第7話 質素な部屋

 部屋でESEを外して着替えを取り出す。

 キョロキョロと不思議そうに無機質な部屋を眺めるラルアを見て悠馬は微笑む。


「ラルア、好きに寛いでくれ。これからラルアの部屋にもなるんだから、そんなに緊張してたら疲れるぞ」

「あ、は、はい」


 廃墟になったマンションの一室を使えるように改装した部屋。元廃墟とは思えないほど綺麗な八畳ある部屋に机とベッド。最低限の収納。悠馬は自分の部屋をぐるりと眺め、こんな部屋だと確かに緊張するよなと苦笑する。


「後でラルアのものを買いに行こう。見ての通りものを買わないんだ」


 ははと自嘲気味に笑う。

 ラルアは不思議そうに首を傾げる。


「わ、わたし、のものは……いらない……」

「ん? 遠慮しなくていい。それよりも買ってくれ、俺の部屋は簡素でさ。ちょうどどうにかしようと思っていたところなんだ」

「で、でも……」


 申し訳なさそうにうつむいてしまうラルアに悠馬は困った顔をしながら、目の前にしゃがみ目線を合わせる。

 ラルアが目を合わせようとしたが怯えた表情で顔を背ける。また目を合わせてを繰り返し下を向いてしまう。


「ラルア、ここは研究所じゃない。ラルアをいじめる人はいない。ここには俺しかいないんだ、大丈夫。別に怒ったりしないさ」

「…………じゃ、じゃあ。ぬい、ぐるみ……欲しい」


 消え入るような声。思い切って言ったんだろう。簡素な服の裾を握りしめている。


「あ、前に研究所の子が持ってて……それであの、その」

「そんな怯えなくていい。ぬいぐるみだな。わかった。他にはないか?」

「えっと……今はわからない……」

「そっか、そうだよな。何か欲しいものがあったら遠慮なく言っていいから」


 ラルアにそう言って脱衣所に移動していく。

 残ったラルアは呆然とベッドに座る。


「みんな優しい……。わ、わたしなんかに……」


 呟きは誰にも聞こえず消えていく。

 涙がにじむ。自分の境遇に涙を流した愛理。同情も何もせず接してくれた夏美。怖いが、それでもいることを許容してくれた志雄。自分がここにいていいと認めてくれた、生きていていいと言ってくれた悠馬。

 罪悪感に押しつぶされそうになるが、同時に感謝の念絶えない。


「どうした? 何かあったか?」


 新しい服に着替えた悠馬が脱衣所から顔をだす。

 驚いたラルアはワタワタする。


「な、なんでも、ない」


 勢いよく首を横に振るラルアにびっくりする悠馬。


「そ、そうか」

「うん……」


 ラルアが小さく頷く。


「それじゃあ、時間もあんまりないから愛理のところに行こう。つなぎの服をもらおう」


 悠馬がESEを身につけ、玄関へ向かう。

 ラルアが小走りで悠馬の背中を追う。


「愛理の部屋まですぐだ」

「う、うん……」


 ラルアが控えめな返事をしたのを確認して部屋をでる。


「わぁ……!」


 部屋を出た正面の窓にラルアが飛びつく。

 窓の外には元廃墟のビル群がそびえ立つ。

 悠馬の部屋は13階の1303号室。海面から数えてもそこそこの高さがある場所に住んでいる。

 8階程の場所まで海没しているビルの壁には海藻や藻がこびりついている。

 風化しかけているものもあり、隙間に見える海には陽の光が反射し美しく輝いている。

 ビルとビルに渡された渡り廊下や海面に出ている屋上を改装、増築した空間では子供達が元気に走り回っている。

 海中をよく見てみるとわずかに光が漏れている建物がある。そこは娯楽施設だったり居住空間だったりと様々ものがある。

 退廃的な景色の中に程よく生活感がある。幻想的な光景。それにラルアは目を奪われる。


「これが海上都市セイレーン。東京と呼ばれた都市の上に立つ、今の日本の首都市。京都は浮島だったけどここは元々あるビルだったりを改築したりしているんだ。世界でも有数の都市って言われている」

「すごい……! すごいね、ゆう!」


 満面の笑みで振り返るラルアだったが大きな声を出したことで真っ赤になりうつむいてしまう。


「……やっと、呼んでくれたな」


 名前、とは言えないがあだ名のようなものを呼ばれて面食らった悠馬。窓から差し込む海面に反射した日の光がラルアの笑顔を彩る。一瞬見とれてしまうほどにラルアは芸術的なほど美しかった。


「ご、ごめん……なさい」

「謝らなくていい。ゆうって呼ぶのはラルアだけだな。昔流行ったって言われるあだ名みたいだ。意外と嬉しいもんなんだな」


 一人納得している悠馬を恐る恐る見上げる。ふと呼んでしまった名前で、怒られるんじゃないかとドキドキしていたラルアだったが、怒られないことに安堵する。


「さて、そろそろ愛理のところに行こう。ちなみに愛理のことは心の中でなんて呼んでたんだ?」

「……あい」

「あい、か。あいつ喜ぶだろうな。こういうの好きそうだし。そう呼ぶといい」


 また躊躇い気味になってしまったと自分の銀髪を撫でる。

 愛理の部屋は一階層下にあるので階段へ向かう。

 廊下は改装が行われておらず藻がわずかに繁殖し、所々にヒビが散見される。

 ラルアはそれすら物珍しそうにキョロキョロと首を忙しなく動かし、悠馬のあとを追う。

 階段を降りてすぐ。1201号室が愛理の居室だ。

 悠馬の部屋の扉と変わらない扉をノックする。


『はーい! いま出ます!』


 扉を開けた愛理はノースリーブの白シャツにノースリーブの水色のジャケット。茶色地のホットパンツにニーハイという涼しげでラフな格好をしていた。

 全体的に薄い色の服に明るい茶色の髪が映える。そして生地が薄いこともあり、かなり発育のいい胸が強調される。

 相変わらず無防備だなと嘆息する悠馬の内心を考えず、愛理は不思議そうな顔で小首を傾げる。


「どうしたの? 集合の時間までもうしこしあるよね?」

「ああ、今回はラルアにあう服がないかを聞きに来たんだ。あったら数着譲ってほしい」

「そういうことかぁ、びっくりしたよ。何か緊急事態かと思った」


 あははと小動物のような顔で笑う。

 愛理が「ちょっと待ってね」と部屋に引っ込む。

 ガチャガチャと中から聞こえる微かな音で片付けていることを察して悠馬。


「な、何か。音が、するけど……大丈夫?」

「ああ、何も聞かなかったことにしてやるといい。この世には知らなくていいこともたくさんあるんだ。そして、知っていても知らないふりをするのも必要だったりする」


 遠い目をした悠馬を見上げ不思議そうな顔をしたラルアだったが、とりあえず言われたようにしようと納得する。

 実は過去に悠馬は上官として愛理の部屋の抜き打ち検査で入ったことがある。人手が足りないせいで無理矢理させられた。愛理には今でも申し訳なく思っている。

 入った瞬間、服を脱ぎ散らかし、使った食器を放置。果てには半裸で大の字に寝ている愛理を見てしまったのだ。その時愛理にはESEで狙撃されながら追いかけ回された。あの時ほど死を覚悟したのもなかなかに無い。


「お、お待たせ! 入って入って!」

「あり、がとう。……あい」

「えっ!? 今私のこと呼んだ! ねえねえ悠馬! 今ラルアちゃんが私の名前呼んだよ!」

「うるさい」

「きゃ! うぅ……」


 ラルアと悠馬を交互に見て頰を上気させた愛理の頭に、軽くチョップを落として黙らせる。

 若干顔を赤くさせたラルアを見た悠馬は温かい気持ちになる。

 まだ拾われたばかりの時、志雄が悠馬を見て嬉しそうに微笑んでいたのは、こういう気持ちだったのかと理解する。

 何かしているときによく見ていたのを理解した悠馬はからかおうと心に決める。


「ラルアちゃんのお洋服だったらこれとかこれかな!」


 いつの間にやら復活して部屋の中でゴソゴソしていた愛理が服を何着か引っ張り出す。

 白いワンピース。今の愛理の服装に似たノースリーブ。薄いピンクのセーター。フリフリ。いろんな種類が出るわ出るわ。愛理が楽しそうだからいいのかと一瞬思う悠馬。


「動き、ずらいのは……いや」


 そういって手に取ったのはワンピースとノースリーブ。


「部屋で着るための服ももらったほうがいいんじゃ無いか?」

「あ、そっか……うん」


 次に取ったのはピンクのセーターと水色の半袖のパーカー。


「とりあえず好きなのに着替えてくるといい。愛理、頼んでもいいか?」

「わかった! ついでにシャワーも浴びさせるね!」

「ああ、頼む」


 風呂場に入っていく2人を見送ってふと部屋の中を見回す。ピンクや水色といった家具がある女の子らしい部屋。悠馬の部屋と違ってものが結構ある。

 散らかしはするが物持ちは良いため昔から持っているものも結構見える。

 手持ち無沙汰を紛らわせるためESEのチェックをし始める。

 外観や使用感などの細々したところを確認していく。


 ——ESE。エレクトロニック・シグナル・エンハンサー。電気信号増強器とは脳や肉体の電気信号を増強、増幅し思考や肉体能力のレベルを格段にあげるものである。ただし、ESEには代償も存在する。様々な症状を引き起こすが、激痛や酔い。血管の破裂などが多い。

 その症状の原因は相性問題が大きい。電気信号を増強、増幅することで脳や筋肉、血管に負荷をかけるために起こる症状だ。この症状を乗り越えESEを運用できる人間が適合者と呼ばれる。その代償を乗り越えた一握りは潜在能力を開花させ何かしらの能力を得る。

 悠馬の場合は超再生と空間操作。超再生は読んで字の如し。空間操作が曲者で、任意の空間を操作する。空間を固定することにより足場を生み出したり、圧縮を繰り返しプラズマを生み出すこともできる。別次元の空間などを触れることはできないが観測可能な空間の操作はある程度できると言われている。

 愛理の能力は”鷹の目”と呼ばれるもので、視力に関連する機能の拡張。この能力はとりわけ脳に負担がかかる。そのためのESEは少々特殊で外付けESEなどと呼ばれる。狙撃銃型のESEは手や肩などの触れてる面から電気信号を増幅させる。これの利点は代償の緩和。もしくは、愛理のような適合者の負担の軽減である。


「どうだ悠馬! 可愛いだろ!」

「か、可愛い、だろ……」


 愛理が自信満々にラルアの後ろで両手を広げる。

 正面に立つ当のラルアは恥ずかしそうに服の裾をひらひらさせるのみだったが……。

 ラルアはショートヘアだが赤いリボンで小さく横に髪をまとめている。そして格好は愛理の服をの色違いで小さくしたようなものを着ていた。

 暴力的なまでに似合っている。将来間違いなく道行く男たちが見とれる美女になるなと確信する悠馬。


「似合うなラルア。それじゃあ本郷さんや志雄さんに見せに行こう」

「うんっ……!」


 可愛らしくはにかむラルアを見て愛理は可愛さに悶える。


「ああ! どうしてこの時代にはカメラっていうのが無いの!? 目の前のものを一瞬で写真に出来るやつ!」

「確かに欲しいがその反応はちょっと引くな……」

「こ、怖い……」


 ラルアに引かれてショックを受けた愛理は膝から崩れ落ちた。


「こ、怖い……私が……ふふ、ふふふふふ」

「さ、さてラルア行こうか」

「わ、わかった……あいも、いこ」


 膝から崩れ落ちて笑い始めた愛理の手を引け腰でそっと握り促す優しいラルア。

 愛理がそれで速攻復活した。その一瞬、単純だなと悠馬とラルアの心がシンクロした。

 そして3人は志雄の部屋に向かうのだった。

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