招かれざる客

 アレシアはにこやかに笑いながらも怒り狂っていた。

 がしゃんと乱暴な音を立てて茶を出し、愛想のいい言葉の一つも述べずに部屋を出る。がさつで申し訳ないと肩をすくめる夫をにらみつけ、やはり大きな音を立てて扉を閉めた。

 まさに噂をすればということか、安否を案じられていたブラス・トマが、突然ふらりと帰ってきたのだ。それも夜も更けた頃に、客人を連れて。

 すでに女中たちは仕事を終えて帰ってしまい、ブラスと客人の世話をするのは必然的にアレシアの仕事となる。急いで間に合わせの料理を作り、貯蔵庫から酒を選び、また苛立たしげに運ぶ。

「なによ、旅のお方なら、街の宿屋に案内すればいいじゃない」

 聞こえよがしに言ってみても気は済まない。いつもなら味方してくれる息子のセリオも、父とともに客人をちやほやともてなしているから怒りはますます増大した。

『……こんな夜分に申し訳ありません』

 上品にソファーに座った女性が眉をひそめる。その声は美しく、まるで歌のよう。聞きなれない言語だが、なぜか頭の中で意味は理解できた。

 人外。とっさに判断したカインは長剣を引き寄せ、シルヴァの肩を抱いて様子をうかがう。

 しかし、シルヴァが青ざめ震える理由は他にあった。

「こちらはマリアンヘレス姫。北海のさらに北にある国から、嫁ぎ先に向かわれる途中で船が航行不能になり、我々海軍がお助けしたのだ」

「そうでしたか。無骨な屋敷ではありますが、どうぞおくつろぎくださいね」

 ブラスが得意げに胸を張って女性を紹介し、セリオは頬を染めて挨拶する。

 夜の帳のような艶やかな黒髪、深い海の底を思わせる碧玉の瞳、そう、それは、かの黄金の王の運命の乙女と同じ色の髪と瞳だった。

 シルヴァは思わずカインのシャツにしがみつく。背を伝う汗が気持ち悪い。息がうまく吸えなかった。

 もちろん姫の正体に気付いているカインは、偽りの姿に惑わされることもなく、そちらを見ようともしない。なるべく化け物の瘴気に触れさせないように、シルヴァを包むようにして抱きしめる。

「疲れただろう、眠っていいぞ。あとで部屋に運んでやる」

 それはとても仲睦まじく見え、ブラス達は咳払いして目をそらした。

 優しく髪を撫でられ、くちづけるように耳元でささやかれても、シルヴァはただ力なく首を振ってうつむくばかり。

(どうしよう、私……)

 もしも、この美しい姫が本物の運命の乙女だったら。

 自分はシラーの人間だと思っていたが、もしや彼女と同じ北の国の生まれなのだろうか。

 信じていたものが揺らぐ。

 シルヴァの気持ちなど知るはずもなく、異国の姫は物珍しそうに客間を見回した。可憐な生け花やレースのカーテン、美しい刺繍のテーブルクロス、一方で壁には古い海図、いかめしい甲冑が置かれ、そして姫は半月刀に目を留めた。

『……このおそろしい刀は……?』

「先祖代々伝わる、我がトマ家の守り刀ですよ」

『……』

 急激に、部屋の温度が下がったような気がした。

 なんと禍々しい気配、強い魔力を持つカインでさえ身体が重い。すでにブラスとセリオは心奪われ、この美しい魔女に支配されている。

 もはや限界か。化け物の目的がわからず、ブラス達を残して退席するのは気が引けるが、最愛のひとを危険にさらしたくない。

「すまない、先に休ませてもらうよ。異国の姫よ、お相手できなくて申し訳ない」

 カインはおもむろに立ち上がり、シルヴァを支えるようにして客間を出た。

 離れに向かう前に厨房に寄り、アレシアの様子を確かめる。不機嫌ではあるが正気のようだ。

「アレシア、おまえも離れにおいで」

「でも、お客様を……」

「ブラスに任せておけ。まったく、迷惑な」

 できることならば全員守ってやりたいが。何も起こらないことを祈り、離れに移る。

 吹き抜ける風が湿気を帯び、暗い雲が星を隠した。


 マリアンヘレスは身体をわななかせ、カイン達が出ていった扉をにらみつける。瞳がぎらりと光り、色が変わる。まるで獲物を狙う獣のように。

『……なぜ、あのかたには効かないの……?』

 噴き出す瘴気はますます強くなり、耐えきれずにセリオは昏倒する。強靭な精神力を持つブラスでさえ、焦点が定まらなかった。生気が失せ、心も体も蝕まれていく。

『……強い魔力を持っていたわ。そうね、あの力をいただきましょう』

 その前に、とマリアンヘレスは振り返った。

『我を貶めた憎き海賊の末裔よ、永遠の苦しみを味わうがいい!』

 両手を広げて天に放つ呪い唄、雷鳴がとどろき、骸骨剣士がからからを笑いながら剣を抜く。


 ようやく休めるとあくびをこぼすアレシアにシルヴァの部屋を使わせ、カインはシルヴァを自室に連れ込んだ。

「あら、何か耳をふさぐものを……」

「ばかが。そういう冗談は嫌いだよ」

 この非常事態に呑気なものだ。もっとも、アレシアは客人の正体を知らないのだから仕方がない。

「ああ、そうだ。これを肌身離さず持っていろ」

 懐から取り出した数枚の銀貨にそっとくちづけて魔力を込め、アレシアに握らせる。

「気休めの魔除けだよ。ないよりはいい」

 アレシアはよくわからないまま、丁寧にハンカチで包んで胸元に忍ばせた。

 降り出した雨はすぐに激しさを増し、窓が割れそうなほど強く叩きつける。遠くの雷鳴は次第に間近に、時折低い雲を明滅させ、波のうねりは迫りくる闇の軍勢のよう。

 怯えるシルヴァをベッドに座らせ、自分も隣に座る。髪を撫でてやろうと指先が触れた途端、ぴくりと身体をこわばらせた。

「何もしない。約束だろう?」

「……」

 うなずき、シルヴァはカインの肩に頭をもたせかける。大好きな甘いにおい、温もりを感じ、堪えていた涙がはらはらとこぼれた。

「そんなに怖かったのか?」

 未知の化け物という不気味さはあるが、剣と精霊の加護があれば負けはしない。長剣の位置を確認する。

「……カイン様、私、もしも……私が、運命の乙女じゃなかっ……たら……」

「ん?」

「北の国には、黒髪碧眼の女のひとがたくさんいて、私……シラーの生まれじゃない……? どうしよう……」

「何を言ってるんだ?」

 カインは驚き戸惑う。これほど憔悴し、声を詰まらせ泣く理由がわからない。どうやら魔物を怖がっているのではないようだ。ならばわざわざ知らせることもない。

 さて、こんな時はどうすればいいのか。抱きしめるべきか、くちづけ……は違うか、とにかく、泣きやんでほしいのだが。

「その……俺は、今さらおまえ以外を愛せないよ。おまえがどこの生まれでもかまわない。黒髪碧眼なんて、俺たちが出会うための目印にすぎないんだから……泣くな」

 ためらいがちに髪を撫で、赤くなったまぶたにくちづける。頬を伝う涙を舐めとり、ゆっくり押し倒しながら耳元でささやいた。

「気になるなら、調べてやるよ。たかだ十四、五年前のことだろう」

「……私、もうすぐ十七……」

「た、たいして変わらんよ」

 うるんだ碧色の瞳をしばたたかせ、じっと見つめる。気まずい。

「カイン様、私のこと、そんな子供だと思ってたの?」

「……はは」

 十七歳というこは、おそらくこれ以上は成長しないだろう。貧相な胸も腰もそのままに。乾いた笑いにため息が混じる。察したシルヴァはぷんと頬をふくらませた。ほら、こんなに幼子のように可愛らしい。

「ん、泣いて喉が渇いただろう。茶を淹れてやるよ」

「カイン様が?」

 五百年も生きているのだ、できないことなどない。

 にっこり笑って起き上がり、背を向けた瞬間だった。

 窓を突き破り伸びる触手が、シルヴァを捕らえて海に消えた。

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