第四話

 翌日、午後になってからダベンポートはカラドボルグ姉妹に会うために地下の遺体安置室に赴いた。

(トカゲ男の遺体を見せてもらおう。あの姉妹のことだ、もう調べてくれているに違いない)

 足音が反響する、薄暗い階段を降りながら考える。

 昨夜のグラムの話が妙に気になる。トカゲのような鱗を持った人間。

 これは魔法なのか、それとも何かのクスリによるものなのだろうか?

(もし、魔法が絡んでいるとしたら、遺体に何らかの痕跡が残るはずだ)

 しかし、一般庶民にそんな大量のマナを必要とするような魔法を扱えるものだろうか? ましてや、クスリともなるとそれは錬金術の領域だ。

(考えれば考えるほど訳が判らん……)


「ヘレン、カレン、セントラルからトカゲ男の遺体は届いたかい?」

 ダベンポートは遺体安置室の両開きの扉を開けるとカラドボルグ姉妹に声をかけた。

「はーい」

「届いてますー」

「トカゲ男ー」

 二人は興味深く覗き込んでいた手術台の遺体から顔をあげるとダベンポートに答えた。

 手術台の遺体はすでに着衣を脱がされ、全裸の状態だった。

 肌の色が濃い。全身が濃い茶色に染まっている。全身の皮膚は鱗に覆われ、まるでワニか何かの身体のようだ。

 鱗は首の下から足首にまで及んでいた。関節部分の色は薄く、その部分には鱗がないように見える。

「どれ」

 ダベンポートはトカゲ男の遺体に歩み寄ると手袋をしてから皮膚に触ってみた。

 硬い。まるで人間とは異なる生物のようだ。

「こんなの初めてー」

「面白いのー」

「でもダベンポート様、人間ってトカゲにもなるんですねー」

「ねー」

「…………」

 ダベンポートは黙って関節の内側にも触ってみた。色は薄いがここも皮膚が硬化している。

 その遺体には右腕がなかった。よく見ると、全身に刀傷がある。文字通り滅多斬りにされたらしい。


跳ね返りバックファイヤーの症状に似ているな……)

 手術台に横たわるトカゲ男を見てダベンポートが最初に思った感想はそれだった。

 跳ね返りバックファイヤーとはなにかの魔法に失敗した結果、マナを大量に取り込んでしまったために起こるいわばペナルティだ。普通であればどんな大魔法を行使したとしてもマナは身体を通過して魔法陣に流れるだけで、跳ね返りバックファイヤーは起こらない。

 起こるとすれば身体から出て行く以上のマナを取り込んだ場合、そう、人体爆縮攻撃のようにマナの出口がなくなってしまうような状況に限られる。

(バルムンク家の婦長さんの場合は人体爆縮攻撃を行なった結果、魔法陣まで吹き飛ばしてしまったためにマナが溜まって猫になりかけた。ダーイン家のご令嬢の場合は集まるマナが多過ぎて、ホムンクルスの棲むガラス瓶に送り切れずにウサギになった……)

 跳ね返りバックファイヤーはその進行度によって段階分類がすでに魔法院によってなされていた。

 最初の段階では身体の特徴的な部分に変化が現れる。バルムンク家の婦長の場合は猫の耳が頭に生え、ダーイン家のご令嬢の場合は耳が長くなってうさぎのようになった。

 これが第二段階に進行すると身体の変化はさらに顕著になる。全身に変化がおよび、体毛が生え、尻尾が生えたり門歯が伸びたりし始める。第三段階になると変化は脳にも及び、知能は退化し、瞳の形が変わる。体型が変わり、行動様式が動物化し始めるのもこの頃だ。

 そして第四段階で変身は末期状態となる。身体の大きさはそのままで、その姿も、そしても行動も動物のそれとなるのだ。

 基本的に跳ね返りバックファイヤーは止まらない。バルムンク家の婦長の場合はダベンポートが強制的に魔法を上書きすることで跳ね返りバックファイヤーを打ち消すことに成功したが、それでも変化してしまった身体は元には戻らなかった。バルムンク家の婦長の頭には今でも猫の耳が生えているはずだ。

(この男の場合は第二段階と第三段階の間と言ったところか……)

「ねーねー」

 ふと、ダベンポートはカラドボルグ姉妹に袖を引かれて我に返った。

「ん?」

 カラドボルグ姉妹は背が小さい。どうしても背の高いダベンポートは二人を見下ろす格好になる。

「それよりもねー、その人の右手の甲を見て欲しいの」

 カラドボルグ姉妹の片方がダベンポートの袖を引っ張った。

 左目の下にほくろがある。これはカレンだ。

「これー」

 もう一人の姉妹、ヘレンが腕を抱えて持ってくる。

「手の甲?」

 ダベンポートは手術台に乗せられた右腕の手の甲を手に取ってみた。

「魔法陣があるのー」

「あるのー」

「魔法陣?」

 言われて茶色い手の甲に目を凝らす。

 なるほど、手の甲には丸い文様が焼きついていた。皮膚の色が濃いため見えにくいが、確かに魔法陣だ。

「……面白いな」

 ダベンポートは思わず呟いた。


 魔法の痕跡だ。


 すぐに手帳を取り出し、その魔法陣を手帳に書き写し始める。

「二オブジェクト、三エレメントの二重魔法陣……」

 魔法陣の中心には五芒星が描かれていた。

 二オブジェクト、三エレメントの二重魔法陣。それは、ダベンポートも見たことのない魔法陣だった。

「うーむ」

 思わず唸る。複数の魔法が一つにまとめられている。これをインデックスから割り出すのは骨が折れそうだ。


 待てよ。

 手の甲に魔法陣。

 そういえば、ダーイン家のご令嬢の手の甲にも魔法陣が焼きついていたな。

 思い出して、改めて魔法陣をまじまじと眺める。

 古い書式、複雑な式。

 錬金術時代の魔法陣。

「…………」

 ダベンポートは胸の内に黒く、不吉な予感がわだかまっていく。


「「でもね、もっと面白いの」」

 再び考え込んでしまったダベンポートをカラドボルグ姉妹が現実に引き戻した。

 二人で並んでパタパタと隣の部屋に移動し、部屋の中からダベンポートを手招きする。

「ダベンポート様、ちょっと来てー」

「来てー」

「何が面白い?」

 嫌な予感を無理やり押し殺し、手帳に魔法陣を写し終えてから二人の後に続く。

 二人が示したのは例の骨髄が鋼鉄化した遺体だった。ダベンポートが昨日依頼した通り、修復が始まっている。

「この人のね、手に模様がありそうだったから先に修復してみたんだけど」

「トカゲさんの手の甲と同じような魔法陣があるの」

「おかしくない?」

 二人が揃って眉を顰める。

「なに?」

 ダベンポートはまだ縫い痕が生々しい右手を手にとってみた。裏返し、手の甲を見てみる。

 そこにあったのはトカゲ男と同じ、二オブジェクト、三エレメントの二重魔法陣だった。

(二人の別の人物に似たような魔法陣……同じ右手……古い書式……)

 ダベンポートの中で何かが繋がる。

 全てが符合した瞬間、ダベンポートは思わず慄然となっていた。

「……スレイフだ」

 ダベンポートの口元から呟き声が漏れる。

「……こんな事ができるのはスレイフ以外には考えられない」

…………


「グラム、まずい事になった」

 ダベンポートはグラムのオフィスに駆け込むなりグラムに言った。

「まずいって、なにがさ?」

 のんびりと自分の剣に砥石を当てていたグラムが顔をあげる。

「二日酔いなんだ。リリィさんに言っておいてくれ、あの子はお酌が上手すぎる」

「そんな事はどうでもいい」

 ダベンポートはグラムに言った。

「スレイフだ。スレイフがまた活動している。すぐに見つけないとまずい事になる」

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