15

「――どうしたのかね?

 最近は少し元気がないように見えるが」


 騎士団長のアルバートは気になって、ふと見かけたセシルに声を掛けた。


 カイがこの街から離れてからというもの、セシルの気分は塞ぎがちになっている。

 無論彼女は一人でも、剣の鍛錬を欠かさなかったし、騎士見習いの勤めも問題なくこなしていた。


 だが、問題はカイがこの街を出てから、既にが過ぎてしまっていることだ。

 セシルはカイが戻らないことで、鎧が完成しないのではないかという不安よりも、彼の身ばかりを案じている自分の心に気づいていた。

 そして、それが何を意味しているのか、わからないほどに色恋にうとい訳でもない――。


 アルバートはそんなセシルの様子を気に掛けて、彼女を自室に招き入れた。

 相変わらず植木鉢に水をやるアルバートの姿を見ると、何となくセシルの心も洗われていくような気がしないでもない。


「セシル、実はあまり良くない知らせがある」


 セシルはアルバートの言葉にビクリと大きく反応した。

 まさか――という思いを抱いたが、よく考えればアルバートがカイの動向を知るはずがない。

 果たしてその後にアルバートが語ったのは、カイのことではなく叙任式のことだった。


「近頃、メイヴェル公爵閣下の体調が優れないという話を聞いている。

 叙任式が近づいてきているが、医師は閣下が叙任式へ出席されるのを、避けるように進言しているらしい」


 この街一帯を支配しているのは、三大貴族家トライアンフ筆頭のメイヴェル家である。

 そしてメイヴェル公爵という人物は、そのメイヴェル家の当主――つまり、この街の領主であり、この街の騎士団員にとっての主君に当たる人物だった。

 従って通常であればセシルは、メイヴェル公爵から騎士叙任を受けて、メイヴェル家に対して忠誠を誓うことになるはずである。


「では、閣下が快復されるまで、叙任式が延期になるということですか?」


 アルバートはセシルの低くなった声色の問い掛けに、静かに首を横に振った。


「いいや、今のところ延期にはならぬと聞いている。

 叙任式を延期してしまうと、その後の遠征の予定にまで、影響が出てしまうからな。

 助けを待つ住人たちのことを考えれば、遠征はどう考えても延期することはできない。

 ただ、一方でメイヴェル公爵閣下自身が、叙任を行うのは無理だという結論になるだろう。

 それで、代役と言っては何だが、どうやら春の叙任式は娘のオヴェリアさまが執り行うことになるらしい」


「オヴェリアさまが――?」


 思わずセシルはその名前を繰り返した。


 オヴェリアというのはメイヴェル公爵のである。

 長女と言っても歳は若く、まだ二十歳にもならない年齢のはずだ。

 ただ、オヴェリアには五歳ほど年上の兄がおり、公爵の後継者はその兄の方である。

 だがオヴェリアの兄は王国の人質として、王都住まいを強いられているため、この街には長い間戻って来ていない。


「良かった――。

 叙任式自体が取りやめになるという訳ではないのですね?」


「今のところは、というところだ。

 公爵閣下の体調次第では、今後、取りやめになってしまう可能性もない訳ではない」


「悪い知らせには慣れています。

 今は開かれる可能性があるということだけで十分です」


 アルバートはセシルの言葉を聞くと、彼女を不憫ふびんに感じたのか、眉間に深い皺を寄せた。


「セシル、ところでオヴェリアさまを、お見掛けしたことはあるか?」


「いいえ」


 セシルはメイヴェル公爵と話したこともなかったが、それでも公爵の姿は何度か目にしたことがあった。

 だが、娘のオヴェリアとなると、会話した経験どころか、姿を目撃したことすらない。


「私もオヴェリアさまのお姿は、数度しかお見掛けしたことがない。

 見目は愛らしい方だが、公爵閣下が仰るにはオヴェリアさまは意思がお強く、破天荒でよく気まぐれを起こされるのだとか。

 セシルも叙任前に変に目を付けられることのないよう、気をつけておいた方が良いやもしれぬ」


 主君の娘に対する言葉として、アルバートにしては歯に衣着せぬ物言いだと思ったが、セシルは彼の言葉の意味を理解して、思わず心の中で溜息をついてしまった。


 どうやら叙任式が近づいてくるにつれて、また大きな難題が降りかかってきそうな気配である――。






◇ ◆ ◇






 早朝――。

 五番街奥にある稽古場に、木剣同士がぶつかる音が響いた。

 その朝の光景自体は、これまでにも幾度となく繰り返されてきたものである。

 しかも、片方の剣を握る人物が、であることも同じだ。

 ただ、彼女が相対あいたいしている相手が、これまでの人物とは違う。


 セシルは揺れる金髪もいとわずに、鍔迫つばぜり合いから、思い切って木剣を斬り上げた。

 すると彼女と対峙する男性は、下から迫る攻撃をさばくことができない。

 セシルの放った斬撃は、男性の持った木剣のを引っ掛けて、一気に空へと跳ね上げた。


「くっ――!」


 手首に掛かる強い加重を感じて、男性は思わず苦痛の声を漏らす。

 そして次の瞬間、男性の剣は、遠くの方へと弾き飛ばされて乾いた落下音を立てた。

 直後セシルが突き出した木剣が、彼の喉元に迫る。


「ま、参った!

 いや、驚いたよ。いつの間にこんなに腕を上げたんだい?」


 男性は喉元に突きつけられた木剣を見ながら、素直に彼女の腕前を賞賛した。


「一応、毎日わたしなりに努力はしたのよ」


 彼女はそう男性に向けて呟くと、自分が弾き飛ばした木剣を拾い上げる。


 セシルが目の前の男性――ヨシュアに剣の鍛錬に付き合ってもらうのは、これが通算二度目のことだった。

 一度目は文字通り、カイが不在になってすぐに――それはカイが出立した翌日のことだった――彼に声を掛けて、その日の夕方に時間を取ってもらったのだ。


 その時、ヨシュアは懇切丁寧に、自分が持つ技術を教えてくれたと思う。

 ただ、問題があったとすれば、生徒であるはずのセシルが、彼の教示をあまりということだろう。

 何しろ事前にカイから多くを学んでいたセシルには、どうしてもヨシュアの教える技法が実戦的でないように思えたのだ。

 それに加えて良くなかったのは、どうやらセシルの剣の腕前が、既にヨシュアを上回ってしまっていると思われたことである。


 結果、セシルはその日以来、ヨシュアに鍛錬の相手を頼みづらくなってしまった。

 いくら気の知れたヨシュアであっても、騎士見習いが剣の腕前でのは、彼の自尊心に差し障ると思ったからだ。


 だが、カイがなかなかことで、結局セシルはもう一度ヨシュアに鍛錬の相手を頼むことになってしまった。


「ボクで良ければいつでも付き合うよ。

 何だったら毎日だっていいけど、どうする?」


 セシルは無邪気なヨシュアの提案に感謝を表したものの、という申し出には、上手く返事ができずにいた。





 その日の夕刻、セシルは宮殿勤めを終えてから、カイの店に立ち寄った。

 彼女はカイが居なくなって三日が経過した日から、毎日こうして店に立ち寄っている。

 ただ、そうして様子を窺ったところで、セシルを出迎えてくれるのは店に貼られた張り紙一枚だけだった。

 その張り紙には勢いよく、『しばらく不在にて休業』という文字が書き殴ってある。


「今日も、戻っていないのね」


 彼女はその事実を確かめると、俯きながら深く溜息をついた。


 既にカイが街を出てから、近くの月日が経とうとしている。

 もはや彼がどうなってしまったのか、単純に心配するという領域を超えてしまっていた。

 セシルがじっと店の前に立ち尽くしていると、何となく目の中に熱いものが込み上げて来そうな気配がある。


 セシルはこれまで自分を湿っぽい女だと思ったことはないし、自分が精神的に弱いと思ったこともなかった。

 何しろ彼女は様々な逆境に立ち向かってきたし、自分の思い通りにならないことにも堪え続けてきたのである。


 ところがそんなセシルであっても、どうも彼絡みの話には、感情が強く差し挟まってしまうらしい。

 それもカイが街を出て行ってしまって、自分の側から居なくなるまでは、これほど明確に気づかなかったことだ。


 だが、いざ彼の姿が消えると、セシルは自分の心の中にあった大切な要素が、ぽっかりと抜け落ちたことに気がついてしまった。

 自分でも驚くぐらい、彼に依存していたことを気づかされてしまったのだ。


 セシルはグッと息を飲み込むと、見上げるようにまばたきをしながら、自身の感情を何とか制御しようとした。

 そして扉の小さな硝子ガラスを見つめると、ぼんやりと映った自分の顔を確かめてみる。


 ――よし、泣いてはいない。これなら大丈夫。


 そう彼女が確認して、カイの店を離れようとした瞬間――。

 彼女は不意に背中越しで掛けられた声に、心臓が飛び出る程に驚いた。


「――おや、セシルじゃないか。

 こんなところでどうしたんだ?」


 セシルはその声の主に気づくと、まさに驚愕の表情を作って、自身の後背を振り返る。


 すると、そこには赤銅色に日焼けした――鋭い目つきを持つ、が立っていたのだ。




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