◇第二魔女

貴女は僕の天使さま

「ふんふんふーん♪ ららら~♪」


 鼻歌を歌いながらご機嫌な様子で街並みを歩く金髪碧眼の少女。


「ふふっ、今日はパン屋のおじさんにおまけしてもらっちゃった♪ ん~、今日はツいてる! 早速、このパンでグラタンでも作ろうかしら」


 少女は自分の家のドアに鍵を挿し、ドアを開けようとした瞬間――クイッと、何かが少女の服の裾を引っ張った。

 少女は引っ張る方向を振り向く。


「ん? え……こ、子供?」


 少女が振り向いた先には、自分よりも遥かに小さい赤毛の子供がジッと少女の顔を見ていた。

 少女は子供の手から自分の服の裾を引き剥がそうとするが、子供の手はびくともしない。


「なっ……い、意外と力強い子供ね。ちょっと、いい加減話なしなさいよ! 私はね、子供に興味なんてな――」



 ――ギュルルルルルルルル。


「…………」

「…………」


 子供のお腹の音で言葉を遮られる少女。

 少女は「はぁ」と、深い溜め息を吐いた。


「わかった! わかったわよ! お腹空いたんでしょ?! 食べさせればいいんでしょ?! もう、仕方ないわねっ! さっさと家に入るわよ!」


 少女は子供の手を徐ろに掴むと、そのまま自分の家へと招き入れた。

 そして、少女は買い物袋をテーブルに置き腰に手を当て子供に言い聞かせた。


「ご飯の前にお風呂に入って来なさい。そんな汚い身なりで食事なんて許さないんだから!」


 子供は何も言わない。

 話さないのか、それとも話せないのかはわからないが、少女は強引に子供の腕を掴みお風呂場へと移動させた。


「ほら、お風呂はこっちよ。使い方はわかる? これがシャワー。こっちが石鹸。隅々まで綺麗にするのよ? いいわね!」


 バタンっとお風呂場に子供を残し、少女は又もや深い溜め息を吐く。


「はぁ~。何でこの私が……。今日はついてると思ったのに……」


 がくりと肩を落とす少女。

 そして、少女は子供のご飯を作るために台所へ向かおうと一歩足を踏み出したが二歩目は何故だか動かなかった。

 少女は訝しげに風呂場を見て耳を澄ます。お風呂場からは、シャワーなどの音は聞こえずシーンとしていた。


「何だかもの凄く静かね……だ、大丈夫かしら? まさか、死んでたり?!」


 少女は慌てて風呂場の扉を開け子供の様子を確認する。

 子供は少女と離れてからピタリとも動いていないのか、その場に突っ立ったままだったのだ。

 安堵の息を洩らし、少女はその場にしゃがみ込んだ。


「はぁ〜……息倒れてなかった。よかったぁ~って違うわよ!! あなた動きなさいよ! あー、もう! 本っ当に仕方ない子供ねっ! ほら、腕を上げる!」


 子供は大きな目を瞬きさせると、すんなりと少女の言うことを聞き両腕を上げる。そんな子供に少女は問答無用でボロボロの薄汚い服を脱がすと、今度は驚きの声を発した。

 それは、少女らしからぬ残念な叫び声だった。


「ぎいゅわぁぁぁああぁぁぁあ!!」

「……?」


 子供は大きくてまん丸な目で少女を見つめながら首を傾げる。それは、正に小動物のようだった。

 少女は、そんな子供の可愛らしさに一瞬ときめきそうになりながらも子供から目を逸らし、自分の目を手で覆っていた。


「ちょっ、ちょっと!! あなた、男だったのぉぉ?!」

「…………」


 子供は裸のまま、無言でコクリと頷く。

 少女は顔を赤らめながらも、横目でチラッと子供を見る。


「髪は長いし、顔も可愛いし、服はボロボロだけどワンピースみたいだったし……てっきり、女の子かと思ったら男!! まさかの男!! この私が男を家に招き入れてしまうなんてぇぇ!! やっぱり、ついてない!!」


 四つん這いになり項垂れながら泣き叫ぶ少女。

 黙っていれば可憐な少女に見えるのに、その姿は残念極まりなかった。

 すると「くちゅっ!!」と、子供が小さなくしゃみをした。

 そこで少女はようやく顔を上げ、慌てて子供に温かいシャワーを浴びさせた。


「ご、ごめんなさい。そうよね……男と言っても、あなたはまだ子供なんだし。ほら、頭を洗ってあげるから目を瞑って」

「…………」


 ギュッと力強く目を瞑る子供を見て、少女はクスリと笑う。そして緑色の石鹸を持ち、掌で泡立たせると子供の髪を優しく洗った。

 子供はそれが気持ちいいのか、それとも石鹸の匂いで落ち着いたのか、いつの間にか肩の力も抜けていた。


「……いい、匂い」


 初めて喋った子供に少女は少しだけ驚く。少女は石鹸のことを褒めてくれたのが嬉しかったのか、満足そうな笑みを浮かべていた。


「これは私のオリジナルブレンドの石鹸よ。薬草石鹸なの。髪や体でも使えるのよ」

「…………」


 泡を掌に掬い「ふぅー」と、息を吐き泡で遊ぶ子供に少女は「そう言えば、あなたの名前聞いてなかったわね。……と、その前に私の名前も言わなきゃね。私はミリアーナ。あなたは?」と、子供に尋ねた。


「……紅蓮ぐれん

「紅蓮? 変わった名前ねぇ。東の国の名前かしら?ほら、流すからギューッと目を瞑って」

「ん……」


 金髪碧眼の少女ことミリアーナはシャワーを紅蓮の頭に流し泡を洗い落とすと、スッキリした紅蓮は犬のように頭を振り髪の水を落とした。


「ちょっ! やめっ!」


 『止めなさい』と言おうとしたが既に遅し。ミリアーナの全身は水浸しになり、パッツリと切られた前髪からはポタポタと滴が落ちていた。

 ミリアーナは目を細め紅蓮を睨む。


「……あなたねぇ~!」

「ん?」


 『なにかした?』と言わんばかりで首を傾げる紅蓮を見て、ミリアーナは怒る気力すら消失し又もや深い溜め息を吐いた。


「はぁ〜……もういいわ。怒る私が馬鹿みたいじゃない。……ほら、タオルでさっさと拭きなさい。服を貸したあげるから、ちゃんとこれで拭くのよ? わかった?」

「ん……」


 ふわふわの白いタオルを渡され風呂場にポツンと残された紅蓮は、タオルに顔をうずめる。

 タオルからも優しい匂いがして、紅蓮はタオルに頬をすり寄せた。


「ふわふわ……気持ちいい……」


 そして、ミリアーナの言う通りに体を拭きミリアーナの服を借りたのだった。



 ミリアーナから借りた服は、黒の生地に白いフリルのついた可愛らしいワンピースだった。

 当然、ミリアーナより小さい紅蓮には、このワンピースは大きい。

 だからミリアーナは、紅蓮のサイズに合うようにワンピースの裾をボタンで縫い、カボチャパンツのように作り直したのだった。


「これ、あなたにあげるわ」

「……ありがとう」


 ボロボロの服から新しい服に嬉しくなったのか、紅蓮は笑みを浮かべミリアーナにお礼を言った。

 ミリアーナも笑みをこぼすと、改めて紅蓮を上から下まで見下ろす。


「ほんと、こうやって見ると女の子みたいねぇ。それに綺麗な紅い髪の色ね。夕焼けの空みたいだわ」


 紅蓮は自分の長い髪に触れ首をコクリと傾げる。

 そんな紅蓮を見て、ミリアーナは苦笑した。


「ほら、ここに座って。今から作るから少しだけ待っててくれる?」


 そう言って紅蓮を椅子に座らせると、ミリアーナは台所に向かった。

 しかし、何やら後ろから気配を感じると思いミリアーナが振り返ってみる。すると、そこには後ろにピタッと着いて来ている紅蓮が居た。

 どうやら大人しく待つということは紅蓮にとってはわからないらしい。

 ミリアーナは額に手を当て、本日何度目かわからない溜め息を吐く。


「全く、この子は……」


 そうミリアーナが呟くと、紅蓮はミリアーナのスカートをクイッと引っ張り「僕……手伝う」と、ミリアーナに言った。


「なら、そこのテーブルに置いてあるパンを適当なサイズにちぎってこのお皿の上に入れてくれる?」

「ん……」


 ミリアーナは丸皿を料理用テーブルに置き、紅蓮がやりやすいように椅子も用意してあげる。すると、紅蓮は椅子にちょこんと座り黙々とパンをちぎり始めた。

 それを見てミリアーナはクスッと笑ったのだった。


(何だか本当に動物みたいな子供ねぇ。ん〜……例えるなら子犬、かしら?)


 赤毛の小さな子犬が尻尾をパタパタと振りながら「ワンッ!」と鳴く姿が頭に浮かぶ。それを想像して、ミリアーナはまたクスクスと笑った。


「ふんふん~♪ ふふ~♪」


 何だかんだで機嫌も良くなったミリアーナは、鼻歌を歌いながらホワイトソースを作り始めた。

 ミリアーナの外見も一般的に見ると子供なので、台所に立つ際はいつも少し高い足場の上に乗っている。今日の買い物も、パン屋の店主がミリアーナのことを『お遣いに来ている子供』だと勘違いしたぐらいだった。


 だが、実際はミリアーナは子供ではない。

 見た目は子供でも中身はれっきとした大人なのだ。寧ろ、パン屋の店主よりも遥かに年上である。

 ミリアーナは何者なのか――それは『魔女』だ。しかも、かれこれ百年近く生きている。


 外見が変わらないだけあって、生活は意外と大変だ。数年おきに引越しをしないと、街の住人が怪しむ時もあるからだ。

 ひっそりと森の奥深くで暮らしてもいいのだが、ミリアーナは人と街が好きなのでそれだけはしなかった。と言っても、魔女のミリアーナでも苦手なものはある。


 それが『男』だった。


 遠い昔――まだ、ミリアーナが魔力に覚醒していない時期の事だ。

 ミリアーナは見知らぬ男に拐われそうになったことがある。その時は、自分の師匠である大魔女に助けられたが、ミリアーナはそれ以降『男』が怖くなってしまったのだ。

 お店の店員と話したり、お金のやり取りで手に触れるぐらいは大丈夫だが、それでも近距離まで近づいて来たり、後ろを歩かれると体に力が入り緊張してしまうことはあった。

 一種の男性恐怖症なのだ。

 ミリアーナの男性恐怖症は、子供でも少しだけ適応する。しかし、不思議と紅蓮だけは違った。

 それは、恐らく『外見が女の子みたいだから』という理由もあるのだろう。


(不思議よね。この私が何とも思わないなんて。……まぁ、最初はちょっと緊張したけど)


 ヘラでホワイトソースを混ぜるミリアーナ。

 ミリアーナは、ソースが出来上がると火を消し紅蓮の様子をチラッと見た。


「紅蓮。そろそろソースを乗せるわよ――って、何、その山のように積み上げられたパンは?!」

「ん?」

「ん、じゃなーい! やり過ぎよ! あー、もう!」


 ミリアーナは丸皿の上にてんこ盛りに積み上げられたパンを別のお皿へと移し苦笑する。


「本当にあなたって変な子供ねぇ」

「へん?」

「そう。変よ。別に悪い事ではないから気にしちゃだめよ?」

「わかった」


 そう言ってミリアーナはホワイトソースをパンの上に乗せ、その上から更にチーズを乗せて釜戸の中に入れた。


 その数分後。

 釜戸から良い匂いが立ちこめて来る。その匂いがお腹を刺激したのか、ギュルルルーと紅蓮のお腹が鳴った。

 ミリアーナは苦笑し、厚手の手袋で釜戸からお皿を取り上げテーブルに置く。出来立てホヤホヤなので、ホワイトソースに乗っているチーズがフツフツと音を鳴らしていた。


「美味しそう……」

「ふふっ。火傷しないように気をつけるのよ? ほら、こっちはスープ。あなたのちぎったパンと食べなさい」

「いただきます……」


 パクっとフォークで食べる紅蓮。

 かなり熱かったのか、ハフハフしながら食べていた。

 ミリアーナはそれを暖かい目で見ている。


「何だか、こういう気持ちになったのって久しぶりだわ。先生もこんな気持ちだったのかしら?」

「ん……?」


 ミリアーナの言う『先生』がわからず、紅蓮はフォークを咥えたまま首を傾げた。


「あぁ、先生はね私の家族で師匠のことよ。今は、もう居ないんだけど……」

「天使さま……今は、ひとりぼっち、なの?」


 紅蓮の言葉にミリアーナは目を見張るように驚く。


「……天使さま? 私が?」

「うん」


 こくりと頷く紅蓮。


「僕……暗いところ、居た。でも……歌が聞こえた……綺麗な声で、探したら天使さまが、そこに居た。髪と目……凄く、綺麗な天使さま」

「――っ!!」


 褒められ慣れてないミリアーナは紅蓮から顔を逸らす。ミリアーナの耳や顔は赤くなっていた。


「ばっ、馬鹿じゃないの?! わ、私が天使なんて!私は天使じゃなくて魔女よ! 魔女!」

「ま、じょ?」


 聞いたことがないのか紅蓮はまた首を傾げた。


「そう。あなたの言う天使とは程遠い存在よ」

「でも、ぼくにとっては……お姉ちゃんは、天使さま」

「なっ――!! ~~っ!! あ、ありがとう……」


 そっぽを向き照れながら小さな声でお礼を言うミリアーナ。

 紅蓮はニコッと笑いながら、またパングラタンを頬張ったのだった。



 ――その八十年後。


 紅蓮は、ふっと目が覚めた。

 目が覚めた先には、紅蓮が初めて会った姿となんら変わらないミリアーナがそこにいた。


「紅蓮、起きた?」

「うん……懐かしい夢を見たよ。ミリアーナ」


 紅蓮が微笑むと、ミリアーナも笑みを返す。


「そうなの?」

「うん。……ミリアーナと初めて出会った時の夢だよ」

「あぁ、あの時ね。あの時は驚かされっぱなしだったわ。……でも凄く楽しかった」

「僕もだよ」


 お互いクスクスと笑い合うミリアーナと紅蓮。

 紅蓮は傍に座っているミリアーナの手にそっと触れて微笑んだ。

 紅蓮の小さな手は、いつしかミリアーナより大きくなりしわくちゃになっていた。


「僕の可愛らしい天使さま。僕は、最期まで貴女の傍に居られて幸せだよ」

「それはこっちの台詞よ。本当に馬鹿な人ね……こんな私を好きになるなんて」


 ミリアーナはベッドで横たわる紅蓮の手を優しく握り返す。お互いの薬指には、金の指輪がはめられていて、それが太陽の光に反射してキラリと光っていた。


「……ミリアーナ」

「なに?」

「……僕は永遠に君を愛しているよ。そして、また君に出会い恋をするんだ」


 突然の紅蓮の言葉にミリアーナは「なによそれ」と、言いながらクスリと笑う。

 紅蓮は微笑みを崩さず話を続ける。


「君を……一人になんて出来ないから。……大好きだから」

「紅蓮……」

「だから、いつか会える日まで待っていてくれる? もしかしたら、百年後になるかもしれないれけど……」


 ミリアーナはフッと笑みをこぼす。


「なら、安心して。私にとっての百年なんてあっという間だから。……待っているわ。いつまでも」

「ありがとう、ミリアーナ」


 ミリアーナは紅蓮の額にチュッとキスをすると、紅蓮の目がまたゆっくりと閉じ始めた。


「ミリアーナ。また、少しだけ……眠るよ」

「えぇ、わかった。……愛しているわ、紅蓮。お休みなさい」


 END

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