白崎篤紫は普通の世界旅行がしたい。番外編 もしあのとき、違う選択をしていたら。

澤梛セビン

番外編 もしあのとき、違う選択をしていたら。

(本編五十四話、中段からの分岐ルートになります)


 まだこの世界に、魔術辞書と和英辞典を広めるわけには行かない。

 そもそも人間族と魔族の確執が、完全には解消されていない。


 このままだと再び、魔族の命が狙われる……。


「電話もメールも駄目だよな……」

「え、おとうさん。誰に連絡するの?」

「ナナナシアだけど、そんなこと言っている場合じゃないか」

「ええっ、それだけは絶対に駄目だよ。たぶんここの国のみんなが気を失っちゃうよ」

「いや、急いでナナナシア・コアに連絡しないといけない。

 朝、アプリが確認できたと言うことは、まだ今から手を打てば間に合う」


 未だ横で真紅魔道ペンを見ているルーファウスを尻目に、篤紫は椅子から立ち上がった。そのまま、ホルスターのポケットから大きな宝箱を取り出した。


「夏梛、行くぞ」

 宝箱を開けて、夏梛の手を引いて宝箱に飛び込んだ。

「えっ? ええぇぇぇっ――」

 後ろで、ルーファウスが叫んでいる声が聞こえた。




「ねえ、ほんとうにやめた方がいいと思うよ」

 最後の宝箱に足を掛けたところで、夏梛が悲愴な面持ちで篤紫の服を引っ張ってきた。

「時間が無いんだ、頼むよ」

「だって、絶対におとうさん帰ってこられないよ。危ないって分かっているのに、行かせられないよ」

 宝箱の中は、簡易ダンジョンとして空間を拡張してある。以前、ダンジョンの中で変身して神力を解放したときには、ダンジョンの外にまで神力が伝わっていた。

 だから今回は、簡易のダンジョン内で、さらに簡易のダンジョンである宝箱を開いてその中に入った。同じことを五回繰り返して、最後の宝箱を開けたところだった。


「あたしが二つ目を閉じたら、時間が止まると思うよ。それを説明したのに、分かってくれていないの?」

「でも、前にりんご園を入れたときには、取り出してもちゃんとリスが生きていたんだ。問題ないはずだよ」

「でもっ――」

 篤紫はそっと、夏梛の頭を撫でた。夏梛はビクッとして、思わず次の句を飲み込んでいた。夏梛の目から、涙が溢れてきた。


「夏梛は、人間族じゃ無くて魔族だ。このまま行けば、また人間族に狙われる。

 桃華から聞いたよ、一回襲われて、殺されかけたんだって? もう、そんな目に遭わせるわけにはいかない」

 夏梛はそんな篤紫の言葉に、きつく唇を噛みしめた。


「それに、ナナナシア・コアに電話をするだけだ。もし時間が止まって何もできなかったら、何も起きないだけだよ。

 外で一時間経ったら、また一つずつ箱を開けてくれればいいから」

「……わかった」

 篤紫が宝箱に飛び込んで上を見上げると、三メートル程上から夏梛が心配そうに見下ろしていた。


「おとうさん、閉めるね」

「ああ、頼む」

 そして、ふたが閉められた。




 念のため、しばらく待ってから篤紫は腰元のスマートフォンをたぐり寄せた。

 自分が動けていると言うことは、時間が止まっていないのだろう。もし時間が止まっていたのなら、またすぐに上蓋が開けられて、一時間経った夏梛が顔を出していたはずだ。


 電話帳からナナナシア・コアを選択して、電話を発信した。程なくして、電話が繋がった。


『ちょっと、篤紫君。何てことしているのよ?』

 耳元から聞こえた声は、かなり焦っている様子だった。


「何って、ナナナシアの神力が漏れないように遮断しただけだよ」

『やりたいことは分かるんだけど、やるべきことはそれじゃ無いのよ。

 あー、もう。こんなんなら、ちゃんと説明しとくべきだったわ』

 何かマズいことをしたのだろうか。電話が繋がったまま、ナナナシアはブツブツと何かを独りごち始めた。


「それより、ナナナシアストアって何だよ。魔術辞書と和英辞典は、魂樹に追加しない話じゃ無かったのか?」

『はぁ? そんなこと? それだけのために、こんな危険なことをしたの?』

「いや別に、そこまで危険なことしてないでしょ」

『ばっかじゃないの!』

 耳元で大声を出されて、篤紫は思わず眉をしかめた。


『異空間を重ねすぎなのよ。限度ってものがあるじゃないの。

 いくつか宝箱が溶けて、既に違う次元に流されているのよ? もう篤紫君には、ほとんど時間が残されていないのよ』

「えっ……はっ?」

 と、言うことは……。


『今から桃華に連絡しても間に合わないし、夏梛は電話帳に登録した人以外からの着信を拒否にしているし。

 あああ、っもおおおおっ。ばっかじゃないの。ほんっとに!』

「ごめん……」

『ごめんで済んだら、警察はいらないのよ』


 部屋が、歪んできた。

 本当に時間が無かったらしい。足下もグニャグニャしていて、篤紫は思わず膝をついた。


『最後だから、はっきりと言っとくわよ。

 篤紫君は、次の世界でも篤紫君のままよ。でも、私からの加護が無いから、魔術は使えなくなるから気をつけて。

 あとは、ええっと……なんだっけ』


 視界も揺れる。

 足下の床が無くなり、一気に落下していく。


『魔力は無くならないから、あとは何とか――』

 視界が真っ白に染まり、ナナナシアの声が一気に遠のいていった。

 意識を失う直前に、ナナナシアの悲痛そうな顔が見えた気がした……。





「おとうさん? どうしたの、ぼーっとしちゃって」

 腰元のスマートフォンが、カランと言う音を立てて床に落ちたのが分かった。

 ふと、自分が車のハンドルを握っていることに気がついた。この見慣れたハンドルは、八人乗りの大衆車であるオルフェナのものだ。

 テレビのコマーシャルで、小玉羊がイメージキャラクターに使われていて、桃華と夏梛がかじり付くように見ていたっけ。ちょっと高かったけれど、それが購入するきっかけだった。


「ごめん。何でもないんだ」

 フロントガラスの先で、赤だった信号が青に変わった。前の車が走り出したのを見て、篤紫もアクセルを踏んで車を進めた。

 見慣れた日本の風景が、走る車に合わせて流れていく。


 しばらく走ったところで、スマートフォンを落としたことを思い出して、ちょうど近くにあったコンビニに車を入れた。



「ありがとう、おとうさん。ちょうどトイレに行きたかったところなの」

「篤紫さん、私もトイレに行ってくるわ。飲み物も買ってくるけど、いつものお茶でいいかしら?」

 返事をしようとして横を向いて、篤紫は思わず言葉を失った。


「えっ……誰?」

「あ。酷いな。夏梛だよ、冗談きついよ。って、早く行かないと漏れちゃうよ」

 慌てて助手席から下りていく夏梛を、篤紫は呆然と見送るしか無かった。

 間違いなく娘だという事は分かった。でも全く知らない顔だった。篤紫の記憶にある夏梛とは、顔も体格も全く違う、完全に別人だった。


「どうしたのよ。篤紫さんらしくないわね」

 さらに後ろの席に振り向いて、思わず篤紫は息をのんだ。

 妻であることは、本能で分かる。でも篤紫が知っている桃華じゃなく、全くの他人がそこに座っていた。


「お茶、買ってくるわね」

「あ、ああ……」

 知らない顔の桃華を見送ってから、篤紫は自分の体を確かめてみた。


 深紫のロングコートはそのままだった。ホルスターも腰に巻かれたままで、左側には魔道銃が、右側には三本の魔道ペンが刺さったままだった。慌てて魔道銃を抜くと、ホルスターのポケットに突っ込む。

 魔道銃は、問題なくポケットに吸い込まれていった。


 椅子とドアの間に落ちたスマートフォンも慌てて拾い上げる。画面を点灯させると、見慣れた画面だった。違っているのは、アンテナピクトが立っていて、知らない電話会社の名前が書いてあったことか。

 バッテリーの表示が無いため、このスマートフォンが篤紫の魔力で動いていることだけは確認できた。


 ちなみに桃華に電話しても夏梛に電話しても、顔が違う桃華と、顔が違う夏梛の電話にしか繋がらなかった。オルフェナには、そもそも電話が繋がらなかった。


 色々がもの凄く矛盾していて、思わず渋面になったのが自分でも分かった。


 異世界転移。

 それも辿り着いたのは、篤紫の知らない別次元の地球だった。





 その日は、百葉の夢の国に行ってきた帰りだったようで、カーナビの案内で少し走った先が、すぐに自宅だった。

 ただそこは、知らない土地の全く見たことがない家だった。表札に書かれていた住所は、全く知らない地名だった。篤紫は内心頭を抱えた。


 自宅の建築様式自体は、日本にあるごく普通の家だった。電気があり、ガスと水道が引かれていて、屋根には流行のソーラーパネルが乗っていた。

 知らない顔の桃華は普通に料理が上手で、知らない顔の夏梛も小学校で問題なく優秀だった。篤紫は弟と二人で自動車の修理工場を経営していたみたいだけれど、それも今日喧嘩して辞めてきた。

 工場で仁王立ちして、勝ち誇ったように笑っていた弟は、篤紫が幼少の頃から知っている、見慣れた弟の顔だった。


「やっとけじめが付いたわね。多少の貯蓄はあるから、明日からの仕事探しは、そんなに慌てなくてもいいわよ」

 会社を辞める話も、どうやら前から相談していたことだったようで、帰ってから知らない顔の桃華からかけられた言葉は、叱責では無く労いの言葉だった。

 知らない顔の夏梛も、篤紫が仕事を辞めることを知っていたようで、渡された手紙には『おとうさん新しい仕事頑張って。大好きだよ』と書かれていた。読みながら、思わず目に涙がにじんだ。


 ここまで来ると、さすがの篤紫も知らない顔をした二人を、ちゃんと家族として認めることしかできなかった。




 魔法は、生活魔法が今まで通り使えた。

 魔力があるせいか、食事を取ってもトイレに行く必要が無かったけれど、怪しまれるといけないので、トイレにはある程度入ることにした。当然だけど便座に座っても、何も出なかった。


 魔術は、篤紫が魔力を供給している眼鏡と虹色魔道ペン、ホルスターのポケット以外は、全く使えなくなっていた。むしろ、その三点が使えるだけでも良かったと思う。



「この金塊はどうしたの? すごいじゃない」

 仕事を探しに行ったときに、出先の車の中で金貨を金塊に変えて桃華に渡したことがあった。

 ホルスターのポケットから金貨を取り出して、虹色魔道ペンに魔力を流して変身した。その状態で金貨をまとめて圧縮すると、難なく金塊にすることができた。

 その時になってやっと、変身の魔道具がまだ有効であることを確認できた。

 普段の生活で、変身するほどの危険な場面は無かったからね。


 ちなみに金塊は十キロぐらいあったようで、わざわざ換金のために東都の大きな貴金属店に行ってきた。東都の街並みは、東京の街並みと全く一緒だった。分かったことは、行く先々で地名が少しずつ違っていたことか。


 ちなみに国の名前は、日本国ではなく、日ノ本共和国で、それを略して日本と呼ぶようだった。ややこしい。


「いきなりお金持ちになったわね。ありがとう篤紫さん。

 せっかくだから、これで何か事業を始めた方がいいわね」

 堅実な桃華は、金を売った資金でネットショップを開いた。お店は順調で、篤紫も手伝って生活できるまでに安定した。




 そして事件は、ゆっくりと十年経ったとき、起こるべくして起こった。

 思えば種を蒔いたのは、自分だったのかもしれない。



「ん……暑いな……」

 連日続く熱帯夜に、エアコンが唸りを上げていた。何となく喉が渇いたので、眼鏡をかけてベッドから下りた。


「……篤紫さん?」

 一緒に寝ていた桃華が、篤紫の動きに気がついて目を覚ましたようだ。ベッドの上で上体を起こして、部屋の明かりを点けてくれた。

「ごめん、起こしちゃったかな?」

「ううん、大丈夫よ。ちょうどトイレに行きたいと思っていたところなの」

「そうなんだ、それならよかった。

 俺は喉が渇いたから、お茶でも飲もうかと思っていたところなんだ」

「あら、それなら私も後で行くわ」

 時計を見ると、時刻は午前二時を回ったところだった。寝室の隣にあるリビングで、冷蔵庫から取りだしたお茶を、用意したカップ二つに注いだ。

 ついでに、チーズも二つ取りだした。


「あら、ありがとう。嬉しいわ。

 夜中に目が覚めたときにいつも一人だったから、そのままベッドに戻っていたのよね。篤紫さん、普段は全然起きないんだもん」

 対面に座った桃華は、いつも以上に嬉しそうだった。両手で大事そうに持ったチーズを笑顔で口に運んでいた。


「十年、経ったわね……」

「……ん?」

 烏龍茶が入ったカップを口に運んでいた桃華が、優しい目で篤紫を見つめながら、噛みしめるように呟いた。


「あの日。仕事を辞める決断をしてくれて、本当に嬉しかったわ。

 さすがにそのあと、篤紫さんが持ってきてくれた金塊には、さすがにびっくりしたけれど」

「ああ、あのことか。和知との確執は、出来れば早く何とかしたかったからな。

 そもそも、ほとんど俺が忙しかっただけなのに、あいつは一丁前に金だけは使い込んでいたからな。さすがに許せなかった」

 篤紫の言葉に、桃華は目を大きく見開いていた。それも一瞬のことで、すぐに嬉しそうな笑顔に変わる。


「ありがとう。私なんかと一緒にいてくれて、本当にありがとう……」

「お、おい。何だよ、どうした桃華」

 笑いながら、大粒の涙を流していた。慌ててテーブルを回って近くに行くと、座ったまま篤紫に抱きついてきた。

 そんな桃華の頭を、優しく撫でた。


「私、本当に嬉しかったの。あの日――」

 ガシャーン――――!


 遠くで、ガラスが割れる音が聞こえた。桃華がびっくりして立ち上がった。聞こえたのは、上の方か。

 ガシャーン――!


 寝室の方からも、ガラスが割れる音が聞こえた。程なくしてドアの隙間から、煙が漏れてきて辺りに充満し始めた。


「まさか、放火か!」

 篤紫は慌てて、寝室の扉を開けた。そこは、既に火の海になっていた。外から吹いてきた強風に煽られて、火の粉が舞ってきた。篤紫は慌てて扉を閉める。

 考えてみればホルスターが、寝室にあるままだ。篤紫は唇を噛みしめた。


「篤紫さんっ」

「桃華は、夏梛を見てきてくれ。俺はもう一度、この部屋に入らないと入れない」

「どうして、そこは火の海じゃない。それにいま私、腰が抜けちゃって動けないのよ」

 振り返ると、桃華が腰が抜けたのか床に座り込んでいた。

 篤紫は駆け寄ると、眼鏡に魔力を流した。寝間着姿だった篤紫の格好が、一瞬で深紫のロングコート姿に変わった。


「えっ……いまの……」

「いいから、掴まって」

 篤紫は桃華を抱き上げると、リビングの窓を開けて外に飛び出した。そのまま少し離れた歩道に下ろすと、来ていたコートを地面に敷いて桃華を寝かした。

 近隣の住人が、外に出てきて騒ぎ始めていた。


 振り返ると、家のあちこちから火の手が上がっていた。

「篤紫さん、夏梛が………」

「ああ、行ってくる。絶対に助けてみせる」

 篤紫は手を上に掲げて、魔法を使う。生活魔法の水流だって、余分に魔力を込めれば多少、効果は増える。篤紫は頭上に大きな水の塊を出すと、そのまま頭からかぶった。

 そして再び家に向けて駆けだした。手を前に掲げて水道の放水程度の水を飛ばしながら、窓ガラスが割れた寝室に飛び込んだ。燃えさかる炎を必死に振り払い、ベッド脇のホルスターを掴むと、扉に体当たりをしてリビングに飛び込んだ。


 転がりながら、ホルスターを腰に巻いて虹色魔道ペンに魔力を流した。

 虹色の輝きとともに、再び深紫のロングコート姿に変わる。火の手は既に、リビングにも回ってきていた。

 変身さえすれば、生活魔法の水流さえ、ポンプ車の放水くらいまでには威力が増える。周りに水をまき散らしながら、二階へ続く階段を駆け上がった。



「夏梛っ!」

 二階に上がると、そこは既に火の海だった。両手から水流を迸らせて、一気に火を消していく。そのまま、夏梛の寝室に飛び込んだ。

 部屋の中はさらに激しく燃えていた。水を、手から四方八方に撒き散らす。一瞬で視界が真っ白に染まった。


「夏梛っ、どこに居る……」

 微風を強めに流して、立ちこめていた水蒸気を外に流し出した。

 ベッドの脇、全身が焼けただれた夏梛が、ぐったりと横たわっていた。慌てて駆けつけると、はやる気持ちを抑えて着ていた深紫のロングコートを床に敷き、その上に夏梛をゆっくり移動させた。

 そのまま包むように抱きかかえる。


 燃える火は、さらに勢いを増していた。

 階段を振り返ると、再び炎に包まれていた。夏梛を抱えたまま右手をかざして、水流で水を飛ばすも、火は収まる気配すらなかった。


「お……とうさ……ん。痛…………いよ……」

 こうなれば、ベランダから飛ぶしかない。

「夏梛、少し我慢してくれ」

 中途半端に割れている窓枠を蹴り飛ばすと、夏梛をしっかりと抱えてベランダから飛び降りた。両足から強烈な微風を噴射して地面に降り立つと、敷地の外。桃華の居る場所まで必死に走った。




「嘘……だろ……」

 桃華が、お腹から血を流してぐったりとしていた。手足も切り刻まれ、篤紫のコートは血で真っ赤に染まっていた。


 篤紫は夏梛を抱えたまま、ふらつく足で桃華の側まで歩み寄った。

 そのまま、桃華の横で両膝をついた。


「夏梛は……無事だったのね……よかった……」

 既に視界が朦朧としているのか、焼けただれた夏梛の姿は見えていないようだった。篤紫は、下唇を強く噛みしめた。


 ドスッ――。


 突然背中に衝撃が走り、強烈な痛みとともに篤紫の口から血が噴き出してきた。抱えていた夏梛が、腕の中からずり落ちた。


「和知か……」

「おまえが、おまえが全て悪いんだ。会社も潰れた。全部おしまいだ。

 勝手に会社を辞めて、全部オレになすりつけるから、いけないんだ」


 意味が分からなかった。

 俺が会社から居なくなったのを、和知は喜んであざ笑っていたはずだ。

 振り返って喋ろうとして、口から血が噴き出した。お腹に、ナイフが刺さっていた。


「保険はかけたままだから、おまえが死ねば何とかなるんだ。

 やったぞ、これでしばらく遊んで暮らせる……くくくくっ。はははははあっ」

 和知は立ち上がると、気の触れた笑い声を上げて、野次馬に向かってナイフを振り回しながら逃げていった。

 遠くの方で、サイレンの音が聞こえてきた。火の粉が辺りに舞っている。


 家はさらに、激しい炎を上げて燃えていた。

 火事は隣の家にも延焼していて、いつの間にか周りに居た野次馬も居なくなっていた。


 さらに口から血が吹き出る。

 どうも、肺と内臓が駄目のようだ。

「おとうさん……ごめん……ね。あと……ありが、とう」

 夏梛に振り返り、思わず篤紫は首を横に振った。

 篤紫が駆け付けたときに、既に夏梛は全身が焼けただれていた。深紫のコートのおかげで一命は取り留めているものの、命の灯火は既に消えかかってていた。歯を食いしばる。

 治癒に限っては、魔法は無力だった。何の手立てもない。


「篤紫……さん。篤紫さんが篤紫さんじゃ……ないこと、十年前に気がついていたの」

 桃華の言葉に篤紫は目を見開いた。桃華が咳き込み、口から血が漏れた。


「それまでの篤紫さん……は、私たちに何の興味も……なかった。

 夏梛が話し……かけても、いつも素っ気なかった……わ」

「やめろ桃華。もう無理に声を出すんじゃない」

 桃華は首を横に振った。


「もう、私も長く……ないわ。このコート、温かくて……すごく優しい。

 本当にこの十年……幸せだったわ。あり……がとう……」

 篤紫は痛む体を動かして、二人を抱きかかえた。

 何だよ。なんでだよ。


 魔力があったって、魔法が使えたって、何の意味もないじゃないか。

 この、腕の中の大切な命さえ、救えないじゃないか。

 駄目だ。絶対になくすもんか。

 生きるんだ。絶対に救うんだ――。


 篤紫の体が光の粒に包まれていく。

 このままだと、二人を置いたまま篤紫だけ蘇ってしまう。


 篤紫は両腕に抱えた二人に、ありったけの魔力を注ぎ込んだ。絶対に生きてて貰う、それが駄目なら何としてでも連れて行く。

 祈りが届いたのか……篤紫の背中に三対の光の翼が顕れた。翼はそのまま、三人をまとめて包み込んだ。同時に激しい光が迸る。


 光が消えると、そこには何もなかった。

 ただ、燃えさかる家が、辺りを真っ赤に照らし出していた……。




「おとうさんっ、よかった……」

 気がつくと、オルフェナの中だった。

 篤紫の腕の中には、やっぱり二人は居なかった。結局、メタヒューマンの不死の呪いは、篤紫にしか効かなかったいうことか。


『一時はどうなるかと思ったが、やはり問題なく蘇ったな』

 篤紫がいま乗っているオルフェナは、いつもの口うるさいオルフェナだった。安心したのと同時に、思わず口から、大きなため息が漏れる。

「もうっもうっ」

 篤紫が上体を起こすと、夏梛が抱きついてきた。こっちの夏梛は、やっぱりいつもの夏梛だった。見慣れた顔の夏梛が、目を真っ赤に腫らしていた。

 車の外ではルーファウスが、心配そうに篤紫のことを見ていた。


 あれは、夢だったのだろうか……。

 今となっては、もう確認する術がなかった。


「なあ、夏梛。どれくらい時間が経ったんだ?」

「すぐだよ。最後の蓋を閉めたら、オルフが部屋に飛び込んできたんだよ。

 おとうさんが復活するって聞いて、車に変わったんだよ。

 復活までの待機時間で、一時間待っただけだよ」

「そっか、ごめんな。心配かけた」

 篤紫は夏梛の頭を優しく撫でた。

 安心したのか、夏梛がそのまま大声で泣き出した。


「おとう……さん……?」

 ドアの脇に立っていたコマイナが呟いた声は、夏梛の泣き声にかき消されて、誰の耳にも入らなかった。




 その後、遠く離れている麗奈からかかってきた電話で、篤紫は驚きとともに少し嬉しくなった。


 キャッスルコアに出来ていた大きな蕾から、緑色の髪をしたかわいい女の子が産まれ落ちたそうだ。

『えっ、麗奈ちゃん? 行方不明って聞いていたけど、無事だったのね』

 その女の子は、まるで麗奈のことを知っているかのように、嬉しそうに話し始めたので、びっくりしたそうだ。

 名前を聞いたら『桃華』だって名乗ったため、慌てて篤紫に電話をしたそうだ。


 恐らく、あの桃華だろう。

 事の顛末を伝えると、麗奈はそのまま女の子に話したようだ。話を聞いた女の子は、いろいろ納得したのと同時に、感極まって泣き出してしまったそうだ。

 その後で名前が被るといけないので、モモにしたとか。

 またいつか、顔を出しに行かなきゃだな。


 ただ、向こうの夏梛をこっちに一緒に連れて来ることが出来たのかは、結局分からずじまいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白崎篤紫は普通の世界旅行がしたい。番外編 もしあのとき、違う選択をしていたら。 澤梛セビン @minagiGT

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ