終焉の世代

 荒野あらや道場襲撃事件は、対神学園・ラグナロクにも大きな衝撃を与えていた。

 特別、荒野の家とは浅からぬ縁のある彼ら――終焉の世代に数えられる子供達にはより多くの意味合いで伝わっており、世間的にも大きな犯罪組織である女神信仰団体への警戒を、個人個人で強めていた。

「ごほっ、ごほごほっ!」

 痰の絡まった咳が廊下に響く。

 普段なら同級生やれいがいるのだが、廊下の隅でうずくまって咳き込み、動けなくなっているせつなを介抱してくれる人は今、誰もいない。

 零のことを気遣い、彼女に悟られないよう出てきたのが裏目に出てしまった。

 ただむせているだけだから、時間が経てば治まるとは思う。だけど治まるまで苦しいことには変わりなく、自分ではどうしようもないから、せめて他の人の邪魔にならないようにと廊下の隅で縮こまることしか出来なかった。

「ん、ちょ?! せっくん!!!」

 と、慌てふためく声が聞こえた。

 偶然通りかかって驚いたのだろう。走るな危険の張り紙も無視して、駆けつけてくれたその人が背中をさすり、少し落ち着くと肩を貸して、一番近くの部屋の椅子に座らせてくれた。

「せっくん、大丈夫?」

「……はい、ありがとうございます。麒麟きりんさん」

 対神学園・ラグナロク三年、終焉の世代、獅子谷ししや麒麟。

 ラグナロクの伝統、学年関係なく選ばれる七人の頂点、七騎しちきの一角。

 英雄ミーリの血を引く一人で、切、零とは同級生。家族ぐるみでの付き合いもあり、親しい間柄であることは愛称から察して貰えるだろう。

 呼ばれている当人としては、なかなか恥ずかしいものではあるが。

「麒麟さんがいて下さって、助かりました」

「もう、呼び捨てでいいって言ってるのに」

「すみません。同い年なんですが、どこか姉のように感じていて」

「もう。でも珍しいね、せっくんが一人でいるなんて。零ちゃん、そんなに重傷なの」

 事件の詳細は、世代の家族には世間の情報より詳しく伝えられているはずだ。

 切が誰も連れずに外出しているなんて滅多にないことだから、聞かされていたより零の状態が悪いのではと訝しんだらしい。

 皆を心配させまいと、父が嘘をついたのではと考えたようだ。

「零は無事です。ただ今は、そっとしてあげたくて」

「それでせっくんが倒れたら、今度は零ちゃんが無理するでしょ? もう、底抜けに優しいなぁ」

「父譲り、でしょうか」

「……かもね」

 二人でクスクス笑い合う。

 母親は違うもののいがみ合うことはなく、むしろ同じ父親が別の家でどう過ごしているのかの話題で盛り上がる。麒麟とはそういう仲だった。

 特別な関係ではあるが、従兄妹だったり――それこそ、兄弟姉妹と接するのと同じ感覚だ。他の家族とも差はあれど、義母兄弟だから特別険悪、ということはない。

 尤もそう感じているのは、生まれつき病弱で周囲から常に気遣われてきた自分だけかもしれないと、切は時々不安じみて考えることもあった。

「ホラ、肩貸してあげる。要件は私と同じ、でしょ?」

「ありがとう、ございます」

 麒麟の肩を借り、向かうのは校長室の隣にある専用部屋。

 ラグナロク最強の七騎が代々引き継ぎ、使ってきた会議室。

 壁にはその時代その時代の七騎の座にいた優等生が並んで映る写真が飾ってあり、七年制で年内でも移り変わりの激しい七騎の座に七年間いたのはただ一人、偉大なるミーリ・ウートガルドだけである。

 本来は七騎に選ばれた生徒と、パートナーである神霊武装ティア・フォリマしか入室出来ないのだが、終焉の世代が入学して以来、彼らだけは特別入室を許されていた。

 麒麟と違って七騎ではない切は、せめて遅刻だけはしまいと早めに来ていたのだが、部屋に入るとすでに対局が始まっており、終わろうとしていた。

 将棋盤を挟む二人は共に七騎であり、終焉の世代。

「そら、王手だ」

「むぅっ、んん……んんんんん、んあぁっ! 参った! もう一回!」

「いや、残念ながら、ここまでだ。記録更新はまた後日、な」

「次こそは自分が勝ちますからね!」

 対神学園・ラグナロク四年、祖師谷そしがや那月なつき

 自他共に認める負けず嫌いにして、自他共に認める努力家として学内でも慕う生徒は多い。

 そんな彼を将棋の対局で三〇〇回以上負かし、無敗を誇っているのが、対神学園・ラグナロク五年、ツバキ・イス・リースフィルト。

 ラグナロク生徒会会長にして、現在の全女子生徒最強を誇る人だ。

「切か。此度は酷い目に遭ったな。大事はなかったか?」

「はい、なんとか。零も無事に完治しました」

「それは何より」

 ミーリの故郷、グスリカの最高位貴族出身とあって品の良さ、育ちの良さは隠し切れない。

 終焉の世代の中でも異彩を放つ存在で、切や麒麟、那月ら異母兄弟から見ても少し感覚が離れている気さえしてしまう。

 だが世代全体で見れば長女に位置することもあり、面倒見のいいお姉さん的存在である。

「まだ二人だけ?」

「あぁ。二人は画面通信での参加であるし、もう二人は世代ではないためそもそも呼んではいない。同じ七騎に数えられている友として協力を仰ぎたいのだが、女神に関してとなるとそうもいくまいよ」

「そうですね。零には僕から言っておきます。今はちょっと、そっとしてあげたくて」

「そうか……相当、怖い思いをしたのだな」

「ったく! ムカつく話だってんですよ! 自分の可愛い可愛い妹分を殴りやがったんでしょ? しかも顔ですよ、顔! 自分がその場に居たら、ただじゃあおかなかったですよ。いや、本当に!」

 自分の拳を拳で殴る那月は、今すぐにでも殴りたいと言わんばかりだ。

 だが生憎、犯人はすでにミーリのスープレックスとロンゴミアントの踵落としで頭蓋骨を骨折しており、今那月が殴っても、変形するところはどこにもなかった。

 それにおそらくだが、那月でも万全の状態の犯人相手では苦戦したかもしれないと切は思う。

 相手が父だったから軽く捻りつぶされた印象が大きいものの、実際に対峙した身としてはそこらの学生では歯が経たず、那月や麒麟でも――申し訳ないが五分といったところだったろう。

 少し前までヨボヨボだった老人が、全盛期以上の力を得たというのだから脅威でしかない。

「切? なんか、具合悪そうじゃあねぇですか? 顔色悪いけど、大丈夫ですか」

「う、うん。大丈夫。ありがとう、那月」

「出た。せっくん那月にはタメ口なんだよなぁ。私も麒麟でいいってのに」

 麒麟がわざとらしく拗ねていると、ツバキに座るよう促される。

 肩を貸しているとはいえ、顔色の悪い切をずっと立たせておく必要もない。席は、今回通信で参加する世代の一人のを使わせて貰った。

 他二人も座ったところで、ツバキは小さく吐息する。

「切、調子が悪くなったら遠慮せず言うのだぞ?」

「ありがとうございます、ツバキさん」

「では、零は欠席。他二人も通信での参加となれば、これで全員か。回線は五分後に繋がる。それまで暫し――」

「戯れをぉ、って?」

 突如現れ、自分の輪郭をなぞっている腕をツバキは袖の中に隠していた鉄扇で叩こうとする。

 が、叩くより前に手はなく、危うく自分の頬を自分で叩きそうになって止まった。

 一秒未満の攻防。拍手するのは勝ったのか負けたのかわからない勝負を、他人事のように楽しんで拍手する男一人。

 部屋に入れる両開き扉は一つしかなく、入ってきたら必ず気付けるはず。

 なのに今、彼がツバキの顔をなぞるまで、誰も彼の侵入に、存在にさえ気付けなかった。

「今のが暗殺だったら殺されてるよ、ツバキちゃん。貴族の公務で大分疲れてるんじゃない?」

「……戯れもほどほどにお願いしたい。ユーリ先輩」

 対神学園・ラグナロク六年、七騎主席――ユーリ。

 本名不明。男なのだが、中性的な顔立ちとヒールブーツを履いているところから女ではないかと噂もあり、性別も曖昧。

 主武装不明。実力未知数、と謎がとにかく詰まった謎だらけ人間。

 わかっているのは神の霊術が使える希少な存在であることと――ミーリ・ウートガルドと何かしらのえんがあるということだけ。

 どんなえんかは知らないが、年齢も性別も性格も異なる終焉の世代には、二つだけ重なる部分がある。

 一つは当たり前のことだが、英雄ミーリの血を引いていること。

 もう一つはその遺伝で、頭髪か瞳に青色が混ざっていること。

 切と零は言わずもがな。麒麟も金髪の毛先が青い。那月は両目が青く、ツバキは両目が青い上、髪の色も後頭部までは紺色だが、そこから徐々に青くなって背中まで伸びている。

 そしてユーリはと言えば、青色の頭髪に黒い毛先。瞳は青色の虹彩に漆黒の瞳孔が光っていて、顔立ちに至ってはもはや、ミーリ・ウートガルドそのもの。

 無論、青い髪色も青い虹彩も探せばいる。が、ミーリの血族にだけは特殊な色彩が入っており、区別することが出来た。

 だからユーリがミーリと浅からぬ関係であることは確実なのだが、本人に訊いてものらりくらりと躱されてしまうため、未だ明確な答えは聞けてない。

 が、年功序列でとはいえ、七騎主席を任されている以上、未知数とされている実力も折り紙付きであることだけは確かだ。

「秘密の会談だった? ごめんねぇ、邪魔して。ここ、俺の昼寝スペースだったもんでさぁ」

「昼寝は諦めて下さい。後、言っても無駄でありましょうが、この部屋を私情で使用するのはやめて頂けませんか」

「そんな固いこと言わないでよぉ、ツバキちゃん。七騎専用の部屋だから誰も邪魔しに来ないし、お昼頃になると気持ちいい日差しが入って来るし、寝床として最高なのよここ。俺も来年度で卒業なんだしさ。最後くらい好きにやらせてよぉ」

 超が付くほど適当。そして本能に――主に睡眠欲に過ぎるくらい貪欲。

 実力未知数と言われる所以がこの二つだ。訓練でも本気を出してるところなんて見たことがなく、やる気なんて垣間見えたことすらない。

 だが逆に、わからない。

 本当に謎の多い人だ。この会談のことも、もしかして狙って来たのではないかと勘繰ってしまうが、訊いたところでまともな返答など返ってこないのは明白。

 結局、こちらが疲れるだけで終わるのは目に見えている。

「まぁいいや。なんだかお邪魔なようだし、用件だけ伝えるね? 切くん」

「は、はい――ごほっ、ごほごほっ!」

 急に話が振られて、またむせてしまった。

 彼が何かしらの用事で動いていることも意外だったし、用事の相手が自分であることにも驚いてしまったのだ。

 いつも昼寝ばかりして授業をサボり、毎年単位が危ういのが定番なユーリとて、用事くらいあるだろうが、本能に忠実な面ばかり見ているから、どうしても意外に感じてしまうのである。

「そんな咽なくても、大した用じゃあないって。ただのでぇんごぉん」

「伝、言……?」

「君と妹の補習。俺と一緒に、神様退治ね」

「な――ごほっ、ごふっぐふっ!!!」

「先輩! もはや狙ってません!? やめてください!」

「そんなつもりはないって。俺は事実を言っただぁけ」

 確かに補習内容は、まだ言われてなかった。

 しかし切はともかく、零には未だパートナーがいない。

 例外を除けば、三年生の二人にはすでに武装をパートナーにすることが認められていたが、零は未だ例外的弱さ故、認められていなかった。

 そんな彼女に、神様退治など早過ぎる。

 本人に言ったら傷付くだろうが、せっかく顔に傷も残すことなく完治できたのに、更に危険な場所へと行かせることなど認められない。

「まぁ正確には……なんだけどね?」

「俺、達?」

 繰り返しになるが、ユーリの武装はわかっていない。

 彼の隣で人型になっているところを見たこともないし、何かしらの武装を持っているところさえ見たことがない。

 だからユーリが複数形で表現したのが、武装を数えてなのかどうか判断しかねていると、目の前からユーリの姿が消えており、出てきたときと同じように背後から、切の肩に手を置いていた。

 振り返った切の頬を、立てられたユーリの指が潰す。

「俺の武装じゃあないよ。もっと頼りになる人さ。じゃ、出発は明後日になると思うから。詳しくはまた後でねぇ。バイバァイ」

 と、またあっという間に、誰も追いつけない速度で消えて行った。

 台風一過の沈黙がその場に訪れ、全員若干疲れたように吐息する。

「切、席を外すかい?」

「大丈夫だよ、那月。零には少し、混乱させてしまうかもしれないけれど……ゆっくり説明しておくから」

 しかし、零に説明する必要はなかった。

 何せ今、同じ説明が家にいた零にもされていたからである。

「私に神様退治……そんなの、出来るわけが……」

「大丈夫だよ。何せ、父さんも行くからね」

「え――」

「学園長に無理言っちゃった」

 笑顔でピースするミーリであるが、この後また仕事に追われて一か月以上戻ってこれない未来を想像してしまって、零は手放しで喜ぶことが出来なかった。

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