第零幕: 白磁 - その2/3

 二十分間のプレゼンと三十分間の止めどない質疑応答を問題なくこなす。


 役員の鋭角な質問や意見に対してもひるむことなく、落ち着いて話を進める。

 約一時間に渡るプレゼンの評価は、閉会の挨拶の後に送られた社長の拍手が物語っていた。つられて役員たちも大きく拍手をし、僕と僕のチームは大いに賞賛された。


 僕の胸は達成感で満ちた。


 役員たちがいなくなった部屋に残った部下たち向けて、僕は感謝を述べる。

 一人一人の顔を見てから口を開く。


「君たちの積み上げてきたものに、ひとまず満足のいく華を添えられたかと思う。社長の表情を見れば社内での株が上がることも期待できる。きっと、来年度の予算も増えて、君たちがやりたがっている仕事もある程度自由にできるだろう。これから少し忙しくなるかもしれないが、一緒に頑張っていこう」


 部下たちは笑顔で拍手をしてくれた。

 本当は平瀬に朝の理不尽な言い方を誤りたかったのだが、やはりそれはできなかった。


 会場を後にすると、一人で喫煙室に行き、たばこをふかした。

 覚めない興奮と達成感の裏側で、自問自答を繰り返す自分に気がつく。

 自分が熱意を持って取り組んできたことの背反に思い至る。

 

 がんばって、がんばって、がんばった先には何があるのだろう?


 仕事というのは男の”人生”だと思っている。

 それが役員のご機嫌取りか?

 僕は自信が会社の歯車であることを自覚している。

 取り替えがきくとは言え、会社のシステムの中になくてもいい歯車などないのだ。

 今日も必要とされ、おしなべて期待されるレベルの成果を出す。

 しかしながら納得できない。

 自分のおかげで世界がよりよくなったという実感がない。

 この実感がないまま、僕は定年を迎えればただの年金受給者の老人になる。

きっと、『昔はすごかったサラリーマン』のひとりになるのだ。

 押し入れにしまい込まれ隅に追いやられた古道具のように、やがて使われなくなり、忘れ去られる。


 僕の仕事じんせいは終わるのだ。


 僕が心血を注いだ仕事は、金と少しの名誉を引き換えに漠とした虚空の中に溶けていく。この日本で生きるために、体力と時間を消費して、息を吸っている。

 年をひとつ取るごとに、そんなことを強く考えるようになっていた。

 じゃあ、何をしたら満足するのだろう?

 その自問に応えることができずに、思考は終わる。

 たばこを一本吸い終えると、それがスイッチとなってロボットのように仕事に戻ろうとする体を、今日は強引に引き留めてトイレに向かった。


 今日くらい少しサボってもバチは当たるまい。


 先ほどは急いでいて出きっていなかった用を足しにトイレの個室に入った。

 我慢できる程度ではあったのだが、とにかく何かにつけ仕事をサボりたくなった。

 便座に座り、Yシャツのポケットからスマホを取り出してネット記事を読む。行儀が悪いので普段はしないのだが、今日は特別だ。

 便座に座ってみて気がついたように湧いてきた便意を素直に受け止めて、腹に力を入れて力んだ。

 スルリと出た便にいさぎの良さを感じる。

 ウォシュレットで肛門を洗う。そして、紙を取ろうとして気がついた。

 

 また、紙がない。


 一日に二度もこんなことがあるだろうか?

 今日は紙を替えるひとが突発で休んでしまっているのだろうか?なにより、二度目のピンチだ。


 幸い先ほどのように急ぎの用事はない、じっくり答えを出そう。

 僕は空になった金属製のホルダーをカチカチと指でたたいた。


「あの…」

「…!」


 隣の個室から聞き覚えのある声がした。

 プレゼン前に紙がなくて困っていたときに、高級なトイレットペーパーを渡してくれた人の声だ。


 頼み事があるとか言いながら音もなくいなくなってしまったので不思議に思っていた。


「はい…。あの、もしかしてさっき八階のトイレの個室でトイレットペーパーを渡してくださった方ですか?」


 半信半疑であった。

 声は確かに聞き覚えのあるものだったが、果たして別フロアで二回も同じことが起きるだろうか。プレゼンのことで頭がいっぱいで忘れていたが、トイレで起きたことは不気味であったはずだ。

心のどこかでは、同じ人であってくれるなと思っている。


「ええ。そうです。先ほどはどうも」

「いえ、こちらこそありがとうございました」


 同一人物であった。

 どういうわけか、隣り合ってしまう。

 現在のフロアは十二階。別のフロアで個室が隣り合い、トイレットペーパーを融通してもらう確率とはいったいどれだけであろうか。


「紙がないんですか?」

「そうなんです。いやはや、一日に二回も…こんなことってあるんでしょうか?…ハハ」


 恥ずかしい限りであったが、取り繕ってもしょうがないので正直に話す。

 トイレの個室で顔を合わせず、隣通しで話をする。普段では絶対にあり得ない状況に困惑しながらも社会人相応の冷静さで対応する。


「…私のちからです」

「…え?」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。突拍子も無いセリフだったので脳が理解しようとしなかった。ちから・・・?だって?

「一回目は違いますが、二回目のこれは私の力が作用しているからです。これは、私とあなたの契約満了まで現れるあかしのようなもの」


 急に流暢に話し始めた個室の隣人は何か信じられないようなことを言った用に聞こえた。僕は脳が完全に置いてけぼりをくらい、なにも言い返すことができない。

「あなたは私と約束をしてくださいました。トイレットペーパーと引き換えに『私のできることならば何なりと』と、私の言うことを何でも聞いてくださることを誓ってくれました」

「えっ…え」


 僕の混乱をよそに、自分の伝えたいことを一方的に話してくる。


「あなたがトイレットペーパー一個分の願いを聞いてくれたらこの現象は収まります」

「何を言っているんですか? あなたは何者ですか?」

「私は、トイレの神様です」

「…!!」


 なんだそれは。

 聞いたこともない。

 日本には八百万やおよろずの神がいて、土着の神や物についた付喪神つくもがみも数え切れないほどいるという。しかし、それは物のない時代が育んだ、『物を大切に』という日本固有の考え方がベースにある迷信だ。


 神を自称する隣の声は、あまりにもあんまりな物の神様であるという。

僕は冗談として取り合わなかった。むしろ、馬鹿にされているようで腹が立った。


「ハハ…、面白い冗談だとは思いますが、他の人に聞かれたらおかしいやつだと思われますよ。トイレットペーパーはどうにかします。だから、もうかまわないでください」

「…。人は来ませんよ。時計を見てください」


 僕は勘弁してくれよという気持ちでいっぱいに自分の時計を見る。

独身の頃からつけているロレックスだ。ボーナスを貯めてやっと買ったアナログ時計。

 その秒針が、止まっていた。


「…!」


 僕は焦った。まさか、時間が止まっているとでも?

 ポケットをあさり、多機能デジタルウォッチを取り出す。プレゼンで会話のスピードを測るために持ち歩いている物だ。デジタルウォッチも秒の単位が止まっていた。

 あがくように、デジタルウォッチのストップウォッチ機能を呼び出す。

Startボタンを押すが、カウントが始まらない。


「なんなんだ」


 時計が一斉に壊れるなんてあり得るのか?

 僕は今、何に直面している?


「時間は止まっています。というよりもあなたは今、本来の時間軸から切り離されています。私がそうしています。信じていただけましたか?」


 背筋が寒くなるのを感じた。何が何だかわからなくなる。

 ここから離れた方がいいということだけはわかったので、パンツもあげないままにトイレのかんぬき型ロックを外した。

 自重で内側に開くドアはすでに開いていいハズであるというのに、一向にその気配がない。

 ドアをドンドンとたたき、壊す勢いで強引に開けようとタックルして見るもびくともしない。


「誰かー! 誰か来てくださーい」

「無駄です。どうしたら信じていただけますか」


 はしたないのを承知で、トイレの便座に足をかけ、隣の部屋を覗く。個室上部の隙間に人が通れるような隙間は無い。ただし、声の主が何者なのかはわかる。ズボンを下げたままなので、尻や股間が開放感でいっぱいになるが、幸い個室のプライベートは守られている。

 視線の先には誰もいないトイレの個室があった。

 いったいどこから喋っているんだ。

 この声はどこから聞こえてくるんだ?


「何なんですか、僕をトイレに閉じ込めて。何が目的なんですか」

「目的は落ち着かれてからしっかり話します。その前に、私がトイレの神様であると言うことを信じていただけましたか?」


 僕は声の出所を探るのを諦め、便座に座り直す。


「信じるわけないでしょう。僕は無神論者です。神様なんて迷信だし、どこにトイレに監禁して隣の個室から話しかけてくる神様がいるんですか? 神様らしいことなんて何一つしてないじゃないですか」

「時間を止めて空間を固定して見せているじゃないですか」

「ハハ…。こんなの何かのトリックに決まってる。なんかのドッキリ…。まさか!   おい、キミたちなのか?プレゼンの打ち上げに僕を驚かせてくれようとしているんだろう。もう十分驚いたから早く出してくれ! 平瀬も、さっきは厳しく言って悪かった、だからこんな心臓に悪い悪戯はやめよう」

「誰も聞いてませんって。どうしたら信じてくれるんですか? まあ、私くらいの”かく”ではできることに限界がありますが」

 僕は絶対にできないことを頭の中で探した。もし、《そんなもの》を見せつけられたら信じざるを得ないような奇跡を考える。

 そうして思いつく。

「紙を…、紙を僕の目の前で出現させてみてください。このホルダーに付けっぱなしの使い切ったコアにトイレとペーパーを復活させてみてください。トイレの神様なら、そのくらいのこと簡単にできるでしょ。なんてったって、トイレの神様を自称するくらいですからね」


 眼前で物質が精製される奇跡を目の当たりにしたのなら、もう信じるしかない。

 無理だろうとは思うが、さてどんな言い訳を聞けるか。


「ああ、そんなことでしたか。いいですよ。今ならできます」

「…え!」


 なんて言ったんだ?

 できると言ったのか?

 はったりにきまってる。


「まあ、みててくださいね」


 僕は急にカタカタいいはじめるトイレットペーパーを見やった。

 中でコアがシルシルと回り始め、十秒ほど経つと白い紙が徐々に巻き付けられ始める。

 雪だるまのようにトイレットペーパーが肥えていくのを目の前で見ている。


「どうです?」


 当然できますよ?と言うような調子で自慢げに話してくる。

 僕はトイレの便座に力なく座り込んで頭を抱えた。

 目の前で起きてしまった信じがたいことをどうにかして人間の仕業しわざにしようと考えていた。そして、どうしようもなく思考が止まってしまったのであった。

 苦し紛れに言葉をひねり出す。


「私は、…まだ信じていませんが…、あなたがもしトイレの神様なら、こんな普通のサラリーマンに何を頼もうっていうんですか? 私にトイレ掃除でもさせますか? いいですよ?」

「それは私が言わなくても定期的にしてください。私が頼みたいのは、あなたにある役職についてもらいたいということです」

「役職? 神様から何かを任命されるほど、徳の高い人間ではないと自分でも思っています。ただの、よくいる中間管理職ですよ」


 やけっぱちであった。

 何が起きているのかわからないが、とにかくお手上げだ。

 相手が紙であれ人間であれ、この時間が過ぎ去るまでとにかく話を合わせるしかないのだ。時間が止まっているのがほんとうなら、僕は一生トイレの個室で過ごすことになる可能性もあるが。


「中間管理職・・・。ほうほう。話は変わりますが、今の仕事はたのしいですか? 自分の仕事に誇りを持っているふうには聞こえない言い方をしていたので、失礼ながら」

「?…たのしいんだと思います。じゃなきゃ毎日残業までして十時間以上も働いていないですよ。でも、なんて言うのか・・・、なんて言うのかな。”誰かのためになっている”っていう気がしないんです。僕は自分のやったことが世界のために少しでも役立っていると実感したいのに…、そこがぽっかり抜けている気がするんです。ただ楽しい時間を過ごすのにゲームとかカラオケとかスポーツをするのと同じで、僕の仕事が何か、誰かのためになっている気がしないんです。そりゃ、お金をもらってる以上、どこか遠くにはエンドユーザーがいて、その人に直接触れない形で社会に少しでも役に立っているというのは理解できますよ。でも、遠すぎるんです。実感はいつまで経っても追いついてこない。ああ、あなたが神様だって言う体(テイ)で話してますよ。他言はなしでお願いします」

「お金が稼げて楽しいなら最高じゃないですか」

「僕は僕のおかげで誰かが救われてほしいんです。人生とか数十人とか数百人。そのくらいは僕が救ってあげたいんです。感謝されたいんじゃないんです。結果、その人が救われるなら良くて。それを手助けしてあげられたなら、僕は幸せになれると思います」


 ずっと誰かに聞いてほしかった胸の内を自称神様に吐露する。

 トイレの個室が懺悔室のようだ。

 自称トイレの神様は、ふぅんと意味ありげにうなった後、唐突に語り始めた。


「私の目的は、私の神格を今よりも上げることです」

「神格…ですか」

「神様にもいろいろあって、”格”というものがあります。どれだけ偉いか? みたいな物ですね。それぞれのやしろからいただく信仰が私たちの評価ポイントになって、それに応じてKPが支払われます。ああ、KPというのは『神様ポイント』のことです。このポイントを上手に運用してさらにKPを稼ぐ投資をするのが神の仕事です。時々人の願いを叶えたりしてね」


 壮大な神の物語が始まるかと思いきや、経済の話であった。


「…なんだか、泥臭いことしてますね。上場したての会社社長みたいだ」

「そうですね。そこで私はなけなしのKPをつかって、あなたのもとに現れたわけです。人界へのコンタクトは今の信仰相場で百万KPくらいですから、 なかなか奮発しています」

「僕の目の前に現れれば、まだ信仰する可能性が高いのでは?」

「私たちには体がありません。だから人界への受肉するというのは一つの選択肢ではあります。ですがこれにはおおよそ1億KPかかりますので、私のような弱小付喪神では到底手が届きません。それに、どんな見てくれで受肉するのかというのも重要です。あなたは無地のパンツにタンクトップ、スキンヘットの無課金アバターが突然話しかけてきたら神様だと思いますか? 翼とか法衣とか、いろいろなエディットにもKPがかかるんです。高KPだし、まんま人が神だとか自称してもあんまり信じてもらえないので、神の間では受肉は信仰の布教としては不人気ですね。一部KP長者の神が人界にお忍びで遊びに行くときに使う程度ですね」

 地下鉄や公園で虚空に向かって説教しているおじさんなんかも必死に受肉した神様なのかも知れないと思うと複雑な気持ちになった。

「空間の固定…でしたっけ? こういうのする方が、その、KPがかかるんじゃないですか」

「いえ、あくまで人界に干渉するのにたくさんのKPがかかるのですよ。人界から空間と時間を切り出してあなたとコンタクトを取っているだけですので、干渉はあなた一人ということになります」


 自称神はあまりにも世知辛い神界の設定を話した。ホラにしてはあまりにも綿密なプロットだ。


「百万KPですか。そのなけなしのポイントを使って私の前に現れたのは私に何をさせたいからなんですか? いいですよ、こうなったらドッキリでも何でも。大恥をかいたっていい、もうあなたが神様だって言う前提で話しますよ」


 たとえドッキリだとしても、どういったタネがあるのかわからない。

 だったら、とことん付き合ってやろうじゃないか。ネタばらしで誰かが出てきてもここまでされたらすがすがしいものだ。


「フフ、よくぞ聞いてくれました。ズバリ、あなたにはトイレの神主になってほしいのです」

「トイレの神主…ッ!!?」


 思わず聞き返してしまった。神主は神社に奉られている神様を守る役割を持つ。無論、トイレは神社ではないし、人々にそういった認識はない。何を頼まれるのか聞いてからさらに、何をやらされるのか不安になった。


「トイレの神社を建てると言うことですか? そこに神主として神職を得ると…」


 いろいろなものが頭をよぎる。

 会社を辞めなくてはならないとか、どこに神社を建てるのかだとか。

 話に聞いたことしか無いが、神職に就くにも専門の大学を出なければならないとかなんとか。会社に通いながら、四年制大学に通う時間などあるのだろうか。もしあるのなら通信制の大学もありだが、なんだかありがたみが薄れる気がする。

 収入はどうするのだろう。お布施をもらうのか?

 何より、家族になんて説明すればいいんだ。

 トイレの神様に個室に監禁されて、トイレットペーパーをもらったから脱サラして神主になる。


 ――― 一体誰が納得するんだ。


「ハハ、早まらないでください。神社は必要ありません。いずれは欲しいですがあなたに迷惑がかかってしまうし、それほどの格が今の私にはない。今の私はトイレの付喪神つくもがみと、崇められるほどの正当な神格を持った存在との間を行ったり来たりしているのです」

付喪神つくもがみ? 物につくっていう神様のことですか?」

「ええ。私は元々格の低い単一の付喪神つくもがみでした。トイレはどこの家庭にもありますが、不浄とされ、なかなか正当な神格の扱いがされません。広く人々には排泄をする場所、できれば蓋をしておきたいところという認識があります。しかし、極々まれにトイレを非常に大切に扱ってくれる人がいます。彼らのおかげで私は自我を持てるまでに大きな神格を授かりました。しかしながら、やはり人々はトイレから目を背けがちです。私の目的は明らかな神格を得て、正式に奉られることです」

 話を聞いていると、非常に真面目な方なんだなと思う。 先ほどからひどいこと続きだが、話を聞くうちに好感すら覚える。

 自分の存在理由に使命感をもっていて、ハングリー精神もある。

 神の基準は知らないが、人間だったら優秀なサラリーマンか起業家になっていたことだろう。

「じゃあ、それまでやしろはどうするんですか?神様がいるって、どこかで表明しておかないことには信仰もどこかに分散してしまうのでは」

「飲み込みが早くて助かります。実際のところその通りなのですが、やしろとはすなわちトイレそのもののことです。どの家にもあって、毎日数回対面するのですから強力なやしろになると思われますね。いわば私の強みはそこにあります。生活に根ざし、毎日意識するからこそ信仰の対象になったときには爆発的な力を発揮します」

「なるほど」


 自称神の設定を信じたとしても、その目的を達成するのはかなり無茶だと思っていた。しかし、立場が弱いなりに強みを生かした勝ち筋を見いだしていることに素直に感心した。

 トイレの神様は、真剣に成り上がるつもりでいるのだ。


「そこであなたには、トイレの神様の存在を意識させ、トイレを大切にする教えを布教する者になって欲しいのです」

「いやぁ…、そんなサラッといいますが、どうしろって言うんです。街頭に立ってビラ配りでもしますか?」


 率直な意見をぶつけた。

 勝ち筋はあっても自分では手を動かせない以上、僕に何ができるかが勝敗をわけるのだから。


「それに関しては考えてあります。人々の悩みを聞いてあげるのです。私の神の力であなたを悩める人々の元へワープさせます。そうしたらとりあえず悩みをきいてあげてください。それだけでいいです」


 この企みを本気で成功させるためには何をしたらいいのか僕なりに考えることにした。考えるにも今は情報が足りなすぎる。僕はできるだけ核心に迫った質問を投げかけることにした。


「いくつか質問があります。そんなことで布教ができるんですか?」

「悩める人の大半は自分の心の中に答えを持っているハズなんです。でも、いろいろな考えが邪魔をして、心の中がゴミ屋敷のようになってしまうと答えをどこかになくしてしまう。その心を整理してあげる必要があります。人に話を聞いてもらうというのは、心の整理になるんです。あなたにも悩み相談を誰かにしようとして、話しているうちにいつの間にか自分の頭の中で解決してしまったなんてことはありませんか?」


「そう言われれば、あったような気も」

「もちろん、解決しなくとも心の荷は軽くなります。そうやって、勝手に悩んで勝手に救われればいいものを、誰かに話せずに抱え込んでつらい思いをしている人の多いこと。私もよくこの目で見たものです。用を足すのではなく、一人で個室に入って頭を抱えている人たちのこと。ただ、話をきいてあげてください。結果その人が救われなくてもいいんです。おそらく現状よりは少しだけましにはなると思います。もっと悩んでしまってもいいです。そういう人は考えるのが好きな人でしょうから、解決することが目的ではないんです。話を聞いてあげた最後に、『トイレを大切にしなさい! さすればもっと救われる』と、そんなニュアンスのセリフを言うのです。そうすれば、なんだかトイレを大事にすればいいことがある気がするでしょ? 胸の内がすっきりした後だから説得力もあるし」


 神の割には結構サバサバしている。割り切り方が、本当にどこかの経営者のようだ。

 神としての成したいことが何であるのかは伝わってこない。

 あるのかすら、わからない。もしあるのなら、神なんだから、きっと人の役に立つことなんだろう。

 ただ、その前に『とにかく偉くなりたい』といっている。

 そんな姿勢に、潔さを感じた。

 僕は夢中で目の前の仕事を片付け、実績を積み重ねて、いつの間にか多少は偉いポジションに押し上げられていた。これから先も、ずっとそうだろう。

 僕は好きで管理職になったわけじゃないし、自分のパフォーマンスを一番発揮できる場所ならどこの立ち位置でも不満は無い。やりがいがあればいい。別に偉くなんてなりたくは無い。

 自称神は、プロセスを吹っ飛ばしてただ単に偉くなりたいと言っている。

神は賞賛や信仰が原動力なのだと考えると、やりがいなどという概念は意味をなしていないのかも知れない。

ただ盲目に、上へ上へとのし上がる気概を少しうらやましく感じた。


「悩める人はどうやって探すんですか?」

「私が探してきます。というより、月額KPを払えば使える”神アプリケーション”の

”ロダン”を使えば、大体の位置を補足でいます」


 スマホのライフハックアプリの月額課金のようなことを言う。

 アプリになるくらいだから、『悩める人を探す』という行為の効率化は、どうやら神にとってポピュラーらしい。

 ところでロダンとは、…考える人だからっていう神ジョークだろうか。


「その、アプリ?にもKPがかかるんですよね。一体いくらほど」

「そうなんです。月に3万KPもかかるんです」

「…そうなんですか」


 KPの単位における価値観が未だに見えてこないが、どうやら3万KPは付喪神つくもがみレベルの神格にはつらいらしい。


「じゃあ、ワープとかはものすごくKPがかかるんじゃ」

「そうなんです。だから必要最低限のオプションと最も簡単な判定条件でワープの権利を買いました。それでも 回数単位で購入するとたいへんなことになってしまうので、今回はサブスクリプションで安く仕入れています。元を取るためにも、じゃんじゃんワープしてくださいね」


 『必要最低限』とか『簡単な判定条件』とか、不安なことを言っている。ワープするのは僕なので、オプションとかアフターケアはしっかりして欲しい。


「それはいったい…」

「やってみてからのお楽しみと言うことで」


 どんなふうにワープするのか。それがいつ、どんな場所なのか?全く明らかにはならなかった。さすがにこれでは引き受けることはできない。あまりにも、リスクが高すぎる。 


「いや、そんな怖いですよ。それに、誰がやるなんて言ったんですか?」

「いいえ、あなたは言ってくださいました。『私にできることならば何なりと』と。その見返りにトイレットペーパーを授けました」


 僕は尻を丸出しにして便座に座ったままで、頭を抱えた。

 逃げ出せるものなら逃げ出したい。

 しかし、話している相手は一応神様でいつも使うトイレの神様なのだ。下手に怒らせてトイレを使うたびに原因不明の怪異に巻き込まれるのはごめんだ。

 僕はこの状況を受け入れるしか無いのだ。

 せいぜい悩める人が個室に入ってきたら、水洗トイレからランプの精みたいに現れるような登場の仕方だけは無いように祈った。




 ――こんな話をしたのはもう十年も前だ。

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