがトイレの神様であると自己紹介することにした。こうでもしなければ、「トイレの神主とは何か?」という、悩みを持った人間の脳を破壊しかねないほどの精神的負荷を無駄にかけることになる。


 そして、現れてから消えるまでの時間が一定ではないと言うことも僕を悩ませた。

 数分、ないし十数分をお話しするのはいい。ただ、いつもキリがいいところで消えられるわけでは無い。そこは、周囲の環境や感覚的なものから推測してどうにかするしかないし、現場の調整力やトーク力がためされる部分だ。


 ノリと勢いだけで始まった仕事なのでたいへん苦労したが、正直に白状すると、それらの日々は楽しかった。

 僕はギリギリのところで悩んでいる赤の他人と話しをした。時にはアドバイスをしたこともあったが、ただ聞いた。たったそれだけで、向き合った相手の心の荷は軽くなり、多少なりとも救われているように見えた。


 僕のおかげで数十人とか数百人が少しでも救われた。

 いつかトイレの神様に話した“僕の願い”も叶ってしまったのだ。

 僕がトイレの神主の仕事をこなすにつれて、トイレの神様はいつの間にか都市伝説にも語り継がれるポピュラーな存在になり、多くの人が認知するようになった。

 ただし、その姿は便座に座ったスーツ姿の中年として語られた。

 そんな慌ただしくも楽しい日々が終わったのがつい一年前。

 突然、久しく聞かなかったトイレの神様の声を聞いたのだ。

 声は弾んでいた。


「トイレ信仰が軌道に乗ったので、もうご迷惑をかけずにすみます」


 気がつけば十年以上経っていた。

いつかもらったトイレットペーパー一個分のお願いにしては、だいぶ長い道のりであったように思う。

 正当な神格の認定が降りたからトイレの神主としての役目は終わりとのことだった。ほっとする反面、少し寂しかったことを覚えている。

 もうトイレの神様に会えなくなると言うことが寂しいのでは無い。そもそも、トイレの神様は、僕にトイレの神主を依頼したときと勤めはもう終わりだと告げに来た始めと終わりにしかコンタクトを取ってこなかった。一緒に仕事しているんだから、 中間報告とか、ご機嫌伺いとか普通あるだろう。顕界するのに多少KPがかかるから、おそらくケチっているだけだとは思うが、もう少し何かフォローがあっても良かったんじゃ無いかと思う。


 僕が寂しかったのは、悩める人の話を聞く機会が無くなってしまうことだ。日常の一部となっていたトイレの神主業を一方的に解雇された僕に残されたのは、どこか物足りない会社員の生活だった。


 二十年ほど前に、定年退職した仕事好きの元警察官と話したときには、「自分は本業をやりつつ、人生をかけて取り組む仕事を探している」という、割と偉そうなことを言ったのを今も覚えている。しかし、実際はトイレの神主と商社マンの二足のわらじで仕事のキャパシティは精一杯だった。


 本業では責任あるポストに就き、五十歳を目の前にした僕はある決心をした。

 人の話を聞くだけの副業を始めることにしたのだ。

 やっていることはトイレの神主と同じことだ。ただ、これからは突然誰かの目の前に現れることは無い。逆に言えば、悩んでいる人は自分で探さなければならないし、唐突に現れて十分間程度話を聞いて立ち去ると言うことがむずかしくなる。

 ひとりの人生により深く入り込んだ関わり合いが必要になってくるのだ。

 慣れもあるだろうが、トイレの神様が作った傾聴のシステムは多少の強引さを除けば優秀であったと思う。聞き手にとっても、話し手にとっても、十分間で初対面の人間に悩みを打ち明けるくらいのライトな方が後腐れ無くやりやすい。

 新たな課題が生まれ、トイレの神主第二章の始りと言ったところだ。

 僕は英語と中国語ができるから、ときには海外にも出張する。

もちろん、人の話を聞くだけで大金をもらうわけにはいかない。だから交通費のほかは二束三文で話を聞いて、聞いた話を書籍化またはウェブメディア化する権利をもらう契約書を交わすことにした。トイレに入って、『ある条件を満たせば』時間と空間の制約を無視して一瞬で移動できたときとは違い、今ではできるだけ多くの人の話を聞くために時間をやりくりしている。


 悩める人のエピソードをまとめた本はまあまあ売れている。

 退職金と合わせれば印税は老後の暮らしの足しくらいにはなるか。

 体が動かなくなるその瞬間まで、僕はあらゆる手を使って人の話を聞くだろう。誰かのために、ほかならぬ自分のために。

 僕は本の後書きにこう書いた。


『いつかどこかで悩んだ人の軌跡が、あなたの救いの一助となりますように』






                                 第零幕 了


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